ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
足が地面に触れた瞬間、現実の重力とは違う“薄さ”が膝にまとわりついた。俺は一歩踏み込みながら周囲を見回し、ここが孤児院の中庭を模したソムニウム世界だと即座に理解する。昼でも夜でもない紫がかった空と、笑い声の代わりに遠くで鳴るノイズが、夢のルールを嫌というほど主張していた。
ブランコは止まっているのに軋み、砂場は乾いているのに濡れたように黒い。花壇の花だけが鮮やかで、逆にそれが作り物臭くて気持ち悪い。悪夢ってのは、だいたいこういう“ちゃんと見せる部分”だけ妙に丁寧だ。
「……春川」
中庭の端で、春川魔姫が子供たちの前に立っていた。両腕を広げて、壁みたいに。あの姿勢は護る人間の姿勢で、反射的に胸が熱くなる。だが、その目は焦点が定まらず、何かを必死で数えているのに答えが出ない顔だった。
「万津……? ここ、なんなの。さっきまで……あの子が……」
春川が指差した先には、子供の集団がいる。だけど彼女の指先は、誰もいない空白を指していた。空白があるのに、そこにいた“誰か”の輪郭が思い出せない。思い出せないのに、失った痛みだけが残る。それがこの世界の仕掛けだと、俺は皮膚の裏で確信する。
次の瞬間、空気が裂けた。
赤と紫の忍者が、音もなく中庭の中心に立っていた。切傷みたいな模様が体表に走り、頭部そのものが巨大な手裏剣になっている。回っていないのに、視線を合わせた瞬間だけ世界が回転する錯覚が走り、吐き気が込み上げた。
「ナイトメア……」
口にした名が、夢の中で重く響いた。こいつの存在理由は単純だ。春川を絶望させる。子供を守ると誓った人間に、守れない現実だけを叩きつける。そのために、子供だけが消えるルールを世界の骨格に仕込んである。
アサシンナイトメアが、首をわずかに傾ける。巨大な手裏剣の頭部がギラつき、口のない顔から声が漏れた。
「守る者ほど、失う。保育士ほど、忘れる。お前の手から落ちた子供は、お前の世界から消える」
春川の肩が跳ねた。俺は一歩前へ出る。今この瞬間に大事なのは、俺が説明することじゃない。まず“消えない”を見せることだ。消えるのが当たり前だと思わされたら、その時点で負ける。
アサシンナイトメアが指を鳴らした。
黒い煙が地面を舐め、分身が霧の中から滲み出る。忍者の動きは派手じゃない。派手じゃないから、気づいた時には終わっている。分身が四方に散り、手裏剣が放たれる。狙いは春川じゃない。子供だ。
「っ、来るぞ春川!」
春川は反射で子供に駆け寄る。抱き上げて、庇おうとする。正しい。正しいのに、その正しさを利用される。守ろうとする動きの“隙間”へ、別の刃が滑り込む。
俺は迷わない。迷った瞬間に子供が消えるし、消えたら春川の認知からも消える。消えた事実すら曖昧になって、春川は理由の分からない喪失感だけ背負わされる。あんな地獄を、これ以上積ませるわけにはいかない。
「……変身」『インパクト!』
俺のゼッツドライバーが入る。夢の中は現実よりも感情の輪郭が濃くなる。だからこそ、意思が形になるのも早い。装甲の感触が皮膚の上に重なり、骨の間に力が通る。
飛んできた手裏剣を、腕で受ける。金属音が弾けた。衝撃は重い。でも、子供は消えない。消える対象は子供だけだ。つまり俺が盾になれば、少なくとも一撃は防げる。
「見せてやるよ。守れない、なんて決めつけるな」
分身が増え、死角から刃が飛ぶ。俺は動きながら“受ける位置”を選ぶ。攻めるんじゃない。子供の前に立つ。春川の動線を潰さない。庇うための隙間を埋める。忍者が得意なのは、守りの穴を突くことだ。なら俺が穴を塞ぐ。
左から来た刃を肩で受け、右から来た刃を脚で弾く。痛みはある。だが痛みは現実に繋がる証拠だ。悪夢の演出に飲まれず、俺がここに立っているという証拠だ。
「春川、今だ! お前は目の前の子を守れ!」
春川の目が俺を捉えた。迷いの霧が一瞬だけ晴れる。彼女は頷き、子供の前に立って両手を広げる。その姿が、さっきよりも少しだけ強い。守れる、という感覚が戻ったからだ。
アサシンナイトメアの気配が、わずかに苛立つ。頭部の手裏剣が鈍く光り、今度は“守れる手”そのものを折りにくる。分身の一体が春川の背後へ回り、子供へ向けて刃を投げた。春川は振り返る。振り返った瞬間、別方向から本体が手裏剣を放つ。二択にする。必ずどちらかが間に合わないようにする。絶望の脚本は、いつだってその形だ。
「させるか!」
俺は踏み込んで、本体の投擲線へ身体を滑り込ませる。腕で受ける。衝撃が骨へ響く。視界が揺れる。でも、子供は消えていない。春川の背後の刃は、春川が身体を投げ出して弾いた。彼女の腕に赤い線が走る。痛みがある。痛みはあるのに、目は折れていない。
その瞬間だけ、世界の色が変わった。ナイトメアが用意していた“守れない”の前提が、ひび割れた音がした。俺はそのひび割れに、拳を叩き込むつもりで前へ出る。
「アサシンナイトメア。お前のルールは分かった。子供だけ消える。消えたら認知できなくなる。だから守れないと思わせる。……でもな」
俺は春川の横に立ち、子供たちを背にして構える。守るべきものが見える距離にあると、拳は迷わない。
「守れる手がここにある限り、絶望は完成しねぇ。お前の脚本は、俺が途中で破る」
アサシンナイトメアが、霧を濃くする。世界の輪郭が揺らぐ。次の一手はもっと狡いはずだ。守れるからこそ、守れなかった瞬間を切り取ってくる。春川が“自分の力で守れる”と信じた瞬間を狙って、落差で心を折りにくる。
だから俺は、ここで絶対に退かない。攻撃を当てるより先に、消える未来を消す。春川が守れる瞬間を積み上げる。積み上げた分だけ、ナイトメアの絶望は薄まる。
「来い」
次の手裏剣が飛ぶ。俺はそれを見切り、子供たちの前で腕を上げた。金属音が、夜明け前の空気を裂いた。