Fate/GrandOrder×鬼哭街 劍鬼再哭魔都 上海 作:スペシャルティアイス
夜半の上海に、雨が降っていた。ただの雨ではない、黒みがかった汚濁の雨だ。重金属や硫化物など当たり前で、定かでもない汚染物質は雨に混じり地を汚し海を犯し、そこに生きる生物を内から蝕む。野生生物など、鼠や油虫など以外この薄汚れた裏路地では久しく見えていない。
汚染雨に伴う臭気に混じって、澄んだ音が耳に届く。暗がりの中で鋼の交わりが火花を生じさせ、断続的なそれは某かの闘争が開催されていることを示す。
「殺ァ!」
赤毛の凶相の若武芸者。房飾りのついた大槍が無数の軌跡を描きながら、黒衣の男へ吸い込まれていく。
男はそれを倭刀一本、片手で難なく凌ぐ。一刀如意、意に先んじて攻勢を凌ぐその動きは男が内功に通じた剣士であることを示していた。
薙ぎ、合わせ、いなした鋼ごしの綱渡りを、刀身が槍を滑り槍使いとの間合いを詰める。
そこに暗渠から殺気が噴き出す。アサシンのスキルでは、攻撃態勢に移った一瞬の殺意の漏出を防ぐことはできない。
「……疾ッ」
槍使いへの攻勢の起こり、先に入った瞬間のしかもその死角からの一撃。それを放った者は老人、しかしどことなく槍使いと顔立ちの似通った人物だ。その頭髪は白く染まり若干の筋肉の痩は見えど、その眼光は凝凝と黒い男を捉えていた。しかし侮るなかれ。老境と言えど“神槍”のそれは伝説として今日に伝わる巧夫。
胸部に迫った一撃は、男の剣を握らぬ片側の前腕に防がれた。しかし腹に響くような鈍い音が空気を震わせ、前腕の先、二の腕から肩にかけてまでが合金骨格ごと砕かれ爆ぜた。
「呵々!先を越されたかっ」
一瞬の意識を己の破壊された腕に奪われ、それこそ刹那の隙が男に生まれる。その間に、槍使いは己の槍を突き込みこじ開ける。
「
鍛え上げられた一撃はシンプルであるがゆえに対処法が少ない。まさしくその合理を突き詰めた宝具である突きが男の急所を貫かんとする。
いなそうとする倭刀が槍の穂先にかち合い、火花を生じて弾かれた。無防備になった胸部、やや逸れたその一撃は男の右肋骨を抉り抜く。
「チィ!浅いか」
跳んで後方へ間合いをとった男へ、槍使いと老人が肩を並べる。
「巧夫が足りとらんな。若い儂といえど情けない」
「黙れ老いぼれが。彼奴を屠ったら次は貴様だ」
軽口を交わした二人の相手がすくと立ち上がる。痛恨の双撃を受けた者とは思えぬその姿、血が溢れているべき内臓の位置に金属の輝きが垣間見えた。
「呵々!これはいい。まだまだ殺り合えるではないか!」
「人形が軽気功を成すか」
大笑する槍使いとは対照的に老人は静かに笑む。それは極上の肉を目の前にした猫科の猛獣のようだった。
その巨大すぎる闘気を放つ二人を前に、男が足を開いて半身となる。
―シィィィィィ―
細く息を吐く。破損した身体を意にも介さず、片手の倭刀の切っ先が青眼の高さで留まり敵へ向く。『
片手で倭刀を握ったその構えを老人は見覚えがあった。
「……やはり戴天流か。木偶とはいえ内家の大家と再びやれるとは、この身に感謝せねば」
待ちきれぬとばかりに老人は前傾に重心をとる。それは引き絞られた大弓のように、今にも襲い掛からんとする勢いが隠しきれていない。
「こればっかりは老いぼれに追従せぬわけにはいかんな。しかしこんなに愉しい戦は久しぶりよ。まるで春節に弾む童のような心持ちか」
「はしゃぐな若造が」
逸る敵らを目の前にしても男は揺るがない。なにせその裡には文字通り心がない。この身はただの剣鬼。唯一の目的のために英霊を処刑し、魂を聖杯に蒐集する装置に過ぎないのだから。
二匹の猛獣が同時に大地を蹴る。その相貌に笑みは既になく酷薄なほどに静穏だ。すでに巧夫は身の内に練られ、間合いに入った瞬間に解き放つだけ。
それを迎え撃つ剣士が俯かせた顔を上げる。その眼は赤く、紅玉が内から輝くかのようだった。
震脚に大地を震わせ今度こそその命を絶たんと、それぞれの一撃が二人の李書文から放たれる。
倭刀がぶれて、乾いた音と澄んだ音が路地に木霊する。両者の牽制の一手にあわせた倭刀が、
瞬間、帯状の光が宝具を迎え撃った。厳密には光輝などではなく、無数の剣閃が連なり帯という面に見えたのだ。それは岩くれが積み重なって泰山を築くが如く、雨粒が流れ合わさり長江となるが如くに。
「――――」
その交差の結末を知ることができたのは、この場にいる者だけであった。
***
その日、セイバーのサーヴァントである宮本伊織は医務室に呼ばれていた。緊急の用向きらしく、稚児のような幼い相貌を焦りに染めたダ・ヴィンチに乞われてのもの。
医務室の廊下にはずいぶんと人だかりならぬサーヴァントだかりができていた。その中の、彼をよく知る顔が声をかける。
「伊織殿!」
「正雪。この状況はなんだ?」
「マスターが倒れた、とのことらしい……」
生前の伊織と縁深かったらしい彼女、由井正雪もまたサーヴァントだ。今は形のいい眉を顰め、己のマスターである少女を案じているのがわかる。
自分が呼ばれたのはそのマスターについてだろうか?そう口にした伊織に正雪は驚き、二人連れ立って中に入る。
伊織の姿を認めたダ・ヴィンチが声を上げる。
「伊織くん!こっちだよ!」
「ダ・ヴィンチ殿、これは一体。マスターの身に何が?」
その言葉に答えたのはベッドに横になったマスターの横に侍る、眼鏡をかけた少女だった。彼女の名前はマシュ・キリエライト。マスターである藤丸立香、立香とは付き合いが最も長い一人である。
「私がお答えします。先輩は、三十分ほど前に私の前で急に倒れて、睡眠状態に移行しました。直ちに医療班とダ・ヴィンチちゃんに声をかけてバイタルの確認等をとり、一先ずの危険がないことは確認できています。ただ……」
「この状態は初めてじゃない。以前も立香ちゃんは同じ状態に陥って、みんなに心配をかけたんだ」
そして、とダ・ヴィンチは続ける。
「おそらくだけど、魂だけがレイシフトに似た状況に巻きこまれているんだと思う。この状態で彼女は何らかの特異点に受肉し、騒動に巻き込まれている可能性が高い。この状態の彼女は危険な状況だ。そのため、こちらからもサーヴァントを送ってサポートしたいんだけど」
「それが伊織殿、ということなのか?」
正雪の言葉にマシュが頷く。
「サーヴァントの皆さんを確認したところ、伊織さんが唯一の適合という結果が出ました。以前の小太郎さんと同じく、先輩の所に転移をお願いしたいんです」
「俺自身は構わないが、なぜ俺なのだ?」
「それは現状では不明なんだ。前回は江戸初期の下総国で、その時代と縁のある英霊で小太郎くんが転移できたという事実があるけれども、それなら他の同時代の英霊でもいいわけで」
「……やることが変わらないなら是非もない」
頷く伊織の姿に、スタッフは既に整えられていたらしい設備を展開していく。その様子に伊織の傍らの正雪が呟く。
「大丈夫、なのだろうか」
「心配をするな。なに、マスターの身はこの身に代えて守る」
そう言って笑う伊織の姿に正雪の胸がざわめく。
(違うのだ。私は、なぜだかあなたがあの時のように)
かの夜、浅草寺の楼上に見た望月のような。冴え冴えと清澄とした鬼気に、彼が染まり切ってしまうのではないかと。彼が、闘争の理に憑かれた剣鬼となり果てるのではないかと。別の特異点でそれは杞憂だと知ったはずなのに、どうしてか鎌首をもたげる不安という名の蛇を殺せない。
(ああ、伊織殿)
思わず、その手を掴む。
「正雪?」
「お願いだ。どうか、どうか戻ってきて。あなたの、宮本伊織として此方に戻ってきて」
切実な訴えを込めたその瞳を無碍にできる男がいようか。真摯に自身を想う正雪の願いに、伊織は頷くことしかできない。
「……よくわからないが、俺は必ず戻ってくる。五体無事なマスターと共にな」
そう言ってダ・ヴィンチと共に準備する伊織を、正雪は見送ることしかできなかった。