それでも僕は、飛車を振る   作:チキンうまうま

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プロローグ

 

 俺がそいつに初めて会ったのは10年以上前。実家の銭湯兼道場でのことだった。

 

『しょーぎしてください!』

 

 客同士が将棋を指すところを眺めていた俺に、キラキラした目をしたちびっ子が舌足らずな声でをかけてきた。見たところは幼稚園に入ったばかりの自分の娘と同年代か、あるいはそれ以下。そんな子が声をかけてきたのだ。

 

『こら、プロの先生に迷惑をかけるんじゃない!』

 

 当然そんなことをすれば対局をしていた父親が飛んでくる。いやだいやだと暴れるちびっ子を抱っこして何度も頭を下げる父親に、子供のすることだから気にしないでほしいと。同じ父親として笑いながらそう言って、俺はちびっ子の顔を覗き込んだ。

 

『坊主、名前は?』

『あうう』

 

 覗き込んだら急に恥ずかしくなったのか、ちびっ子は父親の肩に顔を埋めた。その様子に父親は苦笑いをしながら事情を説明した。

 

 このちびっ子は俺の振り飛車を見て、そして俺にどうしても会いたいと駄々を捏ねてわざわざ神戸から連れてきてもらったのだと。

 

 自分の指した将棋が子供の憧れになる。プロとしてこれがどんなに嬉しいことか。思わず口元を緩めた俺は、ちびっ子の頭を撫でた。驚いたのか団栗みたいなまんまるな目が俺を見つめて離さない。

 

『この歳で俺の《捌き》に目をつけるとはセンスあるぜ』

 

 笑いながら俺がそう言うと、ちびっ子もつられて笑った。それからもう一度名前を聞くと、満開の笑みを浮かべて口を開いた。

 

『ぼくのなまえは─』

 

 

 

 

 

 

 それが一匹狼を貫いていた、そして取るつもりもなかった俺の将来の弟子となる男の出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り飛車は《不利飛車》なんて言われることがある。

 

 基本的に振り飛車は受け寄りの戦術で、ついでに最近主流のソフト解析でも序盤の振り飛車は露骨に評価が低い。そのせいで我ら振り飛車党は居飛車党に駆逐されつつある。プロなんて見てみろ、A級で振り飛車使ってるのは師匠くらいだ。B級C級含めても今では居飛車党が席巻している。ああ、なんて嘆かわしい。振り飛車はこんなにカッコよくて─

 

「…ありません」

 

 こんなに強いのに。

 

 盤を挟んだ俺の目の前で項垂れた相手に一礼を返す。そしてそのまま2人で感想戦へと移行した。感想戦は途中の盤面を再現しては議論し、自分の成長へと、ひいては次の対局へと活かすための重要な時間だ。自分では見えていなかったものが相手視点では見えていたりするから、勝ったとはいえ気は抜けない。

 

「…今回の」

「はい?」

「今回の俺の敗着は何だったと思う」

「そうですねえ…」

 

 悔しさを滲ませながら相手が尋ねてくる。それに俺はいくつかの盤面を再現して、俺の考えつく限りではあるがもっと良い手があったと答えた。それに相手が反論するも、それを全て切り捨てる。『俺はその程度なら余裕で捌けるぞ』、と。絶対の自信を持って相手の意見をぶった斬った。

 1時間近くの感想戦を終えて、最後の帰り際。よっこらせと畳から立ち上がった俺に対局相手が唸るように絞り出した。

 

「すごいな、お前は…これで順位戦全勝か?」

「はい。来季からはC1です」

「そうか。さすがは中学生デビューした天才様だな…」

 

 そう言って彼はははっと力なく笑った。その姿からは対局後の疲れだけでない、もっとしょぼくれた何かを感じる。諦めに足る何かを求めた、そんな雰囲気を。

 

「…俺は天才じゃないですよ」

 

 それでも、『天才』なんて言葉を使って欲しくなかった。『天才』ってのはもっと理不尽な存在に使うべきだ。俺みたいな同い年の同期に圧倒的大差をつけられた人間が名乗っていい称号じゃない。

 

 俺の口から出たその言葉は周りへの劣等感で思ったよりドロリとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後周りの空気を若干悪くしてしまったせいで俺はそそくさと対局室を後にした。今は3月。日中は暖かくても日が暮れると随分と寒くなる時期だ。実際先ほどまでいた関西将棋会館を出た時はクソ寒いとか思った。でも、途中から寒さなんて感じなかった。

 

 そんな寒さを忘れるくらい、頭の中ではさっきの対局がぐるぐると渦巻いていた。『この場面はこうしていればもっと良かった』『あの駒はこう動かすべきだった』そんな思考が再現なく浮かんでは消えていく。そんな時には必ず考えることがある。

 

「師匠なら、もっと綺麗に捌けるんだろうな…」

 

 師匠なら、あの《捌きの巨匠(マエストロ)》とまで称された生石充ならどんな流れを作るか。それが頭の中から離れない。奨励会に入る際に無理を言って弟子入りし、三段リーグを抜けてプロになった。最初に会った幼稚園の時から比べると比べ物にならないくらい強くなった。なのに、まだ俺は師匠の影も踏めていないのではないか。勝っても負けてもそんな思考が頭の片隅にこびりついている。

 

「はあ、やだやだ。勝ったってのに楽しいこと何も考え付かん…」

 

 師匠は今期も玉将のタイトルを防衛した。それに合わせて初めてタイトル戦の付き添いってのをやった。和服を着て防衛に挑む師匠は迫力がすごくて、圧に押しつぶされそうになった。

 同期にして同級生の男は最年少でタイトルを、しかも最高位の《竜王》を獲った。まあ最近は負け続きだが。

 関東で戦っている友人は一度も止まることなく今期も全勝で昇級を続け《次世代(つぎ)名人(かみ)》とまで呼ばれ始めている。

 

 じゃあ、俺は─?昇級はした。はい、それだけ。タイトルなんてもってのほかだし新人王も獲れてない。新人にしてはそこそこ勝ってるな、くらいの成績というべきか。

 

 はあ、とため息をついた。遠い。師匠も、友人も。何もかもが、俺から遠い。

 

 それでも、遠さを自覚した上で歩き続けると決めた。あいつらの後を追って、いや、追い越してやると決めた。

 

「明日は…師匠のところで研究するか」

 

 ポツリと呟くと、急に寒さが俺の身を刺してくるのに気がついた。ブルリと体を震わせて自宅までの道を早足で歩いていく。とりあえず帰ったらシャワーにしよう。それから今日の対局の見直しだ。そう決めて夜の大阪を歩いていく。

 

 俺の名前は若村(わかむら)人志(ひとし)

 

 職業─プロ棋士。

 

 





若村人志
 生石の捌きに憧れて飛車を振り続ける新人棋士。
 九頭竜竜王とは年齢も四段昇進も同じなのに差をあけられまくったことに劣等感を抱いている。
 実は湯船に浸かるよりもシャワーでさっと済ませる派。師匠の前では言い出せない。

 
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