ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
視界が白く弾け、次の瞬間、肺に現実の空気が流れ込んできた。
「……っ、はぁ……」
天井が見える。無機質な照明。耳に残るのは機械の微かな駆動音だけで、さっきまでの街の気配は、嘘みたいに消えていた。身体を起こそうとして、失敗する。
『無理しないで。脳波、まだ安定してない』
左耳でアイボゥの声がした。いつもより少し低い。冗談を挟む余裕はなさそうだ。
「……どれくらい、寝てました?」
『意識消失から七分四十秒。短いけど、今の君には十分長い』
七分。
たったそれだけで、世界は一歩先に進もうとしている。
足音が近づく気配がした。
「起きたか」
伊達さんだ。腕を組んで、俺を見下ろしている。その顔は、いつもの軽さが抜け落ちていた。
「……すみません」
「謝るな。仕事だ」
そう言い切った後、伊達さんは視線を俺から外し、部屋の奥へ向かって顎をしゃくった。
「来い。歩けるか」
「……はい」
正直、強がりだった。でも、ここで止まるわけにはいかない。支えられながら隣のブリーフィングルームに入ると、中央のテーブルの上に、見慣れない物が置かれていた。
黒いトランクケース。
軍用にも見える、無駄のない造り。
ただそこにあるだけなのに、妙な圧を感じる。
「……それ、何ですか」
口に出した瞬間、空気が一段重くなった。
伊達さんはトランクの前に立ち、しばらく黙ったまま、ロックに手をかけた。
「ABISの新規開発品だ」
『正確には“開発途中”ね』
アイボゥが補足する。
『君の戦闘データをベースにした試作システム。現段階では実戦投入不可』
嫌な予感が、背骨を伝って上がってきた。
「……俺の、データ?」
「全部だ。初戦から、さっきのプラズマまで」
伊達さんはそう言って、ロックを外した。
カチリ、という乾いた音。
蓋が持ち上がり、中が露わになる。
そこに収まっていたのは、ベルトだった。
ゼッツドライバーとは似ても似つかない。色も、形も、思想も違う。余計な装飾はなく、冷たいほど合理的で、まるで“人が使う前提”を後回しにした機械みたいだった。
「……」
喉が鳴る。
「これは……」
「まだ決まってない」
俺の言葉を遮るように、伊達さんが言った。
「誰が使うかも、使えるかもな」
『適合条件は未確定。成功率は――低い』
アイボゥの声は淡々としている。だからこそ、余計に怖い。
「じゃあ、なんで……」
「お前が限界だからだ」
即答だった。
「今回みたいなのが続けば、次は戻ってこれない可能性がある」
反論しようとして、言葉が詰まった。
事実だからだ。
「これは代わりじゃない」
伊達さんは、トランクの中のドライバーから目を離さずに続ける。
「空白を埋めるための“器”だ。誰かが倒れた時、世界が止まらないようにするためのな」
『使われない可能性も高い。むしろ、その方がいい』
アイボゥが言う。
『でも、“何もない”状態は、もっと危険』
トランクが閉じられる。
カチリ、という音が、やけに冷たく響いた。
俺は、しばらくその黒いケースから目を離せなかった。
まだ、何も決まっていない。
そう言われたはずなのに、胸の奥に重たい感覚が残る。
「……誰が、使うんですか」
自分でも驚くほど、静かな声だった。
伊達さんは、すぐには答えなかった。
視線を俺から外し、壁際のモニターに映る解析ログへ向ける。
「それを、今決める段階じゃない」
『現時点では候補すら存在しないわ』
アイボゥの声が続く。
『適合条件は未確定。君のような明晰夢保持者を前提にしていない以上、誰が安全に使えるかは分からない』
「……じゃあ」
言葉を選びながら、続ける。
「誰でも、使える可能性があるってことですか」
それは、安心でもあり、同時に恐怖でもあった。
「“誰でも”じゃない」
伊達さんが、はっきり否定した。
「“誰か”だ。必要に迫られた時、引き受ける覚悟を持った誰か」
その言葉が、胸に刺さる。
必要に迫られた時。
それはつまり、俺が出られない時だ。
「……俺が、倒れた後」
無意識に口にしていた。
伊達さんは否定しなかった。
『だからこそ、今は触らせない』
アイボゥの声が、いつもより硬い。
『誰が使うかを考え始めた瞬間、このドライバーは“選択”を迫る存在になる』
選択。
誰かが、俺の代わりに夢の中へ行く。
誰かが、俺と同じ場所に立つ。
その顔が、まだ浮かばないのが、救いなのか。
それとも、ただの先延ばしなのか。
「……使われないまま、終わる可能性もありますよね」
「ある」
伊達さんは即答した。
「むしろ、それが一番いい」
そう言い切ったあと、少しだけ声を落とす。
「だがな。備えがないまま、その時を迎えるのは……もっと悪い」
俺は、トランクケースから目を離した。
まだ誰のものでもない。
まだ、誰も選ばれていない。
それなのに、確かにそこにある。
――もし次が来たら。
――もし俺が、立てなかったら。
その時、このベルトは、誰の腰に巻かれるんだろう。
答えのない疑問だけが、胸の奥に沈んでいった。