君の隣を歩きたい。─車椅子の女の子が百合ハーレムを築く話 作:豚姫
小児一般病棟に来て10日目。
なんやかんやで、この103号室の生活にも少しずつ慣れてきた頃だった。
「いだっ…ぅ、ぐっ」
その日、私は突然の
いつも痛みどころか、感覚すらない足が焼けるように痛む。足に針を一本ずつ、ゆっくりと刺されているような、鋭い痛み。ピリピリしたその刺激に呼吸が荒くなった。
「はぁ、っ…はっ」
時折、こうして
感覚がないはずの足が、まるでそこに存在するかのように、鮮烈な痛みを訴えかけてくるのだ。
ビリビリと足全体が痺れ、苦痛のあまり、声を出すことすらできない。ただ、ベッドの上で小さく
その時だった。
──ピンポーン。
誰だろう。痛みに霞む意識の奥で、誰かがナースコールを押した音が、かすかに聞こえた。
「はーい。どうかした?」
やがて、佐倉さんの優しい、しかしテキパキとした声が聞こえる。
「柚華の様子が変だから、見てあげて」
──真央ちゃんの優しい声が聞こえた。
気づいた佐倉さんが駆けつけ、手際よく冷たいパックを足にあててくれる。ひんやりとした感覚がじわじわと広がり、焼けつくような痛みが少しずつ薄れていく気がした。
「大丈夫だよ」と、落ち着いた声が耳に届くたびに、乱れていた呼吸も自然と整っていった。
(…真央ちゃんには助けてもらってばっかりだな)
「また、幻肢痛あったら言っていいんだからね」
「…はい」
佐倉さんが病室を出て行った後、真央ちゃんは読んでいた本を閉じると、静かに私のベッドサイドへと歩いてきた。
そして、しゃがみ込んで私の視線に合わせる。
「アンタのその無理するくせ、なんとかなんないのかしらね」
そう言いながら、真央ちゃんは私の額に張り付いた汗ばんだ髪を、指先でそっとよけた。
そして、悪戯っぽく私のほっぺをうにょーんと引き伸ばす。
「い、いひゃいよ」
「ふふ。そうやって、素直に言えばいいのよ」
メガネの奥の目が、イタズラっぽく細められる。その笑顔と、頬に触れる指先の温かさに、胸がドクンと音を立てた。
「あれ、顔真っ赤だけど大丈夫?」
真央ちゃんが不思議そうに首を傾げる。
「う、うん!全然大丈夫!」
「そう。ならいいけど」
私は慌ててそう答えた。
なんで私顔赤くなってるんだろう。…真央ちゃんは大人っぽくてずるいな。
◇ ◇
(ダメダメ、気にしちゃダメ!)
ベッドに一人になると、先ほどの真央ちゃんの顔が脳裏にちらつき、私は頭をブンブン振って必死に思考から追い出そうとする。
…こんなの絶対におかしいもん。
「…?」
そんな私の思考を、スマホの振動音が現実へと引き戻す。
画面には、親友である
『今電話できる?』
私は迷わず『いいよ』と返信すると、すぐに着信が来た。少し躊躇いつつも、応答ボタンをタップする。
『もしもし?』
スマホの向こうから、聞き慣れた、凛とした声が聞こえた。
「雅、久しぶり…」
『やっと声が聞けた。柚華久しぶりね』
その明るい声を聞くだけで、心が少し軽くなる。懐かしい、親友の声だ。
『いきなりで悪いけど、もうすぐそこ
「へ?」
雅のあまりにも唐突な言葉に、私の頭は真っ白になった。もうすぐそこに着く?
それはつまり、今から
(幻聴じゃないよね?)
『貴方のお祖母様の清子《きよこ》さんに変わるわね』
「雅!?ちょっとは説明を──」
『ゆずちゃんかい…?』
「お、おばあちゃん…!」
その声は確かに母方の祖母──
『ああ、ゆずちゃんの声だね。私の可愛い孫が生きとったんだ、これほど喜ばしいことはないよ』
「…でも、おばあちゃん。お母さんは…」
おばあちゃんは娘が死んでしまったんだ。
こんなに喜んでも、いいのかな。
『知ってるよ。それでも、嬉しいもんさ…娘が残した宝物が生きてるんだからね』
『長いこと見舞いに行ってやれなくて、悪かったねぇ』
「ううん…来てくれて嬉しいよ」
おばあちゃんは昔から私に甘かったなぁ。またおばあちゃん家の縁側で、スイカをみんなで食べることが出来たら、どんなに楽しいだろう。
懐かしい思い出が記憶を駆け巡る。
『知っているのかもしれないけど。清子さんがお見舞いに来られなかったのは、
「……やっぱり、そうなんだ」
お姉ちゃんがあんなにピリピリしてたのは、きっと
跡取りに心血を注いでるあの人たちが、今の私をみてどう思うのか。何をお姉ちゃんに期待するかなんて、考えなくてもわかる。
そして、もう一つわかるのは本家が
代々病院経営をしてきた、あの家。なまじ権力があるのが厄介極まりない。
『今病院の前にいるわ』
「メリーさんみたいな感じで報告しないでよ」
そんな軽口を言い合っていると、電話越しに受付で手続きをしているらしき雅の声が、かすかに聞こえてくる。
(本当にもうすぐ来るんだ…)
「あの、ごめん。みんな、今から友達とおばあちゃんが面会に来るみたいで…」
私は慌てて声をかけ、ベッドを少し起こす。
みんなは、話を聞いていたのか、好奇心いっぱいの顔でこちらを見ていた。
「いいんじゃない?今面会の時間だし、私の親もよく来るでしょ」
「そーそーゆずちん気にしすぎー」
「……ま、家族と仲良いのはいいことだろ」
きらりが不意に視線を逸らして発した言葉。
その発言に引っかかるところがあったけれど、それよりも早く佐倉さんが病室の扉を開けた。
「柚華ちゃんの家族入るよー」
佐倉さんが扉を開けると、まずは清子おばあちゃんが杖をつきながら足を踏み入れる。記憶と変わらぬ顔で、優しそうな目元を細め、私をにこりと見つめた
「こんにちは。ちょっと、お邪魔させていただくよ」
「「「こんにちはー」」」
祖母が深々と頭を下げて挨拶すると、103号室の面々も、声を揃えて挨拶した。
「ほら、雅ちゃんも入っておいで」
清子おばあちゃんの声に促され、その奥から、雅が病室に足を踏み入れた。
「失礼します」
雅が足を踏み入れた──その瞬間、病室の空気が一変する。
みんなが一斉に息を呑んだ。まるでスポットライトが当たっているかのような、まばゆい存在感。
狭い病室が一瞬にしてファッションショーのランウェイになったかのような錯覚を、誰もが感じていた。
「こんにちは。柚華の親友の鷹司雅です、少しの間お邪魔させていただきますね」
そう言って、綺麗な笑みを浮かべた雅。
艶やかなブロンドの髪は、ゆるやかな波を描いて肩に落ちる。ボリュームのあるセンターパートの前髪を片耳にかけているだけなのに、その横顔は驚くほど大人びて見えた。
透き通ったブルーの瞳は存在感を放ち、幼さの残る顔つきは精巧に作られた人形のよう。
将来はハリウッドデビュー間違いなしといった具合だ。
「じょ、女優…!?」
「へ、部屋間違えてません…?」
素っ頓狂な声を出す二人。
もはや、モデルを通り越して女優になってしまったか。しかし、睦美ちゃんの呟きも無理はない。金髪碧眼の彼女は、ファッションも
「ここパリコレのランウェイだったかしら」
真央ちゃんの言葉通りである。
ロゴはないものの、ブランドものだと一目でわかる質の良いネイビーの上質なトロピカルウール素材のセットアップ。
ノーカラーのジャケットは羽織っているだけで、中に着たオフホワイトのブラウスの襟元が覗く。足元は磨き上げられた黒いローファーで、ベルトも同様に黒く輝いている。
くるぶしが見える丈のスラックスが、小学生とは思えないほどスラリとした脚を演出していた。
そして手首には、華奢なゴールドの腕時計が光っている。
(レッドカーペットが見えてきた…)
まるでファッション誌から抜け出してきたような、マニッシュで洗練された装い。103号室の面々が、言葉を失って雅に見惚れるのも無理はない。
「雅気合い入れすぎじゃない?パーティーでも行くのかと思ったよ」
「好きな人と会う時なら、どんな時でも最大限着飾れっていうのが私の家訓なのよ」
その言葉に、私の頬がまた微かに熱くなる。
好きな人って言い方…もっとあるでしょ。
「…ああ、そう」
「照れてる?」
「照れてないから!」
雅は面白そうに、ダイアモンドのような瞳を細めて私を覗き込んだ。やっぱり相変わらず綺麗な顔してるな。
清子おばあちゃんも雅も、感染対策のためにマスクをつけているけれど、その華やかさはマスクを完全に貫通していた。
(絶対ここに来るまでにVIPルームに案内されそうになっただろうなぁ…)
そんな雅が、清子おばあちゃんの方を向き、弾んだ声で尋ねた。
「清子さん。柚華に挨拶してもいいですか?」
「ああ、いいよいいよ。雅ちゃんは柚華のこと大好きだねぇ」
(ん?挨拶…?)
許可を得る挨拶ってなんだよと思考を巡らせていたが、雅は祖母の許可を得ると、躊躇いもなく私に顔を近づけてきた。
「柚華、会いたかったわ」
(あ…やばい。止めないと!)
幼馴染である雅のお父さんがフランス人だということを思い出し、私は必死に左腕を伸ばし、彼女を阻止しようとする。
──しかし、時すでに遅し。
ちゅ、ちゅ、と流れるように左右の頬にキスを落とされた。
もちろん、お互いマスクはしたままだけれど、突然の出来事に、病室中の時間が止まったのがわかった。
みんなが、完全に思考停止したように、ぽかんと口を開けている。
(ああ、私のバカ…!ずっと雅に会ってなかったから忘れてた…!)
顔から火が出るような恥ずかしさに、私の全身が熱くなる。
そんな私の内心をよそに、雅は心底満足したように、ダイアモンドのような瞳をキラキラと輝かせ、満面の爽やかな笑みを浮かべた。
「柚華大好きよ!」
その無邪気で、しかしあまりにも強烈な一言が、止まっていた病室の空気を弾けさせた。
「「わあああああああ!?」」
「なっ、き、キキキスしたっ!?」
「きゃー!ゆずちんやっぱお姫様だったんだ!」
「…いちゃつくのは他所でやって」
「てか、外国人かよ!?」
こうして103号室は、一瞬にして興奮と混乱の騒音に包まれたのだった。