君の隣を歩きたい。─車椅子の女の子が百合ハーレムを築く話   作:豚姫

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23話 大騒動からの大号泣

 

 

 

 ロビーを駆け抜ける私たち。

 佐倉さんは、きらりの母親の怒声から私たちを隠すように、処置室の扉の内側へ滑り込んだ。

 

 

「斉藤さんっ、ガーゼと消毒液、アイスパックを!藤沢さんは、先生呼んできて!」

 

 早朝だったのが幸いしたのか、奇跡的に患者のいない空間に、佐倉さんの張り詰めた声が響く。緊迫した空気を肌で感じたのか、その場にいた看護師さんたちは弾かれたように駆け出した。

 ドタバタと響く足音に混じって、私の名前が呼ばれる。

 

「柚華ちゃん、しっかり。私のことわかる?」

「さくら、さん…」

 

 か細い私の声に、佐倉さんは一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。だが、息つく暇もなく、冷たい指が私の手首に触れる。

 

「あの、佐倉さ」

「静かに。脈を測るから」

 

 有無を言わさぬ、短く鋭い声。

 私の知っている優しい佐倉さんとは、まるで別人で、思わず押し黙る。

 十数秒の沈黙の後、ようやく手が離されると、今度は私の顎にそっと手が添えられ、顔を傾かされる。ラテックスグローブの無機質な感触。佐倉さんの細い指が、口の中に差し入れられ、内側が傷ついていないかを確認していく。

 

「口の中は切れてないね…」

 

 安堵の息を一つ漏らした、と思ったのも束の間、その表情は再び氷のような真剣さに戻っていた。そして、まっすぐに私の目を見据える。

 

「…柚華ちゃん。あのとき、私がどれだけ肝を冷やしたか、わかってるかな」

 

 ごめんなさい。と言葉を口にしたかったのに、罪悪感で何も言えなかった。佐倉さんの顔つきがあまりに真剣で、その瞳の奥に、静かな怒りが見えたから。

 

 私は何も言えずに、その瞳から逃げて俯いた。自分のしたことが、とんでもないことなんじゃないかって、今更気づいたから。

 堪らなくなって、きらりに視線を移したが、きらりは私の頬にできた傷を見て、顔を青ざめさせていた。

 

(私のしたことって、ほんとに正しかったのかな)

 

 ──わからない。

 あの事故の時みたいに、何もできない自分になりたくなくて、必死に頑張った。でも、きらりも佐倉さんも嬉しそうな顔はしていない。それどころか、二人とも辛そうな顔を浮かべている。

 途端に、胸が苦しくなって、息が詰まるような感覚に襲われた。顔から血の気が引いていくのがわかる。

 

 

「佐倉さん。ガーゼと消毒液、アイスパック持ってきました」

「…斉藤さんありがとう」

 

 処置室に、先ほどの看護師さんがトレイを片手に戻ってきた。

 気まずい沈黙の中、青褪めた私の顔を一度だけ見た佐倉さんは、まるで興味を失くしたかのように、わざとらしく目を逸らす。

 

(……どうすれば、よかったんだろう)

 

 その態度は、明らかにいつもより素っ気ない。

 言葉や視線には氷のような棘を感じるのに、私の肌に触れる指先だけは、壊れ物を扱うかのように優しい。

 

「少しだけ拭くから、痛かったら言ってね」

 

 佐倉さんは、ガーゼに消毒液を染み込ませ、頬の出血部分をガーゼでそっと拭った。

 触れる手だけは優しくて、私はずっと目を伏せたまま処置を受けた。向き合うのが怖くて、目を合わせることすらできない。

 

「い"っ…」

「ごめん。ちょっとだけ、我慢してね」

 

 目に涙が滲んだ。それは、傷口に消毒液が染みたからじゃない。佐倉さんが、今どんな顔で、何を考えているのか。それがわからなくて、怖くなったからだ。

 

「アイスパック、自分で当てられる?」

 

 私が俯いたまま頷くと、アイスパックを手渡された。冷たいそれを、頬に当てる。冷気がじわりと皮膚に広がった。冷たくて、痛い。

 

(はやく、謝らないと)

 

 深呼吸をして、私は恐る恐る顔をあげた。

 しかし、佐倉さんは私の方を向いていなかった。しばらく背中を見つめていたが、向こうのベッドに座るきらりのバイタルチェックをしていて、私の方には見向きもしない。

 

(……いつもなら、頭を撫でて、よく頑張ったねって、言ってくれたかな)

 

 鼻の奥がツンとする。優しい記憶が、視界を滲んだ水彩のように歪ませた。

 あの優しい人を怒らせてしまった、嫌われてしまったと言う事実がグサリと胸に突き刺さる。

 自分が悪いことをしてる自覚はあったから、叱られる覚悟はしていた。でも、嫌われるのはいやだ。

 

(なにを、間違えたんだろう)

 

 熱い雫が頬を伝っていく。それを隠すように俯くと、ぽたり、ぽたりと、床に水滴が落ちた。ひゅっと喉が鳴り、嗚咽が漏れそうになるのを、浅い呼吸で必死に誤魔化す。

 

 肩が震え、指先から力が抜けていく。  

 カタン、と軽い音を立てて、アイスパックが私の膝の上に落ちた。

 

 

「ちょ──ゆ、ずか──やば──って─!」

 

 きらりの悲鳴に近い声で、現実に戻される。

 焦ったように佐倉さんの肩を揺するきらり。私を指差すその仕草に、佐倉さんが、バッと振り返った。

 

 

「ゆずか、ちゃん…?」

 

 佐倉さんの、優しげな瞳が、大きく、大きく見開かれていく。

 違う。そんな顔をしないで。そんな、可哀想なものを見るような目で見ないで。

 ごめんなさいって、言わなきゃ。ちゃんと言って、許してもらわないと。はやく、はやくしないと、本当に、嫌われちゃう──。

 

 

「ゆずかちゃ──」

「ごめんなさいっ…!!」

 

 佐倉さんの言葉を聞きたくなくて、被せるように大きな声をあげた。ぐちゃぐちゃになった視界のまま、私は言葉を続ける。

 

「勝手なことしてっ、ごめんなさいっ…!佐倉さんにも、病院にもめいわくかけてっ…」

 

 しゃくりあげながら、震える声で叫んだ。もう、涙は止まりそうになかった。

 

「ゆ、柚華ちゃん?私そこまでは怒って──」

「わるいことだって、わかってたけど…っ!わたしには、あれしかできなくてっ…!きらりもごめんっ、私もっと上手くやれたはずなのに…」

 

 佐倉さんやきらりの声が、水の中にいるみたいに遠くなっていく。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 頭の中で、その言葉だけがぐるぐると回る。謝って、許してもらわないと、私はまた一人になっちゃう。

 

「ごめっ、なさっ……ひぐっ、ぅぅ……」

「だっ、大丈夫だよ!柚華ちゃん一回落ち着いてっ、ほら深呼吸して、ね?」

 

 手をぎゅっと握られ、言われた通りに深呼吸してみた。けれど、ひっ、ひっ……としゃくり上げるたび胸が詰まって、嗚咽が漏れ、深く息を吸うことなんてできなかった。

 

「っ、うぅ……ぐすっ、ごめんっ…」

「謝んなって、柚華は何も悪くないっ! 怖かったよな、よく頑張ったよ…!」

 

 きらりが私の頭を撫でる。その温もりに、張り詰めていた心の糸が、ぷつんと音を立てて切れた。

 

「でもっ…佐倉さんが、あんなかおしてるの、みたことなくてっ…! ──わたし、さくらさんにっ、きらわれたくないよっ…!!」

 

 その悲痛な叫びに、佐倉さんは雷に打たれたように、ハッと目を見開いた。潤んだ瞳は、驚きと、そして深い後悔の色に染まっていく。

 

 

 

「……そっか。そう、だよね」

 

 

 佐倉さんは消え入りそうな声で呟く。

 そして、崩れ落ちそうになる私の体を、包み込むように優しく抱きしめた。

 

「ごめん、柚華ちゃんっ、ごめんね。いつも大人びて見えるから、つい……厳しくすれば、わかってくれるなんて思っちゃって…」

 

 突然の温もりに、びくりと肩が跳ねる。

 安心させるように優しく背中を撫でられ、耳元で、何度も謝罪の言葉が繰り返された。私の涙が白衣に染み込むのも構わず、佐倉さんは私の顔の傷に触れないよう、そっと胸元に引き寄せる。

 

「嫌いになんて、なるわけないよ。私、柚華ちゃんのこと、大好きなんだから」

 

 嫌いじゃないって、ほんとかな。

 消毒液と佐倉さんだけの優しい香り。心臓の鼓動と、あたたかい人肌。その全部が「本当だよ」って教えてくれてるみたいだった。

 

「一人で無理したら叱られるってわかれば、次からはあんなことしないかなって、そう思ってたの。怖かったよね……本当に、ごめん」

 

 頭に回された手が、そっと私の髪を撫でた。

 優しく諭すような声で、佐倉さんは続ける。

 

「きらりちゃんを助けたいって必死に行動できたその勇気は本当に凄いことだよ。……でもね、覚えておいて。同じくらい、柚華ちゃん自身が無事でいることを願ってる人が、ここにいるってこと」

 

 私を抱きしめる腕に、ぎゅっと力がこもった。

 

 そっか。佐倉さんはただ怒っていたんじゃなくて、私のことを本気で心配してくれていたんだ。

 

(……わたしの、勘違いって、ことだよね)

 

 そうして、冷静になった頭に、さっきまでの自分の姿が鮮明に蘇ってきた。

 顔をぐちゃぐちゃにして、わんわん泣きじゃくって。「ごめんなさい」と「嫌われたくない」を絶叫していた、みっともない私の姿。

 

 かあっと、顔から火が出るように熱くなる。

 全身の熱が顔に集まって、今すぐこの場から逃げ出したくなった。

 恥ずかしさのあまり、佐倉さんの腕の中から必死に抜け出そうと身じろぎする。

 

「あ、あのっ、佐倉さん。その、さっきのことは、ぜんぶ忘れてくださいっ…!」

 

 けれど、佐倉さんは「だーめ」と言って、私を抱きしめる腕にさらに力を込める。

 耳元で、からかうような声で囁かれた。

 

「えーやだよ、すごく可愛かったのに」

「どこがですかっ…!わたし、あんなに泣きじゃくって」

「うんうん。必死で、可愛かったよね?」

 

「や、やめてくださいっ……!」

 

 佐倉さんはくすくす笑うだけで、もうしばらく離してくれそうになかった──。

 

 

 

 

 

 

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