ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
足元から現実が抜けた瞬間、真っ先に思ったのは、嫌な予感が当たったってことだった。
日菜さんの夢へ入る。
そう決めてスイッチを押した時点で覚悟はしていた。
でも、いざ自分の足で踏み込んだ先に広がっていた光景は、覚悟していたつもりの想像を、少しだけ簡単に飛び越えてきた。
「……何だよ、これ」
俺の声が、妙に軽く響く。
音の跳ね返り方がおかしい。
広い空間のはずなのに、近くて、硬くて、逃げ場がない響き方だった。
視界の先には、廊下がある。
ただし、普通の学園の廊下じゃない。
白い床、白い壁、白い蛍光灯。
途中には病院の処置室みたいな自動ドアが混ざっていて、その先にはまるで学園祭の展示みたいなパネルが見える。
かと思えば、少し先には金属製の扉と数字入力パネル、その脇には「EXIT」と書かれた緑の非常口表示。
全部が同じ空間の中へ押し込められている。
学園。
病院。
研究所。
脱出ゲーム会場。
そういうものが、境目のないまま一つになっていた。
「趣味が悪いな」
誰に向けたともなく呟く。
綺麗ではある。
整ってもいる。
でも、それは人が生きるための整い方じゃない。
機能することだけを優先して、人間の都合を全部切り落とした空間の美しさだ。
それが余計に不気味だった。
正面の壁に、いきなり文字が浮かび上がる。
**STAGE 01
OPEN THE SAFE EXIT**
「は?」
その下には、デジタル表示のタイマー。
59:59。
じり、と一秒減る。
「いきなり一時間制限かよ」
ため息混じりに言った時、足元の床がわずかに光った。
白いタイルだと思っていた床の一枚一枚に、薄く番号が刻まれている。
壁には目立たないカメラ。
天井には監視用の赤いランプ。
そして、一定間隔ごとに埋め込まれたスピーカー。
徹底している。
夢のくせに、悪夢みたいに現実的だ。
「万津君」
声がした。
右。
そっちを見ると、少し離れた位置に日菜さんが立っていた。
「日菜さん!」
反射で駆け寄ろうとした瞬間、耳障りな電子音が鳴る。
赤い線が、俺と日菜さんの間へまっすぐ引かれた。
**RULE VIOLATION
UNAUTHORIZED MOVEMENT DETECTED**
「っ、は?」
「止まってください」
日菜さんが言う。
その声は落ち着いている。
落ち着きすぎている。
俺がさっきまで教室で聞いていた、無理に平静を保った声の延長線上にある。
でも今のそれは、もう少し冷たい。
感情を一段切り離した上で、正しい手順だけを喋っている感じがした。
「そこ、踏んじゃだめっす」
日菜さんは視線だけで床を示す。
「圧力床になってる。たぶん今のは警告だけで済んだけど、次はたぶん済まないっす」
「お前……分かってるのか?」
「見れば分かるっすよ」
日菜さんはそう言って、ほんの少しだけ笑った。
「ルール表示、足場番号、監視位置、全部親切に出てるじゃないっすか」
その言い方に、背筋が冷えた。
言っている内容は正しい。
でも、“親切”って表現が嫌だった。
この空間はどう見ても、解かせるための優しさじゃなく、正しく動かなければ切り捨てるための親切さでできている。
「日菜さん、落ち着け」
「落ち着いてるっすよ」
即答だった。
「むしろ万津君の方が焦りすぎ。そういうの、この手の空間だと死ぬっす」
「その言い方やめろ」
「言い方じゃなくて事実っす」
会話としては成立している。
でも、やっぱりおかしい。
教室の時よりさらに明確だ。
日菜さんは今、自分の怖さや痛みを処理しているんじゃない。
最初からそっちを切り捨てて、解法だけを握ろうとしている。
壁のスピーカーから、ふっと息の混じった声が流れた。
「ようこそ」
女の声。
優しい。
柔らかい。
聞き取りやすい。
教師の説明みたいでもあるし、案内係の声みたいでもある。
だから余計に嫌な感じがした。
「参加者は二名。現在の目的は、正しい出口の選定です」
声は穏やかに続ける。
「どうか慌てず、落ち着いて、ルールに従ってください。感情は誤作動の原因になります」
そこで、廊下の先の扉が一つ、音もなく開いた。
暗い。
その奥は階段室になっているらしい。
非常灯だけが緑に光っていて、下へ続いている。
「……こいつか」
俺が睨むと、日菜さんが小さく息を吐いた。
その仕草だけは、ほんの少しだけ人間らしく見えた。
「多分、そうっすね」
「多分って何だよ」
「まだ姿が見えてないんで」
日菜さんは壁際の案内パネルへ近づき、そこに表示された文字列を指でなぞる。
「でも、たぶんこの世界を回してる奴はいる。ルールを出してる以上、ただの景観じゃないっす」
その言葉に、俺は少しだけ安心しかけた。
ちゃんと分析している。
いつもの日菜さんだ。
そう思いかけたところで、次の一言が全部をひっくり返す。
「だから、解けば出られる」
「は?」
「ルールがあるなら、攻略可能ってことっす」
日菜さんは当然のように言う。
「出口が偽物でも、全部試して潰していけば最後に正解が残る。だったら、やることは単純じゃないっすか」
「日菜さん」
「時間制限があるなら、なおさら感情に引っ張られる意味ないっすよ」
その声音は静かだ。
静かすぎる。
「怖いとか、嫌だとか、助けてほしいとか、そういうのは一回切って、手順だけ追えばいい」
その言葉を聞いた瞬間、教室で感じた違和感の正体が、はっきり輪郭を持った。
日菜さんは怖がっている。
たぶん、ちゃんと怖がっている。
でも、その感情を認める前に“切る”ことが正解だと思い込んでいる。
この夢に引きずられているんだ。
しかもかなり深いところまで。
「お前、それ、本気で言ってるのか」
「本気も何も」
日菜さんは肩をすくめる。
「今はそうするしかないでしょ」
「そうやってるからまずいんだろ」
「何がっすか」
「怖いなら怖いって言えよ」
言葉が少し強くなった。
日菜さんの目が、そこでようやくこっちを真正面から見る。
その瞳の奥には、薄い苛立ちと、もっと薄い疲れがあった。
「それで解けるなら言うっすよ」
少しだけ低い声。
「でも、言ってもルールは消えないし、出口は開かない。なら、考える方が先じゃないっすか」
「日菜さん……」
「私、こういうの好きだったんすよ」
ぽつりと零す。
その言い方は、誰かに説明しているより、自分へ言い聞かせているみたいだった。
「脱出ゲームって、閉じ込められても、ルールさえ分かればちゃんと出られるじゃないっすか。現実より、そっちの方が優しい時もあるんすよ」
そう言いながら笑った顔が、妙に空っぽだった。
楽しい思い出を話している顔じゃない。
“そうだと思い込んでないと保てないもの”を口にしている顔だ。
スピーカーの声が、また流れる。
「制限時間、残り五十五分です」
柔らかく、丁寧に。
「なお、誤答が一定回数を超えた場合、参加者は固定処理へ移行します」
「固定処理?」
俺が眉をひそめる。
「たぶんこの世界なりの脱落演出っすね」
日菜さんが平然と言う。
「石化とか、拘束とか、その類じゃないですか」
「その類で済ませるな」
「だって、そういうルールっすから」
駄目だ。
完全にルール側へ寄ってる。
このままじゃ、日菜さんは“攻略のためなら感情を切り捨てて当然”って方へもっと沈む。
その時、階段室の奥で何かが動いた。
金属が擦れるような音。
次いで、鍵束の揺れる乾いた響き。
さらに、ゆっくりと現れた影。
細い。
女の輪郭。
でも人間じゃない。
白衣とタキシードを混ぜたみたいな衣装、胸元のストップウォッチ、何本も伸びる発光ケーブル、目元を覆う透過バイザー。
片目には数字が流れ、もう片方には鍵穴が浮かんでいる。
背中からは扉そのものを折り畳んだみたいな外殻が伸びていた。
エスケープナイトメア。
名前を知らないのに、そうとしか思えない姿だった。
「進行を開始します」
そいつは柔らかく言う。
声の調子だけなら、案内役そのものだ。
だが、その優しさには体温がなかった。
「第一問。出口は三つあります。正解は一つです」
ナイトメアは両腕を広げる。
すると、廊下の左右と正面に、三枚の扉が同時に現れた。
どれも同じ白い扉。
同じ非常口表示。
同じように“ここが正解です”みたいな顔をして並んでいる。
「ふーん」
日菜さんがすぐ前へ出る。
「なら、偽物二つを潰せばいいだけっすね」
「待て」
「待ってたら時間切れになるっす」
振り返らずに言う。
「こういうのは、まず情報を取るのが正解っすから」
「そうじゃない」
俺は一歩前へ出る。
「お前、今“間違えた時に何が起きるか”をまるで考えてないだろ」
「考えてますよ」
「考えてない」
言い切ると、日菜さんの肩がぴくりと揺れる。
怒ったのか、図星なのか、両方か。
でも、そこで引くわけにはいかなかった。
「お前、今この空間を攻略対象としてしか見てない」
俺ははっきり言う。
「怖いって気持ちを切るのが正解だと思ってる。けど、それ、夢に飲まれてる証拠だ」
「だったらどうするんすか」
今度は日菜さんが振り返った。
その声には、教室で見せなかった苛立ちが少し混ざっている。
「ビビって止まって、何もしないで終わるんすか? それで助かるなら、いくらでもそうするっすよ」
「そうじゃない」
「じゃあ何なんすか!」
その声が、ようやく人間の音に戻る。
少しだけ。
でもその少しが大きかった。
感情を切り離していた日菜さんが、ようやく怒った。
それだけで、まだ完全には持っていかれていないと分かる。
「怖くても、嫌でも、一緒に考えればいいんだよ」
俺がそう言うと、日菜さんは一瞬だけ言葉を失った。
その間を裂くように、エスケープナイトメアが穏やかに告げる。
「会話による時間消費を確認しました」
赤い数字が、一気に三十秒分減る。
「感情的行動は非効率です。次の選択を」
「うるさい!」
俺は反射で叫んだ。
ナイトメアが一瞬だけ止まる。
その隙に、俺は日菜さんの隣へ立つ。
「日菜さん、今は一人で解くな」
「……」
「二人でやる。間違えるなら一緒に間違える」
「最悪な攻略法っすね」
「だろうな」
日菜さんは、それでようやく、ほんの少しだけ口元を緩めた。
疲れたみたいな、呆れたみたいな、小さい笑みだった。
でも、さっきまでよりずっと“本人”の顔に近かった。
そして、その瞬間。
エスケープナイトメアのバイザーに、赤い警告表示が走る。
こいつにとっても、今のやり取りは都合が悪いらしい。
「なるほど」
ナイトメアは相変わらず優しい声で言う。
「感情を切り離せないのですね。では、より適切な形式へ移行します」
三つの扉が、一斉に閉まった。
代わりに床がずれ、壁が回転し、白い廊下の構造そのものが組み変わり始める。
第二ステージへ進む、ということなんだろう。
嫌なことに、夢の空気はさらに濃くなっていた。
俺は深く息を吸う。
この世界は、解けば終わるだけのゲームじゃない。
感情を切り捨てるほど深く飲み込まれる。
日菜さんも、今その入口に立っている。
だったら、なおさら離せなかった。
「行くぞ」
「……了解っす」
短く返ってきたその声は、さっきより少しだけ人間らしかった。
それだけを頼りに、俺は白い悪夢のさらに奥へ足を踏み出した。