ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
白い世界の中を進むほど、綺麗という感想が薄気味悪さへ変わっていく。
最初に見た時は、整いすぎた景色だと思った。
遊園地も、学園も、美術館も、全部が白い石で統一されていて、無駄な色も雑音もなく、ただ完成された造形だけが並んでいる。
けれど、長く見ていればいるほど、その整い方が異常だと分かる。
これは美しいんじゃない。
削ぎ落とされすぎている。
削ぎ落とされて、何も残らなくなった結果、こんな風に見えているだけだ。
俺は石像群の合間を縫うように進みながら、アンジーの姿を追っていた。
遠く、白い観覧車の下と校舎の回廊が交わる場所に、あいつはまた立っている。
こっちを見ているようで、見ていない。
いや、正確には、この世界の方を見ている。
自分が今どんな場所へ立っているのか、その肌触りを確かめるみたいに。
「アンジー!」
呼びかけると、アンジーはゆっくり振り向いた。
相変わらず柔らかい顔をしている。
でも、その表情に乗っているものは、いつもの軽さだけじゃない。
どこか白い空気へ溶けかけたような、奇妙な遠さがあった。
「万津くーん」
間延びした声はそのままだ。
「この世界、きれいだよねー」
「……そう見えるだけだ」
「そうかなー」
アンジーは首を傾げる。
白い石でできた手すりへ指先を這わせながら、ふわりと笑う。
「色がないとねー、ぜーんぶ同じになって、まとまって見えるんだよー。神さまって、こういうの好きそうー」
その“まとまって見える”って言葉に、妙な引っかかりがあった。
確かにこの世界は、統一感だけで言えば異様なほど高い。
赤も青も緑もない。
喜びも怒りも悲しみも、全部が一度均されて、白い静けさだけへ揃えられている。
だから、一見すると綺麗なんだ。
けれど、それは個性が調和しているからじゃない。
全部が削られて、同じ温度へ落とされた結果に過ぎない。
その時、視界の端で、石化した展示スペースの一角がわずかに揺らいだ。
スカルプチャーナイトメアがいる。
こっちを見ているわけじゃない。
ただ、あの怪物はそこにいるだけで、この白い世界そのものを支えているみたいな気配を放っていた。
俺は周囲へ視線を走らせる。
彫刻台。
石膏像。
半分だけ完成した胸像。
どれもこれも、作品として並べられている。
だが、よく見ればおかしい。
完成していない。
いや、完成“させられて”いる。
本来ならあと少し削るはずだった部分、もう少し色を置くはずだった部分、乾き切る前の柔らかさが残っていたはずの箇所。
そういう途中の痕跡ごと、全部が一律に白い石へ押し固められている。
「……何だよ、これ」
思わず呟く。
キャンバスがあった。
白い。
けれど、ただの白紙じゃない。
絵具を塗りかけた筆致だけはうっすら残っていて、その上から全部が石の質感へ変わっている。
粘土細工があった。
まだ誰かの指の跡が残る柔らかい途中のはずなのに、その途中の形のまま、乾きもせずに石へ変わっていた。
これは完成じゃない。
途中のものを“終わらせている”だけだ。
「わあー」
アンジーが、俺の背後から小さく声を漏らす。
「やっぱり、真っ白ってすごいねー。全部おそろいー」
軽い調子だ。
でも、そこへほんのわずかに、いつもの明るさと違う何かが滲んでいた。
俺は振り返る。
アンジーは石になった作品を見つめている。
目は笑っているように見える。
なのに、その瞳の奥だけが少しだけ曇っていた。
「アンジー」
俺は意識して声を低くした。
「お前、これを本当に綺麗だと思ってるのか」
アンジーはすぐには答えなかった。
しばらく石化したキャンバスを見て、それからいつものように、少し遅れて口を開く。
「きれいだよー」
その答えは柔らかかった。
「でもでもー、なんていうかー……ちょっと苦しいねー」
俺は黙ってアンジーを見る。
アンジー自身も、その“苦しい”の正体をまだ掴み切れていない顔をしていた。
けれど、今の言葉で十分だった。
この世界に飲まれきっているなら、そんな感想は出てこない。
「神さまってねー、いろんなもの作るけどー」
アンジーは白い像へ手を伸ばしかけて、途中で止めた。
「全部を同じにしたがる神さまだったら、アンジーさんはちょっと困るかもー」
「どうしてだ」
「だってー」
アンジーは困ったように笑う。
「笑ってるのか、泣いてるのか、怒ってるのか、ぜーんぶ分かんなくなっちゃうでしょー。そういうの、神さまってるようで、でもちょっと神さまじゃないよねー」
その一言が、この世界の正体を一気に剥いた気がした。
芸術の完成形なんかじゃない。
これは墓場だ。
色を失ったものの墓場。
感情を止められたものの墓場。
変わる途中にあったものを、全部まとめて“完成した”ことにして埋め立てるための地獄だ。
スカルプチャーナイトメアの視線が、そこでようやくこちらへ向いた。
見られる。
その感覚が来た瞬間、俺は反射で石像の陰へ身を滑り込ませる。
直後、光線が走った。
光が掠めた先で、白い胸像の一つがさらに色味を失い、表情の彫りまで均されていく。
笑っていた顔が、無表情へ近づく。
怒っていた眉の角度が、曖昧になる。
石化は表面を変えるだけじゃない。
そこにあった“感情の形”すら削り取っている。
「……最低だな」
吐き捨てるように言ったのは、怪物に対してだけじゃなかった。
この世界そのものへの感想でもある。
綺麗に見せかけたまま、感情ごと殺していく。
その悪趣味さが、我慢ならなかった。
アンジーが、少しだけ目を細めて俺を見る。
「万津くん、怒ってるー?」
「当たり前だろ」
「そっかー」
アンジーはそこで、なぜか少し安心したように笑った。
その反応が、逆に胸に刺さる。
この世界の中では、怒りすら薄められていくんだろう。
だったら、怒っていられるうちに壊さなきゃいけない。
そう思った瞬間、不意に妙な感覚が胸を掠めた。
石化。
固定。
色がなくなる。
感情が均される。
変わる途中だったものが、一つの完成形へ押し込められる。
嫌だ。
その感情だけが、理屈より先に浮かぶ。
何がそんなに嫌なのか。
まだ言葉にはならない。
けれど、分かる。
この世界に長くいると、自分の輪郭まで白く塗り潰される気がする。
俺が何者で、何を思って、何を選ぶのか、その途中にある揺れごと、一つの形へ決めつけられてしまうような怖さがある。
それは、たぶん石になることそのものへの恐怖じゃない。
“固定されること”への恐怖だ。
「……どうしたのー?」
アンジーの声で、我に返る。
俺は軽く首を振った。
「何でもない」
「何でもないって顔じゃないよー」
「うるさい」
言い返しながらも、胸の奥にはまだ妙なざわつきが残っている。
石化のルールが厄介だってだけじゃない。
この世界の思想そのものが、自分の嫌なところへ触れてきている。
それが分かってしまったから、余計に落ち着かない。
スカルプチャーナイトメアが、石像群の中央で静かに立っている。
削れた身体は前よりも速く、前よりも鋭くなっている。
綺麗な完成品のふりをしていた怪物が、壊されるほどに本性を剥き出しにしていく。
それはきっと、この世界の本質そのものでもあった。
完成された美なんかじゃない。
ただ、途中を許さず、変化を許さず、全部を終わらせるための白だ。
俺はゆっくり息を吸い、白い床に点在する石片へ目を落とした。
攻略の糸口は見え始めている。
だが、今はそれだけじゃ足りない。
この悪夢が何を押しつけてくる世界なのか、それをちゃんと理解しないと、たぶん最後の一手で間違える。
「アンジー」
俺は怪物から目を離さずに呼ぶ。
「なぁにー?」
「ここ、芸術の完成形なんかじゃない」
自分へ言い聞かせるように、はっきり言う。
「色も感情も奪って、全部を動かない白へ固定してるだけだ。こんなの、綺麗な顔した墓場だろ」
アンジーは少しだけ黙った。
それから、いつもの柔らかい調子のまま、でも少しだけ寂しそうに頷いた。
「うんー。アンジーさんも、たぶんそう思うー」
その返事を聞いた瞬間、白い世界の静けさが前より少しだけ嫌なものに見えなくなった。
まだアンジーは、こっちへ戻ってこられる。
だったら、やることは一つだ。
この固定の地獄を、ぶち壊す。
俺は構えを取り直しながら、もう一度スカルプチャーナイトメアを睨みつけた。
同時に、胸の奥でさっきの違和感がまた小さく疼く。
固定されることへの恐怖。
変わる前に、何かへ決められてしまうことへの嫌悪。
この白い悪夢は、アンジーの心だけじゃなく、俺の中にある何かにも触れてきていた。
その意味を、今はまだ全部理解できない。
けれど、きっと無視はできない。
そう思いながら、俺は石像群の中心へ向かって一歩を踏み出した。