君の隣を歩きたい。─車椅子の女の子が百合ハーレムを築く話   作:豚姫

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9話 姉妹の再会

 

 

 

 

「もも、ちゃん…」

 

 開かれたドアの向こう側。

 本郷(ほんごう)先生に手を引かれて、私の妹『松村桃香(まつむら ももか)』が、おそるおそる病室へと足を踏み入れた。

 

 不安そうな顔で私のベッドを覗き込んでいたが、目が合った瞬間、ぱっと花が咲いたような笑顔に変わる。 

 肩まであるダークブラウンの髪をハーフツインに結び、髪色と同じくりくりとした丸い瞳を輝かせている。

 私の記憶の中のままの、甘えん坊だった妹の姿だ。

 

「ゆずちゃんだ!!」

「ももちゃん…!」

 

 桃香は、私の想像よりもずっと元気だった。

 

 左腕に巻かれたギプスを三角巾で吊り、顔にはガラスでついたような細い傷がいくつかあって、頬にはガーゼが貼られている。

 しかし、動けない私とは違う。その事実に心の底から安堵する。

 

 

「ゆずちゃん!会いたかった!やっぱり、ゆずちゃんが助けてくれたんだよね!」

「ぇ、ちがっ…」

 

 その太陽のような笑顔と、ヒーローを見るような瞳に息が詰まる。

 違う、と否定したかった。お姉ちゃんはヒーローなんかじゃない。何もできなかったんだ、と。

 

「私は、たすけ…」

 

 言葉に詰まる私に、桃香は世界で一番残酷な質問を、キラキラした瞳のまま、無邪気に投げかけた。

 

「ねぇねぇ、お父さんとお母さんはいつ帰ってくるの?」

 

 ひゅっ、と喉が鳴った。

 心臓を氷の手で鷲掴みにされたみたいだった。

 

「……もも、ちゃん。それは、ね…」

 

 何て答えればいい?

 この小さな妹に、二人はもうどこにも帰ってこないのだと、どうやって伝えればいい?

 私が言葉を探していると、桃香はこてんと首を傾げ、さらに続けた。

 

「天国って、どうやったら行けるの?そこにお父さんたちいるんでしょ?」

 

 ああ…だめだ。

 もう、なにも、考えられない。

 この子の純粋な瞳を見ていると、罪悪感で、心がぐちゃぐちゃに潰れてしまいそうだった。

 私の表情に、桃香はようやく何かを察したらしい。不安そうに、私の顔を覗き込む。

 

「ゆずちゃん…?どこか、痛い痛いなの…?」

 

 その優しさが、最後の引き金になった。

 

「……ごめんっ、ごめんね…」

 

 ぷつん、と堪えていた何かが切れた。

 

「お姉ちゃんなにもっ、できなくてっ…ごめんね、ももちゃんっ…!」

 

 謝罪と、会えた喜びと、守れなかった後悔がぐちゃぐちゃに混ざり合って、嗚咽となって喉から溢れ出す。

 

 違う、痛いのは体じゃない。

 心が痛いんだよ。

 

 

「ゆずちゃん…!?どうしたの!なんで泣いてるの!?」

 

 泣きじゃくる私に駆け寄ろうとする桃香を、本郷先生が優しい手つきで制した。

 そして、その場にしゃがみこみ、桃香と目線を合わせる。

 

「柚華くんはね、まだ体が痛い痛いだから、そっと触れてあげようね」

「うん」

 

 桃華はこくりと頷いて、涙で濡れた私の手を、その小さな手でそっと握りしめた。

 幼い手のひらは私の体温よりもずっと温かい。

 その無垢な温もりが、私の冷え切った心にじんわりと熱を灯していく。

 

 そうだ。両親を失って、身体中がボロボロになった私にもまだ残された家族(もの)がある。…この小さな温もりを、私はどうしたら守ってあげられるだろう。

 この子を守るためならどんな痛みにも耐えられる。そう強く誓った、その時だった。

 

 張り詰めた空気の中、静かな、しかし確かな声が、私の名前を呼んだ。

 

 

「ゆず…」

 

 入口に立っていたのは、私の姉『松村綾佳(まつむら あやか)』だった。

 

 私と同じ、光に透けるようなミルクティー色の髪。さらさらと綺麗なストレートヘア。

 アンバーの月のような瞳は、私の姿を見た瞬間、大きく見開かれたまま、凍りついたように動かなくなった。

 

 そして、その唇から微かに震える言葉が漏れる。

 

「……あの人たちの、言ってた通りなんて…」

 

 ぐっと奥歯を噛んで、堪えるような顔を浮かべるお姉ちゃん。

 その瞳には、私の惨状を目の当たりにしたことへの、深い苦痛と絶望が滲んでいた。

 

 ()()()()()が何を意味するのか、私にはまだわからなかった。

 

 それでも、私は嬉しかった。

 あの日、事故で瓦礫の下に倒れ伏し、血だらけでまるで起きる気配のなかったあの姉が。今、こうして目の前に息をして立っている。

 それだけで、私の心は救われた。

 

 だが、その姿は私の記憶の中にいる、快活で少し気が強かったお姉ちゃんとはまるで別人に見えた。

 首と頭、そして足に巻かれた痛々しい包帯。顔色は血の気を失い、痛々しいほどに痩せこけている。

 家ではいつも柔らかく、私や桃香をからかって笑っていた表情が、今は感情の全てを押し殺したように硬く強張っていた。

 

 

 コツン、コツン、と松葉杖がリノリウムの床を打つ音だけが静かな病室に響く。

 

 やがて、お姉ちゃんはゆっくりとベッドに近づくと、震える声で尋ねた。  

 

「…触っても、大丈夫?」

「うん」

 

 私が頷くと、お姉ちゃんは震える手をそっと私の頬に伸ばした。ひんやりとした指先が、涙の跡を優しくなぞる。そして、私の額に自分の額をこつん、と合わせた。

 

「…生きてて、よかった」

「お姉ちゃんこそ」

 

 伏せられた琥珀色の瞳と目が合う。

 言葉はなかったけど、私と考えてることは同じだとわかった。

 

 そして、その瞳が、私の足のあたりに一瞬だけ視線を変えた気がした。

 その瞳は、まるで誰かの未来を悼むような、途方もない絶望を宿していた。

 

 

「…抱きしめちゃ、ダメなのよね」

 

 問いのような呟きに、本郷先生が優しく応える。

 

「そっとだったら無問題(モーマンタイ)だよ」

 

 その声に促されるように、お姉ちゃんは、壊れ物を扱うように、そっと私の肩を抱きしめてくれた。

 

「…お姉ちゃん、無理したら私が怒るからね」

 

 そうやって叱るのは、前までお母さんの役目だった。…でも、もう誰もいない。今度は私が、お姉ちゃんを支えてあげないと。

 ギプスのついた右腕で、姉の肩を強く抱きしめた。腕の痛みなんて気にしていられない。そうしないと、お姉ちゃんが今にも遠くへ行ってしまいそうだったから。

 

 そんな、家族の再会もすぐに終わりを告げた。

 本郷先生が、静かに、けれどはっきりと区切りを入れる。

 

「今日は、このくらいにしておこうか」

 

 その優しい声で、面会は終わりになった。

 

 部屋を出る前、お姉ちゃんは何かを思い出したように振り返ると、強い口調で私にこう告げた。

 

「それと…お父さんのお祖父様(じいさま)たちの言うことは真に受けなくていいから。というか、もう会わなくていいわ」

「…でも、私たちは、お祖父様たちに引き取られるんじゃ…」

 

 私の現実的な問いに、お姉ちゃんは一瞬苦しそうな顔をした。そして、さっきまでの強い口調が嘘のようにか細い声で呟く。

 

「…私が、私がなんとかするから…」

「お姉ちゃん…?」

 

 お姉ちゃんの考えてることはよく分からない。

 それでも、事故からぼんやりとしていた私の意識が明確になった。私は、この2人を支えないと。

 

 

 病室のドアが、静かに閉まる。

 

 その向こう側で、お姉ちゃんが一人これからどんな現実と戦うのか。

 そして『あの人たち』の言っていたこととは、一体何だったのか。

 

 病室に残された私は、これから訪れるであろう冷たい現実にまだ気づかないでいた。

 

 

 

 

 

 

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