ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
医療室は静まり返っていた。
機械の作動音だけが、規則正しく空気を刻んでいる。
ベッドの上で横たわる万津の胸が、一定の間隔で上下する。
心電図は安定している。血圧も正常範囲内。呼吸も乱れていない。
けれど、安心できる要素は一つもなかった。
日菜はモニターを睨みつける。
心拍数は七十前後を保っているが、波形の端にわずかな揺らぎが混じる。
脳波計のラインは、眠りのそれにしては深すぎる振幅を描いていた。
「生体反応は正常……でも」
言葉が途中で止まる。
正常という言葉が、こんなにも頼りなく感じることがあるだろうか。
机の上の端末には、直前の戦闘映像が静止画で表示されている。
黒い煙に包まれ、暴走する姿。
空間が歪み、地面が崩れ、声にならない叫びが響いていたあの瞬間。
日菜は再生ボタンに触れかけて、指を止めた。
映像はもう何度も確認した。
出力の急上昇。
体表温度の異常変化。
そして、最後に見せた表情。
あれは――。
唇がかすかに引き結ばれる。
「……深層に落ちてる」
独り言のように零れた声は小さい。
万津のまぶたは閉じたまま動かない。
指先も、ぴくりとも反応しない。
外から見れば、ただ眠っているようにしか見えない。
だが日菜は知っている。
あの瞬間、彼は“何か”を見た。
そして、それを抱えたまま戻ってこられなかった。
脳波モニターの波形が、ゆっくりと深い谷を描く。
通常の睡眠では出ない深度だ。
まるで、意識が底へ底へと沈み続けているかのような。
「今、起こしたら……」
その先を口に出すことはできない。
医療スタッフは異常なしと繰り返す。
身体に問題はない、と。
だがそれは“身体だけ”の話だ。
日菜は椅子から立ち上がり、ベッドの傍らに歩み寄る。
ほんの少しだけ、手を伸ばす。
触れようとして、止めた。
ここで刺激を与えるべきではない。
それは理屈でわかっている。
もし、今、無理に意識を引き上げれば。
あの力が、再び表層へ溢れ出す可能性がある。
医療室の白い照明が、彼の横顔を照らす。
穏やかな寝顔。
だが、端末の映像に映るあの姿が、日菜の脳裏から離れない。
「原因は、わかってる」
小さく、しかし確信を込めて。
あの暴走は偶然ではない。
彼自身の奥にある“何か”に触れた結果だ。
問題は、そこへどうやって届くか。
目の前の数値は安定している。
だが、その奥で嵐が続いている。
日菜は端末を操作し、戦闘ログを再び開いた。
時間軸を巻き戻し、出力が跳ね上がる直前のフレームで止める。
黒い煙。
光の収束。
そして、わずかな沈黙。
「あの瞬間に、落ちた」
確信に近い。
医療室の空気が、わずかに重くなる。
誰も気づかない。
だが日菜には、秒針の音さえうるさく感じられた。
このままでは、目覚めない。
無理に目覚めさせれば、何が起きるかわからない。
解決策は一つしかない。
彼が沈んだ場所へ、誰かが行くしかない。
日菜は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
モニターの光が瞳に映り込む。
「……間に合わせる」
その声は小さい。
だが、揺れていなかった。
会議室の空気は、音を立てずに張り詰めていた。
モニターに映るのは万津の生体データ。
心拍、血圧、呼吸――どれも正常範囲内。だが、その下層に重なる脳波の異常値が、静かに警鐘を鳴らしている。
日菜が淡々と告げる。
「肉体は安定している。だが、意識層の干渉値が下がらない。暴走因子は消えていない」
画面に戦闘直前の映像ログが再生される。
黒い煙。歪む空間。崩壊する光。
伊達が低く呟く。
「目覚めさせれば、再暴走の可能性が高いってことか」
「……それだけじゃない」
日菜は数値を拡大する。
「意識が肉体を上回る可能性がある。覚醒と同時に、神経系が破断する危険もある」
沈黙が落ちた。
最原が静かに言う。
「……このまま放置しても、深層は活動を続ける。暴走は“終わっていない”」
その言葉が、会議室の温度を一段下げた。
そのとき――
勢いよく扉が開いた。
「暗っっっ! なにこの空気! 葬式でも始めるつもり?」
甲高い声が響く。
入間美兎が、大型のスーツケースを引きずりながら入ってくる。
「絶望ムードはそこまでよ。私が来たからには、状況は変わる」
伊達が目を細める。
「……入間。今は冗談を言ってる場合じゃない」
「冗談? は? 私の発明を冗談扱い? あんた脳ミソ足りてる?」
挑発的に笑いながら、彼女はスーツケースを机に叩きつける。
金属音が重く響いた。
ゆっくりと蓋が開く。
中に収まっていたのは、白銀の装置群。
中央に配置された主装置は、淡く発光している。
「これが――私の最高傑作」
入間は胸を張った。
「ブレイカム・モジュラー。ゼッツのシステムをベースに再設計した量産型ライダーギアよ」
日菜の視線が鋭くなる。
「量産型……?」
「そ。オリジナルほどイカれた出力は出ない。でも、その代わり暴走しにくい。制御優先設計」
装置を持ち上げ、指で叩く。
「見ての通り、ベースは白銀。味方仕様。属性ごとのラインで識別できる」
赤、青、緑、紫のラインが淡く走る。
最原が問う。
「……万津の暴走を抑えられると?」
入間は顎を上げる。
「抑えるっていうより、“干渉する”。
カタストロムの力を外側から相殺するのよ。四系統のエネルギーでバランスを取る」
伊達が腕を組む。
「リスクは?」
一瞬、入間の目が細くなる。
「あるわよ、当然。
出力は本家の六割。深層意識に侵入する以上、精神負荷もある」
日菜が続ける。
「適合者は?」
静寂。
入間は、わずかに視線を逸らした。
「……まだ見つかってない」
空気がさらに重くなる。
「は?」
伊達の声が低くなる。
入間は苛立ったように言い返す。
「適合条件が厳しいのよ! 才能と属性が一致して、なおかつ精神耐久が一定以上!
そんな都合のいい人材、そこらに転がってると思う?」
最原が静かに整理する。
「つまり、装置は完成している。だが使える人間がいない」
「……今はね」
入間は唇を吊り上げた。
「でも、これがなきゃ万津は終わる。
目覚めさせれば死ぬかもしれない。放っておけば崩壊は進む」
彼女は装置を机に置き、まっすぐ前を見る。
「だったら、賭けるしかないでしょ?
私の発明に」
その声は、いつもの軽さよりも、少しだけ硬かった。
日菜がモニターを見つめる。
脳波の異常値は、依然として高い。
「……時間がない」
伊達が短く言う。
「適合者を探す。同時に準備を進める」
最原が頷く。
「成功すれば、万津は救える。
失敗すれば……」
言葉は最後まで出なかった。
入間が腕を組み、ふっと笑う。
「失敗なんてしないわよ。
だって作ったのは私なんだから」
その笑みは強気で、そしてどこか震えていた。
白銀の装置が、静かに光を帯びる。
会議室に、次の決断の気配が満ちていく。