ギレンの碁   作:なほやん

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第3話

 

「で、白スーツのオッサンに捕まったと思ったら、今度は碁会所でアキラのオヤジと打つことになって、その時パチっとこう……」

 

夕暮れの公園で、ヒカルは身振り手振りを交えながら、塔矢アキラの父、プロ棋士塔矢行洋との対局について熱く語る。

 

もちろん、数手打っただけで怖くなって逃げ出したなんてことはレンには言わなかった。

 

そして、ヒカルは手にしていた小石を振りかぶり……

 

ズボ。

 

小石は勢い余ってヒカルの手からすっぽ抜け、あらぬ方向へと飛んでいく。

 

「あー……」

 

ベンチに座ったレンが口角を上げるのを見て、ヒカルは頬を膨らませる。

 

「笑うなよ!でも、あの時初めてオレが自分で打ちたいってとこがあったんだ」

 

ヒカルの言葉に、レンの表情がわずかに変わる。

 

「ほう?では今までは自分で打っていなかったと」

 

「え、いや……」

 

ヒカルは慌てて口ごもり、レンのじっとした視線に、冷や汗が浮かぶ。

 

「あ、そうだ!対局中にアキラのオヤジ言ってたぜ?『レン君にも一度会ってみたい』って。なんかアキラがレンのことをオレの師匠だと思ってるって……」

 

「それはそれは。身に余る光栄だな。で、なんと答えた」

 

レンの皮肉を知ってか知らずか、ヒカルは誇らしげに答える。

 

「うまくごまかしといたぜ!まだ一局も打ってくれてないし、って。まあそれは実際本当だし……」

 

ヒカルの「うまいごまかし」に期待ができないことを、レンはよく知っていた。

 

「あっ!ヒカル!」

 

その時、公園の入り口に藤崎あかりの姿が見えた。彼女は小走りでこちらに向かってくる。

 

「これ、お姉ちゃんからもらったの。お姉ちゃんの中学で創立祭があるんだって。行こ!」

 

あかりは息を弾ませながら、チケットを差し出す。

 

「錆木君も一緒に行かない?今度の日曜、2時に葉瀬中の門の前で待ち合わせね」

 

その言葉には、有無を言わさない響きがあった。

 

あかりはチケットを渡しながら、ちらりとレンを睨む。

いつも一緒だった幼馴染が最近は放課後この転校生とばかり遊んでいることに、あかりは内心少し嫉妬していた。

 

◆ ◇ ◆

 

「せ……正解」

 

日曜日、葉瀬中学の創立祭は沢山の出店が並び、多くの人で溢れていた。

校庭の一角で行われていた詰碁に挑戦するヒカルは、有段者レベルの問題すらも、少し時間をかけながらすんなりと解いていく。

 

後ろからそれを眺めていたレンはヒカルの成長に感心すると同時に疑問も感じていた。

やはり、ヒカルの成長は異常だ。

 

「詰碁集がもらえる一番ムズカシイのやってよ」

 

景品の缶ジュースをもらいながらヒカルはニヤリと言う。

 

「一番難しい……ってこんなの解けたら塔矢アキラレベルだよ」

 

塔矢アキラなら解ける問題か、と意気込むヒカル。その時、

 

「第一手は……ココだろ」

 

突然、横から大きな影が伸びた。タバコをくわえた男の手が、迷いなく碁盤へと迫る。

しかし、それが碁盤へと押しつけられる寸前に、その手はレンによって阻まれる。

 

「なんだよ、おまえ」

「それはこちらのセリフだ」

 

レンはその男、加賀を睨みつけた。

空気の貴重なコロニーで育った前世の記憶から、この煙の匂いに本能的な嫌悪を覚える。

 

だが、同時にレンの胸の奥に冷たいものが広がった。

そのコロニーに、人々の住まう都市に毒ガスを散布させたのは、他ならぬ自分ではないか。

 

数多の命を奪っておきながら、いまさらタバコの煙程度に顔をしかめる——

なんと身勝手で滑稽なことか。

 

「ケッ、やめちまえ囲碁なんか!なーにが塔矢アキラだ!あんなヤツオレに負けたサイテー野郎だ!」

 

レンに掴まれた腕を振り払うと、加賀は吐き捨てるようにそう言った。

 

「ほう。服装のセンスは良いが、嘘のセンスは無いようだな」

 

嫌悪感を隠さないレンは、加賀をそう挑発する。

 

「嘘だと!?ふざけやがって!どけっ筒井!」

 

加賀は将棋の駒のあしらわれた和服を翻し、碁盤の前にどっかりと座る。そして「王将」と書かれた扇子を威嚇するように広げた。

 

「なあ佐為、あの服ってセンスいいのか……?」

 

ヒカルは誰もいない方向に小声で呟く。

 

「オレの実力を見せてやる!ほら打てよ!そのかわりおまえが負けたら土下座しやがれ!」

 

レンは、そう吠える加賀の対面に座ると、机の上でゆっくりと両の手を組む。

 

「よかろう。では見せてもらおうか、塔矢アキラを下した実力とやらを」

 

◇ ◆ ◇

 

レンが石を打つたび、盤面が、そして目の前が真っ黒に染まっていくような錯覚。逃げても追い詰められる。どこにも活路がない。加賀は必死に打ち続けたが、最後の一線も切られた瞬間——膝がガクンと落ちた。

 

「……ありません」

 

震える声で投了を告げる加賀。

 

「すごい……」

 

ヒカルは目を丸くし、思わず息をのんだ。

 

「圧倒的じゃないか、我が軍は」

 

瞬間、レンは無意識に口をついて出た自分の言葉に驚く。

相手を完膚なきまでに叩きのめすことに、盤面を支配することに満足感を覚える自分は前世と何も変わっていないではないか。

こんなものでは、手談などとても——

 

「キミ、すごい実力だ!こんなに強い人がいたら大会も……」

 

驚く筒井を制して、加賀は言った。

 

「待て、筒井」

 

加賀は、掌の中で割れそうになるほどに強く碁石を握る。盤面を直視すれば、覆せない現実が広がっていた。

あの日、塔矢アキラに勝ちを譲られ、ライバルとしても認めてもらえなかった自分。父にも見放され、囲碁から逃げ続けてきた日々。

そして今、レンに完膚なきまでに叩きのめされ、加賀の胸の奥で張り詰めていた鼻っ柱が、音を立てて折れた。

 

「……強すぎるぜ。参った」

 

悔しさに喉が焼ける。それでも笑った。負けを認めることでしか相手への敬意を示せないことを、加賀は知っていた。

深く頭を下げるその姿には、虚勢を捨てた誠意があった。

 

「オレが悪かった!頼む!葉瀬中の囲碁部に、いや、来週だけでも中学生大会の団体戦で力を貸してくれないか!?いや、貸してください!!」

 

加賀の武人じみた潔い敗北姿が、レンの心に遠い記憶を呼び起こす。

戦場で散っていった、最後まで誇りを失わなかった弟の面影を。

 

もしも、あの時にあの弟を見殺しにせずに援軍を送っていれば。

弟すらをも盾としか見なかった己の冷酷さを思えば、こうして加賀の誠意を受け入れることなど、取るに足らぬ小さな贖罪に過ぎない。

それでも——この手を差し伸べることが、かつてできなかった“もしも”の未来へと繋がるのなら。

 

「手を貸してやろう、と言いたいところだが。残念ながら私はまだ小学生だ」

「はあっ!?その顔で小学生!?人生2週目だろ!」

 

驚く加賀に対し、レンはヒカルを差して言う。

 

「フフフ……言い得て妙だな。では、私の代わりに彼を推薦しよう」

「は!?そいつこそ小学生だろ!?」

「えぇっ!?オレ!?」

 

初めて目の当たりにしたレンの対局に圧倒されていたヒカルは、その急な一言で急に現実に引き戻される。

 

「……マジかよ」

 

加賀はレンの真剣な表情に困惑しながらも、その確信に満ちた眼差しに、嘘偽りがないことを感じ取る。

 

いつのまにか、タバコの煙は冬の空に溶けて消えていた。




20250907_表記揺れなどを微修正しました
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