ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ   作:ボルメテウスさん

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優しさ Part2

校舎の廊下から教室棟を抜ける角までの距離は、通常なら数十秒で済むはずだった。

だがその距離を歩く間、俺の意識は決して“通常”ではなかった。

 

先ほどの廊下での違和感は、明確に現実の感触として残っている。

世界の構造がほんの一瞬だけズレたような感覚。

蛍光灯の光の位相が揺れ、影の輪郭が意味なく歪んだ。

 

「……おかしいな」

 

俺は呟いた。

口に出すほどの違和感ではない。

だが、必ずそこに何かがあると直感した。

 

例えるなら、普段は無音の空間で、不意に遠い機械音の余韻だけが聞こえたようなものだ。

世界の構造そのものがわずかにずれていることを、身体よりも先に脳が認識していた。

 

そんな状態で、俺は最原の元へと向かった。

 

――机の上に広げられた資料。

整理されたノート。

淡々と情報を整理している時の最原の視線は、いつもと変わらなかった。

 

「最原」

 

俺は切り出した。

 

「ゴン太の様子だが……放課後、廊下で妙な違和感があった。光の揺れというか……視界の位相のズレというか……」

 

最原は書きかけのノートから顔を上げる。

 

「……具体的にどういう現象だ?」

 

「説明が難しいが……蛍光灯の光が一瞬だけ鋭く点滅した。視界の片隅に人影らしい“何か”がちらついた」

 

最原の眉がわずかに動く。

その瞬間、空気が静かに変わった。

 

「それは……単なる錯覚ではない可能性が高い」

 

「錯覚じゃないと思うんだ」

 

俺は肯定した。

錯覚ではない。

観測された現象として、世界の“層”がわずかにずれた。それは誤認ではなく、位相の乱れとして認識された。

 

「ゴン太本人の行動で、他にも異変はあるのか?」

 

最原が問う。

 

俺は首を振った。

 

「今日は他のクラスメイトには目立った異常はない。だが……ゴン太自身の挙動は違う」

 

俺はポケットからスマホを取り出した。

そこに残されたゴン太の帰り際の映像がある。

歩行時のリズム、視線、そして――呼吸の乱れ。

 

「この映像を見てほしい」

 

俺は画面を最原に差し出した。

ゴン太の横顔が映っている。

 

「見て分かるか?」

 

最原は無言で画面を見つめる。

数秒経った後、低い声で応えた。

 

「……これは……生理的な不安反応だ。通常の神経性の緊張とは質が違う」

 

「そう思うんだ。助けた直後、妙な気配を感じていたらしい……ゴン太本人も言っていた」

 

最原は資料を整理する手を一時止め、視線を固定した。

 

「なら、本人に話を聞いてみるか。直接だ」

 

俺は頷いた。

 

――教室棟の角を曲がる。

今度は独特の静寂ではなく、世界の構造がじんわりとずれ始めている気配の中を歩いた。

 

教室のドアを押す。

そこにいたのは、変わらない体格のゴン太だった。

ただ、目の奥にわずかな動揺が見えた。

 

「……万津君、どうしました? そんな顔をして……」

 

声はいつもどおり丁寧だった。

だが、その声の裏側には微妙な揺らぎがある。

 

俺は間を置かずに問うた。

 

「ゴン太……今日、放課後に違和感を感じたよな?」

 

ゴン太は驚いたように目を見開いた。

 

「……はい。あの後、なんだか……妙に息が乱れまして……視界の端がぐにゃりと歪んだ気がして……」

 

ゴン太は言葉を継げなかった。

その口調は言葉を選びながら、静かに、しかし確実に揺れている。

 

「……誰かに見られている気がしたんです。ゴン太、それが嫌で……」

 

俺はゴン太の視線を真っ直ぐに受け止めた。

 

違和感は個人の主観ではない。

現実の観測事実として起きている。

 

それは錯覚でも夢でもなく、

世界の層が干渉された結果として現れている現象だった。

 

俺たちは確信した。

 

この違和感は、ただの偶然ではない。

 

何かが……

動き始めている。

校舎の廊下を抜け、最原と俺は空調の効いた机の前に座っていた。

蛍光灯の光が白い反射を示すだけの部屋に、他の人物の気配はない。

そこにあるのは、分析資料と冷静な観察だけだ。

 

「じゃあ……もう一度最初から整理しようか」

 

最原はそう言って、端末の画面を俺に向けた。

画面にはゴン太の日常行動ログと、放課後の映像が並んでいる。

 

「まず、ここな」

 

最原がスクロールを止めた位置には、帰り道に撮影されたゴン太の映像が映っていた。

映像は一見、何の変哲もない。

しかしその横には、別の映像が並んでいる。

 

「これは……なんだ?」

 

画面に並ぶサムネイルは、どれも暗い部屋の中で撮影された映像だ。

映像のタイトルはどれも見慣れないファイル名称で、

サムネイルには赤い記号だけが映っている。

 

「これ……誰が……」

 

俺がそう訊く前に、最原は淡々と説明した。

 

「これは……ゴン太が戻ってきた後に受信した動画ログだ」

 

「動画ログ……?」

 

俺は思わず声を漏らした。

ゴン太自身のスマホがどういう経路でこの映像を受信したのかは、まだ分からない。

しかし映像は確かにゴン太の端末に保存されている。

 

最原は無言で一つのサムネイルを再生した。

 

──映像は暗い部屋で、誰かの足音が床を擦る音から始まった。

カメラは手持ちのまま揺れる。

映像の先には、赤い文字で映像の開始が示されていた。

 

「……これは……」

 

その赤い文字だけが画面に残っている。

 

最原は目を細め、無言で次のフレームを進めた。

映像は低解像度で、色数も少なく、ただ黒と白の濃淡だけが画面を満たす。

 

「これは……絶望ビデオだ」

 

最原は淡々とそう告げた。

 

「絶望ビデオ……?」

 

俺はその名称を初めて耳にした。

しかし映像の構造と、赤いタイトル文字は極めて特徴的だった。

 

「ゴン太はこれを……見たのか?」

 

「見た可能性が高い」

 

最原はそう答えた。

最原は別のサムネイルをクリックした。

今度は映像の奥に、薄暗い廊下が映っている。

 

視界はぼんやりとしている。

だが、確実に映像は動いている。

 

足音。

足音は一定のリズムを持ち、移動しているように聞こえる。

 

「これは……万津君、君が見た廊下の映像と酷似している。蛍光灯の反射、影の輪郭のノイズ、光の位相のズレ……すべて一致する」

 

最原の言葉は事実だけを述べている。

そこには恐怖や感情ではなく、観測された現象の比較しかない。

 

「そして……この最後の映像だ」

 

最原は一つのサムネイルを拡大した。

そこに映っているのは、黒い輪郭だけの影だった。

輪郭は不自然に湾曲し、どこかで見た“意味のない揺れ”を示している。

 

「これがソムニウム世界への干渉の痕跡である可能性が高い」

 

最原はそう断言した。

 

俺は映像を見つめた。

ゴン太がこの映像を視認したという事実だけでなく、

その後の身体反応と視線の揺れが、映像の異常なノイズと完全に一致している。

 

「つまり……ゴン太はこの絶望ビデオを視聴したことで、現実側に何かが干渉している……ということか?」

 

俺が確認するように問うと、最原は静かに頷いた。

 

「そうだ。そしてその影響は、本人が自覚している以上に深い。視覚だけではなく、認知の広い領域にまで影響を及ぼしている可能性がある」

 

その言葉に、俺は背筋が冷たくなるのを感じた。

 

世界の層が、

静かに、しかし確実に、

崩れ始めている――

 

そんな事実を、

俺たちは今、目の前で立証していた。

教室の空気は常温よりわずかに重い。

ゴン太の映像解析結果を受けてから、すでに数分を費やしているにも関わらず、部屋は一向に安定性を取り戻さなかった。

 

視覚的な違和感は、通常の神経性の緊張ではない。

それは認知干渉の痕跡であり、目に見えない“軋み”を空間に刻んでいた。

 

最原は端末を閉じて、ふと俺を見た。

 

「そろそろ行くか」

 

その声は冷静だ。

だが言葉の裏側には、他の物語を冷徹に読み解く眼差しが見える。

最原は常にデータの積み重ねから結論を導き出すタイプだ。

そのまなざしは、抽象化された恐怖の先にある“実際の異常”を捉えようとしていた。

 

「場所を確保した。ここで待機するより、早めに対処した方が合理的だと思う」

 

俺は答える。

 

「分かった。じゃあ……どうする?」

 

最原は、机の引き出しから黒いケースを取り出した。

それはゼッツドライバーのケースだ。

静かな光沢を帯びた金属製の外殻は、普段の装飾を一切排した機能主義の塊のように見えた。

 

「これを使う。ソムニウム世界への符号をこちらで生成する」

 

最原の言葉は簡潔だ。

だがその背後には、論理的な裏付けがある。

ゴン太の異常は単なる心因性ではなく、外部からの干渉という観測事実に基づいている。

「……行こう」

 

俺は頷いた。

 

ドライバーを身体に装着した瞬間、周囲の空気が微細に震えた。

違和感が“形”として蓄積される。

 

蛍光灯の光が一瞬だけ滲むように見え、

空間の静止性が弱くなる。

 

その瞬間、俺は明確に認識した。

 

世界が干渉されている。

 

この静寂はノイズを秘めた状態であり、

その先に何かが存在するという確信だった。

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