春。
通学路の並木道には桜が満開だった。花びらが風に舞い、時折、頬や肩にふわりと降りてくる。
制服の上着がまだ少し重たく感じる四月。街の空気には新しい季節の匂いが満ちていた。
僕は結城奏。十六歳。今日から高校二年生になる。
毎年のことだが、始業式の日はやはりふわふわした雰囲気がある。クラス替えがあるからだろう。
友達ができるか、どんなメンバーと同じクラスになるのか。そんなことを気にする人は多いだろう。
――けれど僕は違う。
そういう雰囲気になかなか馴染むことができない。
別に学校が嫌なわけでもない、普通に学校生活は楽しんでいるつもりだ。
ただどこかみんなと一線を引いている気がするだけだ。
それよりも、僕の頭の片隅を占めているのは昨夜のことだった。
「……依頼、受けちゃったな」
昨夜、仕事用のSNSに届いた一通のメッセージ。
差出人は――皇城渚。
ネットで大人気のVTuber。登録者数は五十万人を超え、歌声は“天女”とも称される。
その皇城渚から「最高の楽曲を」と直々に依頼を受けた。
返信した後も胸の鼓動が収まらず、結局午前四時まで曲を打ち込んでしまった。
今も少し眠気はあるけれど、それ以上に高揚感が残っている。
――これは金になる。間違いなく。
「……っと」
そんなことを考えているうちに校舎に着いてしまった。
昇降口を抜け、掲示板に貼られたクラス分け表に群がる人の中へ入る。
ざわざわとした空気。
「一緒のクラスだ!」と抱き合う女子。
「マジかよ、アイツとまた同じかよ」と渋い顔の男子。
春の恒例行事だ。
僕は人の間から目を凝らし、自分の名前を探す。
――結城奏。二年三組。
ふう、と小さく息を吐いた。
とりあえず確認終了。淡々とした気持ちで三階へ上がる。
二年三組の教室。
まだ全員は揃っていないが、既に半分ほどの生徒が席を見つけ、談笑していた。
春特有の落ち着かない熱気。
「誰と同じクラスになった?」
「担任は誰だろう?」
そんな声が飛び交っている。
僕は人の視線を避けるようにして、窓際の一番後ろの席に座った。
みんなも経験があるだろう、最高の席だ。
目立たず、干渉されにくい。いい感じに過ごすには最高のポジションだ。
カバンを机に置き、窓の外に視線を流す。
桜の花びらがひらひらと舞い落ちて、グラウンドに淡い模様を描いていた。
「……お、奏」
不意に声をかけられ、顔を上げる。
「聖」
そこに立っていたのは、僕の唯一の親友と言ってもいい氷室凪ひむろなぎだった。
スラリとした長身。整った顔立ちに、落ち着いた佇まい。
中学時代からフィギュアスケートの才能を発揮し、今では全国区の有名選手。
テレビや雑誌で見かけることも少なくない。
彼とは親ぐるみの付き合いで、小学校にあがる前から仲が良い。
「お前も三組か。……よかった」
「お前が安心するなんて珍しいな」
「そりゃそうだろ。俺は有名人で、イケメンだ。当然俺に声をかけたがる人は多い。だが、お前と一緒に話していると声をかけるのに躊躇するだろう?」
「便利な使われ方だな」
思わず苦笑する。
言葉だけ聞くとナルシストにしか聞こえないが、こいつの自己評価は間違いではない。
実際、教室のあちこちから「氷室くんだ!」「やっぱかっこいい」なんて声が聞こえてくる。
女子の視線はもちろん、男子だって彼を一目置いているようだ。
そんな視線をものともせず、聖は僕の隣の席に腰を下ろす。
「で、奏。昨日はいつまでやっていた?」
「……午前四時」
「学校が始まる前日にか。案件か?」
「そう。それもかなりの大物から」
「ふむ」
聖の目がわずかに鋭くなる。
僕がネットで『KANADE』として活動していることを知るのは、この男だけだ。
「名前はまだ言えないけど……間違いなく稼げる」
「お前はほんと、金の話ばっかだな」
「僕にとって音楽は富を生む手段だ。」
「お前……金の話をしているときが一番キラキラしてるよな……まあいいけどよ。体は壊すなよ」
聖は軽くため息をつきながらも、どこか楽しそうに笑う。
彼は僕が富を追い求めることを理解している。
金のために曲を作る僕を「変だ」と切り捨てない。
だから僕も、唯一心を許している。
しばらく凪と話していると、ガラガラ、と教室のドアが開く。
そこに現れた人物が教室の空気を一瞬で変える。
「……天宮さん!」
「うそ、同じクラス!?」
ざわめきが広がる。
トビラから入ってきたのは――天宮透子。
腰まで伸びる黒髪を後ろで緩やかにまとめ、端正な顔立ちに柔らかな微笑み。
まるで舞台に立つ女優のように、一歩ごとに教室の視線を集めていく。
噂では街を歩いていたら、必ずスカウトされる、別の高校の生徒から告白されたなど、凄まじい。
加えてスポーツ万能、成績優秀である。だが、部活には所属しておらず、聞いた話では、放課後に毎日予定があるそうだ。
彼女が歩けば、そこに光が差すようだった。
周囲は自然と彼女を中心に輪を作り、声をかける。
「春休みどうだった?」
「今度カラオケ行こうよ!」
「透子ちゃんと一緒とか最高!」
笑い声が絶えない。
彼女が現れた途端、教室の雰囲気が格段に明るくなったような気がする。
「……やっぱり凄まじいな」
ぽつりと呟くと、隣の聖が反応した。
「天宮のことか」
「そう。顔も性格も完璧で、誰とでも仲良くできる。完璧という言葉以外見つからないね」
聖は少しだけ考えるようにして、目を細めた。
「人は、見かけによらんもんだぞ」
「どういう意味だ?」
「別に、ただの偏見。それよりもお前は興味ないのか?」
「天宮にか?まったくないね。彼女にというより、恋愛に興味がない。だって付き合ったら、金を使わないとだめだろ?そんなん絶対にやだね」
凪は呆れたように笑う。
「相変わらず枯れてるな。だが、意外としてみると良いものかもしれないぞ。俺のようにな」
そう、こいつは以外と彼女がいたりする。同じくフィギュアスケートをやっている人で、確か、この前の女子の部の大会で優勝していた気がする。
二人とも見た目はクールな感じなのだが、以外とラブラブだったりする。そういう意味では、人は見かけによらないのだろう。
「惚気かよ、そういうのは他所でやってくれ」
俺が恋愛なんてできるわけない。そんなことを思いながらただ、窓の外に舞う桜を眺めて、
「二年三組」という新しい生活が始まることだけを、静かに受け止めていたのだ。