ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
町は、静かだった。
風が通り、陽が差し、建物は整然と並んでいる。人々は落ち着いた足取りで行き交い、声を荒げる者はいない。事故も、悲鳴も、混乱も見当たらなかった。ここは安全だ。少なくとも、そう“見える”。
ゴン太は通りの端に立っていた。
誰かを助けるでもなく、立ち止まっているだけだ。だが、その表情は安堵に近い。世界が落ち着いていることを、彼なりに喜んでいるように見えた。
「……今日は、みんな困ってないみたいだね」
穏やかな声だった。
それに応えるように、通りの人々が軽く会釈を返す。礼儀正しい反応だ。だが、誰一人として足を止めない。助けを求める視線もない。
ゴン太が一歩近づくと、人の流れがわずかに割れた。避けられたわけじゃない。衝突を避けるための自然な動き――そう言い切れる程度の距離。だが、その“自然さ”が、胸に引っかかった。
「大丈夫ですから」
「こちらでやります」
そんな声が、柔らかく投げられる。拒絶ではない。丁寧な配慮だ。配慮の形をした距離。
ゴン太は頷き、下がる。紳士として、相手を不安にさせないために。
その瞬間、町はさらに静かになった。
音が減ったわけじゃない。むしろ、整った。歯車が噛み合ったような、妙な安定感が生まれる。
――関わらなければ、世界は壊れない。
どこからともなく、そんな結論が漂ってくる。
言葉ではなく、空気として。
通りの奥、群衆の背後に、影が立っていた。
誰かの背中に重なり、別の誰かの足元へと滑る。はっきりした輪郭はない。だが、世界が安定する瞬間にだけ、濃くなる影だった。
影は何もしない。
ただ、結果を見せている。
ゴン太は気づいていない。
自分が動かないことで、町が“正しく”回っていることに。
そして、その正しさが、どれほど残酷な意味を持つのかを。
町の静けさは、続いていた。
それは嵐の前の沈黙ではない。完成された秩序の音だった。誰もが自分の役割を理解し、無駄な衝突を避け、滞りなく日常を回している。少なくとも、表向きは。
ゴン太は、その中に立っている。
いや、立たされていると言った方が正しいのかもしれない。
「ゴン太は……今日は、見てるだけにするよ」
誰に向けた言葉でもない。自分自身に言い聞かせるような、静かな宣言だった。
彼は動かない。助けを求める声がないからではない。助けを求めさせない距離を、無意識に取らされているからだ。
通りの向こうで、荷物を運ぶ人影が見える。
重そうだ。ゴン太なら、すぐにでも手を貸せる。だが、その前に別の誰かが声をかける。
「こっちでやりますよ」
「ありがとうございます。でも、もう大丈夫です」
言葉は丁寧で、礼儀正しい。
その一つ一つが、ゴン太の前に“壁”を作る。
彼が一歩踏み出そうとすると、周囲の空気がわずかに張り詰める。
不安ではない。警戒でもない。ただ、「そこまでしなくていい」という無言の合意。
ゴン太は足を止める。
紳士であろうとするからだ。相手を困らせないために。空気を乱さないために。
その選択が重なるたび、町はより滑らかに回り始める。
誰も転ばない。誰も声を荒げない。問題は起きない。
――ほら、正しいだろう?
影が、また一つ濃くなる。
人々の背後、建物の影、足元に伸びる輪郭。その存在は、世界の“正解”を肯定するかのように、ただそこにある。
仕事は、既に割り振られている。
役割は、最初から他の誰かのものだったかのように。ゴン太の名前は、どこにもない。
「ここは、危ないから」
「君は、休んでいていい」
優しい言葉だ。責める響きはない。
だが、その優しさは、ゴン太の立つ場所を少しずつ削っていく。
彼は気づかない。
“助けない”ことが選択ではなく、“助けさせてもらえない”状態へ移行していることに。
気づかないまま、頷く。
紳士として、笑顔を作る。
その瞬間、町は完成する。
ゴン太が関わらない世界。
静かで、正しくて、誰も困らない世界。
そして、その正しさの中心に、影が立っていた。
町は、あまりにも静かすぎた。
人の流れは整い、仕事は滞りなく進み、声は低く抑えられている。誰もが礼儀正しく、誰もが正しい。だが、その正しさの中に、温度がなかった。
ゴン太は通りの中央に立っている。
巨体は相変わらず目立つはずなのに、誰の視線も引き寄せない。見えていないわけじゃない。ただ、必要とされていない。
「……ゴン太、邪魔じゃないよね?」
そう尋ねる声はない。
代わりに、自然な配置が彼を避けていく。人の流れが左右に割れ、空間ができ、また閉じる。そこに悪意はない。計算すら感じられない。ただの“最適化”。
――関わらなければ、問題は起きない。
その結論が、町の至る所に刻まれている。
看板に、道の配置に、人々の距離感に。
万津は、はっきりと理解した。
この世界は、ゴン太が動かないことを前提に設計されている。
通りの奥で、口論が起きかけた。
だが、誰かが一歩前に出る前に、別の声が割って入る。
「ここは危険です」
「専門の人に任せましょう」
正しい判断だ。
そして、その“専門の人”の中に、ゴン太の席はない。
影が、姿をはっきりさせる。
人の背後から離れ、通りの中央に滲み出る。輪郭は曖昧なまま、だが存在感だけは明確だ。
影は語らない。
代わりに、結果を並べる。
ゴン太が助けようとした場所では、別の場所で問題が起きていた。
ゴン太が力を使えば、どこかが壊れる。
彼が庇えば、別の誰かが傷つく。
――善意は、被害を生む。
それが、この世界の“裏のルール”だった。
ゴン太は立ち尽くす。
彼が動かないほど、町は安定する。
彼が身を引くほど、被害は減る。
影が、静かに輪郭を濃くする。
「君は優しい」
「だから、世界のために距離を取れる」
その言葉は、慰めの形をしていた。
だが意味は違う。
――存在しない方が、正しい。
ゴン太が人間社会に馴染もうとしてきた努力。
紳士であろうとした姿勢。
人を傷つけないために、自分を抑えてきた選択。
そのすべてが、ここでは削除理由に変換されている。
万津は、背筋が冷たくなるのを感じた。
これは罰じゃない。排除ですらない。
優しさを肯定したまま、居場所を消す構造だ。
影は、敵意を隠さない。
だがそれは怒りではない。冷静な宣告だ。
「君がいなければ、世界は完成する」
ここで、ソムニウム世界の真実が明らかになる。
このナイトメアは、ゴン太を壊すために生まれたのではない。
ゴン太を“正しく無効化”するために存在している。
町は、完成していた。
事故は起きない。争いもない。人々はそれぞれの役割を果たし、過不足なく世界を回している。そこには混乱も、悲鳴も、救助も必要ない。
ゴン太は、その中心から少し離れた場所に立っていた。
誰にも邪魔されず、誰にも頼られず、誰にも期待されない位置。そこは安全で、静かで、正しい。
「……ゴン太は、ここにいればいいんだね」
その声は、震えていなかった。
納得しようとしている声音だった。
影が、完全に姿を現す。
それは怪物でも、暴力の象徴でもない。町の構造そのものから切り出されたような存在。道の配置、視線の流れ、選択肢の消失――それらが一つに集約された形。
「君は間違っていない」
「ただ、君は多すぎる」
影の言葉は、どこまでも冷静だ。
ゴン太の優しさを否定しない。努力も、善意も、誠実さも認めている。その上で、こう結論づける。
「世界は、君がいなくても回る」
「むしろ、君がいない方が滑らかだ」
ゴン太は反論しない。
紳士として、相手の言葉を遮らない。
自分が動けば、どこかが壊れる。
自分が助ければ、別の誰かが傷つく。
それを、もう何度も見せつけられてきた。
「……ゴン太は、みんなを困らせたくない」
その言葉が落ちた瞬間、影は確信する。
敵意が、完成する。
これは排除ではない。
これは裁きでもない。
善意を肯定したまま、存在価値をゼロにする論理だ。
町は、静かにゴン太を“背景”へと押し出す。
誰も彼を追い出さない。
ただ、必要としなくなる。
万津は、はっきりと悟った。
このナイトメアは、ゴン太が自分から消えることを望んでいる。
それが最も“正しい結末”だと、信じさせようとしている。
――それでも。
ゴン太は、ゆっくりと拳を握る。
紳士であろうとする姿勢は、崩れていない。
だが、そこに新しい決意が混じる。
「……でも。ゴン太は、ここに立ってる」
影が一瞬、揺らぐ。
それは怒りではない。
想定外だ。
ゴン太は、世界を壊そうとしていない。
誰かを否定しようともしていない。
ただ、自分が存在することを、引き下がらずに選んだ。
それだけで、この世界の前提が崩れ始める。
万津は一歩、前に出る。
この先は、説得でも理解でもない。
戦わなければならない理由が、ここでようやく生まれた。
善意が罪になる世界を、否定するために。
優しさが消去理由になる構造を、破壊するために。
ソムニウム世界が、軋みを上げる。
ナイトメアは、初めて“敵”として牙を剥いた。