絶望少女と愛す先生   作:びとうしんいち

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第壱話 むしのいどころ その二

「ちょろすけ?」

 あいすの口から思わずその名が漏れていた。

「おはよう先生!大丈夫?最近元気なさそうだったから心配で来ちゃった」

 その女の子はあいすの目を見つめながら言う。大幅にアレンジの入ったエプロンドレスに、艷やかな金髪のツインテールとそれに添えられたヘッドドレス。それはあいすにとってはよく見慣れた姿だった。

 彼女はわからせちょろ。あいすが住み込みで働いているアンダーグラウンド家に同じく住むメイドの女の子だ。ちょろとあいすは同じ時期にこのアンダーグラウンド邸に来たということもあり、プライベートでも交流のある友人同士だ。あいすよりは歳下のはずだが、天真爛漫な振る舞いの中にどこか大人びた雰囲気がある。一度飛び出すとまるで一本の矢のように真っ直ぐ飛んで行き、振り向くことはない。いつだって太陽に向けて凛と咲く向日葵のような女の子。それがわからせちょろだ。

「ちょろすけ~!」

 あいすはそう名前を呼びながらちょろに抱き着いた。ちょろは静かにあいすを抱き締め返し、その背中を撫でた。あいすはちょろの胸に顔を埋めた。

「ありがとうちょろすけ。気を遣わせちゃったね」

 あいすは顔を上げて言った。

「いいのいいの!あ!レモネードを持ってきたよ!疲れている時は糖分とビタミンCを摂るといいんだって!すうちゃんが言ってた!」

 ちょろは花がパッと咲いたような笑顔でレモネードの準備を始めた。ベットの横に運ばれて来ていたティートローリーの上で、ピカピカのガラスコップに淡い蜂蜜色の飲み物を注いでいく。ちょろは向き直りベッドの中で上半身だけを起こしているあいすにレモネードを一杯差し出した。

「はい、わからせちょろ謹製だよ!召し上がれ」

「ありがとうちょろすけ〜」

 あいすはこの気遣いの出来る友人に心から感謝しながらその一杯を受け取った。それをゆっくりと唇に運び、口を付ける。さっぱりとした檸檬の香りと上品な甘さが口の中に広がる。

「美味しい...!」

 あいすは思わず声を漏らした。

「よかった!」

 ちょろの気遣いで少しだけ心が安らいだあいすは、ちょろが気になりつつも聞かないでくれているであろう、最近のあいすに起きている出来事、悩みの種を話し始めた。

 

「そっかーそれは辛かったね」

 あいすは心霊スポットロケのこと、そして夢のことをひと通りちょろに話した。あいすの頭はいつの間にかちょろの膝の上に乗せられていた。「やっぱり先生の髪は綺麗だね」そう言いながら、ちょろはその髪を撫でる。

「同じ夢を何回も観るなんて不思議だね」

「やっぱりそうだよね」

「それに、虫の夢なんて...。先生虫苦手だもんね」

「そうなんだよー。もう眠るのも怖くて...。なんかお腹の調子も悪いし」

「うーん、それはヤバそうやね。やっぱりその心スポに行ったのが原因なのかなー」

「そうなのかなぁ。うぅ心スポ行ってもこんなことあんまり無いのに...」

「よしよし先生辛かったね〜。先生はとってもがんばってるよ〜」

 そう言ってちょろはまた自分の膝の上に収まった友人の頭をゆっくりと撫でた。普段は自由気ままな猫のように、メイドとして真面目に働いているんだか遊んでいるんだか分からないちょろだが、友人を労う時はこのように人一倍奉仕的だった。あいすは少しぼんやりしながら、ちょろのエプロンドレスのコルセットに包まれたウエストを凝視していた。こんなに細くて小さいのに、ちょろは小さな太陽のように快活で優しい子だった。

 

「うーん、やっぱりすうちゃんに診てもらったら?」

 しばらくそうしてあいすの頭を膝に乗せて撫でた後、ちょろはあいすにそう提案した。「すうちゃん」とは、甘神すうという同じくこのアンダーグラウンド邸に住む看護師である。

「ちょろはこうして先生に寄り添ってお話を聞くことくらいしか出来ないけど、看護師さんのすうちゃんならもっと確実なアドバイスをもらえるかも!」

 確かに、心霊スポットに行ったのが一つのきっかけなのかもしれないが、それ以前にあいすは自分がストレスを溜め込みやすいタイプだという自覚が少なからずある。霊障や祟りなどではなく、単に心的な要因による不調である可能性は十分あった。

「うん。そうだね。一度診てもらった方がいいかも。今日行ってみるね」

 あいすはそう応えた。あいすはちょろのおかげで少しだけ前向きな気分になり、今日は体が動くような気がした。

「うん、それがいいよ!」

 ちょろは嬉しそうにそう言った。

 外から窓を潜った陽がガラスの中の液体に飛び込んで光っていた。微かに檸檬の香りがした。

 

 ちょろがメイドの仕事に戻り、あいすはしばらく部屋で仕事をした後、ちょろと話した通り、甘神すうのいる診察室へ向かった。

 アンダーグラウンド邸は伝統的な様式と奇天烈な革新を足して√処理したような内装をしている。使用人たちの日々の働きで清掃は行き届いているが、流石に蓄積した経年劣化は隠しきれず、何処かお化け屋敷のような様相を呈している。要するに古い洋館であった。鮮血のような真紅の絨毯の敷かれた廊下をあいすのハイヒールがコツコツと鳴らす。あいすは名前の通り日本生まれなので、この土足で室内を歩くスタイルは少し慣れないところがある。広々とした館と言えどあいすの自室とすうのいる診療室は同じ階にあり、そこまで離れていない。しばらく歩くとすぐに可愛らしく清潔そうな外観の診療所の扉が目の前に現れた。

 

「すうちゃん、いるー?」

 あいすが診療室の扉を開くと、そこには既に先客がいた。

「あいす先生いらっしゃい。ちょっと待っててね」

「あいす先生じゃん。先生も調子悪いの?」

 あいすが扉を開いて始めに反応したのは部屋の奥に座っていた、パステルピンクの髪を黒いリボンで結わえてハーフツインにした女の子だった。彼女は黒を基調としたナース服を身に纏っており、今まさに目の前の患者を診察している様子だった。そう、彼女こそがアンダーグラウンド家に住み込みで働くナース、甘神すうであった。いつもふわふわとした雰囲気を漂わせ、おっとりとしているように見えるが、その目には一振りの刀身のような靭やかさと鋭さを覗かせる。強かで、抜け目がなく、その実何処か脆い。それが甘神すうだった。

 すうは先にいた患者と向き合い、診察をしていた。

 そして、その先客とは、

「ですち?」

 先日、あいすと共にあの心霊スポットに訪れた絶望ですであった。

 

「つまり、あいす先生と絶望ちゃん、二人ともこの三日間同じ夢を見ているってことだね」

 すうはあいすの方の診察も終えると、そう状況をまとめた。

「それに関してはですちたちも今知ったんだけど」

 ですが少しやつれた調子で言う。

 すうに二人が話したことを総合すると、どうやら、ですとあいすはあの心霊スポットに行って以来、三日間虫に関する同じ悪夢を見ていたらしいということが分かった。さらに、二人ともこの三日間、頭痛や腹痛、足の痺れなど、原因不明の共通の症状が続いていた。

「軽く検査もしてみたけど、明確な原因は分からないね」

 そうすうは話す。

「今は心霊スポットという非日常的場所にいたストレスによる心的要因の可能性がある、としか言えないかな」

「でもそれじゃ同じ夢を見ている理由は説明出来ないよね」

 ですは表情を変えずに話す。

「うーん。その心霊スポットに虫はいたのかな?」

「えーと、むしろ不思議なくらいいなかったかも?」

「そっか。これは難儀ですう...」

「ワケワカだね」

 すうは少し考え込んでから、再び口を開いた。

「...ただ、レム睡眠における夢というのは、脳による過去に見聞きした情報の整理と言われているの。脳は睡眠中、記憶という本の詰まった棚を整理していて、夢はそのジャンル分けのために本を開いて中身を斜め読みしているイメージだね」

 すうは椅子から立ち上がり、ホワイトボードに妙に可愛らしい絵を描きながら説明する。

「言い換えるなら夢は、記憶という撮影素材を個人的なドキュメンタリー映画として編集する過程のラッシュみたいなものと言えばいいかな。そして、夢の編集者は脳。そのストーリーの軸となるのは、その夢の主の無意識ということになるの。夢のメカニズムは未だに謎とされるところが多いんだけど、こうしたことから人間の意識と無意識に強く結びついていると言われているんだ。だから、同じ夢を繰り返す、反復夢は無意識からの強いメッセージ、暗示という可能性もあるの。例えば未解決の課題や深層心理にあるトラウマ、あるいは意識下では気付いていない身体の不調なんかを無意識が夢という形で教えてくれているのかも」

「でも虫だよ」

 ですが僅かに怪訝な顔をして言う。

「医学的な話ではないけど、夢占いでは虫の夢は結構ポピュラーなんだよ。例えば虫がわく夢は小さな問題やストレスの暗示、虫に刺される夢は人間関係のトラブルを暗示していると言われているの」

「なるほど...」

「心当たりがあるようなないような...」

 ですとあいすは揃ってその暗示に関する心当たりを探った。

「ま、参考程度にね!それじゃあ、お薬出しておきますね。......だけど、これってもしかすると別分野の案件かも?」

 まだ釈然としていなさそうな二人の顔を見渡してから、そう言ってすうは再び机に向かい、何やら紙に何かを認めた。

「二人とも、この後もうちょっと時間あるかな?」

 すうは振り向いて二人に問い掛ける。二人は顔を見合わせ、それから首肯した。

「それじゃ、これを」

 そうしてすうが差し出したのは、可愛らしいカエルがあしらわれた封筒に収められた『紹介状』だった。

 

つづく

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