新しい創造へ 作:なつきさん
黒竜の乗り手が勝つ話なので、軽率に世界が滅びます。
色々とご注意ください。
「……助けられなくて、ごめん、なさ……」
それは誰に呟いたものだったか、カグヤには分からなかった。
ただ、少なくとも、自分ではないであろうとは思った。
⸻
六柱の神々は沈黙した。
春は散り、夏は溶け、秋は流れ、冬は凍り、
根は眠り、天は裂けた。
祈りは絶え、律はほどけ、名ばかりの理が残る。
ひとりの影が立ち上がる。
崩れた神殿の柱に背を預け、空を仰ぐ。
灰色の空のもとで、白も黒も意味を失っていた。
足元には、ひとつの躯。
それを誰と呼ぶべきか、もう思い出せない。
けれど胸の奥が軋む。
痛みだけが、確かに“生きている”証だった。
倒れた者の唇がわずかに動く。
声にはならず、ただ優しい形を残した。
その理由を知る者はもういない。
涙がひとつ、紅の組紐に落ちた。
灰の匂いが濃くなる。
影の中に倒れたひとつの形があった。
名前を呼ぼうとしても、喉が動かない。
その顔が誰だったのか、思い出せない。
それでも、指が勝手に伸びた。
冷たい。けれど、その冷たさが、懐かしい。
「……一緒に、行かなくちゃ」
抱き上げた身体は軽かった。
落ちていかないように、胸もとにそっと寄せる。
灰が肩に降り積もっても、手のひらの力は緩まない。
置いていけなかった──それだけが、確かな理由だった。
⸻
白竜の乗り手へ──弓を構えた手が、かすかに震えた気がした。
弓を引いた瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。
何を、誰を、どうして──思い出せない。
けれど、その痛みだけは、確かに生きていた。
「……結局、全部、人にやらせるんですね」
誰も答えない。
神々は沈黙を保ったまま、此方へ殺意を向けて来る。
彼らは己の正義を説きながら、
その“正義”の処理を人ひとりに
「背負わせたのなら、最後まで見届けるのが筋でしょう」
笑うように呟く声は、もう涙のかたちをしていなかった。
黒竜の気配が、静かに囁く。
『六つの律、六つの歪み。終わりの時が来た。』
神々の骸は塵に還った。
春は花片となり、夏は光に溶け、
秋は風とともに散り、冬は雪となって消えた。
根は地に沈み、天は彼方に還った。
その終わりを見届ける眼差しに、憎しみも歓びもない。
ただ、静かに──“これで良い”と受け止める穏やかさだけがあった。
遠くで燃えるものがあった。
カムロサキ。
荒れた雷をまとい、最後まで抗った。
その炎は誰も照らさず、誰も焦がさず、ただ虚空へと散った。
他の招かれざる異国からの客人たちは、既に塵芥にした。
黒竜が囁く。
『泣かなくていい。忘れていい。
それでも、お前の歩みがこの世界の“刻”になる。』
「……なら、歩き続けるまでのこと」
記憶も、痛みも、すべて黒竜が呑み込んでくれた。
だからもう、何も怖くなかった。
世界が止まっても、ひとりだけが“時”を進めていた。
誰も知らない場所で、
誰にも見られない戦いを続けながら。
影は剣を地に突き立て、膝をついた。
黒竜の影が背に重なり、風が頬を撫でる。
痛みも、温もりも、もう定義を失っていた。
『終わりは、お前が選ぶものだ。』
黒竜の声。
返答はなかった。
ただ、指先がわずかに動き、沈黙のうちに祈りが生まれる。
手のひらの温もりが、まだ消えない。
掴めば砕けるのに、離せば消える。
それでも、あの、自分の名を呼んでくれた人の指先を探してしまう。
世界が何度滅んでも──それだけは、きっと変わらない。
大地が震え、黒竜の鱗に宿った光が心臓へと溶ける。
その一粒一粒が、かつて失われた命の欠片。
『条件は揃った。国産みを始める。』
ミホシハバキの声が、遠くで囁く。
それは命令でも祈りでもない。
ただ、観測の宣言だった。
カグヤは剣を地に突き立て、膝をついた。
黒竜の影が背に重なる。
もう戦う理由はない。
黒竜の乗り手としての役目は、ここまでだ。
『よくぞ成し遂げた。お前の歩みが、大地を繋いだ。』
黒竜の声は優しかった。
それが最後の囁きであることを、カグヤは知っていた。
「……もう、終わっていいの?」
『終わりは、お前が選ぶものだ。
私は、お前の中にいる。』
黒い光がカグヤの身体を包む。
痛みはない。
ただ温かく、懐かしい。
「……そう、これが国産み。
これこそが、あるべき形」
見上げた空は、まだ灰色のままだった。
けれど、雲の切れ間からわずかに青が覗く。
風が、花の種を運んでいく。
「兄様。頑張ったよ。
オババの言いつけ通り、ちゃんと世界を滅ぼした」
カグヤは微笑んだ。
その身体は土と光に還り、
新しい世界の大地となった。
そして──
ミホシハバキは静かに記した。
『アマカケルヌバタマノミコトのもと、大地再生の儀、完遂。』
風が吹いた。
誰もいない世界で、それは確かに「始まりの音」だった。
──記録を再開。
ルーン値、安定。
大地、呼吸を再開。
風、流動を確認。
水脈、循環を開始。
個体識別:存在せず。
声:なし。
意思:なし。
しかし、確かに“鼓動”を検出。
『新世界、生成完了。』
音のない世界に、わずかな震動。
草でも、樹でも、獣でもない、
形を持たぬ“何か”が、地の奥底で息を吸った。
光が、まだ名を持たぬ空を染める。
朝とも夜とも呼べぬ色の中で、
ミホシハバキは静かに観測を続ける。
『記録開始。
これは、新しいアズマの第一周期。
旧文明の継承、確認できず。
ルーン再分配による自然生成を確認。』
そして、長い沈黙の後──
『……おかえり。』
その言葉が、誰に向けられたものかはわからない。
風が吹いた。
そのたびに、白梅の髪飾りと紅の組紐が草の上で踊った。
それはもう、誰の持ち物でもない。
けれど、確かにこの世界に「いた」誰かの証。
空の色が、少しだけ変わった。
境が溶け、光が地を撫でる。
その中で、二つの影が並んで立っていた。
どこへ向かうのかは、もう誰も知らない。
けれど、歩みは確かだった。
それだけで、世界は新しく始まっていた。
紅い組紐に落ちた涙は誰のものか。
その組紐を手にしているのは一体誰か。
思い出せないことばかり。
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