チェスの王者   作:困るンノス

6 / 10


度々の誤字報告に感謝しかない

日間ランキング4位………?






('ロ' )









イイワケ×ト×カチニゲ

 

 

 

 

 

 

王がいつものように王の間へ赴くと、いつもは王が来る前に既にチェスの準備を整え、盤上をじっと見つめる老人の姿があるのだが、今日はその限りでは無かった。

 

 

「……………………」

 

──妙な違和感。

 

老人に与えた部屋を王が直々に訪れる。

もちろん親衛隊に止められた。

しかし誰のどんな言葉にも、

「余の認めた男のもとへ行くことの何が悪い。」

そう言って歩みを一度も止めなかった。

 

 

やがて部屋の前に辿り着くと、王はノックもせずに扉を蹴破る。

 

 

王の足が重々しく床を踏み鳴らす。蹴り破られた扉は壁にぶつかり、木片が飛び散った。

親衛隊の三人は慌てて後ろに控える。プフは「王…!」と声を荒らげかけたが、王の一瞥で喉を詰まらせた。

 

部屋の奥。

薄暗い窓辺に老人は座っていた。

無駄にきらびやかなベッドには、上体を起こしたまま微動だにしない老人がいた。

 

 

「……王。」

老人が王と視線を交わす。だがその瞳はかすかに潤み、光が弱々しい。

「今日は……準備が、遅れてしまいましたな。」

 

いつもなら盤を整え、駒を正確に並べ、王を迎え撃つ気迫を湛えていたはずの男。

 

だがその姿からは今までの活気は無く、王者としての風格は、何処にでもいるような年老いただけの男に変わってしまった。

 

王は一歩踏み込み、老人を見下ろす。

「……貴様、余を欺いていたな。」

 

老人は静かに笑った。

「ええ。チェスとは盤上で語るもの。私の弱さなど……盤に持ち込むつもりはなかったのです。」

 

「余を愚弄するか。」

王の声は低く、動揺しているのか少し震えていた。

「貴様の身は崩れ落ちようとしている。それを余に隠してまで盤に座り続けたのは、何故だ。」

 

老人は枯れ枝のような指を動かし、机の上に置かれた木彫りの駒をひとつ掴んだ。

「ただ……忘れていたのです。自分が齢80を超えた老人だと。チェスを初めて触ったあの日のように、無我夢中で……。

王、貴方との対局はこの上なく楽しい!

死ぬにはいい日など、死ぬまで分からないと思っていましたが……この日常の中、常に成長を続ける王と新鮮なチェスが出来るのなら、───もはや死ぬ事に躊躇は無い。」

 

王の胸奥に、初めて焦燥に似たものが広がった。

盤上の敵であり王道の先駆者であった老人が、いま自らの命を削りながらそこに在る。

 

「……いかなる事情でも、余を騙していたことは事実だ。故に、今日はその駒を使え。それで手打ちにしてやろう。」

「……ッ。はい…」

 

老人は微笑み、震える手で駒を並べ始めた。

盤上に落ちる光は薄く、だがその手の動きは誇りに満ちていた。

 

───────────────────────────────────────────────────────────────

 

ユピーに駒を並べてもらい、ピトーの念能力で延命を受けながらチェスを指す。

 

 

「……ありがとうございます……。これであと数局は持つでしょうな。」

 声は掠れ、すでに余命が砂粒のように落ちているのが明白だった。

 

 それでも老人は震える指で駒を掴み、盤に置いた。

「では始めましょう。王。」

 

 

 

 対局が始まる。

 しかし老人の身体はすでに限界を超えていた。

いくら肉体を修復しようとしても、"老い"とは細胞や血管の老化、免疫力の低下を意味する。

ピトーの念能力で出来るのは「回復」ではなく「修復」

寿命を超越するような念能力ではない為、その場凌ぎでしかない。

両者はそれをも分かった上でチェスを指す手を止めない。

 

 

 駒を持つ手は細り、呼吸はひゅうひゅうと笛のように鳴る。

 

 そんな中――不思議なことが起きていた。

 

 老人は気づかぬまま、念に目覚めていたのだ。

 ネフェルピトーの念を受けた事がきっかけとなり新たに目覚めたその念は、死を前にしてなお「対局を続けたい」という執念が、形となって滲み出していた。

 

 盤上の駒を見つめるその瞳には、これまで以上に鋭い光が宿っている。

今までで1番の威圧感に、王は無意識のうちに笑っていた。

 

 老人の指す一手一手が、まるで盤の呼吸そのものに同調している。

 オーラが微かに立ちのぼり、老人の周囲を揺らしていた。

 

同時に王には、目の前にいる老人が一瞬、青年の姿に見えた。

 

 

 盤上はほとんど老人の思考と同化していた。

もはや王の番が終わるのとほぼ同時に次の手を打つ程、老人の思考は加速していた。

 

「……嗚呼…………」

 老人の声は細く、しかし満ち足りていた。

「───今日はなんて…いい日なんだろうか………。」

 

 

 その一言を最後に老人の心臓は老衰に耐えきれず、完全に動きを止めた。

 

 

 

 

 だが。

 

 盤上にはまだ「手」が置かれ続けていた。

 指す者のいないはずの駒が、ゆっくりと進む。

 

 

────"死後強まる念"

老人はすでに息絶えている。

だがその魂は盤上に縛られ、「対局を続けたい」というただ一つの執念によって駒を動かし続けていた。

 

しかし王も、親衛隊の誰も、そして老人の肉体ですら、老人が死んだことに気付いていなかった。

 

───────────────────────────────────────────────────────────────

 

 

 その後の数十手。

 

老人の指が最後の駒を動かし、静かに「チェックメイト」が盤上に刻まれた。

 

その瞬間――老人は、ふっと穏やかな笑みを浮かべたまま、深く息を吐くように背凭れに身を預けた。

 

だが王は気付かない。老人は既に、この世の人ではなかった。

ピトーの念が延命のために形を保たせ、さらに「死後強まる念」が老人の意思を駆り立て、最後の一手まで駒を握らせていたのだ。

 

対局中――指先は震えても、駒のひとつひとつには迷いがなかった。まるで「死」という運命すら戦局に組み込み、王に挑んでいたかのように。

 

勝敗が決した今、念の支えを失い、盤上に伸ばされた老人の手が、静かに駒の間に落ちた。

 

王はピトーに目を向けるが依然として「玩具修理者」を発動したままだった。

その時になってようやくその異変を悟る。

目の前の強敵は、既に盤外に去っていたのだ。

 

「……おい。」

 

怒気を含んだ声が、やがて哀しみに変わる。

 

その瞳には怒りも誇りもなく、ただ深い虚無と、初めての喪失の痛みが広がっていた。

 

王は遂に、一度の勝利もなく老人との対局を終えたのだ。

 

――盤上の駒だけが、まだ戦いの熱を宿したまま静かに残っていた。

 

 

 盤上で勝者となった老人の駒列を見つめ、王は初めて胸の奥に熱いものを感じる。

 

 

「……余が、学んだのは……この者の生ではなく、この者が抱く"王道"と、その“執念”そのものだ。」

 

王は駒列を見つめたまま、しばらく動けなかった。

勝利の形がそこにある。だがそれは、老人が命を賭して築き上げた最後の盤面でもあった。

 

ピトーは「玩具修理者」の糸を震わせながら立ち尽くしている。

老人は死んだ…いや、"死んでいた"のだ。

ならば何故あの腕は動いていた?

何故あの手は駒を動かしていた?

 

頭の疑問が中途半端なまま、王の一言で我に返る。

 

「……余は、勝てなかった。」

低く呟いた声は、誰に向けられたものでもない。

 

「この男は、余に三度の無礼を働いたのだ。

一つは、余に"老い"という病を隠していたこと……。

 

二つは、余との約束を違えたこと……。

 

三つは――」

 

王は言葉を切り、盤に残る駒へと視線を落とす。

そこには、敗者としての王の駒列と、勝者であるはずの老人の執念が確かに刻まれていた。

 

「……三つ目は、勝ち逃げした事だ。」

 

親衛隊は息を呑む。

それは非難であると同時に、最大の敬意の告白でもあった。

 

「だと言うのに……この胸に宿るのは怒りでは無いらしい。」

 

 

ただ、二度と老人と対局できない孤独の痛みだけ。

 

いつの日かこの老人に勝ち、更にそこから怒涛の連勝を重ねるはずだったのだ。

しかしそれは永劫に叶わなくなってしまった。

 

「余は…………」

 

「………この男の名前すら知らぬ………………」

 

静かな慟哭が王の胸を満たし、初めて「失う」という痛みを刻み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、盤上に残された駒を誰も片付けなかった。

老人の“死後強まる念”が消えた後も、そこに漂う静謐さは、王と、名も知らぬ老人が交わした最後の一局の証そのものだった。

 

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