ギレンの碁   作:なほやん

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第5話

 

西日が長い影を落とすレンの部屋で、碁盤を挟んで二人の少年が向かい合っていた。

 

「約束だったよな!優勝したんだから一局打ってくれよ!」

 

ヒカルの声には期待と興奮が混じっている。しかしレンは冷静に首を振った。

 

「失格になったのだろう?ならば約束は無効だ」

 

「えー!そんなのひどいよ!」

 

ヒカルは頬を膨らませて抗議する。レンの表情には変化がない。

 

「なあ、なんでオレとは打ってくれないんだよ。教えてくれるって言っても、いつも詰碁とか棋譜並べばっかりで……」

 

「千年前の棋士とは打てないから、と言ったら?」

 

「っ!?」

 

レンの胸の奥で、現代から千年先の宇宙世紀からの想いが込み上げた。今の、そして未来の囲碁界への影響を与えたくない——そんな気持ちが、思わず口をついて出たのだ。

 

しかし、ヒカルにとってその言葉は全く違う意味を持っていた。現代から千年前、自らに取り憑く平安の棋士、藤原佐為の存在を、完全に見透かされたような。

 

「え……えっと、千年前って……」

 

ヒカルは慌てふためき、きょろきょろとそこにいる誰かとレンとを交互に見る。その様子を見て、レンは改めて確信を深める。

 

本来なら、自分はただの立会人でいるべきだった。未来を見守るだけの存在であり、歴史を乱してはならない。

 

だが、胸の奥で何かが疼く。

 

嵐に向かって船出したがる愚かな船乗りのように荒海に己を投げ出したい衝動。ヒカルの中にいる未知の存在に、自らの全てを賭けてみたいという渇望。

 

レンは小さく息を吐き、口角をわずかに上げた。

 

「よかろう。一局だけだ」

 

「本当に!?」

 

ヒカルの顔が一気に明るくなる。しかし、レンの次の言葉に再び困惑した。

 

「だが、私が打つ相手は、ヒカルではない。『サイ』だ」

 

「え……えぇっ!?」

 

ヒカルは目を白黒させた。どうしてレンは佐為のことを知っているのか。

 

しかし、闘志を激らせた今のレンと佐為に挟まれて、ヒカルは言葉を発することができなかった。

 

◆ ◇ ◆

 

そして、時を超えた二人の棋士の戦いが幕を上げた。

 

黒番のレンはまるでずっとこの一局を待っていたかのように迷いなく初手を星に打つ。二手目も星、さらに三手目も星。

 

「三連星……!」

 

思わず上がるヒカルの声を聞き、レンの口元に不敵な笑みが浮かぶ。

 

佐為は秀策流の正統派で応じる。一手一手が教科書のような美しさを持ち、古典定石の完璧な運用で盤面を支配する。

 

まるで平安の宮廷で磨き上げられた雅な舞のように、流麗で隙がない。

 

いや、それだけではない。

 

よもや秀策の尻尾か、と思ったが、ちがう。そんなものではない。これは現代の、そして未来の定石を学んだ秀策、それ以上だ。

 

レンは、自らが前世にて研究し尽くしたはずの秀策からは想定できない一手一手に、心を躍らせる。

 

レンの宇宙流は、中央への影響力を最重視する。

 

宇宙を切り開き、巨大な人工都市を築いて人類の生存圏を広げ、いつかは地球から独立する。叶わぬまま散ったジオンの理想。

 

その理想を歪め、野望のために自らが引き起こしたあの戦争で人類の半数を死に至らしめたことを、レンは片時も忘れることはなかった。

 

無数の命を奪った罪の重さが今も胸の奥で鋭い痛みを放ち、耳の奥に億万の死者の叫びが響き続けている。

 

レンはその残響を黒石に託し、盤上に描こうとしていた。

 

—— だが、私とて殺戮のために戦争を起こしたわけではない!

 

レンの心の叫びが、黒石を打ちつける音となって沈黙を切り裂く。

 

—— 私にも未練があります。それでも、だからこそこうして今、神の一手を極めるための機会を三度与えてもらっているのです。

 

佐為のその思いは、白石の一打となって盤上に響く。

 

ひとつは遠い未来から来ながらも過ちの過去を背負い、

 

もうひとつは遠い過去から来て未来を照らそうとする。

 

その二つの力が、19路盤の上で交錯する。

 

—— 二度目があろうと、三度目があろうと、人は変われない!

 

錆木レンの黒石が辺に並び、中央を支配せんとする軌道を描く。

 

—— そんなことはありません。その証拠にほら、この前までのあなたであれば、その孤立した死に石をすぐに見捨てていたのではないですか。

 

藤原佐為の白石が彗星のごとく隅から伸び、流麗に黒をいなす。

 

ヒカルは瞬きを忘れ、ただ黒と白の織りなす世界に集中していた。

 

そして、永遠に続くかと思われたその一局の終わりが突然に訪れる。

 

レンは盤面を見つめる。

 

暗黒の世界は、いつしか温かな人の心の光で満たされていた。

 

「まいりました」

 

レンの胸に、時空を越えて初めて芽生える感情があった。

 

レンは静かに息をつく。

 

かつて奪った命の重みが盤上の石に託され、行き場の無い思いが、やっと帰るべき場所を見つけた。

 

◇ ◆ ◇

 

対局を終え、三人は初めから並べ直しながら検討をする。

 

「ここで無理に攻めすぎてたんじゃないかって、えーと、その、佐為が言ってるよ」

「なるほど、やはり癖になっていたか。気をつけよう」

 

佐為とは何者なのか、とレンは問わなかった。

 

どうして佐為のことを知っているのか、とヒカルも聞かなかった。

 

「そうだ、この時、黒がここに打ってたら?」

 

ヒカルが盤面の一点を指差す。その瞬間、レンの表情が変わった。

 

中盤の激しい攻防の中の絶妙な一手。ヒカルが示したその手は、まだ未熟ながらもさながら原石のように、局面を一変させる可能性を秘めていた。

 

「こうやって、こっちの辺とこっちの辺でもっと連結させてたら……」

 

「ほう。その発想はなかったな……サイド共栄圏とでも名付けようか」

 

レンが思わず身を乗り出す。

 

「ジェットストリームアタックとかサイドとか……レンって実はネーミングセンス残念……?」

 

レンに対し佐為や塔矢行洋と同様の遥かな高みを感じながらも、同時にヒカルは彼と今まで以上に接しやすくなっていることに喜んでいた。

 

二人はヒカルの示した可能性を元に、石を並べて変化を読み始める。

 

レンの瞳に、驚きと喜びが揺らめいていく。

 

佐為もヒカルの肩越しに盤面を見つめ、その慧眼に驚いていることが、ヒカルの表情からも伝わってきた。

 

千年を越えた棋士たちの対話は、確かに今のヒカルの才能を開花させていた。

 

今、目の前で成長していくヒカル。

 

未来で語り継がれる偉大な本因坊進藤ヒカルではなく、今この瞬間に光る才能を宿した等身大の少年。

 

もしかすると、この一局をヒカルに見せるために自分は——

 

レンのその考えをヒカルの言葉が遮る。

 

「今度こそオレと打ってくれよ!佐為じゃなくて、オレ自身と!」

 

ヒカルの声に、レンは一瞬視線を窓の外に逸らした。

 

そしてゆっくりと振り返り、深く息を吐く。

 

「……まだ、その時ではない」

「なら中学に上がったら?今度は葉瀬中の囲碁部で一緒に——」

 

「私が葉瀬中に行くことはない」

 

レンの言葉に、ヒカルの表情が凍り付いた。

 

「え……?」

 

レンはゆっくりと立ち上がり、窓の外の夜空を見つめた。

 

「私は政治家となるため、海王中へ進学する」

「えーっ!?政治家!?」

 

ヒカルの声がレンの部室に響く。まさか同い年の小学生が政治家を目指すなど、想像もしていなかった。

 

「私にはその能力と、使命がある」

 

レンは振り返り、静かにヒカルを見つめる。その瞳の奥には、前世からの重い責任と、新たな未来への決意が混じり合っていた。

 

しばらくの沈黙の後、ヒカルがぎゅっと拳を握った。

 

「オレ、強くなる!」

 

その声は、今まで聞いたことがないほど力強かった。

 

「アキラにもレンにも追いついて、追い越してやる!だから、その時はオレと打ってくれ。約束だ!」

 

ヒカルはレンの瞳をまっすぐに見つめ、その小さな拳を差し出した。

 

レンは少し驚いたような表情を見せた後、静かに頷いた。

 

「ああ。約束しよう。今度こそ本当に」

 

レンがヒカルの拳に自分の拳を合わせる。その二つの拳に、もう一つの手が重なっていることを、レンは確かに感じた。

 

その顔にはいつもの不敵な笑みではなく、心からの微笑みが浮かんでいた。

 

◇ ◆ ◇

 

「ギレンの碁」第一章 小学生編 完




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