君の隣を歩きたい。─車椅子の女の子が百合ハーレムを築く話 作:豚姫
「それじゃあ、再開しようか!」
真央ちゃんの独白でしんとした会場に、再び本郷先生の朗らかな声が響いた。
解答ボタンは私の膝上。
103号室の命運は私にかかっていた。
「──では、気を取り直して第25問! 次のうち、東京スカイツリーの高さはどれでしょう?A:634m、B:589m、C:723m!」
本郷先生が問題を読むや否や、私の指は迷いなくボタンを叩いた。
「Aの634m」
「正解!」
「第26問!童謡『かたつむり』の歌詞に出てくる、かたつむりの角は何本でしょう?」
「2本」
「せいかーい!」
「第27問!『走れメロス』の作者は誰でしょう?」
「太宰治」
「またまた正解!」
しんとしていた会場がざわつきはじめる。
そのどよめきは、次第に熱狂へと変わっていった。
「す、すげぇ! 103の快進撃がとまらねぇぞ!」
「さっきまで調子悪そうだったのに……!」
頭はまだ痛い。視界は時折白く霞み、平衡感覚もわずかに揺れる。
でも、もう止まるわけにはいかない。
(あと少し。あと少しだけ頑張ればいい)
点差は、わずか2点。残りは3問。
全て私が答えれば103号室の『優勝』。
逆に一問でも間違えれば私たちの〝負け〟だ。
私の心臓が、ドクンドクンと高鳴った。
「第28問! ──イタリアにある都市で、『水の都』とも呼ばれ、街中に運河が張り巡らされていることで有名なのはどこでしょう?」
〝水の都〟──その言葉を聞いた瞬間、私は誰よりも早くボタンに手を伸ばしていた。
ピンポーン!
「ヴェネツィア」
「おっと、これまた正解!すごいスピードだ!これは、同点に追いつくのか!?」
真央ちゃんが息を呑むのが隣で分かった。その視線は、期待と、不安が入り混じっている。
そして、私たちのチームとは対照的な隣の204号室チームからは、相変わらず緊張感のない声が聞こえた。
「あんた全然ダメじゃない!」
「いや、ボク地理とかは全くだから」
「チリって食べ物ー?」
「そんなわけないでしょ!!」
(呑気すぎない…?)
一瞬、頭のリソースが持ってかれそうになったが、私は構わずに次の問題に意識を集中させる。
まだだ、まだ終わっていない…!
「──第29問!」
先生は、すぐに次の問題へと移った。
「地球を1しゅ──」
ピンポーン!
「約4万km」
言葉の終わりを待たずにボタンを押した。
地球一周の距離だろうと推測しての早押し。問題を聞くまでもなく、私の頭の中には正確な数字が浮かび上がっていた。
「なんと──大正解ッ!!」
今度は、どよめきすら起こらない。
プレイルーム全体が、私の異様な速さと、張り詰めた緊張感に完全に呑まれていた。
「すげぇ!同点だぞ!」
「ゆずちんすごいよっ…!」
きらりたちは興奮した顔でこちらを見ている。
真央は、ただ呆然と、信じられないものを見るような目で私を見つめていた。
「大丈夫。次で、決めるから」
同点にまで追いついた103号室。
勝負は、運命の最終問題へともつれ込んだ。
「最終問題です! ──この病院のエントランスに飾られている〝大きな夜空の絵画〟。この絵に描かれている星の中で、一際大きく描かれている星があります。それは、
その問題を聞いた瞬間、プレイルームがざわめいた。
子供たちの戸惑いの声が響く。
「なんだそれ……ボク外とか出ないんだけど」
「だから引きこもり生活をやめなさいって言ってんのよ!」
「葵はよく外出るよー?」
「あんたは黙ってて!」
隣の204号室チームは揉めている。
しかし、103号室にも、その絵について詳しく知っている人はいなかった。
「絵なんてあったか?」
「ごめん。睦美も見たことない…」
(…これは、まずいな)
私もそんな絵があること自体、今初めて知ったし。頼みの綱の真央ちゃんも悔しそうに唇を噛んでいる。
「何回も見てるのに……天の川があって、それで……って、名前なんて覚えてるわけないでしょ」
真央ちゃんの言葉も尤もだ。
そもそも、小学生が星の名前なんていちいち覚えてるわけない。…ってことは、その絵には星座の名前が書いてあるんだろうけど。
(……待って、
真央の呟きが、私の頭の中で反響する。
天の川があるなら〝夏の夜空〟の絵で間違いないだろう。
そして、小学生が知ってるような有名な星といえば、夏の大三角形である──デネブ・アルタイル・ベガくらいだ。
(答えはきっとこの三つのうちのどれか…!)
「真央!絵には星以外に何が書かれてた?」
私は、藁にもすがる思いで真央に尋ねた。
なにか、なにかあと一つヒントがあれば正解に辿り着ける。
そんな、確かな予感がした。
「……たしか〝ピンクの女〟と〝笹の葉〟があって。…たぶんあれは
──その言葉が耳に届いた瞬間、世界から音が消えた。
脳裏に昔読んだ本のページが浮かび上がる。
広がる星空の中で、たった一つの星が、ひときわ強く輝きを放つ。
『織姫星──またの名を
──ピンポン!
解答ボタンの音が騒音を切り裂いた。
全ての音が止まり、全員の視線が私に突き刺さる。
「103号室チームどうぞ!」
ゆっくりと息を吸い、私は答える。
「答えはベガ」
一瞬の沈黙。
本郷先生は惚けた顔で私を見つめ、次の瞬間、まるで最高のエンディングを見届けた観客のように、ニヤリと笑った。
「大正解ッ!!」
そして、先生は高々と右腕を突き上げる。
「と、いうわけで!」
先生の声が、興奮を帯びて会場に響き渡る。
「栄えある優勝チームは──103号室ッッ!!」
一拍おいて、どかんと爆発するような歓声がプレイルームを揺るがした。
「うおおおおお!!すげぇ!!」
「あそこから逆転したぞ!!」
「103号室、おめでとう!!」
その歓声に思わず肩が跳ねた。
参加したみんなが、悔しがりもせずに私たちの勝利を祝ってくれる。
その中には「真央ちゃんよかったね!」とか「ヒヤヒヤしたぜ、お前ら!」と、熱い声援をかけてくれる子もいた。
(やった…!賭けにも、クイズにも勝った…!)
みんなの惜しみない称賛と祝福に、小っ恥ずかしい気持ちになりながらも、私の心はこれまでにないほど晴れ晴れとしていた。
「柚華!お前すげーよっ!!」
「ゆずちん、ちょーかっこよかったよ!」
きらりたちは興奮した顔で、車椅子に飛びつくように抱きついてきた。
二人同時に抱きしめられ、思わず「く、苦しい…」と声が出たが、その温かさが心地よかった。
「柚華……」
真央は、ただ呆然と私を見つめていた。
その瞳には、今にもこぼれ落ちそうなほどの涙がいっぱいに滲んでいる。
彼女の顔には、驚きと、戸惑いと、そして、押し寄せる後悔が渦巻いていた。
「……私、あなたに酷いこと言ったわ。あなたは、あんなに頑張ってくれたのにっ、私は結局何も出来なくて…!本当にごめ──」
「真央」
私は彼女の言葉を遮った。
「私頑張ったから。元気が出る言葉が欲しいな」
真央ちゃんは、私の意図をすぐに理解してくれたようだ。
その瞳から大粒の涙が溢れ、しかし、その口元には、満開の笑顔が咲いた。
「ありがとう、柚華!」
「うん…!」
真央のあどけない笑顔。
それは今までで一番子供っぽくて、一番綺麗な笑顔だった。
(お父さん、お母さん見てる? 私結構頑張ったよ)
いつか、私がお父さん達に会えたら、きっと今日のことたくさん褒めてくれるよね。
『ゆずは人を思いやれるいい子ね』
『柚華、お前は自慢の娘だよ』
そんな、今はもう遠い日の声と温もりが、はっきりと聞こえた気がした。
(やっぱり会いたいなぁ)
勝って嬉しかったのに、どうしようもなく寂しくて、込み上げてくる涙を必死で堪える。
泣いちゃダメだ、と首を振る。
すると、ふと視界がぐらぐら揺れていることに気づいた。
(え?……目の前が)
私の視界がぐらりと揺れた。
全身の力が抜け落ちていく。
(あ、あれー?今いい感じに終わりそうじゃなかった……?)
真央の笑顔が、ゆがんだ水彩画のように滲み、光の中に溶けていく。
頭の奥から、ガン、ガンと、まるで鐘を打ち鳴らすような激しい痛みが響き渡った。
意識が、暗闇へと引きずり込まれる。
「柚華…!?」
真央ちゃんの声が、ひどく遠くから聞こえた。
その声には、焦りと、恐怖が混じっている。
「柚華くんっ…!」
本郷先生の切羽詰まったような声が、耳鳴りの中にわずかに届いた気がした。
「おい大丈夫かよ!?」
「ゆずちんっ!」
きらりや睦美ちゃんの、震える声が、遠くから呼びかけている気がする。
けれど、私はもう何も答えられなかった。
体は車椅子にもたれかかるように、ぐったりと沈み込んだ。
そして、私の意識はそこで完全に途切れた。