君の隣を歩きたい。─車椅子の女の子が百合ハーレムを築く話 作:豚姫
今日で一般病棟に来て12日目。
本日は6月26日。梅雨のこの時期は雨が多くて、室内はジメジメしている。
本来なら暗い気分になるこの天気で、私はここ1ヶ月で1番穏やかな心持ちでいた。
一昨日の『
真央ちゃんに聞いた話によると、他の病室でもモデルが歩いてたと話題になっているみたいで、次来る時はもっと普通の格好にさせないと、と心に誓った。
そして、一昨日の雅の励ましによりメンタル復活した私は、取り敢えず目先の悩みを解決にすることにした。
閉ざされた未来を嘆くのはもう終わりにしよう。まずは、この体の現状を、正確に知ることから始めるのだ。
◇ ◇
──今は朝の回診中。
その日の健康状態を確認し、治療方針を決める大事な時間だ。
「──了解です。シリンジポンプでの鎮痛は継続で、ギプス内の圧迫や
「あと、
小難しい専門用語が飛び交う会話を終え、鈴風先生は次の病室へ向かおうと踵を返した。
(今だ)
私の体を知るには、主治医である鈴風先生に直接聞くのが一番手っ取り早い。この機会を逃せば、確実に話せるタイミングは、いつになるか分からない。
「あの、鈴風先生。聞きたいことがあります」
「…
小児科の先生とは思えないほど真顔な先生。子供に対しても常に敬語で、すごく優しく話しかけてくれたのは
しかし、お話を聞いてくれるようなので、まずは一安心。
「私の足。感覚がないのって、
「ええ。そこまでは先日説明しましたね」
そう。事故で脊椎の骨を折った私は、神経を圧迫しないよう緊急手術をした。その時の説明で、足に麻痺があることも、その原因が脊椎損傷にあることも、そこまでは知っている。
「…それなら、
「それは…」
鈴風先生は、言葉を詰まらせた。その穏やかな表情が一瞬にして険しくなり、わずかに戸惑いの色が滲む。
先生はすばやく周りを伺った後、音もなくカーテンを閉めてベッドサイドに立った。
「そろそろ、きちんとお話ししようと思っていたんですけど、柚華ちゃんの方から言わせてしまいましたね。……柚華ちゃんは、本郷先生と仲が良かったですよね。呼んできましょうか?」
「大丈夫です。もう、覚悟はしてます」
私は、きっぱりと首を横に振った。
雅と話す前から、私は自分の体に違和感を感じていたからだ。一時的な足の麻痺なら、もう少し動いてくれたって良いはずだ。けれど、私の足は、まるで他人のもののようにピクリとも動かない。
足の感覚も戻る様子がない。目を閉じていれば、誰かに触れられていることすら、気づかないかもしれない。
この異変に、ずっと薄々気づいていた。だからこそ、今、私は現実と向き合う覚悟ができている。
「…それじゃあ、お話ししますね。柚華ちゃんには〝
「麻痺は…残りますか?」
ただ真っ直ぐに、その答えを求めていた。
これが一時的なものなのか、一生残り続けるものなのか。どちらにしても、私は受け止めなければならない。
鈴風先生は、私の目から視線を逸らさず、ゆっくりと、しかしはっきりと告げた。
「…残念ながら、足の麻痺が残る〝可能性〟は非常に
(…そうかぁ)
私の頭の中で、その事実がゆっくりと、しかし確かな現実として形作られていく。
悲しみじゃない。
それは、今まで信じていた世界が、音もなく崩れ去るような、一種の諦観にも似た感情だった。
今までそれなりに努力をして、順風満帆な暮らしを送ってたから、私が躓くようなことがあれば、それは理不尽によるものだと思っていたけれど。まさか、こんなことになるとは──。
全てが、私自身の努力ではどうにもならない、不可抗力だという事実に直面し、ただ呆然とするしかなかった。
「ただ、これまでの経過から〝完全麻痺〟ではなく『
(不全麻痺…わずかにでも信号が通っている…)
それは、本当に小さな希望だった。
完全に動かなくなったわけではない。足の感覚が、全く消えてしまったわけでもない。
確かに、わずかながらも、まだ私の中に残されているものがあるというのなら――。
「私たちは柚華ちゃんの可能性を信じています。だから、決して諦めずに…一緒に頑張っていきましょう」
(先生真顔だけど、熱いハート持ってるじゃん)
真顔な先生からは想像もできないほど、その言葉には、私を鼓舞する強い情熱が込められていた。
この先生が、私を諦めないでいてくれる。その事実が、私にとって何よりも心強いものだった。
◇◆◇◆
「はーい、チェックメイト!」
「あ…」
本郷先生のクイーンが、一歩進んだ瞬間、私のキングはもうどこにも逃げられなくなる。
──これで私の三敗目。
(…先生私を慰める気ないよね、これ)
私が自分の足について真実を知ったことで、精神面を危惧したのか、朝の回診が終わるや否や、本郷先生はチェス盤を手に持ったまま、私の病室にやってきた。
やっぱり優しい人だ、と思った私の気持ちを今すぐ返して欲しい。先生は全然加減とかしてくれないし、容赦なく私をボコボコにしてくる。
大人気ないという言葉がピッタリだ。
「むぅ…完敗です。先生強すぎますよ。私こういうゲームであんまり負けたことないのに」
「大人だからね。どう?尊敬ポイント増えた?」
本郷先生は、得意げにメガネをクイッと上げた。『多少は…』と、ぶっきらぼうに返す。すると、本郷先生はやったー!っと両手を上げて喜んだ。
(私、この人にボコボコにされたのかぁ…)
悔しさ半分、呆れ半分で、私はため息をついた。
「先生の方こそ驚きだけどねぇ。早指しでここまで張り合ってくる小学生いないよ?流石〝神童〟って呼ばれてるだけはあるね」
「……え、私、そんなこと先生に言いましたっけ?」
まるで、褒めるかのように頭を撫でる先生に、思わず聞き返した。
地元でそう呼ばれたことはあっても、自分の口から『神童』などと、言った記憶は全くない。
「いや聞いてないよ。でも分かるさ、私もそうだったから。君と私は似てるって言っただろう?」
「え"ぇ…?」
「えーそんな嫌がられると先生も流石に傷ついちゃうよー?」
先生のことは大好きだし、いつも助けてくれる感謝もある。だけど、似てるって言われると、全力で首を振って否定したくなる。
先生と私の似てる要素どこ…?
「まあ、そんなことよりさぁ」
「先生びっくりしたんだけど、本当に明日、お父さんのお
──心配そうな瞳と目がかち合う。
唐突すぎるとは、私自身も思っている。だが、避けては通れない道だ。
「いつかは……話し合わないといけないので」
「そうだね。でも、先生心配だなぁ。綾佳くんにも脅されてるしさぁ」
「お、お姉ちゃんが
聞き捨てならない言葉に、思わず聞き返すと、本郷先生は「…ゲフンゲフン」とわざとらしく咳払いをして、視線を泳がせた。
「…それで、会って何を話すんだい?」
本郷先生は、私の視線から逃れるように一度盤面に目を落とし、そして改めて私を見た。その目には、いつものふざけた様子とは違う真剣な光が宿っていた。
「……私、麻痺が残るって、言われたんです。不全麻痺だけど、この先歩けるようになるかは分からない」
「それで、思ったんです。悔しいって。…こんな事故なんかで私の夢終わらせるわけにはいかない」
「これまでずっと理事長の後継になるために努力させられてたのに、いきなり用済みだからってポイ捨てなんて納得できない」
強く拳を握りしめる。
「だから、お祖父様とちゃんとお話ししたいんです」
私の瞳にもう迷いはなかった。
本郷先生は、私の言葉を遮ることもなく、ただ静かに聞いていた。
「そっか。止めないよ、覚悟は伝わったからね」
そして、私の真っ直ぐな眼差しを受け止めるように、ゆっくりと頷いた。
優しく笑った本郷先生は、次の瞬間、ルークで私のキングを追い詰める。
「……先生ひどいです」
「大人は悪い人ばっかだからねぇ」
そう言う先生の言葉には、どこか諦めにも似た、そして私への心配と共感が入り混じった複雑な響きがあった。
盤上の冷酷な一手とは裏腹に、先生のまなざしは、いつも私を温かく見守ってくれていた。