君の隣を歩きたい。─車椅子の女の子が百合ハーレムを築く話   作:豚姫

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11話 挨拶はお返しするのがマナー

 

 

 

 わーきゃーと事件性のある悲鳴があがる室内。

 周りのみんなが騒ぎ立てる中で、私は必死に先ほどの件について挽回をしていた。

 

「そ、その…付き合ってたりするのか?」

「違うから! (みやび)はお父さんがフランス人で、その文化で挨拶にほっぺにキスするだけだから!」

柚華(ゆずか)と家族以外にはしないわ」

「やっぱり…」

「話をややこしくしないで!?」

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 それから、〝ビズ〟っていう『フランス式の挨拶』があることを説明するのは、本当に大変だった。

 

 「えーマジで!?」「映画の中だけじゃないんだ!」ときらりと睦美は感嘆の声をあげる。単純で本当に助かる。

 真央ちゃんだけは腕を組み「ほんとか?」と胡散臭そうな顔で私を見ているが、絶対に目を合わせてはいけない。

 ほんとは、フランス人同士でもほっぺをくっつけるだけの人が多いんだよ、ってことは言わない方が良さそうだ。今これ以上話を複雑にしたくはない。

 

 

 

 ──パン! と、手を叩く音が響いた。

 

「おしゃべりも楽しいけどねぇ、ゆずちゃんには話しておかないといけないことがあってね」

「〝本家後継者〟と〝貴方の親権〟についてよ」

 

 雅も清子おばちゃんも先ほどまでの茶目っ気ある表情から一転、真剣な顔つきになった。

 雅は、チラリと他のベッドの方に視線を送り、静かに立ち上がると、すっかり引かれていた病室のカーテンを丁寧に閉める。

 

 そして、一瞬躊躇ってから、私の耳元でそっと顔を寄せ囁いた。

 

「…柚華。あなたが、松村家の後継者候補から外されたわ。今は代わりに、貴方のお姉さんが後継者に推薦されている」

 

(え…?どういうこと?)

 それは、ぐらりと世界が揺らぐような衝撃だった。

 幼い頃から、『蒼原(あおはら)記念病院』を経営する松村家の次期当主として、成績優秀だった私は特別な教育を受けてきた。

 帝王学や経営の基礎、果ては海外の言語まで、遊びたいのを我慢して、人並み以上の努力を重ねて、ずっとそのレールの上を歩かされてきた。

 まさかそれが全部、意味がなくなるなんて、考えたこともなかった。

 

(事故にあっただけで後継者から外されるなんてことあるのだろうか?)

 

 脳裏に、ドクターやナースたちの慎重な物言いが蘇る。

 

(だとしたら、私は自分が思っている以上に身体が重症なんじゃ──)

 

 足に感覚がないという現実が、冷たい氷のように心臓を締め付ける。未来が、音を立てて崩れていくような感覚に襲われた。

 

 私にも〝夢〟があった。

 幼い頃、父の大きな背中を見上げ、いつか私もこの『蒼原記念病院』の理事長を継ぎ、父と共に未来の医療を創ると約束した、あの輝かしい夢はどうなるんだ。

 私の身体もしかして、もう──。

 

「柚華」

 

 ひどい顔をして俯いていると、頬を優しく掴まれ顔を引き上げられた。雅の透き通った青い瞳が、真剣な光を(たた)えて私を覗き込む。

 

「私たちが歩んできた道に、ひとつも間違いなんてないわ。いま苦しんでいることさえ、その努力の証なの。頑張ってきたからこそ、感じられるものなのよ」

 

「雅、でもっ、私はっ…」

 

 私は、震える声で親友の名を呼んだ。 

 幼稚園のときから、私たちは一緒に求められることに応え、二人で切磋琢磨してきた。親からの期待という名のレールの上を、雅と私は常に並んで走ってきたのだ。

 

 でも、もう、あの頃のようにはできない。雅はそのまま何事もなく、遠い世界へ進んでいってしまうのに、私だけがこの病室に取り残される。このままでは、私は雅の背中を追いかけることすらできなくなる。

 その事実に胸の奥から、言いようのない焦燥と、雅への羨望にも似た醜い感情が、どろりと声をあげた。

 この絶望的な状況で、自分だけが置いていかれる。そんな未来が、怖くてたまらなかった。

 

「〝約束〟まさか忘れたの?」

「…やく、そく?」

 

「どっちかが、レールから落っこちそうになったら必ず助けに行くって。貴方が言い出したのよ?」

 

 頭の中に、霧がかかったようにぼんやりとした記憶が蘇る。覚えている、小学校に上がる前、私は雅とそこで友達になった。

 

「覚えてるよ、雅」

 

 名家の子供として、周りから常に品行方正を求められ、息苦しさを感じていた私たち二人。特に一人っ子だった雅は、その重圧を誰とも共有できずに孤独を抱えていた。

 そんな時、私が雅の手を取って、二人で約束をしたのだ。〝どんなことがあっても、互いを一人にしない〟と。

 お互いの家の愚痴をこぼしたり、同級生とはできない話をしたり、私たちはそうやって期待を乗り越えてきた。

 

「大丈夫よ、柚華。私がそばにいるから」

 

 私の心の奥底に沈んでいた、あの頃の決意が、温かい光となって蘇る。いつか雅がレールに落ちそうになった時に私が助けられるように、私も頑張らないと。

 

「柚華があの時は私を助けてくれた。だから、今度は私の番。リハビリ病棟に移ったら毎日でもお見舞いに行ってあげるわ」

「ふふっ、それなら退屈しなそうだね」

 

 私たちは最初から一人じゃなかった。

 私には雅がいる。それだけで、閉ざされていた未来に、小さな希望の光が差したように感じられた。

 

「いい?貴方が今考えることは、自分の身体を気遣うことだけ。何も背負わないで、何も気にしないで。さっさと退院して、もう一度、私の隣に戻ってきなさい」

「うん」

 

 私はしっかりと雅の目を見つめ返した。この友人が、どれほどの覚悟でこの言葉を告げているのか、痛いほど理解できたから。

 

 

「それじゃ、もう行くわ」

 

 雅はそう言って、名残惜しそうにゆっくりと背中を向けた。病室のドアへと向かうそのジャケットの裾を、私は左手でそっと掴んだ。

 

「えっ?な、なに?」

「雅もうちょっとこっち来て、しゃがんで」

 

 雅は驚いたように振り返ると、困惑気味に眉を下げた。その青い瞳が、私を不思議そうに見つめる。

 

「お返し」

 

 私がはっきりと告げると、雅の目がわずかに見開かれた。私は少しだけ背伸びをするように、雅のジャケットの襟を軽く引っ張り、その頬にキスをした。

 人前ではしないって決めてたけど、カーテンで区切られてる今なら、挨拶をお返しできる。

 〝挨拶はお返しするのがマナー〟だからね。

 

「また来てね、雅」

 

 私が笑いかけると、雅の白い頬が、ゆっくりと、しかし確かな熱を帯びて赤く染まっていく。

 

Ça me rend folle (どうにかなりそう)…」

 

 フランス語をつぶやいた雅は、両手で顔を覆い隠して病室を出ていった。

 

 

「ありゃまぁ、おばあちゃんお邪魔かねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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