ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
崩れた白の向こうへ踏み込んだ瞬間、視界が一度だけ激しく揺れた。
ホテルの一室という形をした、あまりにも整いすぎた空間はもうどこにもない。床が抜けるみたいな浮遊感のあと、俺の足はようやく見覚えのある地面を踏んだ。
孤児院の中庭だった。
紫がかった空。遊具の影。どこか現実と噛み合わない色彩。
春川のソムニウム世界だ。今度こそ間違いない。
「……戻った、か」
息を整えながら周囲を見る。
さっきまでホテルで下辺零と向き合っていたせいか、この歪んだ中庭の方がまだ正しい景色に思えてくるのが嫌だった。
「万津!」
声が飛んできた。
振り向くと、少し離れた場所から百田が大股でこちらへ歩いてくるのが見える。その後ろには最原と赤松もいた。
はぐれた連中と合流できたらしい。
「無事かよ、お前!」
百田は近づくなり、俺の肩を乱暴に叩いた。
「急に景色が変になって、お前まで消えた時はマジで焦ったぞ!」
「こっちもだよ」
赤松が、いつもの明るさを少し抑えた声で言う。
「いきなり空間がねじれたみたいになって、みんなばらばらになっちゃったんだから。何があったの?」
「説明は後だ」
俺は短く返してから、その視線を先へ向けた。
中庭の中央付近。子供たちの姿があった。
そして、その向こうで赤と紫の忍者めいた影が揺れている。ナイトメアだ。
それを見た瞬間、春川が息を呑むのが分かった。
俺のすぐ隣に立っていた春川は、子供たちの方を見つめたまま、かすかに首を振っていた。
「……違う」
春川の声は、ひどく小さかった。
「違う、そんなの……」
否定している。
目の前にあるものを、じゃない。もっと根っこのところにある何かを、必死に押し返そうとしている感じだった。
子供たちはまだそこにいる。
守らなきゃいけない対象が、目の前に並んでいる。
そのはずなのに、春川の視線はどこか揺れていた。まるで、あの子たちを守ろうとするたびに、自分自身の奥から別の何かが顔を出してくるのを恐れているみたいに。
「春川」
俺が声をかけると、春川はびくりと肩を震わせた。
「……何」
「今は目の前を見ろ。考えるのは後でもできる」
「簡単に言わないで」
春川は低く言い返した。
強く拒絶する声だった。けれど、怒りだけじゃない。追い詰められた時にしか出ない硬さが混じっている。
百田が、そんな春川をじっと見ていた。
いつもの勢いで割って入るんじゃなく、何かを確かめるみたいな目だった。
そして、ぽつりと口を開く。
「……お前さ」
百田の声は思ったより静かだった。
「隠したいんだろ。本当の才能」
空気が止まった。
春川の顔が、はっきり強張る。
「……は?」
「図星か」
百田はそう言って、けれど責めるような顔はしなかった。
「さっきから見てりゃ分かる。子供を守りたいって気持ちは本物だ。けど、それと同じくらい、何か別の自分が出てくるのを嫌がってる。あのナイトメアに追い詰められてんのは、守れねぇからだけじゃねぇ。お前、自分の中にある“守る”以外の才能を見たくねぇんだろ」
春川は言葉を失っていた。
目を見開いたまま、百田を見ている。
たぶん驚いているんだろう。見抜かれたことに。しかも、百田に。
「百田くん……」
最原が小さく呟く。
けれど、百田は視線を逸らさなかった。
「別に難しい話じゃねぇよ」
百田は続ける。
「お前、ずっと“違う”って顔してた。子供たちを見てんのに、子供だけを見てねぇ。もっと別の、自分の嫌いなもんまで一緒に見ちまってる顔だった」
春川の唇が、わずかに震える。
「……何が、分かるの」
「全部は分かんねぇよ」
百田は即答した。
「でも、お前が隠したいもんを、無理やり暴きたいわけでもねぇ。ただ、お前がそれで一人で潰れそうなら、見て見ぬふりすんのは違ぇだろ」
春川は何も言わない。
その代わり、肩が少しずつ強張っていく。逃げたいのか、吐き出したいのか、自分でも分かっていない顔だった。
そこで、最原が一歩前へ出た。
静かな動きだったけど、不思議と場が落ち着く。
「春川さん」
最原は、まっすぐに彼女を見て言った。
「君がどんな才能を隠していたとしても、僕はそれだけで君のことを決めつけたりしない。今まで一緒にいた君を、僕はちゃんと知ってるつもりだから」
赤松も、すぐ隣へ並ぶ。
明るさを押しつけるんじゃなくて、でも引きもしない表情だった。
「うん」
赤松は頷く。
「どんな才能でも、だよ。超高校級の何かっていう肩書きだけで、人の全部が決まるわけじゃないでしょ。春川さんが今までしてきたことまで消えるわけじゃない」
春川の目が揺れる。
否定したいのに、その言葉を完全には拒めない。そんな顔だった。
俺も口を開く。
こういう時に上手いことを言えるタイプじゃない。けど、黙ってるのは違うと思った。
「……才能なんて、ろくでもない形でついて回ることもある」
俺は春川から目を逸らさずに言う。
「自分の持ってる力に、あんまりいい印象を持てない気持ちは分かる。むしろ、それを好きになれって方が無茶だ」
春川が、ゆっくりとこっちを見る。
たぶん俺がそんな言い方をすると思ってなかったんだろう。
「でも、それでも」
俺は続ける。
「隠したいと思う気持ちごと、お前のものだ。今ここで吐き出したって、それでお前の全部がそっちに塗り替わるわけじゃない」
百田が、そこで大きく頷いた。
「そういうことだ」
百田はいつもの調子を少しだけ取り戻した声で言う。
「お前がどんな才能だろうが、今さら俺たちが手のひら返すと思うなよ。んな薄っぺらい関係でここまで来たわけじゃねぇだろ」
春川は、すぐには答えなかった。
子供たちの方を見る。
ナイトメアの方を見る。
それから、自分の手を見る。
自分の手が、守るための手なのか。
それとも別の何かを奪うための手なのか。
たぶん、その両方を見てしまっているんだろう。
「……私は」
やっと出た声は、ひどく掠れていた。
「私は、そんな立派なものじゃない」
誰も口を挟まない。
その静けさが、逆に彼女の背中を押していた。
「子供の面倒を見てたのは、本当」
春川は少しずつ言葉を繋ぐ。
「だから“超高校級の保育士”って言われても、完全な嘘じゃない。……でも、それだけじゃない」
息を吸う。
苦しい告白の前に、人はいつも少しだけ長く呼吸をする。
「私の本当の才能は……」
春川の目が、一度だけ閉じる。
開いた時には、逃げ道を捨てたみたいな顔になっていた。
「……超高校級の暗殺者」
その言葉が落ちた瞬間、ソムニウム世界の空気がわずかに揺れた。
まるで、この夢そのものが、その答えをずっと待っていたみたいに。
俺は黙って頷く。
最原も、赤松も、百田も、誰一人としてその告白に怯んだ顔をしなかった。
春川はそんな俺たちを見て、少しだけ目を見開く。
拍子抜けしたのかもしれない。
もっと露骨な拒絶か、驚きか、距離を置く反応を想像していたんだろう。
「……何、その顔」
春川が低く言う。
「引かないの」
「引くわけないだろ」
百田がすぐ返す。
「今さらだ。才能が何だろうが、お前はお前だろ」
「うん」
赤松が明るく、でも真面目に頷く。
「びっくりはした。でも、それで春川さんが春川さんじゃなくなるわけじゃないし」
「僕も同じだよ」
最原は静かに言った。
「その才能を聞いたあとでも、君が今まで見せてくれたものの意味は変わらない」
春川の喉が小さく鳴る。
たぶん、泣きたいわけじゃない。けど、張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ時、人はああいう顔をする。
俺はナイトメアへ視線を戻した。
赤と紫の忍者が、じっとこちらを見ている。
あいつが見たかったのは、春川が“守れない自分”に絶望する姿だけじゃない。
“暗殺者である自分”を認めた瞬間に、周囲から拒絶される未来も込みで狙っていたはずだ。
けど、そこはもう崩れた。
「残念だったな」
俺はナイトメアへ向かって言う。
「こっちは、そういうので折れない」
ナイトメアの影が揺れる。
怒ったのか、苛立ったのか、黒い靄がじわりと濃くなる。
春川が、その横顔のまま小さく息を吐いた。
「……馬鹿みたい」
吐き捨てるような言い方なのに、前より少しだけ硬さが抜けている。
「こんなの、言ったって何も変わらないと思ってた」
「変わるさ」
百田が笑う。
「少なくとも、お前が一人で抱え込まなくてよくなる」
俺はブレイカムゼッツァーを握り直した。
春川の告白で終わりじゃない。むしろここからだ。
才能を認めた上で、それでも守る側に立てると証明しなきゃいけない。
「春川」
俺が呼ぶと、彼女はこっちを見る。
「今度は、お前自身の答えを見せろ。保育士でも、暗殺者でも、そのどっちでもいい。お前が守るって決めたなら、俺たちはそれに合わせる」
春川は数秒だけ黙っていた。
それから、ゆっくり頷く。
「……言われなくても、そうする」
その返事を聞いた瞬間、ナイトメアの放つ空気が変わった。
絶望へ落とす脚本が、一つ破られたんだ。
だったら次は、力づくでねじ伏せに来る。
俺たちは同時に前を向いた。
悪夢の続きは、もう逃げ場のないところまで来ていた。