絶望少女と魔王達の神殺し 〜魔女狩りの世界に転生したので、神に抗います〜 作:なないろすらいむ
頬を撫でる穏やかな風に吹かれながら、そのあまりにも美しく異様な光景の中に立ち尽くしていたミツキは、ふと大きく息を吐き出して仲間に向き直った。
「……みんな。この国の『魔王』に会いに行く前に、やらなきゃいけないことがある」
ミツキの言葉に、ルークがハッとしたように表情を引き締めた。
「ラーヴァナの残した指示だな。『地底の国に着いたら、一切の武装を解け。決して刃を向けるな』……か」
ルークは腰に帯びていた愛剣の柄から手を離すと、ゆっくりと剣帯ごと外し、虚空へとそっと手をかざした。
微かな魔力の波紋と共に空間が小さく歪み、彼女の愛剣と護身用の短刀が、吸い込まれるように収納魔法の亜空間へと消えていく。
前衛を務める騎士にとって、見知らぬ未知の領域で即座に得物を抜けない状態へと身を置くことは、文字通り無防備な肉体を差し出すに等しい行為だ。
「ルークさん……本当に、いいんですか……?」
ライラが不安げな声で、ルークの足元に置かれた剣と、城壁の向こうから微かに聞こえる街の喧騒を交互に見つめた。つい先ほどまで、地上で狂信者たちに殺されかけていたのだ。いくら目の前の景色が平和そのものに見えても、染み付いた恐怖と警戒心がそう簡単に抜けきらないのは当然だった。
「ああ。あの絶望的な状況から僕たちを救ってくれた導きだ。ここで疑って刃を隠し持てば、逆に命取りになるかもしれないからね」
ルークは、怯えるライラを安心させるように、努めて穏やかな声で諭した。
「私も、そう思います。ここまで私たちを生かしてくれた力を、今は信じましょう」
セレスティアも静かに頷き、自身の内にある真力を完全に鎮め、展開していた光の防壁をスッと解除した。彼女に抱き抱えられている天女のような少女も、ぽかぽかとした陽気に包まれ、虚ろながらも微かに安らぎの表情を浮かべているように見えた。
「私も魔法の備えは解いておくわ。いつでも治癒ができるように、命の巡りだけは感じ取っておくけれどね。……ここは本当に、安全な空気が満ちているもの」
エリシェヴァが優しく微笑みながら、両手に集めていた魔力の残滓をふわりと空気に溶かした。
「うん。じゃあ、行こうか」
ミツキもまた、魂の奥底でいつでも引き出せるように張り詰めていた『権能』の糸を完全に解き放った。剣もルークと同じく異空間に収納し、時間を止め、対象を破壊する絶対的な力を奥底へ沈め、ただの一人の少女としての無防備な状態へと戻る。
血と泥の匂い、そして狂信者たちの殺意に満ちていた地上とは違い、ここは澄んだ風と暖かな光に満ちている。丸腰になったことで得体の知れない不安が胸の奥を掠めるが、それ以上に、この土地全体から放たれる優しく悲しい神力の巡りが、彼女たちの背中をそっと押してくれているようだった。
五人と一人の少女は、武器を持たない空っぽの手を互いに握り合い、巨大で堅牢な城壁の門へとゆっくりと歩みを進めていった。
高くそびえ立つ城壁には、外敵を阻むための物々しい鉄格子も、監視の兵士の姿もなかった。開け放たれた巨大なアーチ状の門をくぐると、そこには外の世界の常識を完全に置き去りにしたような、息を呑むほど穏やかな日常が広がっていた。
石畳の街道沿いには清らかな水路が流れ、色とりどりの花々が咲き乱れている。通りを行き交うのは、柔らかな亜麻布の服をまとった女性たちや、楽しげに笑い合いながら駆け回る子供たちばかりだった。誰の顔にも、地上に蔓延していたような狂信的な険しさや、明日への不安といった暗い影は見当たらない。
だが、その平和すぎる光景こそが、ミツキたちの足を重くさせていた。
(私たち、泥と汗でドロドロだよ……。それに、得体の知れないよそ者がいきなり入り込んできたんだ。絶対にパニックになるか、自警団みたいな人を呼ばれるかも……)
ミツキは、泥まみれの自分の服と、エリシェヴァたちが抱き抱えるボロボロの天女の少女を交互に見比べ、ゴクリと唾を飲み込んだ。地上では「魔女」や「穢れ」という言葉一つで人が焼かれ、異端というだけで殺されてきたのだ。丸腰の状態で住民たちに取り囲まれれば、弁明する間もなく石を投げられるかもしれない。
「……僕が前に出る。もしもの時は、僕を盾にして逃げてくれ」
ルークが警戒心を露わにし、剣を持たない両手を軽く握り込みながら、ミツキを庇うように一歩前に出た。ライラも怯えたようにセレスティアの背後に隠れ、周囲の視線を窺う。
その時だった。水路のそばで果物を洗っていたふくよかな女性が、不意に顔を上げ、ミツキたちと真っ向から視線を合わせた。
ピタリ、とミツキたちの動きが止まる。
女性の目がわずかに見開かれ、そして、ゆっくりと彼女たちの泥だらけの姿や、傷ついた少女へと注がれた。
「あっ……えっと、私たちは決して怪しい者じゃ――」
ミツキが咄嗟に両手を前に出し、必死に弁解の言葉を紡ごうとした、次の瞬間。
「あらあら、まあ……! 外からいらしたのね。なんてひどい泥だらけ。それに、とても疲れ切った顔をしてるわ」
女性はミツキの言葉を遮るように、パッと花が咲いたような心底優しげな笑みを浮かべ、ためらうことなく彼女たちへと歩み寄ってきた。手には、水滴の滴る真っ赤な果物がいくつも抱えられている。
「え……?」
「ほら、お水はあそこにあるわ。まずは顔を洗って、これを食べて。喉が渇いているでしょう?」
女性はミツキたちの警戒など全く気にも留めない様子で、ごく自然に、まるで近所の子どもを労わるような手つきで果物を差し出してきた。
「あ、あの……私たち、どこの誰とも分からないよそ者ですよ? しかも、こんなに汚れてて……その、警戒とか、しないんですか?」
セレスティアはあまりの拍子抜けな対応に、思わず間抜けな声を出してしまった。ルークも戸惑い、差し出された果物と女性の顔を交互に見つめている。
「ふふっ、警戒? なぜそんな必要があるの?」
女性は不思議そうに小首を傾げ、コロコロと鈴を転がすように笑った。
「こんな深い谷の底まで辿り着けたってことは、あなたたちはあの渓谷が受け入れた『お客さん』ってことでしょう? なら、何も怖いことなんてないわ。さぁ、遠慮しないで」
その声に惹かれたのか、周囲にいた他の女性たちや子供たちも、次々とわらわらと集まってきた。
「本当だ、外のお客さんだ! ねえ、お姉ちゃんたち大丈夫?」
「怪我をしてる子がいるわ。私の家に清潔な布があるから、持ってきましょうか?」
「お腹空いてる? パンも焼きたてがあるわよ!」
飛び交うのは、罵声でも悲鳴でもなく、純度百パーセントの気遣いと歓迎の言葉だけだった。彼女たちの瞳には、ミツキたちの汚れを蔑むような色は欠片もなく、ただ純粋な「労り」だけが満ちている。
「石とか……投げられない。誰も、嫌な顔一つしてない……」
ライラがぽつりと呟き、信じられないものを見るように大きな目を瞬かせた。奴隷として、他人の悪意や蔑視に誰よりも敏感だった彼女の記憶にすら、今の住民たちの表情からは一切の「嘘」や「裏」が見出せなかったのだ。
「持ち物検査も、尋問もなしか……。いや、それどころか、僕たちが武装していないことすら気にかけていない。……信じられないな。こんな国が、本当に存在するなんて」
ルークが呆れたように、けれどひどく安堵したように息を吐き出し、強張らせていた肩の力を完全に抜いた。
「本当に……毒気のない、澄み切った善意だけが満ちているのね。地上で失われてしまったものが、ここにはすべて残っているみたい」
エリシェヴァが、集まってきた子供たちの一人に優しく頭を撫でられながら、感極まったように瞳を潤ませる。セレスティアもまた、差し出された柔らかな布を受け取り、「ありがとうございます……」と深く、深く頭を下げた。
「……うん。ありがとう、お姉さん」
ミツキは手渡された冷たい果物を両手で包み込みながら、ようやく心の底からほっとしたような、年相応の少女らしい笑みをこぼした。
狂気と暴力に支配された地上の常識は、ここにはない。
彼女たちは、渓谷付近に漂っていたあの優しく神力に守られた地底の楽園で、あまりにもすんなりと、そして温かく迎え入れられたのだった。
石畳の広場に面した風通しの良いテラスで、エリシェヴァは助け出した少女を清潔な長椅子に横たわらせていた。
「もう大丈夫、ここは安全よ。ゆっくりと呼吸を整えて……そう、命の巡りを正常に戻していくわ」
緑がかった治癒の魔力がエリシェヴァの手のひらから溢れ、少女の身体を優しく包み込む。森の中では命を繋ぐための応急処置しかできなかったが、今は落ち着いて本格的な治療を施すことができた。
狂信者たちから受けた痛々しい暴行の痕や、泥と血にまみれた深い傷口が、浄化された後、細胞から再生するようにゆっくりと塞がっていく。
セレスティアもその傍らで少女の小さな手を両手で包み込み、「もう、痛くありませんからね」と静かに寄り添い続けていた。
「あの、お姉さん。お水も果物も、本当にありがとうございます」
ミツキは手渡された果物で乾いた喉を潤しながら、世話を焼いてくれるふくよかな女性に向き直った。
「実は私たち、この国の『魔王』である、バリという人に会いたくてここまで来たんです。」
「バリ様に? それなら、この街の中央にそびえる宮殿へ行くといいわ。そこにいらっしゃる『巫女』様たちにお願いすれば、きっと謁見を取り次いでくださるはずよ」
女性の口からごく自然に飛び出したその単語に、ミツキは思わず果物を食べる手をピタリと止めた。
「え……み、巫女……?」
「待ってくれ。巫女がいるということは、この国には『神力』を扱える女性がいるということか?」
ルークが鋭く反応し、信じられないものを見るような目で女性に問いかける。
「あら、不思議なことを聞くのね。巫女様たちだけじゃないわ、私たちや、そこの子供たちだって、日々の暮らしの中で少しなら神力を使えるのよ。ほら」
女性がふわりと手をかざすと、水路から澄んだ水が空中に浮かび上がり、キラキラと光を反射しながら美しい球体となって踊り、近くの鉢植えへと優しく降り注いだ。
「……っ! 魔力じゃないわ……間違いない、あの光の揺らぎと力の波長、間違いなく『神力』よ!」
エリシェヴァが目を丸くして叫ぶ。
「そんな、あり得ない……。神力は男性にしか扱えず、女性は魔法しか使えない。
女性の神力使いなんて、外の世界じゃ歴史上存在しないぞ……?」
ルークが愕然と呟き、自身の掌を見つめる。戦術や理詰めを重んじる彼女にとって、根底にある世界の法則が崩れ去るような光景だった。
「ええ……。マーロウ村でも、カラートシャムスでも天上神の力である神力を行使していたのは、天使や神官達、教皇アダムスだけでした……」
セレスティアも、過去の暗い記憶を思い出しながら信じ難そうに首を横に振る。
「私も、翁の力を特別に借りているから例外的に権能を使えているだけだし……。まさか、転生者以外にも神力を使える女の人がいるなんて、しかも国中の人たちが当たり前みたいに……」
ミツキは圧倒的なカルチャーショックに頭を抱えそうになった。地上では完全に常識外れの事態が、この地底の国では文字通り「日常」として溶け込んでいるのだ。
「この谷全体に満ちている、あの神力……。もしかすると、その途方もない力の巡りが、この国のそのものを根本から変えているのかもしれないわね」
エリシェヴァが少女の額に冷やした布を乗せながら、治癒師としての深い洞察を静かに口にする。
(……なるほどね。あの戦車を止めた毒の川といい、この国の成り立ちといい、謎が多すぎるよ。)
ミツキは顔を上げ、街の遥か奥、ひときわ高くそびえ立つ美しい宮殿を見据えた。
「……取り敢えずその中央の宮殿に行ってみよう。自分たち以外に神力を使える『巫女』さんたちに会えば、きっとこの国のことも、私たちがここに導かれた理由も分かるはずだから」
1話に対する文字数についてです。今迄他小説サイトと同じ感じで投稿していましたが他作品を観察した所文字数が少ないかも?と感じたのでアンケートを開催しました。今後の再編や投稿の参考にしたいと思います。
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