絶望少女と魔王達の神殺し 〜魔女狩りの世界に転生したので、神に抗います〜 作:なないろすらいむ
――それはまだ、街が炎に呑まれるよりも前の記憶。
果てしなく続く砂漠の道。昼は焼けるような陽射し、夜は骨の髄まで凍える寒風。その過酷な道を、鉄の鎖に繋がれた子供たちが歩かされていた。
足首を縛る鉄の環が擦れて血をにじませ、乾いた砂が傷口に入り込み、痛みに呻き声を漏らす。鉄輪の荷車が砂を削る音と、商人たちの怒鳴り声が絶え間なく響いた。
「……ったく、砂が靴に入りっぱなしじゃない。歩かされるこっちの身にもなってよ」
列の中央で、赤茶の髪を後ろで結んだ少女――アーリヤが不満を吐き出した。
彼女の頬には汗と砂がこびりつき、額の下には怒りの火が燃えている。まだ年若いのに、その瞳は獲物を睨む猛禽のように強気だった。
「アーリヤ、声が大きい」
隣を歩くライラが小声でたしなめる。
黒い髪は煤と汗に濡れ、肩に張り付いている。だがその眼差しは冷静で、周囲を測るように鋭い。落ち着いた声は、不安に駆られる仲間たちをわずかに和らげた。
「商人に聞かれたら……」
「分かってるって! でも、腹が立つのよ。好き勝手に人を鎖でつないで、牛馬みたいに扱ってさ。絶対いつかぶっ飛ばしてやるんだから」
アーリヤは唇を噛み、鎖をガチャガチャと揺らす。
その時だった。
「うっ、うわああっ!」
列の前方から痩せこけた少年が抜け出すのが見えた。
「奴隷が逃げ出したぞ!」
「こ、このガキ! とっちめてやる!」
商人たちが逃げた少年を捕まえようと即座に追いかけた。
「やめろっ! こっちへ来るなああ!」
少年は何とか外したであろう鎖を振り回し商人たちに抵抗、乱闘状態になってしまった。
「――せっかくの商品をこんな形で無駄にはしたくないが……こんなに暴れられちゃあ仕方ないなぁ」
先頭の荷車にいた奴隷商人がゆっくりと振り返る。
痩せぎすの顔に浮かぶ薄ら笑い。男は懐から、銀色に鈍く光る小さな鈴を取り出した。
――チリン。
乾いた砂漠に澄んだ音が響いた瞬間、列の前方にいた少年が膝から崩れ落ちた。
「っ……あ、あぁ……」
少年の瞳は虚ろになり、光を失った人形のようにだらりと崩れ落ちる。口から涎を垂らし、二度と立ち上がることはなかった。
「やめろッ!」
アーリヤが叫ぶが、鎖は無情に引かれ、彼女は前へ引きずられる。
「……見たでしょ」
ライラの顔は蒼白だった。
彼女の小さな肩が震え、乾いた唇から低い声が漏れる。
「逆らったら、あの鈴を鳴らされる。……二度と戻れなくなる」
「……っ」
アーリヤは悔しげに唇を噛み切った。血がにじみ、砂に落ちてすぐに乾く。怒りの炎は消えないが、今はその炎を叩きつける場所がなかった。
奴隷商人たちは周到だった。輸送の際、子供たちは同郷同士で固められず、全員が違う地域出身になるようにバラバラに組まれていた。意思疎通を困難にするための策略だ。
だから、アーリヤとライラも出身地は違う。微妙に訛った言葉が交じるが――それでも、過酷な日々を共にするうち、自然と心は寄り添っていった。
数週間後。
二人は他の奴隷たちよりも比較的栄養状態がよかったためか、高値でザビール家に買い取られ、ついにカルデア・ザフラーンの中心に聳える館に連れ込まれた。
白亜の大理石の床、壁に掛けられた豪奢な絵画、金細工のランプ。
見た目は華やかだが、奴隷たちにとっては牢獄だった。
「水を持ってこい! 遅いぞ!」
「食器を磨け! 曇り一つでも残っていたら皮を剥ぐからな!」
館内では怒号と鞭の音が飛び交い、子供たちはひたすら走り回る。
教会の目をかいくぐるためか、館には大量の隠し部屋や裏部屋が存在し、奴隷はそこで昼夜問わず酷使されていた。
アーリヤは皿を抱えて駆け回り、ライラは床に膝をついて掃除をした。息を切らす二人に、容赦は一切なかった。
「……クソッ、いつか絶対ここから逃げてやる」
夜、藁の寝床に体を投げ出し、アーリヤは低く呟いた。拳を握る音が闇に響く。
「そうね」
ライラは小さく笑みを浮かべ、隣で体を横たえながら答える。
「でも今は耐えるしかない。命を繋がなきゃ、夢も叶えられない」
「ライラはさ、なんでそんなに落ち着いていられるの? あたしはもう我慢できないのに」
「誰かが冷静でいなきゃ、二人とも潰れる。……それに」
ライラは目を閉じ、ほんの少し優しく笑った。
「一緒に生き延びたいから」
「……ふん、勝手に守ろうなんて思わないでよね。あたしだって、ライラを守るんだから」
アーリヤは真っ赤になった顔を隠すように背を向けた。
二人は夜ごと小声で夢を語った。
――いつか、この館を抜け出して、自由になる。
そんなある夜だった。
食器を片付けるために廊下を歩いていたアーリヤの耳に、かすかな声が届いた。
『……助けて……』
「……え?」
誰もいないはずの廊下。だが確かに、耳に届いた。
声は女たちの合唱のようだった。アーリヤは桶を置き、足音を殺して声の方へ向かう。
『──私たちも、この館の貴族たちに騙されて閉じ込められているの……助けて。そしたら、あなたもこの館から出してあげる……』
「誰? どこにいるの?」
既に何人かアーリヤとすれ違っているはずが、誰も館を勝手に歩き回る彼女のことを気にも留めない。
不気味な静寂の中、声に導かれるように奥へ奥へと進んでいく。
足元に影が伸びる。声に導かれるように、アーリヤは図書館へと足を踏み入れた。図書館の扉は重く、いつもは鍵がかかっている。だが、その夜に限って、鍵は開いていた。
高い天井まで続く本棚。月光が差し込む窓から舞い落ちる砂埃。
本棚の列のあいだから冷たい風が吹き、ページの匂いがする。声はさらに奥へと誘う。まるで道筋を知っているかのように、右へ、左へ。アーリヤは自分がどれほど奥深く入り込んでいるのか、すぐにはわからなくなった。
やがて本棚の一角が途切れ、石の壁が現れる。壁面には古いレリーフが刻まれており、砂に埋もれた太陽と、周囲に踊る炎、そして見慣れぬ紋章。
『──そこ、押して』
「……ここ?」
囁きに従い、指先でレリーフの中心を探る。冷たい石が、わずかに沈んだ。
重い音と共に壁が開き、地下へと続く石階段が現れる。
奥に進むと、そこには石造りの小部屋があった。壁や天井、床じゅうに見慣れない文字や、不気味な魔法陣のようなものが描かれていて、中央には奇妙な石板が鎮座していた。
『触れて……解き放って……そしたら、みんなを自由にしてあげる……』
アーリヤの心臓が跳ね上がった。
「……これに触れれば……ライラと一緒に出られる……?」
『そう。みんなこの館から出て自由になれる』
迷いを断ち切るように、彼女は石板に手を伸ばした。
---
視界が裏返り、全身が炎に呑まれた。
足が地面を見つけた時、そこは館ではなかった。天も地もない空間。空気は乾いた香の匂いで満ち、遠くで砂が歌う。
目の前に、黒い衣と銀色の鎖をまとった天使が座していた。背中の大きな黒い翼は、先が炎のように赤く輝いていた。名を問うまでもない。業火の魔王――イブリース。
「ようこそ、アーリヤ」
耳に響く声は先ほどのものと同じ。だが嘲笑が混じっていた。
「なっ……! あなたが、あの声の主……?」
背筋に冷たいものが走る。
「ザビールに囚われ、鞭で生活を刻まれてきたのだろう? 私は知っている。お前の恐れも、怒りも、願いも」
「……助けてくれるの?」
「無論だとも。お前が望めば、お前の仲間も、あの忌まわしい館から解き放ってやろう」
どこかで、さっきの囁きが重なる。私たちも閉じ込められている、と。
アーリヤはぎゅっと目を閉じ、ライラの手を思い浮かべた。乾いた指先の温度。笑い声。シーツの影の約束。
「お願い。私と、皆を自由にして……」
魔王は笑った。美しく、酷薄に。
「哀れな娘」
その声は囁くような女の声から、地の底から響くような低い男の声へと変わった。
炎が渦を巻き、アーリヤの身体を覆う。必死に抗うが、全身が灼熱に絡め取られ、意識が溶けていく。
「なっ……やめろ……私の身体を勝手に……!」
その叫びは炎にかき消された。
---
「ぎゃあああっ! やめてくれえええっ!」
「ひっ、こっちにも炎が!」
「熱い! 熱いよおっ!」
アーリヤ《イブリース》により館中が一瞬にして火の海となった。
窓という窓から炎が吹き、柱は溶け、瓦は空に舞い上がって燃え尽きる。
炎で焼かれる貴族たちの悲鳴がこだまし、庭の噴水の水は一瞬で白い蒸気に変わり、石畳は飴のようにぐにゃりと歪んだ。
「た、助けて……っ」
誰かが跪いて祈る。天上神の名を呼んだのかもしれない。だが炎は神の名に用はない。
アーリヤ《イブリース》はほんの少し首を傾げ、軽く息を吐いた。その吐息に触れた空気が、祈りごと燃え尽きた。
この館の当主、マリク・ザビールの私室の扉も、金細工も、金庫も、同じだった。欲と恐怖の臭いだけを残して、すべては灰になった。
「はあっ……はっ……。アーリヤ!? どこなの!?」
ライラが叫び、必死に走る。裏部屋に奴隷たちを隠していたのが皮肉にも幸いした。そこは使用人だけが知る物置列で、壁の奥に奴隷や禁輸品の搬入用の隠し回廊が通っている。見張り達が部屋の外で次々とイブリースの炎に巻き込まれる中、彼らは隙をついてそこから館を脱出していたのだ。
「あの炎じゃもう助からないよ。逃げよう、ライラ!」
他の奴隷たちがライラを止めようとするも、ライラはそれを振り切り再び館の方へと駆け出した。
イブリースの炎は館だけでは収まらず、次第に街中を呑み込んでいった。
空は炎で赤く染まり建物は無残に崩れ落ち、街じゅうから悲鳴が聞こえる……カルデア・ザフラーンの街は正に地獄絵図と化していた。
「アーリヤっ! どこにいるの、アーリヤ!」
ライラはアーリヤを探し、崩れた館を走り回る。
熱が足元から突き上がり、壁が赤く透ける。息ができない。目が痛い、でも走る。
階段は炎で塞がれ、別の回廊は崩れ落ちた瓦礫で満ちていた。
「……あ、アーリヤ……?」
かつて館の応接間だった場所にアーリヤは佇んでいた。ライラの問いかけに答えるようにアーリヤは振り向いた。
――だがその瞳は赤黒く濁り、炎の形の虹彩が浮かび、唇が歪んだ笑みを作る。もう彼女ではなかった。
炎が爆ぜ、館は崩れ落ちる。既にザビール家の者たちは、誰一人として生きていなかった。
「いやあああああッ!」
ライラは思わず悲鳴をあげた。
街全体が炎に呑まれ、夜空を真紅に染め上げていく。
有無を言わせず、イブリースの炎が彼女を包み込もうとする――その時だった。
「こっち!」
誰かの声が炎を切り裂くように響いた。次の瞬間、世界が捻れた。廊下が横に曲がり、床が布のように波打ち、炎が遠ざかる。
「っ!?」
「ふう……危なかったね」
にこやかな声。見上げれば、目の前に立っていたのは、黒髪に緑と金色の服を着た、真紅の瞳の少年だった。
少年の後ろには怯えた老人、男女、子供たち……そして自分と同じく館で酷使されていた奴隷たちがいた。
「もう少し遅ければ、君もあの炎に飲まれてるところだったよ」
ライラは震える声で問う。
「……アーリヤは……アーリヤはどうなっちゃったの……!?」
「それは……」
少年は口ごもり、静かに視線を伏せた。
紅蓮に沈む街を背に、ライラは涙をこらえきれず叫んだ。
「アーリヤああああああッ!」
1話に対する文字数についてです。今迄他小説サイトと同じ感じで投稿していましたが他作品を観察した所文字数が少ないかも?と感じたのでアンケートを開催しました。今後の再編や投稿の参考にしたいと思います。
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