君の隣を歩きたい。─車椅子の女の子が百合ハーレムを築く話 作:豚姫
「もも、ちゃん…」
開かれたドアの向こう側。
不安そうな顔で私のベッドを覗き込んでいたが、目が合った瞬間、ぱっと花が咲いたような笑顔に変わる。
肩まであるダークブラウンの髪をハーフツインに結び、髪色と同じくりくりとした丸い瞳を輝かせている。
私の記憶の中のままの、甘えん坊だった妹の姿だ。
「ゆずちゃんだ!!」
「ももちゃん…!」
桃香は、私の想像よりもずっと元気だった。
左腕に巻かれたギプスを三角巾で吊り、顔にはガラスでついたような細い傷がいくつかあって、頬にはガーゼが貼られている。
しかし、動けない私とは違う。その事実に心の底から安堵する。
「ゆずちゃん!会いたかった!やっぱり、ゆずちゃんが助けてくれたんだよね!」
「ぇ、ちがっ…」
その太陽のような笑顔と、ヒーローを見るような瞳に息が詰まる。
違う、と否定したかった。お姉ちゃんはヒーローなんかじゃない。何もできなかったんだ、と。
「私は、たすけ…」
言葉に詰まる私に、桃香は世界で一番残酷な質問を、キラキラした瞳のまま、無邪気に投げかけた。
「ねぇねぇ、お父さんとお母さんはいつ帰ってくるの?」
ひゅっ、と喉が鳴った。
心臓を氷の手で鷲掴みにされたみたいだった。
「……もも、ちゃん。それは、ね…」
何て答えればいい?
この小さな妹に、二人はもうどこにも帰ってこないのだと、どうやって伝えればいい?
私が言葉を探していると、桃香はこてんと首を傾げ、さらに続けた。
「天国って、どうやったら行けるの?そこにお父さんたちいるんでしょ?」
ああ…だめだ。
もう、なにも、考えられない。
この子の純粋な瞳を見ていると、罪悪感で、心がぐちゃぐちゃに潰れてしまいそうだった。
私の表情に、桃香はようやく何かを察したらしい。不安そうに、私の顔を覗き込む。
「ゆずちゃん…?どこか、痛い痛いなの…?」
その優しさが、最後の引き金になった。
「……ごめんっ、ごめんね…」
ぷつん、と堪えていた何かが切れた。
「お姉ちゃんなにもっ、できなくてっ…ごめんね、ももちゃんっ…!」
謝罪と、会えた喜びと、守れなかった後悔がぐちゃぐちゃに混ざり合って、嗚咽となって喉から溢れ出す。
違う、痛いのは体じゃない。
心が痛いんだよ。
「ゆずちゃん…!?どうしたの!なんで泣いてるの!?」
泣きじゃくる私に駆け寄ろうとする桃香を、本郷先生が優しい手つきで制した。
そして、その場にしゃがみこみ、桃香と目線を合わせる。
「柚華くんはね、まだ体が痛い痛いだから、そっと触れてあげようね」
「うん」
桃華はこくりと頷いて、涙で濡れた私の手を、その小さな手でそっと握りしめた。
幼い手のひらは私の体温よりもずっと温かい。
その無垢な温もりが、私の冷え切った心にじんわりと熱を灯していく。
そうだ。両親を失って、身体中がボロボロになった私にもまだ残された
この子を守るためならどんな痛みにも耐えられる。そう強く誓った、その時だった。
張り詰めた空気の中、静かな、しかし確かな声が、私の名前を呼んだ。
「ゆず…」
入口に立っていたのは、私の姉『
私と同じ、光に透けるようなミルクティー色の髪。さらさらと綺麗なストレートヘア。
アンバーの月のような瞳は、私の姿を見た瞬間、大きく見開かれたまま、凍りついたように動かなくなった。
そして、その唇から微かに震える言葉が漏れる。
「……あの人たちの、言ってた通りなんて…」
ぐっと奥歯を噛んで、堪えるような顔を浮かべるお姉ちゃん。
その瞳には、私の惨状を目の当たりにしたことへの、深い苦痛と絶望が滲んでいた。
それでも、私は嬉しかった。
あの日、事故で瓦礫の下に倒れ伏し、血だらけでまるで起きる気配のなかったあの姉が。今、こうして目の前に息をして立っている。
それだけで、私の心は救われた。
だが、その姿は私の記憶の中にいる、快活で少し気が強かったお姉ちゃんとはまるで別人に見えた。
首と頭、そして足に巻かれた痛々しい包帯。顔色は血の気を失い、痛々しいほどに痩せこけている。
家ではいつも柔らかく、私や桃香をからかって笑っていた表情が、今は感情の全てを押し殺したように硬く強張っていた。
コツン、コツン、と松葉杖がリノリウムの床を打つ音だけが静かな病室に響く。
やがて、お姉ちゃんはゆっくりとベッドに近づくと、震える声で尋ねた。
「…触っても、大丈夫?」
「うん」
私が頷くと、お姉ちゃんは震える手をそっと私の頬に伸ばした。ひんやりとした指先が、涙の跡を優しくなぞる。そして、私の額に自分の額をこつん、と合わせた。
「…生きてて、よかった」
「お姉ちゃんこそ」
伏せられた琥珀色の瞳と目が合う。
言葉はなかったけど、私と考えてることは同じだとわかった。
そして、その瞳が、私の足のあたりに一瞬だけ視線を変えた気がした。
その瞳は、まるで誰かの未来を悼むような、途方もない絶望を宿していた。
「…抱きしめちゃ、ダメなのよね」
問いのような呟きに、本郷先生が優しく応える。
「そっとだったら
その声に促されるように、お姉ちゃんは、壊れ物を扱うように、そっと私の肩を抱きしめてくれた。
「…お姉ちゃん、無理したら私が怒るからね」
そうやって叱るのは、前までお母さんの役目だった。…でも、もう誰もいない。今度は私が、お姉ちゃんを支えてあげないと。
ギプスのついた右腕で、姉の肩を強く抱きしめた。腕の痛みなんて気にしていられない。そうしないと、お姉ちゃんが今にも遠くへ行ってしまいそうだったから。
そんな、家族の再会もすぐに終わりを告げた。
本郷先生が、静かに、けれどはっきりと区切りを入れる。
「今日は、このくらいにしておこうか」
その優しい声で、面会は終わりになった。
部屋を出る前、お姉ちゃんは何かを思い出したように振り返ると、強い口調で私にこう告げた。
「それと…お父さんのお
「…でも、私たちは、お祖父様たちに引き取られるんじゃ…」
私の現実的な問いに、お姉ちゃんは一瞬苦しそうな顔をした。そして、さっきまでの強い口調が嘘のようにか細い声で呟く。
「…私が、私がなんとかするから…」
「お姉ちゃん…?」
お姉ちゃんの考えてることはよく分からない。
それでも、事故からぼんやりとしていた私の意識が明確になった。私は、この2人を支えないと。
病室のドアが、静かに閉まる。
その向こう側で、お姉ちゃんが一人これからどんな現実と戦うのか。
そして『あの人たち』の言っていたこととは、一体何だったのか。
病室に残された私は、これから訪れるであろう冷たい現実にまだ気づかないでいた。