ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
意識が底へ沈み切ったあと、ふっと身体の重さだけが戻ってきた。
現実から夢へ潜るあの瞬間には、何度経験しても独特の薄さがある。
落ちるわけでもなく、歩くわけでもなく、ただ輪郭だけが別の世界へ移されるような感覚。
そして、その曖昧な移行が終わった時、俺と伊達さんは同時に足を止めていた。
「……ここが彼女のソムニウム世界」
視界の先へ広がっていたのは、色を失いかけた遊園地だった。
遊園地、と言っても明るさや楽しさなんてものはほとんど残っていない。
錆びた観覧車はゆっくりと回っているのに、客席だけが妙に空虚で、メリーゴーランドの馬たちは音もなく並んだまま、どれも笑っていない。
壊れてはいない。
むしろ、壊れずに残っているせいで、余計に寂しい。
楽しさのために作られた場所が、その役目を思い出せないまま止まってしまったような、ひどく静かな景色だった。
「遊園地か」
俺がそう呟くと、隣に立つ伊達さんは返事をしなかった。
ただ、目の前の景色を見つめる視線だけが、いつもより少し重かった。
その最中、不意に小さな声が横から差し込んだ。
「……みずきは、第2サイクロプス事件で本当の両親を亡くしてしまったんだ」
アイボゥさんだった。
ソムニウム世界では少女の姿を取る彼女が、寂れた遊園地の色彩の中で、やけに静かな輪郭をしている。
彼女の声はいつもよりわずかに沈んでいて、それだけでこの話題が軽くないことが分かった。
「それって……」
俺が言いかけると、伊達さんが短く息を吐いた。
その吐息には、諦めでも開き直りでもない、ずっと持ち続けてきた痛みの形が混じっていた。
「まぁ、そういう訳で俺は本当の父親じゃないんだけどな」
軽く言ったつもりなんだろう。
けれど、その言葉は少しも軽く響かなかった。
むしろ、無理に平静を保とうとしている分だけ、余計に寂しく聞こえる。
「だからこそ、ここがあいつのソムニウム世界だとしても、納得はしているんだ」
伊達さんはそう言って、寂れた遊園地を見つめたまま視線を細めた。
遊園地。
子供が笑う場所。
誰かと一緒に楽しい記憶を作る場所。
それがこんな風に寂れて見えるなら、みずきの心の奥では、そういう“普通の幸せ”がどこかで止まったままになっているのかもしれない。
俺は周囲へ意識を広げる。
遊具、影、風の流れ、歪んだ音、遠くで軋む観覧車。
ソムニウム世界はいつも、見えているもの全部に意味がある。
だからここでも、ただ景色を眺めるだけじゃ足りない。
「これは……」
「どうかしましたか」
アイボゥさんが俺を見る。
伊達さんも、そこでようやく俺の横顔へ視線を寄越した。
「……どうやら、ここにいるのはナイトメアだけじゃなさそうだ」
「えっ」
俺が見つめた先。
そこには、二つの異物が立っていた。
まず一つは、明らかにナイトメアだった。
全身が砕けたハート形の装甲で覆われた少女型の怪物。
胸部には大きなガラスケースのような心臓部が埋め込まれ、その奥で赤い光が脈打っている。
腕は細い。
その細さが逆に不自然で、肘から先だけが巨大なハンマーと鋭い鉤爪に変形しているせいで、余計にアンバランスさが際立っていた。
顔の片側は、泣き顔の仮面で覆われている。
子供が泣く時みたいな弱さを見せつけながら、その実、誰かの心を壊すためだけに立っている。
あまりにも分かりやすく、悪趣味な怪物だった。
けれど、問題はそっちだけじゃなかった。
ナイトメアの反対側に、もう一つの影が立っている。
人の形をしている。
そして、その輪郭には見覚えがあった。
「世島……お前がしたのか」
俺がそう言うと、その影はわずかに肩を揺らした。
まるで笑ったみたいな気配だけがある。
「だとしたら、なんだ?」
返ってきた声に、伊達さんの表情が変わる。
冷静さは残している。
けれど、その奥で感情が複雑にぶつかっているのが分かった。
目の前に立っているのは、世島犀人。
けれど本人じゃない。
伊達さんのナイトメアが人格を得て、あの形を取っている存在だ。
伊達さんにとっては、自分の悪夢が自分と同じ顔をして立っているようなものだろう。
複雑で済む話じゃない。
胸の悪い現実だった。
世島は、俺じゃなく伊達さんの方を見ていた。
その視線には、明確な悪意がある。
ただ殺すためじゃない。
もっと面倒で、もっと深いところを壊すための敵意だ。
その時だった。
伊達さんが、低い声で言った。
「……万津、悪いがナイトメアは頼めるか」
「伊達さん」
振り向くと、伊達さんはもう決めていた。
迷いはない。
目の前の遊園地や、みずきの悪夢や、世島の存在に心を揺らされていないわけじゃない。
それでもなお、今ここで自分が何をやるべきかだけは、はっきり見えている目だった。
「……あいつは、俺が倒す」
その言葉と同時に、伊達さんはすでにブレイカム・モジュールを構えていた。
構え方に無駄がない。
ただ前へ出るための姿勢じゃなく、自分自身の悪夢へけじめをつけるための構えだった。
俺は一瞬だけ息を止める。
ここで余計なことを言うのは違う。
止めるのも違う。
今の伊達さんに必要なのは、理屈でも慰めでもなく、背中を預けられる状況だけだ。
「……分かりました、死なないでくださいよ」
そう言うと、伊達さんは口元だけで少し笑った。
苦い笑みだったが、さっきまでよりはずっと生きた表情に見えた。
「そっちこそ」
短い返答。
それだけで十分だった。
俺もブレイカムゼッツァーを握り直す。
狙うべき相手は明確だ。
ブレイクハートナイトメアは、みずきの心の奥で壊れたまま残っている“守られたかった感情”そのものだ。
あれを放っておけば、伊達さんが世島と決着をつける間にも、みずきの心は削られ続ける。
だから、こっちはこっちで終わらせる。
視線を交わす。
伊達さんと俺。
ソムニウム世界の静かな遊園地の真ん中で、俺たちは言葉少なに役割を分け合った。
父親が自分の悪夢と向き合うための時間を作る。
そのために、俺がみずきの悪夢を止める。
単純だ。
単純だから、迷わなくていい。
「「変身!」」
声が重なった瞬間、二つの戦いが同時に始まった。
寂れた遊園地は、もうただの悲しい景色じゃない。
ここから先は、悪夢を終わらせるための戦場だ。