絶望少女と魔王達の神殺し 〜魔女狩りの世界に転生したので、神に抗います〜 作:なないろすらいむ
アマンガラの後に続いて重厚な大扉をくぐり抜けた瞬間、ミツキたちはその空間の広大さと神聖な雰囲気に思わず息をのんだ。
天井は遥か高く、そこから差し込む柔らかな光が、滑らかな床に美しい陰影を描いている。空間の中央、高く仕立てられた壇上には、黄金の刺繍が施された巨大な傘が掲げられていた。その優美な天蓋の影に、ゆったりと腰を下ろしている一人の青年がいた。
褐色で滑らかな肌に、肩まで流れる漆黒の長髪。身にまとっているのは、この国の空気のように清らかな白と鮮やかな赤の衣だ。王冠も角もなく、ただ静かに座っているだけであるにもかかわらず、その佇まいは地上のどんな聖者よりも神々しい。
これが『魔界の底』に封印されていた恐るべき魔王なのかと、ミツキたちは言葉を失って立ち尽くした。
「バリ様」
アマンガラが進み出で、深く一礼した。周囲に浮かぶ宝石たちが静かに輝きを落とす。
「本日お召し上がりになった薬草茶のお味はいかがでしたか。少し葉の煎じ加減を変えてみたのですが」
玉座の青年――バリは、伏せていた長い睫毛をゆっくりと上げ、穏やかな眼差しをアマンガラに向けた。
「ああ、とても良い香りだったよ。身体の奥までじんわりと温まった。アマンガラ、いつも細かいところまで気を配ってくれて感謝している」
「そう言っていただけて光栄です。……さて、こちらが先ほどお話しした、外の世界からやってきた者たちです」
アマンガラが振り返ると、ミツキは慌てて背筋を伸ばした。目の前の二人のやり取りがあまりにも穏やかで、先ほどまで抱いていた恐ろしい魔王のイメージがガラガラと崩れ去っていく。
バリは深い瞳でミツキたちを順に見渡し、静かに頷いた。
「遠いところをよく届いた。私はこのクル国を統べる者、バリだ。旅の者たちよ、まずは名を聞かせてもらおうか」
落ち着きのある丁寧な声だった。威圧感はなく、包み込むような温かささえ感じられる。ミツキは胸に手を当てて一歩前に出た。
「私はミツキです。こっちは仲間のエリシェヴァに、セレスティアさん、ライラ、それからルークです」
名前を呼ばれた仲間たちも、それぞれ挨拶を口にする。
「お目にかかれて光栄です、バリ様。私は治癒師のエリシェヴァと申します。この国の方々には、大変親切にしていただきました」
エリシェヴァが優しくお辞儀をすると、続いてセレスティアも背中の少女を支えながら静かに頭を下げた。
「セレスティアと申します。街を包むこの温かい魔力のおかげで、助け出したこの子もすっかり落ち着いて眠ることができました。王の深い慈悲を感じております」
「ライラです。……お風呂まで貸していただいて、本当にありがとうございました」
ライラも素直な感謝を口にする。ルークは短く
「ルークだ。お見知りおきを」
とだけ告げ、静かに控えていた。
バリはセレスティアの背中にいる少女を一目見ると、優しく目を細めた。
「無事で何よりだ。無辜の命を救った君たちの善意を嬉しく思う。それで、地上の厳しい手酷い環境からどのような経緯でこの地底まで辿り着いたのだ? 差し支えなければ聞かせてほしい」
バリの問いかけに、ミツキは地上での出来事を一つひとつ語り始めた。
狂信者たちや神官による襲撃から逃れ、毒の川を渡り、最後は逃げ場を失ってあの巨大なイリガルの谷へ飛び降りたこと。そして、この平和なクル国に辿り着いたこと。
エリシェヴァも言葉を補う。
「地上の世界は今、酷い混乱と狂気に満ちています。私たちはただ、理不尽な迫害から逃れ、生き延びるために下へ下へと進むしかありませんでした。ですが、この国に足を踏み入れたとき、あまりの平和さに夢を見ているのではないかと疑ったほどです」
「はい。あのお城から広がっていた温かい光が、この国全体を守っているのを感じて……とても不思議な気持ちになりました」
セレスティアが言葉を重ねると、バリは静かに話に耳を傾け、深いため息を漏らした。
「そうか。地上の混乱はそこまで酷くなっているのだな。君たちが受けてきた苦難、心からお察しする。だが、このクル国におりる限り、もう不当に脅かされることはない。安心して身体を休めるといい」
その温かい言葉に、ミツキの緊張はすっかりほぐれてしまった。そして、己の本来の目的を思い出して、ストレートに言葉を続けてしまったのだ。
「あの、バリさん。実は……私たちがここに来た一番の理由は、翁から頼まれたからなんです。バリさんから『シギル』を譲ってほしいって言われていて」
「――っ!?」
その瞬間、部屋の空気が跳ねた。
「なっ……何という無礼を!」
アマンガラが即座に目を見開き、顔を真っ赤にしてミツキを指差した。周囲に浮かぶ宝石たちが、主への無礼に怒るかのように激しくちりちりと硬い音を立てて砕け散らんばかりに震える。
「初対面の分際で、挨拶もそこそこに我が主にいきなりシギルを要求するなど、無礼にも程がありますよ! 翁の巫女だからと容赦してあげていれば、調子に乗って……!」
「えっ、あ、ごめんなさい! 別に奪おうとかそういうつもりじゃなくて!」
アマンガラの凄まじい剣幕に、ミツキは両手を振ってタジタジになった。ライラも「ひやあ」と声を上げてセレスティアの陰に隠れる。
「アマンガラ、落ち着きなさい」
すっと静かな声が響き、その場の怒気が一瞬で消え去った。
バリが手を軽く挙げ、頭を痛めるアマンガラを優しく宥めるように微笑んでいる。
「よいのだ、アマンガラ。遠回しな探り合いをされるより、こうして素直に目的を口にしてくれた方が私としても扱いやすい。翁の名をそのまま出すあたり、偽りなき客人の証だろう」
「ですがバリ様、あまりにも不躾です……」
アマンガラはなおも不満そうに眉をひそめていたが、主の言葉に従って渋々引き下がった。バリは再びミツキへと視線を戻し、興味深そうに目を細めた。
「さて、翁の巫女ミツキよ。君がシギルを求める理由、もう少し詳しく聞かせてもらおうか」
バリの問いかけを受け、ミツキは胸の前で両手をギュッと握りしめ、まっすぐに玉座を見上げた。
「私たちがシギルを集めてるのは、地上で続いてるあの残酷な魔女狩りと、教会の暴走を止めるためなんです。これ以上、理不尽に命を奪われる人を出したくありません。そのために、私は翁から授かった権能を解放していく必要があって、魔王たちが持っているシギルを探しています」
ミツキはそう切り出すと、自分たちが辿ってきた過酷な旅の道のりを語り始めた。
「最初は、砂漠の都市カルデア・ザフラーンでした。そこで業火の魔王イブリースに体を乗っ取られたアーリヤを救うために戦って、シギルを取り戻したんです。でも……イブリースから助け出せた直後に、教会の浄化官にアーリヤを殺されてしまいました。操られていただけの、ただの普通の女の子だったのに……罪人だからって容赦なく」
ミツキの言葉を受けて、ライラがぎゅっと自分の服の裾を掴み、胸に迫る思いを絞り出すように声を上げた。
「アーリヤは私のたった一人の大切な友達でした! 街を焼いたのは魔王のせいで、アーリヤはずっと抗ってたのに……教会の人たちは話も聞いてくれずに矢を放ったんです! 私は、そんな理不尽な悲劇を二度と繰り返してほしくありません!」
ライラの悲痛な訴えに、エリシェヴァが優しく肩を抱き寄せながら、静かに、けれど強い意志を込めて言葉を継いだ。
「ええ。その次のカラート・シャムスでも同じでした。太陽の智天使ウリエルと神官たちは、幼い子供たちを将来魔女になるであろう『穢れ』と決めつけ、火炙りにしようとしていたのです。疫病の魔王パズズは、そんな子供たちを自らの呪いで隠して守ろうとしていました。命を救うべき教会が人を殺し、恐れられる魔王が命を繋ぎ止めようとしている……そんな狂った国でした。」
「はい……私も、ウリエルたちの理不尽な火炙りの儀式を目の当たりにしました」
セレスティアも一歩前に出ると、かつて受けた心の傷を乗り越えるように、まっすぐバリを見つめた。
「教会の身勝手な正義のせいで、たくさんの子供たちや家族が苦しんでいました。私達はパズズ様からシギルを託していただき、みんなで力を合わせてウリエルを倒し、街に本物の太陽を取り戻したんです。だからこそ、私はミツキたちの力になりたいと思っています。」
セレスティアの言葉を受け、ルークが静かに言葉を繋いだ。
「僕たちはただ争いたいわけじゃない。これ以上、教会の偏執的な正義によって世界が壊されるのを防ぎたいんだ」
最後にミツキも、まっすぐな視線でバリを見つめて締めくくった。
「そのために翁の権能と、シギルが必要なんです」
仲間たちの真摯な言葉を、バリは黄金の天蓋の下で静かに受け止めていた。やがて彼は顎に手を当て、どこか遠くを見つめるような深い瞳で呟いた。
「なるほど。――翁はついにその扉を開け、すべてに決着をつけるつもりなのか……」
その呟きには、長き時を生きてきた者だけが知る深い因縁と、静かな感慨が滲んでいた。
(良かった……! ちゃんと話を聞いてくれた。これならきっと、シギルを譲ってもらえるはず……!)
伝わったという手応えを感じ、ミツキは内心でホッと胸を撫で下ろした。さっきまでの冷や汗が嘘のように引き、期待を込めてバリの次の言葉を待つ。
だが、バリの口元に浮かんだのは、どこか決定的な拒絶を含んだ静かな微笑だった。
「君たちの目的も、そこに至るまでの過酷な足跡もよく分かった。……だが、いまの君たちにシギルを預けるわけにはいかない」
「――えっ!?」
あまりにもあっさりと告げられた拒絶に、ミツキは思わず素の声を漏らした。
「そ、そんな!どうして――」
食い下がろうと身を乗り出すミツキを制するように、アマンガラが即座に前へ出た。周囲に浮かぶ宝石たちが、主への不躾な言動に反応してチリチリと激しい音を立てる。
「主のお言葉が聞こえなかったのですか? 理由がどうあれ、バリ様がお渡しになれないとおっしゃっているのです。初対面で図々しくシギルを要求しておきながら、これ以上見苦しく聞き分けるのはおやめなさい。」
「えっ、あ、ごめんなさい! その……!」
アマンガラの釣り上がった目と激しい叱咤に、ミツキは両手を振り上げて思わずタジタジになった。
「落ち着きなさい。アマンガラ」
すっと静かな声が響き、アマンガラの怒気が一瞬で霧散した。バリが手を軽く挙げ、頭を痛めるアマンガラを宥めるように柔らかく微笑んでいる。
彼の手のひと振りで、アマンガラの威圧的な雰囲気がすっと収まり、彼女は悔しそうに小さく唇を噛みながら後退した。
バリは穏やかな眼差しをミツキたちへ戻し、静かなトーンで言葉を紡ぎ始める。
「理由は単純だ。私が持つこのシギル――これに秘められた翁の権能は、これまで君たちが得てきたものとは比べものにならぬほど強力で、そして極めて危険なのだ」
「強力で……危険……?」
ミツキが呟く。その言葉を聞いた瞬間、脳裏にあのカラート・シャムスでの記憶が蘇った。パズズから託された『狂気の権能』を抑えきれず、激しい怒りに呑まれて暴走し、仲間すら傷つけそうになったあの悪夢のような光景だ。
「そうだ。今の君たちの肉体と精神のままでは、その力に呑まれ、シギルを受け取った瞬間に心が破綻しかねない。そなたの気配を見るに、すでに扱いきれぬほどの力を宿してギリギリの均衡を保っている状態だろう。これ以上、耐えきれぬ重荷を背負わせるわけにはいかないのだよ」
バリの言葉には、冷淡な拒絶ではなく、ミツキたちの命と魂を案じる深い慈悲が込められていた。
ミツキは胸の前に手を置き、唇を噛みしめた。反論したかったが、言われていることはぐうの音も出ないほど正しかった。
「そんな……。じゃあ、私はこれ以上力を解放できないってことですか……?」
「いいや。諦める必要はない」
バリは優しく首を振り、ゆったりと玉座の背もたれに身を預けた。
「シギルを受け取るにふさわしい器へと、君たち自身が成長すればよいだけの話だ。そのための手配は、すでに整えてある」
「手配、ですか?」
エリシェヴァが不思議そうに首を傾げると、バリは深みのある声で告げた。
「アガスティア連邦のムルガンだ。彼に君たちを鍛え直すよう、すでに話を通してある」
「えっ……!? ムルガンさん!?」
その名を聞いた瞬間、ミツキは思わず目を見開いて声を上げた。ライラやセレスティア、ルークの間にも一瞬で驚きが広がる。
カラート・シャムスで教皇アダムスの猛攻から自分たちを救い出し、あの不条理なまでの強さでアダムスを異次元へ吹き飛ばしてみせた、あの孔雀の羽飾りの青年。翁の使徒であり、圧倒的な実力を持つムルガンの顔が鮮明に浮かぶ。
ルークが一歩前に出で、表情を引き締めた。
「ムルガン殿に……。確かに、あの御方の元で訓練を受けられるのであれば、これ以上の望みはありません。ですが、バリ様が直接アガスティア連邦と連絡を取られていたとは……」
「私とムルガンは旧知の仲でね。彼もまた、翁の導きを受ける者として君たちの成長を気にかけていた。彼ならば、君たちが己の権能に飲み込まれぬよう、正しく力を引き出す術を教えられるだろう」
バリはそう言うと、ミツキをまっすぐに見つめた。
「彼の元で真の力を養い、シギルを扱えるだけの器となった時、再びこのクル国へ来るといい。その時こそ、私は惜しみなくシギルを預けよう」
シギルを譲る条件とムルガンへの仲介を聞かされ、ミツキたちは自分たちの未熟さを噛みしめながらも、差し伸べられた確かな道筋に深く胸を撫で下ろした。
「ムルガンさんのところで、特訓……。分かりました。私、もっと強くなって、絶対にこの力に負けない器になって戻ってきます」
ミツキが覚悟を込めて頷くと、ルークも背筋を伸ばし、一礼した。
「僕たちを導いてくださり、感謝いたします、バリ様。ムルガン殿の教えを胸に、必ずやシギルを任されるに相応しい存在となって見せますから。」
バリは満足そうに口元を緩め、ゆったりと深く頷いた。
「良い返事だ。君たちのその眼差しならば、決して道を見失うことはないだろう」
一瞬だけ緩やかになった場の空気が、バリが視線をセレスティアの背中へと移したことで、再び静謐な緊張感を帯び始めた。
セレスティアの背中には、手当てを受け、今は安心しきったように静かな寝息を立てている一人の少女が背負われている。地上で狂信者たちに痛めつけられ、ミツキたちが決死の思いで救い出した衰弱した少女だ。
「……さて。シギルの話はここまでとしよう。ところで旅の者たちよ、そなたたちが連れてきたその娘のことだが」
バリの問いかけに、セレスティアは身体を強張らせ、背中の少女を落ちないようそっと抱え直した。
「この子、ですか……? さっきエリシェヴァさんも言っていた通り、地上で恐ろしい暴行を受けていたところを助けたんです。本当にひどい状態で……」
「ええ。ですが、この国の方々の優しさと温かい魔力のおかげで、今はこうして穏やかに眠ってくれています。バリ様、もしやこの子について何かご存じなのですか?」
エリシェヴァが気遣わしげに言葉を重ねると、バリは長い睫毛を伏せ、どこか悲痛な影を落とした眼差しで少女を見つめた。
「ご存じも何も……この子は、かつて天上の世界からこの大地へ落ちてきた存在。『天女』と呼ばれる者たちの生き残りだ」
「て、天女……?」
ミツキは思わず聞き返した。アマンガラと初めて会った時にもその単語は出てきたが、当時は敵ではないと証明するための言葉としてしか受け取れていなかった。
「はい。正真正銘の天女です」
アマンガラが一歩前へ踏み出し、凛とした、けれどどこか重々しい敬語で言葉を補った。
「天女とは、単なる伝承の存在ではありません。遠い昔、天上神たちの都合によって引き裂かれ、この地上や地底へと追いやられた哀れな犠牲者たちのことですよ」
「天上神の都合? 引き裂かれたって、どういうことですか?」
ライラが不安そうに身を寄せ、身を乗り出すように尋ねる。バリは深く息を吐き出し、深く重厚な声で静かに語り始めた。
「君たちが地上で出会った教会の者たちは、天上神を崇め、天上の光こそが絶対の正義だと信じ込んでいるだろう。だが、その光の裏で何が行われてきたか……。この少女が背負う運命、そしてこのクル国がどのような悲劇の上に築かれたのか、その真実を知れば君たちは驚愕することになる」
バリの言葉には、数百年もの間、地底の暗闇に刻まれてきた深い怒りと切ない哀愁が満ちていた。
ミツキたちは息を呑み、息を詰めてバリの次の言葉を待った。ただならぬ気配を感じ取ったセレスティアの手が、背中の少女の身体をより強く抱きしめる。
楽園のように平和なクル国と、その根底に流れる「天女」の残酷な歴史。その扉が、バリの口から静かに開かれようとしていた。
1話に対する文字数についてです。今迄他小説サイトと同じ感じで投稿していましたが他作品を観察した所文字数が少ないかも?と感じたのでアンケートを開催しました。今後の再編や投稿の参考にしたいと思います。
-
文字数が多い
-
文字数がちょうど良い
-
文字数が少ない