チェスの王者   作:困るンノス

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(゚д゚)


王視点です




ゲキシン×ト×ハイセン

 

 

 

 

 

最初はただの遊戯――余にとっては暇潰しに過ぎなかった。

 

将棋や囲碁の国内チャンピオンなどという滑稽な称号も、十局と経たずに余の掌中のものとなった。

くだらぬ。人の限界など、余の目にはあまりに容易く映る。

 

だが次に現れた男は違った。

 

八十を越えたであろう皺に覆われた老躯。

これまでの凡俗どもは、一度呼吸を乱せば終わりであった。

だが、この男は揺るがぬ。

 

ルールブックを読み終え、いざ対局という場面ですら、朗らかな表情を崩さず余と対面する。

 

すべてを達観したような眼差しを向け、まるで余を見透かすかのように駒を置いていく。

それは対局ではなく、まるで添削。

余の一手を否定し、正すかのように、無言で上から重ねていくのだ。

 

耐え難い――余が、玩具同然の老いぼれに諭されているかのようではないか。

 

 

一局、二局と盤を重ねるうちに、ようやく「どの駒で何を奪えばよいか」の理を掴み始めた。

だが、それでもなお遠く及ばぬ。

 

あの老いたる男は、『平穏』そのものに脊髄を通して動いているかのごとく、淀みなく駒を進める。

呼吸すら乱さず、ただ在るがままにして余を圧倒する。

 

――そして、四局目でそれは起こった。

 

 

 

───────────────────────────────────────────────────────────────

 

 

 

 

余は――確かに怒っていた。

手加減をしたその無礼に。余と接戦を演じるために、あえて力を削ったその愚弄に。

 

勝負とは、命を懸けずとも命に等しい緊張を孕むもの。

真剣でなければ、何の価値もない。

 

本気を出さぬこと、それはまだよい。

だが――"あえて"悪手を差し込み、余を欺こうとしたこと。

それこそが、余に対する最大の侮辱であった。

 

許さぬ。

その決意は既に口の中で反芻され、牙のように鋭く、胸の奥で疼いていた。

 

だが、耳に入ってきたのは――思いもよらぬ、あまりにも冷静な声だった。

「今のままでは、私には遠く及ばぬ。」

 

その一言が、余の鼓動を掴んだ。まるで心臓が爆発してしまうかのように、血が逆流する感覚に襲われた。

怒りはただの熱ではない。誇りを切り裂かれた瞬間に生まれる、冷たい炎だ。余の全身がその炎に包まれ、世界は狭まっていく。

 

言葉は刃のように放たれたが、老いた瞳は微動だにせず、ただ穏やかに笑っている。怒りが沸騰しそうな余の側で、その笑みは余の耐性をさらに削いだ。

 

男は静かに続けた。声に焦りも卑屈もない。むしろ、柔らかく、断固たる決意が籠っているように聞こえた。

 

「賭けて欲しい」という、あまりにも大胆で、そして真摯な響きを持った言葉であった。

 

余は一瞬、思考を止められた。

「賭ける」?

人間が余に向かって?

余を挑発するかのように?

いや、挑発ではない。あの眼差しは、侮辱でも虚勢でもない。

 

──何だ、この感覚は。

 

老人は言った。

五連勝なら余に休養を命じる。

七連勝なら余の記憶にその名を刻む。

十連勝なら、余の名を乞う。

 

この老人は己の寿命を悟りながら、それでもなお余の未来を見据えている。

死を恐れず、盤上の一局を通じて「生」を差し出そうとしている。

余に何かを残すために。

 

それは、これまで余が蹂躙してきたどの人間にも無かった姿。

命乞いでもなければ、媚びへつらいでもない。

ただ自らの終焉を悟った者の、清澄なる願い。

 

余は問うた。

「負ければ何を差し出す」と。

 

男は静かに微笑み、己の命を賭けられぬことを詫びたうえで───

「幼少の頃に削り出した、このチェス盤を」と差し出した。

 

その時、余は理解した。

この男は本気だ。

己の人生の結晶を、己が誇りを、余との遊戯に委ねようとしている。

 

余は受け入れた。

それは賭けであり、同時に余の慢心を戒めるものとなるだろうと。

 

……しかし、最後に告げざるを得なかった。

 

「余は、自分の名を知らぬ」

 

男は驚愕し、次いで深い納得を滲ませた。

「なるほど……。ならばいつか教えてくだされば良い。今はそれで構いませぬ」

 

そう言って男は声を弾ませた。

「さぁ、続きと参りましょうか!」

 

──余は、思わず目を凝らした。

その姿は一瞬、皺だらけの老人ではなく、血気盛んな青年のように映ったのだ。

 

胸の奥が、熱を帯びる。

怒りとも喜びともつかぬ感情が、余の心を揺さぶる。

 

「……よかろう」

 

駒を掴む指に、力が籠る。

目の前のこの者こそ、今まで出会った中で最も油断ならぬ敵だ。

 

 

 

こうして、五局目が始まった。

 

 










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