ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
正解の部屋、なんてものが本当にあるなら、もっと分かりやすく胡散臭い顔をしていてほしかった。
白い通路を抜けた先で、自動ドアが静かに開いた瞬間、最初に浮かんだ感想はそれだった。
いかにも怪しい祭壇とか、露骨に罠っぽい非常口とか、そういう分かりやすい嫌らしさはない。
代わりにそこにあったのは、妙に整った空間だった。
「……何だよ、ここ」
思わずそう呟く。
部屋は広い。
壁一面にモニター。
床には薄く発光するラインが走っていて、中央へ向かうほど密度が増していく。
ガラス越しの観察室みたいな区画が左右に分かれていて、その奥には学園の教室にも、病院の処置室にも、研究施設のモニタールームにも見える風景が、細切れに映し出されていた。
そのどれもが今まで通ってきたソムニウム世界の一部なんだろう。
白い廊下。
番号付きの扉。
圧力床。
赤いタイマー。
全部がここへ接続されている。
そして、部屋の一番奥。
少しだけ高い位置に、ひとつの席があった。
椅子、というよりは操作席だ。
背もたれは人間の身体にぴったり合う形へ削られていて、両脇には操作パネル。
頭部を支えるためのフレーム。
耳元に伸びるヘッドセット。
座れば視線の先のモニターすべてを管理できるように作られている。
いかにも“ここが中心です”と言わんばかりの席だった。
なのに、その席には奇妙な優しさがあった。
拷問椅子みたいな露骨な拘束感じゃない。
むしろ逆だ。
ここへ座ってしまえば、全部を見渡せる。
全部に手が届く。
全部を管理できる。
だからこそ、質が悪い。
「……出口、じゃないっすね」
隣で日菜さんが小さく呟いた。
その声には疲れが混じっていた。
さっきまでみたいに、全部を“攻略対象”へ無理やり変換しきれなくなっている。
それだけで、少しだけ救われる。
「見れば分かる」
「いや、見た目だけなら結構それっぽいっすよ」
日菜さんは苦く笑った。
「全部の情報が集まってて、全部のルートが見えて、全部の選択肢を管理できる場所。こういうの、好きな人は好きそうじゃないっすか」
「好きかどうかの話してる場合かよ」
「してないっす。だから余計にタチ悪いって言ってるんすよ」
その言い方は、少しだけいつもの日菜さんに近かった。
けれど、視線はもうあの席に釘付けだった。
見たくないのに見てしまう。
自分にとって都合が良すぎる場所だと、本能で分かってるんだろう。
スピーカーから、あの柔らかい声が流れる。
『到達を確認しました』
ナイトメアの声だ。
どこか近い。
でも、姿はまだ見えない。
この部屋そのものが、あいつの声帯になっているみたいだった。
『最適解へようこそ』
『ここが管理中枢です』
『ここへ座れば、すべての被害を最小限に抑えられます』
その案内が始まった瞬間、中央のモニター群が一斉に起動した。
白い画面が切り替わる。
映るのはこのソムニウム世界の各区画。
閉じた扉。
残り時間。
危険エリアの表示。
失敗条件。
さらに、その中には俺の姿まで映っていた。
少し前の通路で、間違えかけた俺。
強引に進もうとして警告を鳴らした俺。
日菜さんへ手を伸ばした俺。
全部が記録されている。
「気持ち悪いな……」
「これ、全部追跡ログっすね」
日菜さんがモニターのひとつへ近づく。
「位置情報、進行ルート、反応速度、選択傾向。たぶん、ここへ座ればこの世界全体の挙動をコントロールできる」
「だから座れって言ってるわけか」
『その通りです』
今度は、部屋の奥。
あの席のすぐ横の暗がりから、ナイトメアが姿を現した。
白衣とタキシードを混ぜたみたいな服。
胸元のストップウォッチ。
片目のタイマー、片目の鍵穴。
背中に折り畳まれた扉の外殻。
あの優しい声に、一番似合わない見た目だと思っていた。
でも、こうして管理中枢みたいな場所に立たれると、不思議なくらいぴったりはまる。
『ここは出口ではありません』
ナイトメアは穏やかに言った。
『ですが、ここなら全てを救えます』
「救う?」
『はい』
にこりと笑ったように、口元だけがわずかに動く。
『正しい選択を、正しい順番で、感情を排して実行し続ければ、無駄な損耗はありません。あなたはそれができるはずです。月夜野日菜』
その名を呼ばれた瞬間、日菜さんの肩が小さく跳ねた。
「っ……」
『あなたは常に支える側でした』
『状況を読み、構造を把握し、正しい手順を導き、感情を後ろへ下げてきた』
『だからこそ、ここがあなたに最もふさわしい席です』
「やめろ」
俺が吐き捨てる。
でも、ナイトメアは無視した。
いや、こっちを無視してるんじゃない。
“本題は日菜だ”と切り分けている感じだ。
『あなたが見ていれば、誰も迷いません』
『あなたが判断すれば、誤答は減ります』
『あなたが感情を切り離せば、全員が助かる可能性は最大化されます』
「そんなの――」
『違うと?』
ナイトメアが、初めて俺の方を見た。
その視線は冷たいのに、怒りはなかった。
ただ、正解を確認するみたいな目だった。
『彼女はそうして支えてきたはずです』
『泣かず、止まらず、手順を崩さず』
『自分の心より、先に他人の生還率を考える』
『それは誤りではなく、極めて正しい適性です』
「うるさい」
言い返したのは俺じゃなかった。
日菜さんだ。
びくりとするくらい小さな声だった。
でも、確かに本人の声だった。
「うるさい、っすよ……」
日菜さんは、あの席を見ていた。
嫌悪と、疲れと、諦めと、ほんの少しの誘惑。
全部混ざった顔だった。
座れば楽になる。
少なくとも、“支えなければ”という焦りには答えてくれる席なんだろう。
だからこそ危険だ。
「日菜さん」
「分かってるっす」
俺が呼ぶ前に、日菜さんが答えた。
「分かってる。こんなの、座ったら終わりっす」
「なら目ぇ逸らすな」
「逸らしてないっすよ」
「見すぎなんだよ」
きつめに言うと、日菜さんが少しだけ口を閉じた。
それから、ぼそりと呟く。
「……だって、楽そうなんすよ」
その一言で、部屋の空気が変わった気がした。
ナイトメアが喋るより先に、日菜さん自身が本音を零したからだ。
「楽そう、って」
俺は言葉を探す。
「何が」
「全部っすよ」
日菜さんは目を逸らさない。
席を見たまま話す。
「全部、ここで見てられる。全部のルートが見える。どこで誰が間違うかも、どこで切るべきかも、どこを助ければ全体の被害が少ないかも、たぶん全部見える」
そこで一度、喉が詰まるような間が空く。
「そういうの、ずっと欲しかったっす」
胸の奥が冷えた。
やっと出た。
この悪夢が日菜さんのどこを抉っているのか、その本体みたいな言葉が。
『当然です』
ナイトメアが、柔らかく肯定する。
『あなたは支え切れなかった記憶を持っている』
『もっと早く見抜ければ、もっと正しい指示が出せれば、もっと正解に近い選択ができれば――そう考えたことがあるはずです』
「っ……」
日菜さんの指先が強く握られる。
爪が掌へ食い込んでいるのが遠目でも分かった。
『あなたがちゃんとしていれば、被害は減った』
『あなたが冷静でいれば、間違いは減った』
『感情は誤差です。迷いはノイズです』
『支える側は、壊れてはいけません』
「やめろって言ってるだろ!」
俺の声が部屋に跳ねる。
モニターが一斉に赤く点滅した。
それでもナイトメアは怯まない。
『彼女は理解しているはずです』
『正しい支援とは、自分を後回しにすることだと』
「違う」
俺は一歩前へ出る。
モニターの光が邪魔だ。
この部屋は全部が整理されていて、だからこそ吐き気がする。
「違うだろ、日菜さん」
「……」
「それ、お前が勝手に自分へ押しつけてきただけだ」
言った瞬間、日菜さんの顔が少し強張った。
怒るかと思った。
でも違った。
怒るより先に、刺さった顔だった。
「私が、勝手に……?」
「そうだよ」
俺は止まらずに続ける。
「支える側だから感情を切れとか、泣くなとか、全部自分でそうしなきゃって思い込んでただけだろ。誰がそんなの決めた」
「決めた、わけじゃ……」
「決めてるだろ」
『彼は理解していません』
ナイトメアが、すぐに割り込んでくる。
『最適化された支援者は、余分な感情を捨てるべきです』
『誰かを救うために、自分を切り離すことは合理です』
「合理、ね」
そこで、自分でも意外なくらい冷たい声が出た。
ナイトメアが言ってることは、あまりにも整いすぎている。
だから逆に腹が立つ。
「じゃあ聞くけど」
俺はナイトメアを睨む。
「それで助かった気になってるのは誰だよ。支える側が勝手に削れて、誰にも見えない場所で摩耗して、それを“正しい”って言い張るのが救いか?」
『被害は減ります』
「だから何だ」
言い切る。
「そうやって残った奴が、ちゃんと生きてるって言えるのかよ」
言ったあとで、少しだけ自分の胸にも刺さった。
生き残ること。
必要とされること。
支え続けること。
そのどれもが、最近の俺にとって簡単な言葉じゃない。
でも、今ここで言わなきゃ駄目だった。
日菜さんが、小さく息を吸う。
「……私がちゃんとしていれば、もっと違ったかもしれないって」
声が震えている。
「そう思わないと、やってられなかった時があるんすよ」
その告白は、独白みたいに落ちた。
俺へ向けてるのか、自分へ向けてるのか、たぶん本人にも分かってない。
「何か起きるたびに、もっと早く気づけたんじゃないか、とか。もっといい順番があったんじゃないか、とか。違う指示が出せたんじゃないか、とか。そういうの、ずっと考えるじゃないっすか」
笑おうとして、失敗したみたいな顔になる。
「冷静でいれば何とかなるって思ってないと、しんどいんすよ」
胸が詰まる。
それは弱音だ。
でも、同時にものすごく真面目な人間の弱音でもある。
支える側が口にしにくい本音を、やっと絞り出したみたいな声だった。
『だからこそ』
ナイトメアの声が甘く落ちる。
『ここへ座ってください』
『ここなら、あなたは失敗しません』
『ここなら、感情に乱されず、正解だけを選び続けられます』
『ここなら、あなたは最も必要とされる存在でいられます』
その言葉が、この部屋のすべてだった。
出口じゃない。
檻だ。
でも、支える側の人間にとっては、あまりにも魅力的な檻だ。
必要とされる。
全部を見ていられる。
間違わなくて済む。
そんなもの、弱ってる時に差し出されたら、誰だって少しは揺らぐ。
日菜さんが、一歩だけ前へ出た。
「日菜さん!」
俺が叫ぶ。
その声で、日菜さんがはっとしたように足を止める。
「……っ」
「行くな」
「でも」
「でもじゃない」
俺はもう考えるより先に言っていた。
「お前がそこに座るの、違うだろ」
「違うって、何が」
「全部だよ」
答えながら、自分の中で何かが噛み合う音がした。
支える側。
見守る側。
サポートする側。
それは確かに日菜さんの役割だった。
でも、だからって一人でそこへ座っていい理由にはならない。
「俺がここまで来れたの」
言葉が先に出る。
「お前がいたからだろ」
日菜さんが目を見開いた。
ナイトメアも、そこで初めて少しだけ沈黙した。
「何回も助けられてる。サポートも、分析も、判断も、全部」
俺ははっきり言う。
「俺が前に出て戦えてたの、お前が後ろにいたからだ。なのに、支える側は壊れるなとか、一人で全部見ろとか、そんなの認められるわけないだろ」
喋りながら、自分の胸にも少しずつ刺さっていく。
支えられていた。
俺はずっと、そっちでもあった。
守る側でいたかったから、あんまり見ないようにしてた部分を、今こうして口にしている。
簡単じゃない。
けど、言わなきゃ駄目だ。
「……今度は俺が、お前をそこから引っ張り出す」
静かに言い切る。
その言葉を聞いた瞬間、日菜さんの顔が崩れた。
泣いたわけじゃない。
でも、ずっと固めていたものが緩んだのは分かった。
ナイトメアのバイザーが赤く明滅する。
優しい声色のまま、ほんの少しだけ鋭さが混じった。
『不正解です』
「知るか」
『感情的依存は攻略を阻害します』
「だったら阻害してやる」
『それでは誰も救えません』
「そうやって一人に全部背負わせる方がよっぽど救えねぇよ」
言葉と同時に、中央のモニター群が一斉に赤へ反転した。
タイマーが加速する。
床のラインが点滅し、操作席の周囲に透明な壁みたいなものが立ち上がり始める。
この部屋そのものが、日菜さんを固定する檻へ変わるつもりだ。
「っ、万津君!」
「下がれ!」
俺はゼッツドライバーへ手をかける。
今この瞬間、もうはっきり分かった。
この悪夢を終わらせるには、ギミックを解くだけじゃ駄目だ。
日菜さんを“支える席”へ固定しようとしてるこの世界そのものを壊さなきゃいけない。
それに。
今度は俺がやる番だ。
いつも見守ってくれていた人を、今度は俺が引っ張り戻す。
その考えが、自分でも驚くくらい自然に腹の底へ落ちていた。
「待ってろ、日菜さん」
「……」
「絶対、そこには座らせない」
ナイトメアが、初めて明確な敵意を向けてくる。
でも、もう遅い。
こっちも、ようやく本当に覚悟が決まったところだった。