絶望少女と魔王達の神殺し 〜魔女狩りの世界に転生したので、神に抗います〜   作:なないろすらいむ

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第5話 魔王ベルゼブブ

目の前に広がったのは、森とも荒野ともつかぬ空間だった。苔むした石柱が立ち並び、壁には見たことのない古い文字が刻まれている。高い天井は緑の光に揺れ、湿った空気に草の香りが混じっていた。 まるで時間が止まった古びた神殿のようだった。

 

(ここが 魔王の座する場所。)

 

中央には、青年の姿をした存在が立っていた。 淡い茶髪が肩に流れ、草原を思わせる深緑の瞳が二人を見つめている。 背には蛾のように透けた翅と、焦げた羽根が混じる歪んだ翼。 かつて豊穣の神と呼ばれ、今は魔王とされるベルゼブブだった。

 

「ようこそ、私の領域へ」

 

その声は穏やかだった。

エリシェヴァはひざまずき、深く頭を垂れた。

 

「ベルゼブブ様。この方が、私を救ってくださったミツキ様です」

 

その声には敬意と、かすかな緊張が滲んでいた。 ミツキはそれを感じ取り、そっと彼女の肩に手を置く。

ベルゼブブの視線がエリシェヴァへ向いた。

 

「人前で魔法を使うとは……危なかった。心配したよ」

 

叱責よりも気遣いの色が濃い言葉だった。

エリシェヴァは肩を震わせ、顔を上げる。

 

「申し訳ありません、ベルゼブブ様。あの子を放っておけなくて」

 

罪悪感と忠誠が入り混じった瞳。 ミツキは微笑みながら口を開いた。

 

「君は正しいことをしたよ、エリシェヴァ」

 

ベルゼブブは静かに頷き、今度はミツキを見る。

 

「君が……“翁”に遣わされた者なのだね」

 

ミツキの胸がわずかに震えた。 翁の名――それは彼女の使命の核心に触れる言葉だった。

だが視線を逸らさず、真っ直ぐ答える。

 

「ええ。私は翁の意志を継いでいます。アダムスと教会の暴走を止めたい。そのために、あなたの“シギル”を私に託してほしいの」

 

紅いドレスが緑の光を受けて揺れる。 その声に迷いはなかった。

ベルゼブブはしばらく彼女を見つめ、小さく息を吐く。

 

「人を救うために、魔を頼るこの世界では異端の道だ。だが、異端であるがゆえに真実を映すこともある」

 

「異端で構わない」

 

ミツキは即答した。

 

「私は、もう誰かが泣くのを見たくないから」

 

ベルゼブブは目を細め、柔らかく微笑む。

 

「その覚悟、確かに受け取ったよ」

 

彼の掌に緑の光が灯り、複雑な紋章が形を結ぶ。 それは生き物のように脈動し、羽音にも似た響きを放っていた。

 

「これは私の“シギル”。翁の権能を開く鍵となるものだ。受け取りなさい」

 

光がミツキの胸へ吸い込まれる。

灼熱の奔流が全身を駆け抜けた。 心臓が激しく脈打ち、まるで命そのものを焼かれるような感覚に襲われる。

 

「ミツキ!?」

 

エリシェヴァが慌てて手を伸ばす。

ミツキは膝をつきながらも、小さく笑った。

 

「大丈夫、ちょっと熱いだけ」

 

その瞬間、遠い深淵から“翁”の声が響いた。

 

《……これで二つ目だ。“破壊の権能”――我が力の片鱗。教皇アダムスを討ち、天上界への道を切り開くために使いなさい》

 

冷たく、それでいて圧倒的な力を帯びた声だった。

ミツキの胸に刻まれたシギルが脈動する。

 

(ありがとう翁。この力必ず役立に立てるよ)

 

彼女はゆっくりと立ち上がり、ベルゼブブを見つめた。

ベルゼブブは静かに告げる。

 

「重い力だ。だが、君なら背負えるだろう。どうかエリシェヴァを守ってやってほしい。そして、自分自身の心も見失わないでほしい」

 

ミツキは胸の奥を突かれたように一瞬俯く。 だがすぐに顔を上げ、微笑んだ。

 

「ありがとうございます。この力、必ず役立てます」

 

エリシェヴァがそっとミツキの手を握る。

 

「ミツキ、ありがとう」

 

その温もりに、ミツキの表情も少し和らいだ。

ベルゼブブは穏やかな笑みを浮かべる。

 

「ならば行くといい。君たちの旅路に、豊穣の恵みがあらんことを」

 

緑の光が薄れ、神殿の空間が揺らぐ。 二人の体は浮かび上がり、ゆっくりと現世へ引き戻されていく。

ミツキはエリシェヴァの手を握り返したまま、新たに宿った力の鼓動を胸の奥に感じていた。

 

緑の光が収まると、二人は再び静まり返った廃屋へと戻っていた。

 

神殿での緊張とシギルを受け取った疲労からか、エリシェヴァは毛布に包まれると、ほどなくして安らかな寝息を立て始めた。

 

その隣で静かに瞳を閉じたミツキは、深い暗闇の底へと意識を沈めていく──。

 

──闇の世界。

 

ミツキの意識が静かに引き込まれる。

 

澄んだ空には無数の泡のような光がきらめき、虚空には黒い大樹がそびえていた。幹は太くねじれ、枝は空を覆うように広がる。根元には赤い彼岸花が咲き乱れ、地面を血のような色で染めていた。

 

花弁は風もないのにわずかに揺れ、甘い腐敗の香りが漂う。幹には無数の傷跡が刻まれ、魂の叫びのようにも見えた。

 

花の間を小さな虫が這い、かすかな羽音が響く。

 

闇の空気は重く、息を吸うたび胸の奥へ冷たさが染み込んでくる。

 

――ここは、ミツキの夢の奥底に広がる異空間。

 

孤独と静寂に満ちているはずなのに、どこか懐かしさも感じさせた。

 

大樹の根元には、一人の青年が立っていた。

 

長い黒髪が風もないのに揺れ、褐色の肌に黄金の瞳が闇を貫いている。整った顔立ちは美しく、だが底知れない気配を纏っていた。

 

それでも、その瞳の奥には一瞬だけ孤独の色が滲んでいる。

 

「また会ったな、ミツキ」

 

翁の声は落ち着いていて、わずかに柔らかさを含んでいた。

 

ミツキは唇を尖らせる。

 

「……人を勝手に呼びつけるの、やめてくれません? 毎回夢の中で、疲れるんですけど」

 

軽い口調だった。

 

翁は小さく微笑む。

 

「夢の中でしか語れぬのだ。許せ」

 

ミツキは肩をすくめ、それ以上は追及しなかった。

 

「それで、今夜は何の用? また使命の話?」

 

翁の黄金の瞳が静かに光る。

 

「お前の使命を、改めて告げるためだ。この世界を縛る教会と、その頂に立つアダムスを討て。そしてシギルを集め、全能神の住まう天上界への扉を開くのだ」

 

重い言葉が静かに響く。

 

ミツキは小さく息を吐いた。

 

「……やっぱり、そこまでやらなきゃいけないんだね。ベルゼブブのシギルは受け取ったけど……正直重いよ、この力」

 

胸に手を当てると、シギルが脈打つ感覚が返ってくる。

翁は問いかけた。

 

「恐れるか?」

 

ミツキは即答する。

 

「ううん。ただ、面倒くさいってだけ」

 

苦笑混じりの返答だった。

翁は一瞬だけ目を細める。

 

「お前は時に強がるな。孤独を恐れているのではないか?」

 

その言葉に、ミツキの胸がわずかに痛んだ。

 

だが首を横に振る。

 

「それは違う。エリシェヴァみたいな仲間がいるから、もう一人じゃないよ」

 

少し間を置いて続ける。

 

「翁こそ、ずっとここにいるみたいだけど……大丈夫なの?」

 

黄金の瞳がかすかに揺れた。

 

「私のことは気にするな。お前は、自分の心を大切にしろ」

 

ミツキは苦笑する。

 

「大切にするよ。でも、翁の使命、絶対に果たすから。エリシェヴァを救ったように、他の魔女たちも守る」

 

翁は深く頷いた。

 

「その言葉、信じよう」

 

静かな声だった。

 

「お前の仲間は、君の強さだ」

 

ミツキはふっと笑う。

 

それを見て、翁の表情もわずかに和らいだ。

 

「約束しよう」

 

彼岸花が揺れ、星空が淡く瞬く。

 

やがて夢の世界は音もなく崩れ始めた。

 

ミツキは目を覚ます。

 

夜明け前の静寂の中、隣から聞こえるエリシェヴァの寝息が耳に届く。

 

穏やかな呼吸音を聞きながら、ミツキは天井を見上げた。

 

(理由は言えない。でも、この世界を、魔女たちを、絶対に救ってみせる)

 

胸の奥で静かに誓い、再び目を閉じる。

 

廃屋には焚き火の残り火だけが揺れていた。

 

 

 




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