ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ   作:ボルメテウスさん

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迷宮 part3

 最初の部屋を抜けた時点で、もうはっきり分かっていた。

 このソムニウム世界は、俺たちを殺すために作られているわけじゃない。

 もっと質が悪い。

 正しい手順を踏ませて、正しい答えを選ばせて、最後には“それが当然だ”と思わせるために作られている。

 殺される方がまだ分かりやすい。

 でも、こういうのは違う。

 自分からルールへ従わせる。

 自分から感情を切らせる。

 そしてそのこと自体を、合理的で正しいことだと思わせる。

 そういう世界だ。

 

 目の前の通路は、さっきまでの学園の廊下とも、病院の処置室とも、研究施設の通路とも少し違っていた。

 白い壁に沿って、番号のついた扉が並んでいる。

 扉の上には赤い非常灯、横には暗証番号パネル、足元には矢印。

 その全部が整いすぎていて、息苦しい。

 現実の空間って、普通はもう少し無駄がある。

 誰かの癖とか、置き忘れたものとか、使い方の雑さとか、そういう“人間らしいズレ”がある。

 でもここにはそれがない。

 正しい位置に、正しい機能だけが置かれている。

 まるで、感情を持ち込むこと自体が禁止されてるみたいだった。

 

「次はどこだと思うっす?」

 

 日菜さんが、壁に浮かぶパネルを見ながら言った。

 声は落ち着いている。

 でも、その落ち着き方が怖い。

 何が怖いって、今この状況でそれができてしまうこと自体が怖い。

 

「知らない」

 

「知らない、は困るんすけど」

 

「困るのはこっちだよ」

 俺は壁にもたれて、表示された数字の羅列を見る。

 四桁。

 その下に、小さくヒントらしき文章。

 “最短経路は常に正しいとは限らない”

 いかにもそれっぽい。

 正解っぽくて、でも正解かどうかは分からない。

 こういう“意味ありげな言葉”でプレイヤーを迷わせるのが、今のこの世界のやり方なんだろう。

 

「こういうの、嫌いじゃないっす」

 日菜さんが、ほとんど独り言みたいに言う。

「ルールがちゃんと見えてるだけ、まだ優しい方っす」

 

「優しい?」

 

「現実の方がよっぽど理不尽じゃないっすか」

 日菜さんは、キーパッドへ指を置いたまま続けた。

「何が正解か分からないまま選ばされることなんて、いくらでもあるし。だったら、少なくともここは親切っすよ。間違えたら罰が来る。正解なら進める。それだけで十分分かりやすい」

 

「……それ、本気で言ってるのか」

 

「本気っすよ」

 

 即答だった。

 早い。

 迷いがない。

 その返事に、こっちの方が一瞬黙った。

 さっきの“日菜さんらしくない違和感”は、もう誤差じゃなくなっている。

 今の発言、内容だけ見れば筋は通っている。

 でも、その筋の通し方が、人間のそれじゃない。

 いや、正確には、人間の感情を切り捨てたあとの理屈だ。

 

「日菜さん」

 

「何すか」

 

「今の、自分で変だと思わないのか」

 

「変?」

 そこで初めて、日菜さんは少しだけ眉を寄せた。

 怒ったとかじゃない。

 本当に意味が分からない、みたいな顔だ。

「合理的だとは思うっすけど」

 

「合理的すぎるんだよ」

 

「合理的で何が悪いんすか」

 

 その一言が、妙に刺さった。

 責められてるわけじゃない。

 むしろ淡々としている。

 でも、だからこそ逃げ場がない。

 悪いとも言い切れないからだ。

 

 通路の奥で、電子音が鳴った。

 タイマーが一分減る。

 赤い数字が変わるたびに、空気が少しだけ冷たくなる気がする。

 

『残り五十一分です』

 

 スピーカー越しのナイトメアの声は、相変わらず穏やかだった。

 優しい案内係みたいな口調で、淡々とこちらの焦りだけを育ててくる。

 

『次の解答をどうぞ。思考停止は非推奨です』

 

「思考停止してるのはそっちだろ」

 

 俺が吐き捨てると、スピーカーの向こうは静かだった。

 言い返してはこない。

 でも、その沈黙そのものが“あなたの発言は処理対象外です”って言われてるみたいで癇に障る。

 

 日菜さんはそれを気にした様子もなく、壁の数字を見つめている。

 指先が動く。

 もう入力するつもりだ。

 

「待て」

 

「待ちません」

 

「待てって」

 

「時間が減るっす」

 

「そういう問題じゃない」

 

「そういう問題っすよ」

 日菜さんは振り向きもしない。

「ここで立ち止まる意味って何です? 怖いから? 嫌だから? でも、それって入力して確かめれば済む話じゃないっすか。誤答なら次を考えればいい。ルールがあるなら、試行回数で潰せる」

 

「その考え方がまずいって言ってるんだ」

 

「何がまずいんすか」

 そこでようやく、日菜さんがこっちを見た。

 表情は静かだ。

 静かすぎる。

「解けるものを解こうとするのって、そんなに変なことっすか」

 

 その問いに、すぐ答えられなかった。

 変じゃない。

 たぶん、普通なら正しい。

 でも今の日菜さんは、その“正しさ”へ寄りかかりすぎている。

 怖いとか、不安だとか、そういうものを認める前に、ルールへ還元しようとしてる。

 それが嫌だった。

 

「変じゃないよ」

 俺は正直に言う。

「でも、それしか見なくなってるのがまずい」

 

「……意味分かんないっす」

 

「分かんなくていいから、一回手を止めろ」

 

「止める理由がないっす」

 

「ある。お前が今、感情を切ってるからだよ」

 

 言った瞬間、日菜さんの目がわずかに揺れた。

 ほんの少し。

 けれど、それで十分だった。

 今の言葉は届いた。

 届いてしまった。

 

「切ってないっす」

 

「切ってる」

 

「切ってない」

 

「切ってるよ」

 俺は一歩近づく。

「怖いとか、嫌だとか、そういうの全部“解けばいい”でまとめてるだろ。今のお前、楽しいから謎解きしてるんじゃない。そうやって考えてないと保てないだけだ」

 

 廊下の空気が固まる。

 数字だけが減っていく。

 そのカウントダウンが、妙にうるさく聞こえた。

 

 日菜さんはしばらく黙っていた。

 それから、小さく息を吐く。

 

「……保てないと、何が悪いんすか」

 

 その声はさっきより低い。

 やっと、生っぽい音になった。

 

「えっ?」

 

「こういう時に、怖いとか無理とか言って、立ち止まって、それで何か変わるんすか」

 日菜さんは静かに続ける。

「私が止まったら、誰が次を考えるんすか。誰がルールを見るんすか。誰がサポートするんすか。そういうの全部、誰かがやらなきゃいけないでしょ」

 

 ああ。

 そういうことか。

 そこでようやく、腹の底に嫌な形で落ちた。

 

 日菜さんは今、この夢のルールへ飲まれているだけじゃない。

 もともと持っていたものを、この悪夢に利用されている。

 支える側。

 解析する側。

 冷静でいる側。

 そうしなきゃ全部崩れると思ってる側。

 それがそのまま、この世界では“正解”の顔をしてしまっているんだ。

 

『正解に近づいています』

 

 ナイトメアの声が、柔らかく挟まる。

 

『感情を抑え、優先順位を整理し、最適解を選択してください。それが救助に必要な条件です』

 

「うるさい」

 

 今度は日菜さんがそう言った。

 小さく。

 けれど、確かに。

 スピーカーの方を睨む目には、ようやく“嫌だ”が戻ってきていた。

 

 ナイトメアは続ける。

 

『助けたいのでしょう? ならば迷いは不要です』

『誰かを救うために、自分の心を切り離す。それは正しい選択です』

『あなたは、ずっとそうしてきたはずです』

 

 その言葉に、日菜さんの肩が小さく震えた。

 今のはルール説明なんかじゃない。

 あからさまに刺しにきている。

 だからこそ、俺の中でも何かが噛み合った。

 

「日菜さん」

 

「……何すか」

 

「こいつ、お前が好きなものの形をしてるけど、言ってることは全然違うぞ」

 

「違う?」

 

「脱出ゲームって、本来そういうもんじゃないだろ」

 

 俺は周囲の白い廊下を見る。

 閉じた扉。

 番号。

 非常灯。

 タイマー。

 全部“それっぽい”。

 でも、その本質は謎を解く楽しさじゃない。

 人を追い詰めるための構造だ。

 

「ルールがあるから安心できるとか、解ければ前に進めるとか、そういうのと」

 俺は言葉を選びながら続ける。

「感情を切ってまで正解だけ選べってのは、別物だろ」

 

 日菜さんは黙る。

 その沈黙の間に、タイマーがまた一分減る。

 赤い数字が、もう五十分を切ろうとしていた。

 

「……別物、っすか」

 

「別物だよ」

 俺は即答した。

「こいつはお前の好きなもののフリして、お前が自分を削ってきた部分だけを正しいことにしようとしてる。だから嫌なんだろ」

 

「っ……」

 

 そこで初めて、日菜さんの表情が崩れた。

 ほんの少しだけ。

 でも、整いすぎていた顔にひびが入るみたいに、感情が浮いた。

 

「……嫌、っすよ」

 掠れた声。

「そりゃ、嫌に決まってるじゃないっすか」

 

 やっと出た。

 その一言だけで、教室の時からずっと薄く遠かった日菜さんが、少しだけこっちへ戻ってきた気がした。

 

 同時に、廊下の先で何かが動く。

 扉が一斉に閉まり、壁面の表示が切り替わる。

 数字の列が消え、その代わりに大きく一文だけが浮かび上がった。

 

 FEELINGS ARE ERRORS

 

「性格悪すぎだろ」

 

 思わず吐き捨てる。

 すると、白い通路の奥から、ゆっくりとエスケープナイトメアが歩いてくる。

 相変わらず穏やかな顔。

 優しい司会者の声。

 でも今なら分かる。

 こいつはルールを案内してるんじゃない。

 正しさの形を借りて、日菜さんの心を固定しようとしている。

 

「第三ステージへ進行します」

 ナイトメアは微笑むように告げた。

「参加者の情緒不安定を確認。以後、感情的発言はペナルティ対象です」

 

「勝手に決めるなよ」

 

「ルールはすでに設定済みです」

 

「じゃあ、そのルールごと壊す」

 

 俺がそう言うと、ナイトメアは少しだけ首を傾げた。

 後ろで、日菜さんが小さく息を呑むのが聞こえる。

 たぶん、今の一言は日菜さんにも届いた。

 解くとか、従うとか、その外側の答えがあるかもしれないって。

 

「万津君」

 

「何だ」

 

「……ちょっとだけ、助かったっす」

 

「ちょっとかよ」

 

「全部助かったって言うには、まだ早いっす」

 

「そりゃそうだ」

 

 そう返しながら、俺はゼッツドライバーへ手をかけた。

 この第3話の答えは、たぶんここまでだ。

 世界のルールは見えた。

 日菜さんがどこへ追い詰められているかも見えてきた。

 でも、まだ決着じゃない。

 ここから先は、もっと深いところへ踏み込む必要がある。

 

 エスケープナイトメアのバイザーに、赤い数字が流れる。

 廊下の形がまた変わり始める。

 次のステージへ移るつもりなんだろう。

 なら、その先で完全にぶっ壊す。

 

「行くぞ、日菜さん」

 

「……了解っす」

 

 今度の返事には、さっきまでより少しだけ熱があった。

 それだけあれば十分だった。

 俺たちは白い通路のさらに奥へ、ナイトメアの作る“正解”を壊しに進んでいった。

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