絶望少女と魔王達の神殺し 〜魔女狩りの世界に転生したので、神に抗います〜 作:なないろすらいむ
バリは長い睫毛を伏せ、遠い記憶を辿るように語り始めた。
「――今の天女たちは、意志も知恵も持たぬ、ただ空っぽな器だ。だが、かつては違った」
セレスティアが背中の少女をそっと抱き直しながら、静かに息を呑んだ。
「そう。かつてこの地には、大地の神々と精霊たちが暮らし、その中に一柱の知恵の女神がいた。名をニンスンという」
「ニンスン様……」
アマンガラが、小さく呟いた。バリはそんな彼女を一瞥し、言葉を継ぐ。
「ニンスンは、魔王ジャランダラと共にこの地――サントーンカーシャヘルを治めていた。彼女の加護のもと、天女たちは知恵と意志を持ち、人々に寄り添う存在だったのだ。争いのない、豊かな時代だった」
「え……天女って、それに、ジャランダラって!」
ミツキが思わず声を漏らす。バリの深い瞳が、彼女をまっすぐに見据えた。
――ジャランダラ、翁が話していたアヤメと契約した魔王の名前だ。
「そうだ。今のように、神官に言われるがままに動き、いずれ死が訪れることを待つだけの、抜け殻のような存在ではなかった。だが天上神どもが、再びこの地に牙を剥いた」
バリの声に、初めて明確な怒りの色が滲んだ。
「ジャランダラは謀られて殺された。ニンスンもまた、魔女の烙印を押されて処刑された。……知恵の女神を失った天女たちがどうなったか、想像がつくか」
エリシェヴァが息を呑み、震える声で答えた。
「まさか……ニンスン様が守っていた、加護そのものが……」
「その通りだ」
バリは静かに、しかし重く頷いた。
「ニンスンという柱を失った天女たちは、意志も知性も失い、ただ天上神の理に従うだけの器へと成り果てた。神官どもが天女を『物言わぬ清き乙女』と崇めているのは、彼女たちが人としての心を奪われた結果に過ぎないというのに」
その言葉に、セレスティアの腕の中で眠る少女の寝顔が、いっそう痛ましいものに見えてくる。ライラが涙をこらえるように唇を噛んだ。
「そんな……意志も感情もなく、何も分からないまま生きてるだけなんて……」
「哀れなことだ。だが、話はまだ終わらない」
バリは玉座の肘掛けに手を置き、続けた。
「ニンスンを失ったこの地に、天上神は再び統治の手を伸ばそうとした。だが、思わぬ形でそれは阻まれることになる」
ライラが小さく首を傾げ、続きを促すように身を乗り出す。
「ジャランダラが遺した呪いだ。彼が処刑される間際にかけたその呪いにより、この地の川や海の大半は、人が触れれば即座に死に至る毒の沼と化した。天上神どもが手をこまねいている間に――東方より、また別の魔王が攻め入ってきたのだ」
『――あァ、テメェらが何も知らねェのは百も承知だ。だから言われた通りに動け。二つ目だ。水辺へは絶対に近づくな。川だろうが湖だろうが、水の一滴にすら触れるんじゃねェぞ』
ミツキの脳裏に、東の森を逃げ惑ったあの夜の光景が鮮明に蘇った。ラーヴァナの警告、追手だった神官兵たちが赤黒い濁流に触れた瞬間、肉も骨も一瞬で溶け落ちていった、あの理不尽なまでの即死。
(あれ……ただの毒の川とかじゃなくて。ジャランダラっていう魔王の、呪いそのものだったんだ……)
得体の知れない恐怖でしかなかったあの光景に、ようやく名前と輪郭が与えられていく感覚だった。ルークもまた、同じ記憶を辿ったのだろう、微かに息を呑む気配がミツキの隣から伝わってくる。
「その魔王が、今のサントーンカーシャヘルを……?」
ライラの問いかけに、バリは静かに頷いた。
「文明の魔王、ラーヴァナ。彼はこの毒に阻まれた天上神を尻目に、たちまちこの地を掌握した。奇しくも、彼の統治のもとサントーンカーシャヘルは、かつてないほど高度な文明を築くに至った」
バリは静かに息をつき、続けた。
「だが天上神にとって、魔王の統治する繁栄など到底許せるものではない。そこで彼らは、ラーヴァナを討つため、天上界の穢れなき土から一体の超人を創り出した」
「――っ!? 待ってください」
エリシェヴァが、戸惑いを隠せぬまま口を挟んだ。
「私が教会で教わったのは、天上神様御自身の裁きによって、文明の魔王が滅ぼされたという話でした。超人などという存在が介在したなど、聞いたことがありません」
セレスティアも小さく頷き、不安げにバリを見上げる。バリは二人の反応に、あぁ、というように静かに目を細めた。責めるでもなく、ただ哀れむような色を瞳に湛えている。
「――そうか。地上ではそう伝えられているのだな」
「違うのですか……?」
「違う」
バリは短く、しかし確かな声で否定した。
「ラーヴァナを討ったのは、天上神自身ではない。彼らが人間界に送り込んだ、一体の超人だ」
エリシェヴァとセレスティアは、顔を見合わせた。困惑がありありと浮かんでいる。ミツキとルークだけが、静かにその名を胸の中で反芻していた。かつてラーヴァナ本人と、アスタロトから聞かされた真実。二人の中では、既に繋がっている話だった。
「……やっぱり、そうだったんだね」
ルークが静かに呟いた。エリシェヴァが驚いたように振り返る。
「ルーク……? どういうこと、知ってたの?」
「うん。実はカルデア・ザフラーンにいた時に、アスタロト様から聞いたことがあるんだ。ラーヴァナを討ったのは超人だったって。……あの時は正直、半信半疑だったけど。バリ様の口から同じ話が出てくるなら、間違いないんだと思う」
「ですが……村の教会でそんな超人がいたなど、聞いたことが……」
セレスティアが言い淀む。バリは深く息を吐き、玉座の背に身を預けた。
「無理もない。彼は天上神への反逆の罰として、人間界から存在そのものを消された。魔界の魔王たちや、この私、地主神たちですら――彼が確かにいたことは覚えていても、その名だけはどうしても思い出せんのだ」
ライラが眉をひそめ、自分の記憶を探るように視線を宙にさまよわせた。
「名前だけ……そんなことが、本当にあり得るんですか?」
バリは苦く笑った。
「考えてみるといい。今この瞬間、彼の顔も、成し遂げた功績も、確かに脳裏にある。だが名を呼ぼうとした瞬間、それだけがすり抜けていく。天上神の理とは、それほどまでに残酷で、徹底している」
その言葉に、ルークの表情がわずかに翳った。
エリシェヴァは胸の前で手を握りしめ、震える声で呟いた。
「教会は、天上神様の栄光として語っていたことが、本当は名前さえ奪われた誰かの犠牲の上に成り立っていたなんて……」
「そうだ」
バリは静かに、けれど重く頷いた。
「地上に伝わる歴史の多くは、天上神に都合よく塗り替えられている。それが、この世界の理不尽の正体だ」
そして――と、バリは続けた。
「彼が土へと還ったその瞬間、大地そのものが、彼の力で歪んだ」
ミツキとルークの間に、緊張が走る。二人にとっても、ここから先は初めて聞く話だった。
「彼が最期に空間を引き裂いた傷跡こそが、このイリガルの谷だ。かつて一つだった国は、この巨大な渓谷によって東西に引き裂かれ、西をサントーンカーシャヘル、東をアガスティア連邦と呼ぶようになった。そして谷底――魔界と人間界の狭間となったこの地に、行き場を失った者たちが流れ着き、いつしか国を成した。それが、私の治めるクル国だ」
ミツキは思わず声を上げた。
「じゃあ、この国自体が……その方が命を懸けて作った場所ってことですか……」
「命を懸けた、というより――ある選択の果てに、世界を裂いた、と言った方が正しいだろうな。だが結果として、行き場のない者や、地上で穢れとされた者たちの居場所になったのは、救いだったと言えるかもしれない」
バリは一度言葉を切り、アマンガラへ視線を移す。彼女は静かに一礼し、代わって語り始めた。
「そしてもう一つ、旅の方々が地上で目にしてきたであろう不可解な現象――女性が神力を使えるという、本来ありえない事態についても。これも、彼が土へと還ったことに起因します」
ミツキとエリシェヴァが、はっと顔を上げた。まさか、という表情が二人の間に広がる。
「彼が大地に還った際、この一帯の土壌そのものが深く汚染されました。本来、天上神の理では神力は男にしか許されぬもの。ですがその理を縛る大地そのものが乱れたことで、女性はおろか、未亡人や奴隷等――穢れとされた者たちにまで、神力が宿ってしまうようになったのです」
「そうか、だから……地上の神官達は、私達を……」
セレスティアが青ざめた顔で呟く。バリが静かにその後を継いだ。
「地上の神官達が女を処刑して回っているのは、まさにその『理の乱れ』を正すためだ。天上神にとって、女が神の力を振るうこと自体が、許しがたい冒涜なのだよ。……彼は、怒りに任せてこの地を裂いたわけではない。ただその選択の代償が、結果として天上神の理そのものを揺るがし続けている」
沈黙が場を支配した。ミツキは膝の上で拳を握りしめる。知らなかった歴史の重さが、一気に肩にのしかかってくるようだった。
「……この子も、その被害者の一人ってことですね」
セレスティアの背で眠る少女を見つめ、ミツキは静かに、しかしはっきりと言った。バリは深く頷く。
「そうだ。知恵の女神という守り手を失い、意志を奪われたまま地上に落とされ、なお穢れとして迫害される――天女とは、この地の歴史そのものが生んだ、最も理不尽な犠牲者と言っていい」
「…………………」
バリの言葉が静かに玉座の間に染み渡り、誰も言葉を発せぬまま、重い沈黙だけが場を支配していた。
その時沈黙を破ったのは、小さな身じろぎだった。
「……ん……」
セレスティアの背中で、消え入りそうな声が漏れた。
「っ……この子……!」
セレスティアが弾かれたように振り返る。閉じられていた少女の瞼が、幾度か震えるように瞬きを繰り返し、やがてゆっくりと開かれた。焦点の定まらない虚ろな瞳が、ぼんやりと宙を彷徨う。
「大丈夫? 私が分かる? ここは安全だから、怖がらなくていいのよ」
エリシェヴァが素早く歩み寄り、少女の顔を覗き込みながら、慈しむような声をかけた。少女はしばらく、まるで初めて光を見た生き物のように瞬きを繰り返していたが、やがてエリシェヴァの声に反応するように、ほんのわずかに首を傾けた。
「……あ……」
言葉にならない吐息のような声。意志の光はまだ薄く、どこか幼子のように頼りない。だが、確かにこの少女は、今、目を覚ましたのだ。
「よかった……本当に、よかった……」
セレスティアが涙ぐみながら、少女の頭をそっと撫でる。ライラもほっと胸を撫で下ろし、小さく微笑んだ。
その様子を静かに見守っていたバリが、玉座からゆっくりと立ち上がった。
「――目を覚ましたか。何よりだ」
バリの声に、少女がびくりと肩を震わせる。まだこの世界そのものへの怯えが、身体の奥に刻み込まれているのだろう。バリはそれを察したように、それ以上近づくことなく、静かに言葉を継いだ。
「旅の者たちよ。この子については、私から一つ提案がある」
「提案、ですか?」
ミツキが顔を上げると、バリは深い瞳で少女を見つめながら、ゆっくりと語った。
「この子を、これから先の危険な旅路へ連れていくのは、あまりに酷だ。まだ意志も定まらず、己の身を守る術も持たない。……もしよければ、この子はクル国で預からせてもらえないだろうか。ここならば、地上の狂気に脅かされることもなく、ゆっくりと心を癒していける」
セレスティアが少女を抱きしめる腕に、思わず力がこもった。
「……この子と、離れるということですか」
「ああ。だが、見捨てるという意味ではない。この国の巫女たちが、責任を持ってこの子に寄り添おう。そなたたちが再びここへ戻る日まで、必ず守り抜くと約束する」
アマンガラも静かに一歩前へ出て、頷いた。
「私たちも、天女という存在の哀しみを誰よりも知っています。この子を、蔑ろにするようなことは決してありません」
ミツキは、セレスティアの腕の中で瞬きを繰り返す少女を見つめた。まだ何も語れず、ただ庇護されるだけの、あまりにも小さな命。連れて歩けば、この先の戦いに巻き込んでしまう。だが置いていけば、それもまた一つの別れだ。
「……セレスティアさんは、どう思う?」
ミツキが静かに問いかけると、セレスティアはしばらく少女の頭を撫で続けた後、涙を拭って顔を上げた。
「……この子のためを思うなら、それが一番だと思います。魔女である私たちと一緒にいたら、いつかこの子まで傷つけてしまうかもしれない。ここでなら、きっと安心して眠れます」
「そっか……」
ミツキは小さく頷き、バリへと向き直った。
「分かりました。この子のこと、お願いします」
「承知した。任せておくといい」
バリが穏やかに頷くと、控えていた若い巫女の一人が静かに歩み寄り、少女をそっと抱き上げた。セレスティアはその手に自分の手を重ね、少女の耳元に顔を寄せる。
「必ず、また会いに来るから。それまで、ゆっくり休んでいてね」
少女は答えなかった。だが、その虚ろな瞳が一瞬だけ、セレスティアの顔をじっと見つめたような気がした。
巫女に連れられ、少女の姿が奥の間へと消えていく。その後ろ姿を見送りながら、玉座の間には、これまでとは違う、静かな安堵と、わずかな寂しさの入り混じった空気が満ちていった。
1話に対する文字数についてです。今迄他小説サイトと同じ感じで投稿していましたが他作品を観察した所文字数が少ないかも?と感じたのでアンケートを開催しました。今後の再編や投稿の参考にしたいと思います。
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