絶望少女と魔王達の神殺し 〜魔女狩りの世界に転生したので、神に抗います〜 作:なないろすらいむ
木々の間を縫うように、五人は少女を抱えながら必死に森を駆け抜けていた。
背後からは、狂信的な怒号と無数の足音が、津波のように押し寄せてくる。
「こっちよ! ……ベルゼブブ様……、彼らの歩みを阻んでちょうだい!」
走りながらエリシェヴァが両手を振るうと、地面から太い木の根が意思を持ったように這い出し、追いすがる神官兵たちの足元へ絡みつく。数人がつまずき泥にまみれるが、後続の狂人たちは倒れた仲間を容赦なく踏み台にして、速度を落とすことなく迫ってきた。
「しつこい……! どこまで追ってくる気なの」
ミツキは苛立ちを隠せずに奥歯を噛み締める。追いつかれそうになる度に時間を止める権能を使い、強引に距離を離しているものの、彼らは異常な執念で足跡を辿り、すぐに距離を詰めてきてしまう。
「僕が面制圧で足止めする! 君たちはそのまま先へ!」
最後尾を走っていたルークが立ち止まり、両手へ一気に膨大な魔力を集束させる。彼女の脳裏に浮かんだのは、かつてカラートシャムスで出会ったネファスの魔女、ロクサーナが放った致死の毒霧。高度な記憶魔法によってその術式を完全に引き出し、ルークの手から濃厚な紫色の霧が森の空間一帯へ勢いよく噴出された。
瞬く間に視界を覆い尽くす毒の霧。本来なら、ひと呼吸吸い込んだだけで肺が焼け爛れ、動けなくなるほどの猛毒だ。
しかし――。
「魔王の眷属どもを逃がすなァァッ!!」
「……な、なんだと!?」
ルークは驚愕に目を見開いた。神官兵たちは紫色の霧をまともに吸い込んでいるにも関わらず、咳き込むことすらしない。血走った目を剥き出しにしたまま、文字通り毒の霧を突き破って突進してくるのだ。
「ルークさん、下がって! あの人たち、おかしいです!」
先を走っていたライラが振り返り、鋭い声を上げる。
「あんな猛毒を吸っても顔色一つ変わってない……! それに、あの足の動かし方。普通の人間ならあんな風に走れません。痛覚がないだけじゃない……何か別の力で無理やり体を動かされてます!」
彼女の記憶に裏打ちされた正確な観察眼が、敵の異常性を浮き彫りにする。
「くっ……これほどの魔法を無効化するなんて!」
ルークが舌打ちをして再び走り出したその時だった。
ズズンッ……!!
地響きのような轟音が、森の奥から響き渡った。
バキバキと太い樹木が薙ぎ倒される音と共に、土煙を上げて姿を現したのは、鈍く光る重厚な装甲で覆われた巨大な『戦車』だった。異形の神獣に引かれたその重戦車は、森の木々を容赦なくへし折りながら、圧倒的な質量と速度でミツキたちに向かって一直線に突進してくる。
「ウソでしょ!? 森の中に戦車なんて反則じゃない!」
ミツキが悲鳴のような声を上げる。
「危ないッ……!」
戦車から身を乗り出した神官兵たちが、鋭い投げ槍を一斉に放つ。空気を切り裂き、雨のように降り注ぐ死の切っ先。
「私から離れないでください……!」
セレスティアが震える少女を庇うように前に出た。彼女の強い意志にラーヴァナ由来の権能が発動する。
ガキンッ、ガガガガッ!
無数の槍がまるで見えない壁に激突したかのようになり、力を失い無力に地に落ちる。あらゆる真力や攻撃を無効化する彼女の絶対的な護りが、間一髪で全員の命を救った。
「大丈夫、ここは安全よ。呼吸を整えて」
エリシェヴァが障壁の中で少女の背中を優しく撫でながら、冷静に周囲の状況を確認する。
だが、彼女の権能で投擲を凌げたとしても、あの常軌を逸した重戦車がそのまま突っ込んできたら、足場ごと蹂躙されてしまう。ミツキは焦燥感を爆発させながら、素早く一歩前へ進み出た。
「ルーク、みんなを固めて!」
ミツキは迫り来る戦車の進行方向、その両脇にそびえ立つ数本の大樹へと鋭い視線を向けた。魂の奥底に眠る翁の力を引き出し、ただ純粋な『破壊』の意志だけを対象の内部へと直接叩きつける。
バキィィィィィッ!!!
落雷のような轟音と共に、大人十人が手を繋いでも余るほどの極太の幹が、耐性も強度も一切無視されて内側から爆散するようにへし折れた。悲鳴を上げて傾いた巨大な樹木たちが、幾重にも折り重なるようにして獣道へと倒れ込む。巻き上がる土煙と共に、分厚い木の城壁が戦車と神官兵たちの進路を完全に塞いだ。
「今だ――『停止』!」
倒木が完全に地面へ落ち切るよりも早く、ミツキは間髪入れずに別の権能を引き出した。
暴風のように吹き荒れていた森のざわめきも、狂人たちの怒号も、宙を舞う木屑さえもが、瞬時に一切の色彩を失い、灰色の静寂へと凍りつく。
「走って! 今のうちに少しでも遠くへ!」
ミツキの切羽詰まった声に背中を押され、全員が静止した時間の中を死に物狂いで駆け出した。エリシェヴァとセレスティアが少女を両脇からしっかりと支え、ライラが転ばないよう必死に足元を確かめながら走る。ルークは剣を構えたまま最後尾につき、いつ時間が動き出しても対処できるように鋭い視線を後方へ残していた。
泥濘む足場を抜け、倒木のバリケードから十分な距離を稼いだと判断した瞬間、ミツキは権能を解除した。
極彩色の世界が戻ると同時、後方から鼓膜を震わせるほどの地響きが再び追いすがってくる。
「はぁっ、はぁっ……まだ、まだ来ます……!」
息を切らしたライラが、恐怖に涙目になりながら振り返る。彼女の言葉通り、背後からは倒木を強引に粉砕しようとする戦車の不気味な軋み音と、障害物を獣のように乗り越えて這い寄ってくる神官兵たちの足音が、確実に彼女達の背中へと迫っていた。
(木を倒して道を塞いだくらいじゃ、あのバケモノみたいな戦車を完全に止めることはできない……! 相手は痛みも疲れも知らない異常者の集団。このままじゃ、絶対にいつか追いつかれる!)
泥に足を取られながら走り続けるミツキの背中には、じっとりと冷たい汗が張り付いていた。
時間を止めて強引に距離を離すこと自体はできたが、根本的な解決には全くなっていない。東へと広がるこの鬱蒼とした森の中で、多勢に無勢という絶望的な状況は覆っていなかった。どうすればこの圧倒的な暴力の波を撒き切れるのか、ミツキは走りながら必死に思考を巡らせるが、明確な打開策は見出せないままだった。
鬱蒼と生い茂る東の森を、五人は泥に足を取られながらも必死に駆け抜けていた。
背後からは、大樹を無残にへし折りながら迫り来る重戦車の地響きと、狂気に満ちた神官兵たちの怒号が、まるで巨大な獣の咆哮のように絶え間なく追いすがってくる。
「ハァッ、ハァッ……! しつこい、本当にどこまで追ってくる気なの……っ!」
肺が焼け焦げるような感覚に顔を歪めながら、ミツキは悪態をついた。時止めの権能やルークの魔法、エリシェヴァの防壁で一時的に時間を稼いでも、異常な執念と耐久力を持つ狂信者たちは、文字通り死に物狂いで距離を詰めてくる。
「ミツキさん、この先、地面がすごくぬかるんでます……! このまま真っ直ぐ進んだら、足が埋まっちゃいます!」
先頭付近を走っていたライラが、悲痛な声を上げた。確かに、薄暗い木漏れ日の先に広がるのは、腐葉土が黒く濁った沼地のような泥濘だった。
「くっ……迂回するしかない! だけど、左右どちらへ行けばいいのか……」
ルークが焦燥感を滲ませながら周囲を見渡す。方向感覚を失いかねない深い森の中で、下手に道を間違えれば行き止まりに直面し、完全に包囲されてしまう危険性があった。
絶望的な二択を前に、全員の足が一瞬だけ鈍りかけた、その時だった。
『――そこの巨木を右に折れなさい。真っ直ぐ行けば、沼地に足を取られて追いつかれるわ』
鼓膜を通してではない。脳の髄に直接、冷たい清水を垂らされたかのような、ひどく落ち着いた少女の声が響き渡った。
「えっ……!? な、なに今の! 頭の中に、誰かが……!」
ライラが両手で頭を抱えるようにして立ち止まり、大きな目をさらに見開いた。
「精神干渉の魔法か!? だけど、魔力的な抵抗や侵食の気配は全く感じないな。」
ルークが即座に剣を構え直し、見えない敵を警戒して鋭い視線を周囲に走らせる。しかし、鬱蒼とした木々の合間に、声の主らしき人影はどこにも見当たらなかった。
「頭の中に直接響いてきた……。誰なの、あんた!」
ミツキが虚空に向かって強い言葉を投げかけるが、返事はない。代わりに、感情の起伏を一切感じさせない、無機質で透き通るような指示だけが再び脳内に落ちてきた。
『――迷っている暇はないはずよ。三つ数えるうちに右の獣道へ入りなさい。さもなくば、追手の投げ槍があなたたちの背を貫くわ』
「罠かもしれないわ。私たちを袋小路へ誘い込むための……」
エリシェヴァが少女をしっかりと抱き抱えながら、冷静に最悪の可能性を口にする。だが、彼女の瞳には戸惑いの色も浮かんでいた。
「でも……不思議ね。この声からは、私たちを害そうとするような敵意や悪意が、欠片も感じられないの」
「……私も、そう思います」
セレスティアが、エリシェヴァの言葉に静かに頷いた。彼女は腕の中の少女を庇うように抱きしめながら、頭の中に響いたその声の余韻を、あるいは何かを探るように確かめていた。
「ここのまま闇雲に走っていても、あの戦車に追いつかれてしまうのは時間の問題です。……信じてみませんか?」
静かだが、確かな芯のあるセレスティアの言葉。ミツキは奥歯を強く噛み締めた。背後からは、「穢れを殺せ!」「魔女を火あぶりにしろ!」という狂気的な絶叫が、もうすぐそこまで迫っている。迷っている暇は、一秒たりともなかった。
「……わかった。信じる! みんな、声の言う通りに右へ!」
ミツキの決断と共に、五人は一斉に右側に伸びる細い獣道へと飛び込んだ。
直後――彼らがつい先ほどまで立ち止まっていた空間を、無数の鋭い投げ槍が風を切り裂いて通り過ぎ、泥濘んだ沼地へと深々と突き刺さった。
「……っ! 本当に、声の警告通りでした……!」
ライラが青ざめた顔で振り返り、震える声で呟く。もしあのまま躊躇していれば、間違いなく誰かの背中が串刺しになっていたはずだった。
「……どうやら、ただの幻聴や敵の罠ってわけじゃないみたいだな。状況を整理する余裕もないが、今は利用させてもらうしかない」
ルークが安堵の息を吐き出しながら、前を向き直る。
「うん。行くよ、声の主さん。次はどっち!?」
ミツキが走りながら心の中で問いかけると、すぐさま落ち着いた少女の声が脳内に響いた。
『――そのまま道なりに。二手に分かれる巨岩が見えたら、左の狭い隙間を抜けなさい』
「左ね! みんな、遅れないで!」
ミツキたちは、頭の中に直接響く不可思議なナビゲートに従い、複雑に入り組んだ森の地形を縫うように駆け抜けていく。
背後から迫る狂信者たちの怒号と、木々をへし折る戦車の轟音に肝を冷やしながらも、彼女たちは見えざる案内人に命を預け、死地からの脱出を図るのであった。
『――その巨岩の隙間を抜けたら、大きく開けた窪地に出るわ。立ち止まらず、そのまま真っ直ぐ駆け抜けなさい。決して、振り返る必要はないから』
ミツキたちは頭の中に響く透き通った少女の声に従い、肩が擦れるほど狭い岩と岩の隙間を死に物狂いで通り抜けた。
その先には、声の指示通り、周囲より一段低くなった、干上がった大きな川底のような窪地が広がっていた。ぬかるんだ泥や苔に足を取られそうになりながらも、五人は互いに手を引き合い、一気にその窪地を駆け上がる。
直後だった。
背後から、先ほどまでの足音や戦車の駆動音とは全く異なる、鼓膜を劈くような轟音が轟いた。
ゴボァァァァァッ……!!
「な、何っ!?」
ミツキが思わず窪地を越えた先の高台で足を止め、振り返った。その目に飛び込んできたのは、現実離れした凄惨な光景だった。
つい数秒前までミツキたちが駆け抜けていた干上がった窪地に、どこからともなく『赤黒く濁った濁流』が鉄砲水のように押し寄せ、圧倒的な水量を持つ巨大な川を瞬時に形成していたのだ。
「魔女を……っ、な……!?」
窪地に雪崩れ込んできた先頭の神官兵たちが、勢い余ってその濁流に足を踏み入れた瞬間だった。
彼らの足元から全身に向かって、凄まじい白煙が猛烈な勢いで噴き上がった。悲鳴すら上げる間もなかった。狂信に染まっていた彼らの表情が驚愕に凍りつくより早く、純白の法衣が溶け、屈強な肉が爛れ、骨すらも瞬時に泥炭のように崩れ落ちていく。
痛みを感じないはずの彼らが、聲にならない絶叫の形に口を開けたまま、次々とどす黒い水面へと沈み込み、文字通り一瞬にして『即死』していく。
「ヒッ……! 溶けて……人が、一瞬で溶けちゃった……っ!」
その凄惨極まる光景を、克明に捉えてしまったライラが、喉の奥で悲鳴を殺し、ガタガタと激しく震えながら両手で口元を覆う。
「あれはただの水じゃない……触れただけで死ぬ、猛毒の川だ!」
ルークが戦慄した声で叫び、反射的にセレスティアをその毒の飛沫から庇うように強く抱き寄せた。彼女が放った致死の毒霧すら意に介さず突進してきた狂人たちが、一瞬で泥のように溶かされ、完全に死滅していく。それは生物の限界を超えた、絶対的な致死性を持つ毒だった。
後続の神官兵たちや、あの木々を薙ぎ倒してきた巨大な重戦車でさえも、突然出現した死の川を前に急ブレーキをかけ、進軍を完全に停止せざるを得なかった。狂気に支配された彼らでさえ、目の前で仲間が瞬時に溶け落ちる理不尽な光景には、本能的な死の恐怖を植え付けられたようだった。赤黒い川を挟んで、彼らは憎悪に満ちた目をミツキたちに向けることしかできなくなる。
「あんな魔法……見たことがないわ。地形そのものを一瞬で作り変え、これほど無慈悲に命を奪い去るだなんて……」
エリシェヴァが、青ざめた顔で身震いする。治癒師として命の巡りを知る彼女だからこそ、その川が放つ『絶対的な死の気配』の異常性が痛いほど理解できた。
「この気配……それに、頭に響いたあの声……」
セレスティアが、自身の腕を――かつてラーヴァナの腕から作られたというその肉体を――そっと抱きしめる。彼女の震える呟きに、ミツキの脳裏で点と点が線で一気に繋がった。
(あっ……!)
ミツキは目を見開いた。
『――あァ、テメェらが何も知らねェのは百も承知だ。だから言われた通りに動け。二つ目だ。『水辺へは絶対に近づくな』。川だろうが湖だろうが、水の一滴にすら触れるんじゃねェぞ』
以前、ラーヴァナが残していた不可解な言葉。具体的な内容は伏せられていたものの、この過酷な道程において自分たちが、その人智を超えた力が確実に関与しているという事実。
(ラーヴァナが言ってたのって……こういう事だったのね)
得体の知れない強大な存在の影を感じ、ミツキの背筋に冷たい汗が伝う。だが、この圧倒的な毒の川のおかげで、執拗な狂信者たちの追撃を完全に断ち切ることができたのは紛れもない事実だった。
『――立ち止まっている時間はないはずよ。川が彼らを押し留めている間に、東の谷を目指しなさい』
再び脳内に響いた声。その響きには、大量の命を奪った直後とは思えないほどの、不気味なほどの平坦さが混ざっていた。
「……行くよ! 止まらないで、谷まで一気に抜ける!」
ミツキは湧き上がる恐怖と疑問を奥歯で噛み殺し、仲間たちへ鋭く声をかけた。
背後で赤黒く泡立つ死の川と、対岸に取り残された狂信者たちの絶望の呻きを置き去りに、五人は深い森を抜け、目的の地である東の谷へと続く獣道を再び全速力で駆け出していくのだった。
1話に対する文字数についてです。今迄他小説サイトと同じ感じで投稿していましたが他作品を観察した所文字数が少ないかも?と感じたのでアンケートを開催しました。今後の再編や投稿の参考にしたいと思います。
-
文字数が多い
-
文字数がちょうど良い
-
文字数が少ない