君の奇跡の愛(ワンダー・オブ・U)   作:時崎

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老人その②

 

 

 ギルドの職員、エイナ・チュールは机の上に積まれた書類を手に取り、深いため息をついた。

 窓から差し込む陽光が紙面を照らしているにもかかわらず、彼女の表情は晴れなかった。美しいエルフの面差しに浮かぶのは困惑と不安、そして理解の及ばぬ事態に対する薄暗い影だ。

 

 書類には昨日の昼下がりに起きた惨劇の詳細が記されている。

 オラリオ商業区の外れ――普段は人通りの多い場所から、わずかに外れた路地。そこで狼人の男たち三人が、立て続けに命を落とした。

 

 一人は散乱したガラス片に頭部を貫かれ、一人は鳥に頭蓋を突き破られ、最後の一人は落ちてきた窓枠の直撃で肩を砕かれ、そのまま陶器の破片に貫かれて息絶えた。

 どれも偶然にしては出来すぎている。

 だが、書面に記された死因はすべて「事故」だった。

 

「三人とも、死因が『事故』扱い...この場所で起きてる事件は十件を超えてる…」

 

 エイナは小さく呟き、眉根を寄せた。

 報告書を重ねるたびに、重苦しい空気が部屋を支配していく。

 

「…どの事件にも目撃者はなし…ね」

 

 死体だけが残され、犯人の姿はどこにもない。

 オラリオという巨大都市の中で、まるで影のように現れ、痕跡ひとつ残さずに消えていく『何か』が潜んでいる。

 エイナは手にした資料を机に置き、ゆっくりと目を閉じた。

 

「……これ以上、下級冒険者が巻き込まれるようなことになったら……」

 

 声は囁きにも似て小さく、それでいて胸の奥に潜む恐怖を抑えきれなかった。

 下級冒険者たちはオラリオにとっての未来である。だが、彼らは無知ゆえに好奇心から危険へと足を踏み入れてしまう。

 

――白髪の少年の顔が、エイナの脳裏に浮かんだ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 朝の光がダンジョンの入り口を照らし、今日もまた多くの冒険者たちが地下への階段を降りていく。石畳は冒険者たちの足で削られ、無数の傷跡を刻んでいる。鎧の擦れる音、武器が打ち合わさる金属音、そして仲間同士の笑い声や士気を高める掛け声が入り混じり、いつもと変わらぬ活気を見せていた。

 その中に、白い髪の少年の姿もあった。彼の背丈は他の冒険者たちに比べれば小柄で、装備もまだ質素なものばかり。それでも、その瞳には強い意志の光が宿っていた。

 

「今日こそは、もう少し深い階層まで!」

 

 ベル・クラネルは小さく拳を握りしめ、胸の内で意気込みを固める。ヘスティア・ファミリア唯一の眷族として、その肩には誇りと同時に重責がのしかかっていた。誰も頼れる仲間はいない。

 それでも、前へ進むことだけは諦めない。

 それが彼の長所でもあり短所でもあった。

 

 

 だが現実は甘くない。

 4階層に到達した頃、彼は早くも壁に突き当たる。

 曲がり角の先から現れたのは、数匹のゴブリン。

 それはすぐに群れとなってベルを取り囲み、彼を絶望へと追い込もうとする。息を切らしながら剣を振るい、必死に応戦する少年の姿は必死そのものだった。

 どうにか撃退に成功したものの、右腕に深い爪痕を負ってしまった。裂けた袖の下からじわりと血が滲み出し、腕を動かすたびに鈍い痛みが全身を突き抜ける。呼吸は荒く、額には冷や汗が伝っていた。

 

「うう...ポーションを...」

 

 弱々しい声を漏らし、ベルは腰の小袋に手を伸ばす。だが、次の瞬間、顔が凍りついた。

 

 ――ない。

 

 中を確認した瞬間、愕然とした。昨日の探索で、最後の一本をすでに使い切っていたのだ。手のひらに残ったのは、わずかな硬貨の入った小袋だけ。そこに余裕がないことも、ベル自身が一番よく知っていた。

 彼の胸に、重たい焦りと不安が広がっていく。

 下級冒険者にとって、ポーションを持たないということは、死と隣り合わせで歩くことと同義だ。

 

「神様やミアハ様に迷惑を掛けたくないし…そうだ、安い薬屋を探せば...」

 

 ベルは地上へ戻ると、陽光が眩しいほどに降り注いでいた。

 

―――数十分後

 

 少年は自然と、メインストリートをわずかに外れた場所に、足を向けた。

 石畳は欠け、泥の溜まった場所もある。商人たちの威勢のいい声は遠のき、代わりに聞こえるのは猫の鳴き声のみ。

 ベルは腕の痛みに顔を歪めながら歩き続けた。血は辛うじて止まっているものの、このままでは明日の探索に支障をきたす。

 焦燥に駆られ、半ば祈るような思いで目を巡らせる。

 

 すると古びた看板を掲げた小さな店を見つけた。

 看板に書かれた文字は色あせ見えず、建物全体が長い年月を感じさせている。

 目を細めると、老人が座っているのが見えたベルは、早歩きでその場に行った。

 

「…すみません。ポーション売ってないですか? ダンジョンで傷を負っちゃいまして…」

 

 店内の静寂の中、老人は杖を軽く突きながらゆっくりと立ち上がった。深くかぶった帽子の庇の影で表情は読み取れない。

 奥の棚に手を伸ばし、木製の小箱を引き寄せると、そこからいくつかの小瓶を取り出す。透明な液体が光を受けて淡く揺れる。老人は一つを手に取り、慎重に小袋に入れると、静かにベルの方へ差し出した。

 

「ポーションは…250ヴァリスですよ」

 

「250ヴァリス!?」

 

 ベルは驚愕した。

 普通なら五百ヴァリスはするであろう傷薬が、半額で手に入るとは思いもしなかった。

 小袋の中身が心許ない彼にとって、それは天の助けそのものだ。

 

「…普通なら500ヴァリスをするんですけど…」

 

 おそるおそる尋ねた少年に、老人はゆるやかに頷いた。

 相変わらず顔は深くかぶった帽子の影に隠され、表情はうかがえない。

 だが、その声音には確かな落ち着きと、奇妙な安心感があった。

 

「…久々のお客様ですから…サービス…というものです」

 

 ベルは小さな硬貨を取り出し、老人の前に置いた。

 手元のポケットの中身は少なく、明日のダンジョン探索を考えれば、貴重なヴァリスの一部である。だが、今は迷っている余裕などなかった。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 深々と頭を下げるベル。

 ポーションを手にした瞬間、心の底から安堵が広がるのを感じた。

 冒険者にとってポーションは命そのもの。下級冒険者はこれがなければ、明日の探索も命がけの綱渡りになる。

 

 その時、ふとベルの胸の奥に小さな疑問が芽生える。

 

(何でこんな安いのに、噂にならないんだろう?)

 

 下級冒険者にとって、この値段はあまりにもありがたい。

 普通なら列ができてもおかしくない。大通りにある高価な薬屋より、よほど需要があるはずだ。

 それなのに、この店の前には人はちらほら見かけるが、冒険者の気配は一向にない。

 大通りから外れているが、すぐに辿り着けない距離でもない。

 立地の問題でもないだろう。

 建物自体は古びてはいるものの、朽ち果てているわけでもない。看板も一応掲げられ、商品棚には確かにポーションが並んでいる。

 

 ベルは店主を見る。

 深くかぶった帽子の庇に顔は隠れ、年老いた身体は黒い衣服と厚いマフラーに包まれている。

 木製の杖を片手に、微動だにせず腰掛けている姿は、ただの老人にしか見えない。

 

「…なにか、問題でも?」

 

「い、いえ何も…」

 

 ベルは慌てて目線を逸らし、次の一歩を踏み出した瞬間、木の枝が頭に落ちてきた。

 軽い衝撃に思わず手をやり、足早にその場を去った。

 




自分の想像以上に好評でありがたい限りです。
ダンまちの知識を蓄えなければ…
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