春。
新しい年の始まりだ。
桜の花びらが舞う通学路を歩きながら、私はふと頬に降りかかる花びらを指先で払った。制服のスカートの裾にひらりとくっついて、また風にさらわれていく。
――なんだかんだ言って、春っていい季節だと思う。
校門の方からちらちらと感じる視線に、私はほんの少しだけ口元を緩めた。きっと新入生だろう。私のことを知らないはずなのに、目を奪われるのは仕方ない。だって私は可愛いから。
そんなことを心の中で軽く自惚れて、あえて視線の方へ小さく微笑んでみる。するとすぐに「きゃっ」とか「見た!いま笑った!」なんて小さな黄色い悲鳴が聞こえてきた。
……悪くない。
私は天宮透子。十六歳。今日から高校二年生になる。
学校の廊下を歩けば、あちこちから「おはよう」と声をかけられる。去年同じクラスだった友達、中学からの知り合い、私の周りに自然と人が集まってくる。
「透子ちゃん、クラスどこだった?」
「一緒だったら嬉しいな!」
昇降口に向かう途中、何人もに声をかけられる。私はにっこり笑って、丁寧に返す。
「まだ見てないの。一緒だといいね」
……こういう何気ない会話の積み重ねが大事だと、私は知っている。
実際、クラスは気になっている。まぁ、私は友達が多いから、基本的に誰と一緒になっても学校生活はを楽しめるだろう。
友達作りは最初の数人が肝心。その先は、放っておいても勝手に人が寄ってくる。私の場合、そもそも人関わることが好きなのもあるのだが。
学校のことも楽しみだが、私の頭の半分を占めているのは、別のこと。
「……依頼、しちゃったな」
昨夜、深夜にモニターを睨みながら呟いた言葉が、今も耳の奥で反響している。
学校の皆は知らない私の裏・の顔。
私はVtuber「皇城渚」。
歌声で数十万人を魅了する存在。
ついに、超一流の作曲家《KANADE》に直接依頼を出した。
彼の楽曲はすさまじい。提供された誰もが、その曲を代表作として語られるほど。
さらに、「最高の楽曲を約束する」というメッセージ。
……あれは、間違いなく本気だ。依頼料を言い値で払うと言っただけはあるようだ。お金も、努力も、全部賭ける価値がある。
昇降口には、すでに人だかりができていた。クラス分け表を確認しようとする生徒たちでごった返している。
私は人混みをかき分けながら、自分の名前を探す。
――天宮透子。二年三組。
「やった!一緒だね!」
「透子ちゃん、またよろしく!」
隣で自分の名前を見つけた子たちが口々に声をかけてくる。私は笑顔で応じた。
「こちらこそ。二年もよろしくね」
別の子が肩を落として「違うクラスだぁ」と呟く。
私は少し困ったように笑いながら、「遊びに来てね」と言葉を添える。
――こういう小さな仕草ひとつで、人の心はぐっと掴める。
二年三組の教室に入ると、すぐに騒がしくなる。
「……天宮さん!」
「うそ、同じクラス!?」
ざわめきが広がり、あっという間に注目が集まる。
私は軽く手を振り、「よろしくね」と微笑む。それだけで、近くの数人が頬を赤く染める。
自分でも、自分の武器が何なのかはよく分かっている。
顔立ち?性格?たぶん全部だ。だからこそ、それを最大限に活かすのが私のやり方。
「春休みどうだった?」
「今度カラオケ行こうよ!」
「透子ちゃんと同じクラスとか最高!」
声が次々に飛び交う。私は一人ひとりにちゃんと返事をしていく。
「春休み?のんびりしてたよ」
「カラオケ?いいね、また予定合わせよ」
「こちらこそ、同じクラスで嬉しい」
自然と私の周りには輪ができていた。
……けれどその輪の外、窓際の一番後ろの席に座っている男子が、ちらりと目に入る。
全国区の天才フィギアスケーター「氷室凪」メディアにも度々出演しているらしい。彼と関わりたいと考えるが、彼には彼女がいるらしい。下手に関わろうとするのは良くないだろう。
そして、氷室凪と話している人物ーー確か名前は「結城奏」だったか。氷室凪とは親友と呼べる関係らしく、良く一緒にいるのを見る。彼のことをよく、「氷室凪と釣り合っていない」など嫉妬交じりの、くだらない陰口を聞くことがある。誰と、友達になるかなんて、その人の自由だというのに。だがそれよりも私は、彼に言葉では言い表せない何かが有ると感じる。職業柄の勘、とでも言うだろうか。誰よりも静かで、だけど妙に落ち着いた空気を纏っている。去年はほとんど話した記憶もない。けれど、なぜだろう。視線が自然と引き寄せられる。恋愛感情ではない。これまでにも、告白を受けたことはある。だが、私はすべてを断ってきた。恋愛は様々な悪感情も同時に生む可能性がある。だから、私に恋愛はできない。
「透子ちゃーん、どうしたの?」
友達に声をかけられ、私は一瞬はっとして振り向く。
「ううん、なんでもない。ちょっと考え事をしてただけ」
笑顔で答えながらも、窓際の後ろの彼の存在が、頭の片隅に残り続けていた。
ーー放課後。
「カラオケ行こうよ!」と数人に誘われたけれど、私は柔らかく笑って断った。
「ごめんね、今日はちょっと用事があって」
「えー、残念。また今度ね!」
断り方にはコツがある。あくまで残念そうに、けれどきっぱりと。そうすれば、角は立たない。
本当の予定?もちろん、皇城渚としての活動だ。
家に帰り、制服を脱いで着替える。
鏡の前に立つ。そこにいるのは“学園の人気者”天宮透子。
でも私は髪を解き、配信用の衣装に袖を通し、ライトをつける。
――もうひとりの私へと切り替わる。
モニターに映るのは、鮮やかな姿の皇城渚。
透子が周囲に合わせて笑顔を振りまく存在なら、渚は歌で自分を解き放つ存在。
『こんばんは、皇城渚です』
挨拶をした瞬間、コメント欄が一気に流れる。
「待ってた!」「今日も声が楽しみ!」「女神きた!」
その熱狂に、胸が高鳴る。
私という存在が影響を与えていること。
――でも、絶対に知られてはいけない。
天宮透子と皇城渚。その二つが同じ人間だと、誰にも知られてはいけない。
モニターの向こうに広がる熱狂に身を委ねながら、私は静かに決意する。
「……今日も最後まで、一緒に楽しんでね」
そう囁き、私は歌い始める。