思春期ただ中の男子にとって普遍の想い。
男子校に通う彼らにとって、それは祈りにも似た願いだった。
「彼女とは、物語の中にしか存在しない幻想なのではないか?」
誰かがそう呟いた。
「俺たちにも、出会いさえあれば彼女ができる!」
誰もがそう信じていた。
「じゃあ、男子校で出会いって、どうやったらできるの?」
誰かが問いかけた。
その問いに、誰も答えられなかった。
これは彼女を作るために奮闘する思春期の男たちの物語である──。
フィクションを混ぜていますが、大体実話です。
彼女なんて必要ない。
お洒落するのもめんどくさいし、町で女の子に声をかけるなんてナンパ野郎にはなりたくない。
「おい! 田村! この前イオンで一緒に居た子誰だよ!」
クラスの中心で大勢の男子生徒に囲まれているのはクラスメイトの田村だった。
「いっ、いや? 妹だし?」
ここ、男子校では彼女が居るというステータスはクラスカーストを作るうえで重要な要素だった。
それ故に、町で女の子と歩いていたという情報はクラスの人間関係を揺るがす程の出来事だった。
男子校には明確なカーストが存在する。
1つ、彼女が居ること。
2つ、それ以外。
馬鹿らしいかもしれないが、思春期の男の子にとってはそれが全てなのだ。
足が速い。勉強ができる。喧嘩が強い。子供の頃に重要視された項目は、16歳になると全て過去の物になる。
「なぁ、土田。 今度食堂で奢るから、お前からも言ってくれない?」
田村の助けを求める声に、土田は冷たい視線を向ける。
「知るか。この裏切り者」
彼女は要らないと言っている土田だが、それでも女の子と町を歩くなんて行為を行った田村は敵だった。
例え、彼の言う通り本当に妹だとしても、母親以外の女の子と繋がりがあるというのはそれだけで大罪なのだ。
「今度、丸高の子と遊ぶときに誘うからさ……?」
「お前ら! 田村が可哀そうだろ! 自分がモテないからって僻むなよ!」
鮮やかな手のひら返し。
例えクラス全員を敵に回しても、彼女ができるかもしれないとい魅力には抗えないのだ。
「お前ら、騒いでないで席につけー」
教師に担任が入ってきたことで、田村の処刑は行われなかった。
男子高に入学して半年。
今はこうして仲良くじゃれ合っているが、彼らにも、見知らぬ公園に連れてこられたチワワのような時期があった。
入学式が終わった教室。黒板には『レクリエーション』の文字が、でかでかと書かれている。机の上には、一枚のプリント。
「来週はクラスの仲を深めるために、風岳山を登る!」
教壇に立つ男の名前は山下。ジャージ姿に観測板という、いかにも体育会系な出で立ちだが、彼が家庭科の教師だと知るのは、数週間後のことだ。
「なぁ、お前どこ中?」
教室のあちこちで、この一言が繰り返される。
小学校、中学校までは、周囲は知った顔ばかりだった。だが、高校という舞台に立った瞬間、彼らは見知らぬ相手とコミュニケーションを取らざるを得なくなる。
「俺は丸中だけど? まぁ、井上とは同じクラスだったよ」
井上が誰かを知っている生徒は、クラスの半分にも満たない。それでも一部の生徒が「まじかよ……」と反応することで、彼はよく分からないまま、クラスのカースト上位に食い込んでいく。
「なぁ、お前どこ中?」
僕の前に座る男、田村も、同じ言葉を投げかけてくる。
「えっ、三中だけど」
「まじ!? 三中!? ちょーやべぇじゃん!」
僕の言葉を聞きつけたクラスメイトが、机の周りに集まる。
「三中って、竹田の所だろ!? 少年院に入ったって、まじなの!?」
彼らは、なぜそんな情報を知っているのだろう。確かに竹田という生徒はいたが、彼は中学に登校していなかったし、少年院に入ったという話も、僕は知らない。
そう、彼らが精いっぱい考えて用意した手札。
それが――『どこ中?』
辛うじて思いつく共通の話題の中から、『逆らってはいけない相手』を探し出そうとしている。
だが、中学という情報から、相手の危険性を正確に知ることはできない。だからこそ、有名な不良がいた中学に所属していたというだけで、彼らは不確かな情報を頼りに、序列を組み立てていく。
互いの距離感を探りながら、入学式から一週間が過ぎる。
「おい! 土田! 絶対に手を離すなよ!」
「足元崩れてるから落ちるなよー!」
登山の前日。季節外れの大雨に襲われた風岳山では、あちこちで土砂崩れが発生していた。
一週間前まで警戒し合っていた彼らは、手を繋ぎ、互いの命を守るために団結する。
「男同士で手を繋ぐとか、まじできめぇし」
そんなことを言っていた田村も、今では前後の生徒と手を繋ぎ、土砂崩れを乗り越えている。
「離すなよ! 絶対に離すなよ! お前、絶対離しそうな顔してるもん!」
「えっ、ダ〇ョウ倶楽部的な?」
人は、協力して命の危機を乗り越えると、仲良くなれるのだ。
だが、そんな結束を果たしたクラスにも、『誰が最初に彼女を作るのか』という競争が始まり、再び、大きなひび割れが走るのである。
「てか、土田って彼女要らないとか言って無かったっけ?」
「……なんか彼女作るために必死になるってださくない?」
土田の言葉は、もちろん嘘である。
普段は「彼女なんて要らない」と格好をつけている土田。
だが実のところ、彼女を作るためにクラスメイトに黙って、中学時代の友人に声をかけている。
それは、男子校においては『禁じ手』に近い行為だった。
「じゃあ今度遊びに行くのやめとく?」
「……行く」
女子との出会いがほとんどない男子校では、田村のように他校との繋がりがある者は、クラス内で密かにカースト上位として扱われていた。
彼と仲良くなることは、彼女を作ることへの近道。それを誰もが知っているのに、誰も口には出さない。
「じゃあ、また日付決まったら連絡するわ」
その日の帰り。土田は人目を避けるようにイオンへ向かい、眉ハサミとワックスを購入する。鏡の前で少しだけ長く立ち止まるその姿は、確かな覚悟を感じさせた。
そして、決戦当日。
場所は高校から離れたカラオケ店。
「やばー! 何歌おー!」
「分かるー! なんか男子と一緒にカラオケってまぢ悩むよねー!」
田村と土田の間では、今回の作戦に向けて何度も話し合いが行われていた。 そのやり取りは、まるで獲物を狙う前の静かな準備のように、周到だった。
スマホの画面には、今日歌うための選曲リスト。『カラオケで歌うと女子にモテる!』と書かれた記事を何度も読み返し、浴室で繰り返し練習した曲ばかりが並んでいる。
「とりあえず、最初は盛り上がるやつ歌っておくから、その間に好きな曲とか聞いておいて」
「分かった。田村はユキちゃん狙いで良いんだよな? 俺はサキちゃん狙うわ」
滑稽に見えるかもしれない。だが、彼らは本気だった。
ここでうまくいけば、高校生活が華やかなものになる。まさに『青春』と呼ぶにふさわしい瞬間を、手に入れられるかもしれない。
男友達と馬鹿をするのも悪くはない。それでも、彼女を作りたいという欲求には、抗えなかった。
受付を済ませ、4人分のドリンクをトレイに乗せる。個室は薄暗く、田村と土田はこれから始まる“決戦”を想像して、息を飲む。
「んじゃ、俺一発目いきまーす!」
田村は作戦通り、手慣れた操作でデンモクを入力していく。
「ふたりってどんなの聴くの?」
「んー? アップナンバーとか?」
「レッドアップルとかも流行ってるよねぇ」
土田は心の中で、そっと笑う。
計画通り。
『カラオケで歌うと女子にモテる!』は、間違っていなかったのだ。
田村と土田の作戦は順調だった。
ふたりが歌う恋愛ソングを聞きながら、「この子、俺のこと好きなんじゃない?」と、土田と田村は勝手に盛り上がっていた。カラオケは順調に、いや、彼らの中では順風満帆に進んでいた。
「んじゃ、俺ドリンク取ってくるわ」
「わたしも行く~」
空のグラスを持って立ち上がるサキちゃんを見て、土田の胸が跳ねる。これは、そういうことか?
『俺とふたりきりになりたい』
女の子慣れしていない土田の脳内には、春の野原のような妄想が広がっていた。
「やばいね。めっちゃ楽しい!」
サキちゃんの笑顔に、土田は確信する。この子、俺のこと好きだ。
「分かる。俺もめっちゃ楽しい」
「それでさ、聞きたいんだけど……」
来た。ついに来た。人生16年目にして、初めて訪れたこの状況。心臓が跳ね、世界が静まる。
「田村くんってさ、彼女っているのかな?」
土田の脳内は焼け野原になった。
そして誓う。田村とは絶交する。
その日、カラオケが終わるまで、土田は必死に笑顔を作り続けた。 そしてふたりを見送った後──彼は、鬼になった。
「田村さ」
「何?」
「お前、禿げろ」
「は?」
翌日。土田の足取りは重かった。靴が地面に吸い付くような感覚すらある。
そんな土田とは対照的に、田村の表情は晴れやかだった。
「ユキちゃんとRINE交換しちゃってさ。昨日は楽しかったって喜んでたよ」
「ふーん。やっぱ遊び人は手が速いねぇ」
「は?」
土田は右隣に座る寺内に声をかける。
「なぁ、寺内。田村がさ、丸高のユキちゃんって子とRINE交換したんだってさ」
「──まじ? みんなぁぁぁぁぁ! 田村が女の子とRINE交換したってぇぇぇぇ!」
そして囲まれる田村。教室の空気が一瞬で変わる。怒声と笑い声が、波のように押し寄せる。
土田は心の中で、静かに思う──これで、悪は滅びた。
机に突っ伏して動かなくなった田村をよそに、土田は寺内と会話を弾ませていた。
寺内はこのクラスにおける愛の伝道師。そう、『エロ公明』だった。
「やっぱさ、そういうビデオの見過ぎって良くないよ。実際アレってアルカリ性だから、顔にかけて目とかに入るとめっちゃ痛いらしいし」
「へぇ。じゃあリトマス紙に付けたら青くなるの?」
もちろん、寺内にも彼女はいない。
だが性の知識に関しては、クラスの中で頭一つ――いや、高層ビル一つ分は抜けていた。
このクラスでは、彼の語る情報から学びを得て、いつか訪れる『実演の場』に備えて、爪を研ぎ続けている。
もちろん、寺内自身もその場に立ったことはない。
「寺内ってマジで詳しいけど、どこでそういうの勉強するの?」
「まぁ、いろんなルートがあるからさ。後はいつチャンスが来ても大丈夫なように、コレは用意しておいた方が良いよ」
そう言って寺内は周囲がギザギザになっている袋を取り出す。
彼がどこからその知識を仕入れてくるのかは誰も知らない。それどころか、彼の言っていることが正しいのかすら、誰も判断できない。
「田村もさ、もしかしたらってこともあるし、1個分けてやろうか?」
机に突っ伏したまま耳だけ動かしていた田村が、右手を寺内へと伸ばす。
「おっ! めっちゃ面白い物持ってんじゃん!」
クラスのパリピ代表、高坂。彼が田村と寺内の間に割り込む。そしておもむろに袋を破り、中身を取り出す。
「すげぇ! めっちゃ伸びる!」
「うおぉぉぉぉぉぉ!」
その瞬間、教室は沸き上がった。
実物を見たことがある者、ない者。
彼らの好奇心は抑えられることなく、1つの風船へと集中する。
「膨らませてみようぜ!」
そこからは、まさに地獄絵図だった。
まだ封の切られていない袋もすべて強奪され、息を吹き込まれ、水を入れられ、教室は大惨事と化した。
「お前らぁぁぁぁぁ! 学校に余計な物を持ってくるんじゃない!」
担任、山下の一声で、騒ぎはようやく鎮まる。
「誰だ、学校にこんな物持ってきたやつは!」
全員が着席し、教壇の上で山下が吠える。
寺内は怯え、田村は黙っている。
クラスは沈黙に包まれ、互いに誰が名乗り出るか視線を送り合う。
そんな中、高坂がゆっくりと手を上げた。
「先生、田村が持ってました」
職員室へ連れていかれる田村を見送る彼らは、心の中で手を合わせる。
田村、お前は良い奴だった──と。
そんな慌ただしい午前中が過ぎていくうちに、学校のチャイムが昼を告げた。
「土田って、今日は弁当?」
「うん。朝、コンビニで買ってきた」
職員室から戻ってきた田村に、クラスメイトたちが一斉に頭を下げる。
その謝罪を、田村は穏やかに受け入れた。それ以降、彼が女の子とRINEを交換したという話題が再び持ち出されることはなかった。
「ん? スマホ鳴ってるよ」
土田の鞄の中で、スマホがかすかに震える音を立てる。 それに気づいた田村が、鞄を指差した。
「ありがと。こんな時間に誰だろ?」
この時間に土田へ連絡を送ってくる相手は限られている。 クラスメイトか、親。あるいは迷惑メール。 そんなことを考えながら、土田はスマホの画面を開いた。
「悪い、ちょっと足りないかもだから食堂行ってくるわ」
そう言い残して、土田はスマホを握りしめたまま教室を飛び出す。 画面に表示されていたのは、中学時代のクラスメイトの女の子の名前だった。
《今度、お互いに友達誘って遊ばない?》
その一文だけで、土田の胸は大きく跳ねた。 彼は慌ててトイレへ駆け込み、個室に滑り込む。
すぐに返信してもいいのだろうか。あまりに早すぎると、がっついていると思われないだろうか。
彼は、自分の手で掴みかけたチャンスを逃さないよう、慎重に思考を巡らせる。
《良いよ。何人くらい呼ぶ?》
1分ほど悩んでから、ようやく指を動かす。
《こっちは2人だから、そっちも2人で良い?》
《分かった。友達に声かけてみるよ》
その返信を見て、土田は心の中で小さくガッツポーズを決めた。
ついに、彼の努力が実を結んだのだ。
ただ女の子と遊ぶだけ。それだけのことなのに、何かを成し遂げたような達成感が胸に広がる。
《つっちーってさ、田村くんって知ってる?》
画面に表示された一文に、スマホを握る手に力が入る。
《もし良かったらだけど、田村くん誘ってもらえないかな?》
土田は画面をそっと閉じると、個室を出て、ゆっくりと教室へ戻った。
「なぁ、田村」
「ん? どうした?」
「……禿げろ」
彼らの青春は慌ただしく過ぎていく。
彼女を作るため、その想いを胸に、今日も走り続けるのであった──。