絶望少女と魔王達の神殺し 〜魔女狩りの世界に転生したので、神に抗います〜   作:なないろすらいむ

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第4話 谷底の楽園へ

背後で猛威を振るっていた赤黒い濁流の音も、狂信者たちの絶望の叫びも、深い森を抜ける頃にはすっかり遠ざかっていた。

 

透き通った少女の声に導かれるまま、五人は鬱蒼とした木々のアーチを抜け、ついに目的の地である東の渓谷の入り口付近へとたどり着いた。

 

だが、そこは今まで駆け抜けてきた森とは明らかに異質な空間だった。

足裏から伝わる腐葉土の柔らかさは消え失せ、代わりに踏みしめているのは、ひどく乾燥し、まるで一度業火で焼き尽くされたかのように黒く変色した奇妙な大地だった。一本の草木すら生えておらず、剥き出しの黒い土と岩肌だけが、巨大なすり鉢状の渓谷へ向かってどこまでも続いている。

 

「……何、ここ。空気が、全然違う……」

 

ミツキは思わず足を止め、周囲の空間を肌で探るように眉をひそめた。

肺に吸い込んだ空気が、微かな熱と重みを帯びていた。それは魔力とは違う、もっと根源的で圧倒的な力――『神力』の残滓だった。しかも、ただ漂っているのではない。この黒い大地そのものに、膨大で濃密な力が染み付いているのだ。

 

(この感覚……カラート・シャムスで戦った、あのアダムスが放っていた力に似てる。でも……)

 

ミツキは胸の奥が締め付けられるような、奇妙な感覚に戸惑いを隠せなかった。

かつて対峙したアダムスの神力は、他者をひれ伏させるような絶対的で冷酷な威圧感に満ちていた。しかし、今この足元から立ち昇ってくる力からは、そのような攻撃的な悪意は微塵も感じられない。むしろ、凍えるような夜に灯された小さな焚き火のような『暖かさ』と、途方もない年月を一人で待ち続けたような、深く静かな『悲しみ』が入り混じっていた。

 

「警戒は怠るな。だが……ミツキの言う通り、不思議な空間だ。これほどの神力が残留しているのに、まったく危険を感じないな」

 

ルークが剣の柄から手を離さないまま、黒い土をブーツの先で軽く小突く。女騎士としての理性が「未知の強大な力」に警鐘を鳴らす一方で、彼女の魂そのものはこの場所に穏やかな安堵を覚えていた。

 

「ええ……。まるで、傷ついた子供を優しく抱きしめるような、そんな悲しいほど優しい巡りを感じるわ」

 

エリシェヴァが、腕の中で眠るように静かになった少女の背を撫でながら、祈るように目を伏せた。治癒師である彼女の感覚は、この土地に染み込んだ力が『誰かを守るため』に放たれたものであることを正確に感じ取っていたのだ。

 

「ミツキさん、ルークさん……! 足元を見てください……土が、光ってます……!」

 

日が西の空へ傾き、辺りが紫がかった夕闇に包まれ始めたその時、ライラが弾かれたように声を上げた。彼女の優れた観察眼が捉えたのは、黒く変色した大地に起こり始めた異様な変化だった。

 

「光ってる……? 嘘でしょ、これって……」

 

ミツキが息を呑む。ライラの言う通りだった。完全に日が落ち、暗闇が渓谷を包み込もうとした瞬間――黒い泥と土の中から、淡い金色の光が脈打つように漏れ出し始めたのだ。

光はただ輝くのではない。地面を這うように広がり、やがて明確な規則性を持って形を成していく。楔を打ち込んだような鋭い線と、鳥の足跡にも似た独特な曲線。それらが無数に組み合わさり、未知の文字となって、暗闇の中で幻想的に浮かび上がった。

 

「これは……文字、ですか? この大地全体が、巨大な術式のように……」

 

セレスティアが、足元に浮かび上がる光の文字を食い入るように見つめながら、静かに呟いた。その光は彼女の肌を優しく照らし、かつて理不尽に虐げられていた頃の暗い記憶すらも溶かしてくれるような、不思議な温もりを持っていた。

 

広大な黒い大地をキャンバスにして、突突として浮かび上がった幾千、幾万もの光の文字。

 

それは狂気と暴力に満ちた地上の森とは対極にある、神聖で、悲しく、そして言葉を失うほどに美しい光景だった。ミツキたちは迫り来る追手の恐怖も忘れ、その足元で瞬く未知の文字が放つ暖かな光の海の中で、ただ呆然とその異様で幻想的な光景を見下ろしていた。

 光る楔のような文字が浮かび上がる不思議な黒い大地を抜け、微かな傾斜を下りきった先で、世界は唐突に途切れていた。

巨大な渓谷の『縁』。

 そこから先は、大地そのものを無慈悲に叩き割ったかのような、絶望的な断崖絶壁が口を開けていた。

ミツキはそっと崖の端から身を乗り出し、眼下を覗き込んで息を呑んだ。

「……冗談でしょ。底が、全く見えない」

そこに広がっていたのは、光の届かない完全なる暗闇だった。底知れない深淵からは、まるで巨大な獣が呼吸をしているかのような、冷たく湿った重たい風がゴウゴウと吹き上げてくる。ルークが足元にあった手頃な石を蹴り落としてみたが、数分待っても、それが底にぶつかる音は全く返ってこなかった。

「ひっ……暗くて、吸い込まれそうです……。本当に、ここを降りるんですか……?」

ライラが恐怖に身を竦ませ、ミツキの服の袖をぎゅっと力強く握りしめる。無理もない。こんな底なしの暗闇へ自ら飛び込むなど、人間の生存本能が全力で拒絶する自殺行為に他ならなかった。

「まともな神経なら、絶対に引き返すだろう。命綱になりそうな蔓も足場もない……」

ルークも鋭い視線で崖の周囲を観察しながら、険しい表情で首を振る。だが、彼女たちの背後には、あの狂信者たちがひしめく森と、理不尽な死をもたらす猛毒の川が立ち塞がっている。引き返すという選択肢は、とうに消え失せていた。

「でも……私たちは行くしかないわ。あの狂った街の惨状や、迫り来る死の川を思えば、ここが唯一の道よ」

エリシェヴァが、腕の中で怯える天女のような少女をしっかりと抱き抱え直し、静かに、しかし力強い声で言った。彼女の言う通りだった。翁が示した不可解な導きも、ラーヴァナが残した『水辺へは近づくな』という警告も、そして頭の中に直接響いてきたあの謎の声も、結果としてすべて彼女たちの命を救い、この場所へと導いてくれたのだ。

 

だが、ふと気がつけば――道中あれほど的確に脳内へ響いていた透き通った少女の声は、この絶望的な崖の縁に辿り着いた時から、いつの間にかふっつりと途絶えてしまっていた。

まるで、「ここから先へ進むかどうかは、自分たちの意志で決めなさい」とでも言うように、不気味なほどの沈黙が落ちている。

 

「ええ。信じましょう。私たちをここまで導いてくれた不思議な力と……そして何より、ミツキさんの力を」

 

セレスティアが、かつての怯えを微塵も感じさせない、静かで確かな覚悟の宿る瞳でミツキを見つめた。その揺るぎない信頼の眼差しを受け、ミツキは奥歯を一度だけ強く噛み締めると、顔を上げて力強く頷いた。

 

「うん。行こう。ただ闇雲に飛び降りて玉砕するつもりはないから、安心して」

 

ミツキは仲間たち全員の顔を見渡し、冷静に作戦を告げる。

 

「私が『時止めの権能』を使う。落下し続けて速度が上がりすぎる前に時間を止めて、その度に落下による衝撃を強制的にリセットする。それを底に着くまで小刻みに繰り返せば、パラシュートみたいに極力落下の衝撃を殺しながら降りられるはずだよ」

 

「なるほど……。対象の時間を止めることで、落下の衝撃そのものをゼロに帰すのか。君の権能の規格外さには、本当に毎回驚かされるよ」

 

ルークが感心したように口角を上げ、緊張を解くように小さく笑った。

 

「私が落下中もずっと防壁を展開して、みんなを風圧や破片から守ります。呼吸も確保できるように調整するから、安心して身を任せ下さい」

 

セレスティアが、包み込むような微笑みでポートを約束する。

 

「……怖いですけど、ミツキさんと一緒なら、大丈夫ですっ」

 

ライラも震える足を両手で一度強く叩き、覚悟を決めたように前を向いた。

 

「みんな、絶対に手と体を離さないで。私とルークが外側を固める。エリシェヴァさんとセレスティアさんは、あの子を真ん中でしっかり挟んで」

 

ミツキの指示で、六人は崖の縁で一つの塊のように身を寄せ合い、互いの腕や服を力強く掴み合った。誰一人としてはぐれることがないよう、固い絆で結ばれたその温もりが、底知れぬ深淵へ飛び込む恐怖を少しだけ和らげてくれる。

 

「行くよ。……せーのっ!」

 

ミツキの合図と共に、彼女たちは一斉に大地を蹴った。

フワリと、内臓が浮き上がるような特有の無重力感が全身を包み込む。次の瞬間、凄まじい風切り音が耳元で咆哮を上げ、六人の身体は一切の光を拒絶する漆黒の渓谷へと、真っ逆さまに飲み込まれていった。

 真っ暗な深淵へと身を投げ出した瞬間、凄まじい風圧が六人の身体を叩きつけた。

 

「セレスティアさん、防壁お願い! みんな、絶対に離れないで!」

 

「任せて下さい。皆さん、私から離れないで下さい」

 

セレスティアが展開した光の障壁が、刃のような烈風を和らげる。それでも、底知れぬ引力に引っ張られ、落下速度は秒を追うごとに恐ろしいほど跳ね上がっていく。

 

内臓が押し潰されそうになるほどの負荷を感じた瞬間、ミツキは魂の奥底へ意識を沈めた。

 

「――『停止』!」

 

世界が灰色に染まり、耳をつんざく風の咆哮が嘘のように消え去る。同時に、ミツキたちを引っ張っていた強烈な重力と落下の慣性が、完全に『ゼロ』へとリセットされた。

 

(よし、いける……!)

 

ミツキは再び時間を動かし、自由落下が始まると同時にまた止める。これを正確なタイミングで何度も繰り返し、見えない階段を一段ずつ降りるように、着実に渓谷の底へと降下していった。

 

しかし、ある程度まで降りた時、ミツキは決定的な違意感に気づいた。

 

「……えっ? 明るく……なってる?」

 

見上げれば、飛び降りてきた地上の断崖――先ほどまで夕闇に包まれていたはずの空の入り口が、遠ざかるにつれて白い霞がかったようにぼやけ始めている。それどころか、漆黒の闇に包まれていたはずの周囲の空間が、なぜか少しずつ、確かに明るさを増しているのだ。

 

「ミツキさん! 下を、あれ、見てください!」

 

ライラが信じられないものを見るように、足元を指差して叫んだ。

彼女の視線の先、分厚く立ち込めていた灰色の霞がスーッと晴れていく。その向こう側に広がっていたのは、地底の暗闇でも、険しい岩肌でもなかった。

 

「青空……? 嘘でしょ、雲まで浮かんでる……!」

 

ミツキは自分の目を疑った。下へ向かって落ち続けているにも関わらず、眼下には昼間の晴天のような、澄み切った青空が広がっていたのだ。天地が完全に逆転してしまったかのような錯覚に陥る。

 

「どういうことだ……ここは地底のはずだ!? 空間そのものが歪んでいるというのか……!」

 

常に冷静なルークでさえ、常識を覆す異常な光景に驚愕の声を上げる。

そして、その広大な青空の下――光に満ちた大地の中心には、鬱蒼とした豊かな森と、それをぐるりと囲むように築かれた、巨大で堅牢な分厚い城壁を持つ『国』が広がっていた。

 

 白亜の石で組まれたその城壁は、外界のあらゆる悪意を完全に拒絶するように気高くそびえ立っている。だが、堅牢な守りの内側には清らかな水路が幾筋も巡り、豊かな緑と調和した美しい街並みがどこまでも広がっていた。

 

「綺麗……」

 

セレスティアが、恐怖も忘れてその美しくも異様な景色に目を奪われ、感嘆の吐息を漏らす。

 

「底が来るわ! ミツキ、最後を!」

 

「わかってる! ――『停止』!!」

 

眼前に迫る緑の大地に向けて、ミツキは最後にして最大の権能を放った。極限まで落下の勢いを殺し、着地する寸前のわずかな距離で時間を動かす。

トンッ、と。

六人の足が、柔らかい草花を踏みしめた。

 

「……くっ!」

 

ルークが衝撃に備えて歯を食いしばり、エリシェヴァが防壁に全魔力を注ぎ込む。ミツキも全身の筋肉を強張らせた。

――しかし、予想していた着地の衝撃は、いつまで待っても訪れなかった。

 

「え……?」

 

ミツキは恐る恐る目を開けた。捻挫一つどころか、足の裏がジンと痺れるような感覚すらない。まるで分厚い羽毛のベッドにふわりと降ろされたかのように、落下の痛みも衝撃も『全く』感じなかったのだ。

 

「誰も怪我はないわね……? でも、痛みが……全くないなんて」

 

エリシェヴァが不思議そうに自身の身体と、抱え込んだ少女の無事を確認する。怯えきっていたはずの少女もまた、怪我一つなく、きょとんとした虚ろな瞳で周囲の光を見つめていた。

 

「私たち、本当にあの真っ暗な底なしの谷から落ちてきたんですか……?」

 

ライラが夢から覚めたばかりのように、ぽつりと呟く。

見上げれば、地上の暗い空や断崖絶壁などどこにもない。あるのは、暖かな陽光を降り注ぐ、果てしなく続く青空と白い雲だけ。遠くからは、木々のざわめきに混じって、どこかから女性や子供たちの無邪気な笑い声すら微かに聞こえてくる。

 

地底の奥深くに隠された、常識を完全に無視した昼間の楽園。

頬を撫でる穏やかな風に吹かれながら、ミツキたち六人は、そのあまりにも美しく異様な光景の中に立ち尽くし、ただただ言葉を失って驚愕することしかできなかった。

1話に対する文字数についてです。今迄他小説サイトと同じ感じで投稿していましたが他作品を観察した所文字数が少ないかも?と感じたのでアンケートを開催しました。今後の再編や投稿の参考にしたいと思います。

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