夏休みを目前に控えた海王中学は蝉の声が校舎を包み込み、むせ返るような熱気が囲碁部の窓ガラスを震わせていた。
机の上に置かれた白い封筒、それは塔矢アキラが差し出した退部届だった。
「塔矢、そんなに急がなくてもいいだろう?」
顧問の尹(ユン)先生が、困惑と寂しさの混じった声を出す。
夏の陽射しがカーテンの隙間から斜めに差し込み、二人の間に一本の光の帯を作る。
「大会が終わったら、その日限りで辞める。そう約束しましたから」
アキラの返答は淡々としていたが、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。
その決意を前にして、尹は深く息を吐き、しばし黙り込む。
「……進藤に、失望したのか?」
問いかけに、アキラはわずかに動きを止めた。だが、静かに首を横に振る。
「失望しました……ですが、それは彼にではなく、自分自身に対してです」
アキラは遠い目をして続ける。
「確かに進藤は、対局中に不意に弱くなった。対局中にもかかわらず、ボクは思わず『ふざけるな』と声を上げてしまった……棋士として、恥ずべきことです」
一度言葉を切り、アキラは自嘲気味に小さく笑う。
「いえ……本当のことを言えば、ボクは……
進藤はボクに“神の一手”を示してくれるかもしれない存在だ、とどこか信じ込んでいました。
その虚像が崩れた瞬間、ボクのそのエゴが一緒に砕けて、その痛みに耐えられず、声を荒げてしまったんです」
声には、かすかな苦さと、しかしどこか清々しさも混じっていた。
「それに……弱くなったと言っても、あの時の進藤は“院生”ほどの力がありました」
顔を上げたアキラの瞳には、確かな炎が宿っていた。
「ボクがプロ試験を受けるのは、進藤を見限ったからではありません。彼を追ってきたボクだからこそ、彼に示せる道がある。進藤の秘密は、プロの舞台で見極めます」
それは、進藤ヒカルがプロの舞台に現れることを確信していなければ、とても口にできない言葉だった。
尹はその言葉に静かに耳を傾け、机の上の退部届をそっと手に取った。
「そうか……塔矢、囲碁部にいる期間は短かったかもしれないが、キミが人間として大きく成長してくれて、私は本当に嬉しいよ」
アキラは驚いたように目を瞬かせ、次いで小さく笑みをこぼす。
「そうだ」
尹がふと思い出したように手を打った。
「塔矢、ネット碁のやり方はわかるか?」
「関西のプロの方とやったことはありますが」
尹は安堵したように微笑む。
「生徒会長の要望を受けた校長が囲碁部にパソコンを買ってくれたのは良いんだが……まだネット碁の導入が出来ていなくてな。あとで少しみてもらえるかな」
「ええ、ボクでよければぜひ」
アキラはうなずいた。だがその胸の奥では、別の思考が渦を巻いていた。
生徒会長、錆木レン——
あの男はいったい、何を企んでいる?
◇ ◆ ◇
159 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
最近ネット碁に変な香具師が現れてるらしいぞ詳細キボンヌ
180 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
saiは日本人だろ
Gihrenは名前的にドイツ系っぽい
183 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
もはやプロ級かそれ以上
184 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
プロがネット碁やるわけねーだろ
185 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
saiが海外のプロ倒してたの知らないとかニワカかよ(藁)
230 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
saiこれで10連勝?
245 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
Gihrenも無敗記録更新中だぞ
この二人が当たったら祭り確定
250 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
棋譜うpしてくれる神はいないのか
271 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
Gihrenのログ落としたけど理解不能
未来から来たような打ち方してる
280 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
海外掲示板でも話題らしいぞ
315 名前:総統の尾 ◆ZAKU.5ch 投稿日:1999/07/XX
ほう
この時代のインターネットはもはや古文書だな
326 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
なんだこのコテ
332 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
未来人気取りキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
340 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
未来人なら大地震でも予言してみろ(藁
342 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
ノストラダムスも結局ハズレか
345 名前:総統の尾 ◆ZAKU.5ch 投稿日:1999/07/XX
>>340
すでに布石は打たせてもらった
348 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
>>345
夏厨乙
520 名前:名無し名人 投稿日:1999/07/XX
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
sai vs Gihren始まったぞ!!
◇ ◆ ◇
海王中学囲碁部の部室。静寂が支配する空間で、パソコンの画面が淡く青白く光り、そこに映し出されるのは、今まさに進行しているsaiとGihrenの対局だった。
尹の依頼でネット碁の導入を整えたアキラは、その光景に、まるで運命の糸に導かれるかのように視線を固定した。光に反射する瞳は微かに揺れ、画面に映る石の一手一手が、時間を超えて胸の奥に響いてくる。
——間違いない、Gihrenは錆木レンだ。
アキラが手元のマウスを軽く叩くたび、指先に電気のような熱が走る。
その打ち回し、緻密な戦略、局面の深読み——まるで未来から持ち込まれた棋譜のようだ。レン以外の誰がこんな碁を打てるというのか。アカウント名にすら、正体を隠す気のなさが滲んでいる。
では、saiは誰だ。
塔矢行洋すら相手にしたレンと、互角どころか凌駕するような打ち回しを見せるこの一局。
プロのタイトル戦さえ凌ぐ緊張と戦略の連鎖。
だが、どうしてそこに進藤ヒカルの影を感じるのか。
アキラは息を詰め、画面の石を一つずつ、まるで触れるかのように追った。
黒番のGihrenが投了を告げた瞬間、部屋の空気が一瞬で凍りつき、時間まで止まったかのような静寂が訪れる。
——ヨセきれば盤面6目差……Gihren——いや、レンが半目勝っている……?
眉をひそめ、アキラは身を乗り出す。この二人の棋力で、ヨセを間違えるはずがない。では、なぜGihrenは投了したのか——。
その刹那、脳裏にヒカルと初めて会った日の会話が駆け巡る。
「コミは5目半だよ」
「えーっ?6目半じゃないのか?レンのやつー……」
その声が、電流のように全身を駆け抜け、血が一瞬で熱を帯び、神経の一本一本が鋭く研ぎ澄まされる。
——コミが6目半だとすれば、saiが半目勝っている!
アキラは画面の対局ログを何度も往復させ、石の配置と手筋を頭の中で再現する。
静寂の中、点が線に、線が面に変わり、瞬間の閃きがすべてを結びつける——直感と経験が導き出す、確かな答え。
これは単なる勝敗の問題ではない。
二人の間に交わされた、密やかで静かな“約束”の証明——。
アキラは深く息を吐き、拳をぎゅっと握る。胸の奥で、熱と期待が渦となって昂る。
——彼だ……
しかし、頭の奥で別の声が警告する。
——いや、違う——絶対に、彼じゃない。
部屋に、再び深い静寂が降りる。
アキラは決意を胸に、指先に震えを覚えながらも、自らのアカウント「akira」を通じ、saiに対局を申し込もうと手を伸ばす。
しかし画面には静寂だけが返ってきた。
画面に映るはずの相手の影はなく、saiはまるで静かに息を潜めるように、再びデジタルの闇の彼方へと消え去ったのだった。
20250910_アキラの独白を独り言から心の声に変更。レンのハンドルネームを変更。