ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
ドアの向こうから聞こえてきた声が、ふっと途切れた。
それを合図にしたように、僕はようやく息を吐いた。
(……聞いて、しまったな)
最原終一――僕は、廊下の壁に背を預けたまま、動けずにいた。
盗み聞きするつもりなんてなかった。ただ、万津が戻ってきたと聞いて、様子を見に来ただけだったのに。
(使用回数……戻れない……代打……)
頭の中で、言葉だけが反響する。
どれも、軽く扱っていい言葉じゃない。
ノクスドライバー。
使うたびに、何かを失っていく装置。
(そんなものを……誰が使うっていうんだ)
ゼッツは、万津の力だ。
明晰夢という、彼だけの特別な能力があるからこそ成立している。
でも、ノクスは違う。
誰にでも使える可能性がある代わりに、誰でも壊れる。
(……それって、選択じゃない)
犠牲を選ぶだけだ。
自分の影が床に落ちているのを見て、僕は思わず目を逸らした。
影は、黙ってそこにあるだけなのに、なぜか重たく感じる。
(僕は……まだ、何もできない)
それが、今の正直な答えだった。
***
一方で、医療区画では、静かな焦燥が渦巻いていた。
万津獏は、ベッドの端に腰掛けたまま、必死に自分の脚に力を込めていた。
けれど、立ち上がろうとした瞬間、膝が笑い、身体が前のめりになる。
「っ……!」
倒れる寸前で、伊達が肩を掴んだ。
「無茶すんな」
「……すみません。でも……」
万津は歯を食いしばる。
視界が揺れる。頭の奥が、ズキリと痛んだ。
『筋力出力、基準値以下。神経反応遅延、顕著です』
アイボゥの無機質な声が、現実を突きつける。
「……まだ、行けます」
その言葉は、震えていた。
けれど、目だけは逸らさない。
「星のところに……行かなきゃ」
伊達は、しばらく黙って万津を見ていた。
その沈黙が、何より重い。
「今のお前で、あそこに行ったらどうなるか分かってるか」
「……分かってます」
分かっている。
身体が動かないことも、次に無理をすれば取り返しがつかないかもしれないことも。
それでも――。
「でも、放っておけないんです」
万津の声は、弱い。
けれど、その奥にある意思は、揺れていなかった。
『現在の状態での戦闘行動は推奨されません』
アイボゥが即座に警告する。
『プラズマ形態使用後の精神負荷が残留しています。このまま行動を続けた場合、行動不能に陥る確率が高い』
「……それでも」
万津は、ベッドから手を離し、ふらつきながらも一歩踏み出した。
(動け……動け……)
脚が重い。
感覚が遅れる。
まるで、身体が自分のものじゃないみたいだ。
「万津」
伊達の声が、低く響く。
「お前が倒れたら、誰が星を助ける」
その一言に、万津は一瞬だけ言葉を失った。
(……そうだ)
助けたい。
でも、倒れてしまったら意味がない。
『合理的判断としては、待機が最善です』
アイボゥの言葉は、正しい。
正しすぎるほどに。
万津は、拳を握りしめた。
「……分かってます。でも」
視線が、部屋の隅に置かれたトランクケースへと向く。
まだ閉じられたままの、ノクスドライバー。
(あれを使えば……)
そんな考えが、脳裏をよぎる。
だが、すぐに首を振った。
(ダメだ。今は……)
伊達も、その視線に気づいたのか、ケースの前に立つ。
「まだ使わない。誰が使うかも決まってない」
『現段階での使用は、推奨できません』
アイボゥが重ねる。
万津は、ゆっくりと息を吐いた。
「……分かりました」
そう言いながらも、その表情には、納得とは違う色が残っている。
(それでも……行かなきゃいけない時が来る)
星は、今も悪夢の中にいる。
自分の罪に縛られて、街に留まり続けている。
助けを待っているわけじゃないかもしれない。
それでも、放っておくことはできない。
(まだ……終わってない)
万津は、再び立ち上がろうとする。
今度は、伊達が完全に支えに入った。
「焦るな。お前が立ち上がれる場所は、ここじゃないかもしれない」
その言葉に、万津は目を閉じた。
(……くそ)
悔しさと不安が、胸の奥で絡み合う。
そして、そのすべてを、廊下の影から見ていた一人の少年がいた。
(……万津君)
僕は、拳を握りしめた。
(僕は、まだ何もできない。でも)
知らなかったふりは、もうできない。
ノクスドライバーの存在も。
誰かが、代わりに戦うかもしれない未来も。
(その時、僕は……)
答えは、まだ出ない。
けれど、確実に一つだけ言えることがあった。
この戦いは、もう“万津一人の問題”じゃない。
静かな医療区画と、その外の廊下で、
それぞれが、それぞれの場所で、
迫りくる選択の重さを、無言のまま受け止めていた。