ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ   作:ボルメテウスさん

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迷宮 part4

 正解の部屋、なんてものが本当にあるなら、もっと分かりやすく胡散臭い顔をしていてほしかった。

 

 白い通路を抜けた先で、自動ドアが静かに開いた瞬間、最初に浮かんだ感想はそれだった。

 いかにも怪しい祭壇とか、露骨に罠っぽい非常口とか、そういう分かりやすい嫌らしさはない。

 代わりにそこにあったのは、妙に整った空間だった。

 

「……何だよ、ここ」

 

 思わずそう呟く。

 部屋は広い。

 壁一面にモニター。

 床には薄く発光するラインが走っていて、中央へ向かうほど密度が増していく。

 ガラス越しの観察室みたいな区画が左右に分かれていて、その奥には学園の教室にも、病院の処置室にも、研究施設のモニタールームにも見える風景が、細切れに映し出されていた。

 そのどれもが今まで通ってきたソムニウム世界の一部なんだろう。

 白い廊下。

 番号付きの扉。

 圧力床。

 赤いタイマー。

 全部がここへ接続されている。

 

 そして、部屋の一番奥。

 少しだけ高い位置に、ひとつの席があった。

 

 椅子、というよりは操作席だ。

 背もたれは人間の身体にぴったり合う形へ削られていて、両脇には操作パネル。

 頭部を支えるためのフレーム。

 耳元に伸びるヘッドセット。

 座れば視線の先のモニターすべてを管理できるように作られている。

 いかにも“ここが中心です”と言わんばかりの席だった。

 

 なのに、その席には奇妙な優しさがあった。

 拷問椅子みたいな露骨な拘束感じゃない。

 むしろ逆だ。

 ここへ座ってしまえば、全部を見渡せる。

 全部に手が届く。

 全部を管理できる。

 だからこそ、質が悪い。

 

「……出口、じゃないっすね」

 

 隣で日菜さんが小さく呟いた。

 その声には疲れが混じっていた。

 さっきまでみたいに、全部を“攻略対象”へ無理やり変換しきれなくなっている。

 それだけで、少しだけ救われる。

 

「見れば分かる」

 

「いや、見た目だけなら結構それっぽいっすよ」

 日菜さんは苦く笑った。

「全部の情報が集まってて、全部のルートが見えて、全部の選択肢を管理できる場所。こういうの、好きな人は好きそうじゃないっすか」

 

「好きかどうかの話してる場合かよ」

 

「してないっす。だから余計にタチ悪いって言ってるんすよ」

 

 その言い方は、少しだけいつもの日菜さんに近かった。

 けれど、視線はもうあの席に釘付けだった。

 見たくないのに見てしまう。

 自分にとって都合が良すぎる場所だと、本能で分かってるんだろう。

 

 スピーカーから、あの柔らかい声が流れる。

 

『到達を確認しました』

 

 ナイトメアの声だ。

 どこか近い。

 でも、姿はまだ見えない。

 この部屋そのものが、あいつの声帯になっているみたいだった。

 

『最適解へようこそ』

『ここが管理中枢です』

『ここへ座れば、すべての被害を最小限に抑えられます』

 

 その案内が始まった瞬間、中央のモニター群が一斉に起動した。

 白い画面が切り替わる。

 映るのはこのソムニウム世界の各区画。

 閉じた扉。

 残り時間。

 危険エリアの表示。

 失敗条件。

 さらに、その中には俺の姿まで映っていた。

 少し前の通路で、間違えかけた俺。

 強引に進もうとして警告を鳴らした俺。

 日菜さんへ手を伸ばした俺。

 全部が記録されている。

 

「気持ち悪いな……」

 

「これ、全部追跡ログっすね」

 日菜さんがモニターのひとつへ近づく。

「位置情報、進行ルート、反応速度、選択傾向。たぶん、ここへ座ればこの世界全体の挙動をコントロールできる」

 

「だから座れって言ってるわけか」

 

『その通りです』

 

 今度は、部屋の奥。

 あの席のすぐ横の暗がりから、ナイトメアが姿を現した。

 

 白衣とタキシードを混ぜたみたいな服。

 胸元のストップウォッチ。

 片目のタイマー、片目の鍵穴。

 背中に折り畳まれた扉の外殻。

 あの優しい声に、一番似合わない見た目だと思っていた。

 でも、こうして管理中枢みたいな場所に立たれると、不思議なくらいぴったりはまる。

 

『ここは出口ではありません』

 ナイトメアは穏やかに言った。

『ですが、ここなら全てを救えます』

 

「救う?」

 

『はい』

 にこりと笑ったように、口元だけがわずかに動く。

『正しい選択を、正しい順番で、感情を排して実行し続ければ、無駄な損耗はありません。あなたはそれができるはずです。月夜野日菜』

 

 その名を呼ばれた瞬間、日菜さんの肩が小さく跳ねた。

 

「っ……」

 

『あなたは常に支える側でした』

『状況を読み、構造を把握し、正しい手順を導き、感情を後ろへ下げてきた』

『だからこそ、ここがあなたに最もふさわしい席です』

 

「やめろ」

 

 俺が吐き捨てる。

 でも、ナイトメアは無視した。

 いや、こっちを無視してるんじゃない。

 “本題は日菜だ”と切り分けている感じだ。

 

『あなたが見ていれば、誰も迷いません』

『あなたが判断すれば、誤答は減ります』

『あなたが感情を切り離せば、全員が助かる可能性は最大化されます』

 

「そんなの――」

 

『違うと?』

 

 ナイトメアが、初めて俺の方を見た。

 その視線は冷たいのに、怒りはなかった。

 ただ、正解を確認するみたいな目だった。

 

『彼女はそうして支えてきたはずです』

『泣かず、止まらず、手順を崩さず』

『自分の心より、先に他人の生還率を考える』

『それは誤りではなく、極めて正しい適性です』

 

「うるさい」

 

 言い返したのは俺じゃなかった。

 日菜さんだ。

 

 びくりとするくらい小さな声だった。

 でも、確かに本人の声だった。

 

「うるさい、っすよ……」

 

 日菜さんは、あの席を見ていた。

 嫌悪と、疲れと、諦めと、ほんの少しの誘惑。

 全部混ざった顔だった。

 座れば楽になる。

 少なくとも、“支えなければ”という焦りには答えてくれる席なんだろう。

 だからこそ危険だ。

 

「日菜さん」

 

「分かってるっす」

 俺が呼ぶ前に、日菜さんが答えた。

「分かってる。こんなの、座ったら終わりっす」

 

「なら目ぇ逸らすな」

 

「逸らしてないっすよ」

 

「見すぎなんだよ」

 

 きつめに言うと、日菜さんが少しだけ口を閉じた。

 それから、ぼそりと呟く。

 

「……だって、楽そうなんすよ」

 

 その一言で、部屋の空気が変わった気がした。

 ナイトメアが喋るより先に、日菜さん自身が本音を零したからだ。

 

「楽そう、って」

 俺は言葉を探す。

「何が」

 

「全部っすよ」

 日菜さんは目を逸らさない。

 席を見たまま話す。

「全部、ここで見てられる。全部のルートが見える。どこで誰が間違うかも、どこで切るべきかも、どこを助ければ全体の被害が少ないかも、たぶん全部見える」

 そこで一度、喉が詰まるような間が空く。

「そういうの、ずっと欲しかったっす」

 

 胸の奥が冷えた。

 やっと出た。

 この悪夢が日菜さんのどこを抉っているのか、その本体みたいな言葉が。

 

『当然です』

 

 ナイトメアが、柔らかく肯定する。

 

『あなたは支え切れなかった記憶を持っている』

『もっと早く見抜ければ、もっと正しい指示が出せれば、もっと正解に近い選択ができれば――そう考えたことがあるはずです』

 

「っ……」

 

 日菜さんの指先が強く握られる。

 爪が掌へ食い込んでいるのが遠目でも分かった。

 

『あなたがちゃんとしていれば、被害は減った』

『あなたが冷静でいれば、間違いは減った』

『感情は誤差です。迷いはノイズです』

『支える側は、壊れてはいけません』

 

「やめろって言ってるだろ!」

 

 俺の声が部屋に跳ねる。

 モニターが一斉に赤く点滅した。

 それでもナイトメアは怯まない。

 

『彼女は理解しているはずです』

『正しい支援とは、自分を後回しにすることだと』

 

「違う」

 

 俺は一歩前へ出る。

 モニターの光が邪魔だ。

 この部屋は全部が整理されていて、だからこそ吐き気がする。

 

「違うだろ、日菜さん」

 

「……」

 

「それ、お前が勝手に自分へ押しつけてきただけだ」

 

 言った瞬間、日菜さんの顔が少し強張った。

 怒るかと思った。

 でも違った。

 怒るより先に、刺さった顔だった。

 

「私が、勝手に……?」

 

「そうだよ」

 俺は止まらずに続ける。

「支える側だから感情を切れとか、泣くなとか、全部自分でそうしなきゃって思い込んでただけだろ。誰がそんなの決めた」

 

「決めた、わけじゃ……」

 

「決めてるだろ」

 

『彼は理解していません』

 

 ナイトメアが、すぐに割り込んでくる。

 

『最適化された支援者は、余分な感情を捨てるべきです』

『誰かを救うために、自分を切り離すことは合理です』

 

「合理、ね」

 

 そこで、自分でも意外なくらい冷たい声が出た。

 ナイトメアが言ってることは、あまりにも整いすぎている。

 だから逆に腹が立つ。

 

「じゃあ聞くけど」

 俺はナイトメアを睨む。

「それで助かった気になってるのは誰だよ。支える側が勝手に削れて、誰にも見えない場所で摩耗して、それを“正しい”って言い張るのが救いか?」

 

『被害は減ります』

 

「だから何だ」

 言い切る。

「そうやって残った奴が、ちゃんと生きてるって言えるのかよ」

 

 言ったあとで、少しだけ自分の胸にも刺さった。

 生き残ること。

 必要とされること。

 支え続けること。

 そのどれもが、最近の俺にとって簡単な言葉じゃない。

 でも、今ここで言わなきゃ駄目だった。

 

 日菜さんが、小さく息を吸う。

 

「……私がちゃんとしていれば、もっと違ったかもしれないって」

 声が震えている。

「そう思わないと、やってられなかった時があるんすよ」

 

 その告白は、独白みたいに落ちた。

 俺へ向けてるのか、自分へ向けてるのか、たぶん本人にも分かってない。

 

「何か起きるたびに、もっと早く気づけたんじゃないか、とか。もっといい順番があったんじゃないか、とか。違う指示が出せたんじゃないか、とか。そういうの、ずっと考えるじゃないっすか」

 笑おうとして、失敗したみたいな顔になる。

「冷静でいれば何とかなるって思ってないと、しんどいんすよ」

 

 胸が詰まる。

 それは弱音だ。

 でも、同時にものすごく真面目な人間の弱音でもある。

 支える側が口にしにくい本音を、やっと絞り出したみたいな声だった。

 

『だからこそ』

 

 ナイトメアの声が甘く落ちる。

 

『ここへ座ってください』

『ここなら、あなたは失敗しません』

『ここなら、感情に乱されず、正解だけを選び続けられます』

『ここなら、あなたは最も必要とされる存在でいられます』

 

 その言葉が、この部屋のすべてだった。

 出口じゃない。

 檻だ。

 でも、支える側の人間にとっては、あまりにも魅力的な檻だ。

 必要とされる。

 全部を見ていられる。

 間違わなくて済む。

 そんなもの、弱ってる時に差し出されたら、誰だって少しは揺らぐ。

 

 日菜さんが、一歩だけ前へ出た。

 

「日菜さん!」

 

 俺が叫ぶ。

 その声で、日菜さんがはっとしたように足を止める。

 

「……っ」

 

「行くな」

 

「でも」

 

「でもじゃない」

 俺はもう考えるより先に言っていた。

「お前がそこに座るの、違うだろ」

 

「違うって、何が」

 

「全部だよ」

 

 答えながら、自分の中で何かが噛み合う音がした。

 支える側。

 見守る側。

 サポートする側。

 それは確かに日菜さんの役割だった。

 でも、だからって一人でそこへ座っていい理由にはならない。

 

「俺がここまで来れたの」

 言葉が先に出る。

「お前がいたからだろ」

 

 日菜さんが目を見開いた。

 ナイトメアも、そこで初めて少しだけ沈黙した。

 

「何回も助けられてる。サポートも、分析も、判断も、全部」

 俺ははっきり言う。

「俺が前に出て戦えてたの、お前が後ろにいたからだ。なのに、支える側は壊れるなとか、一人で全部見ろとか、そんなの認められるわけないだろ」

 

 喋りながら、自分の胸にも少しずつ刺さっていく。

 支えられていた。

 俺はずっと、そっちでもあった。

 守る側でいたかったから、あんまり見ないようにしてた部分を、今こうして口にしている。

 簡単じゃない。

 けど、言わなきゃ駄目だ。

 

「……今度は俺が、お前をそこから引っ張り出す」

 

 静かに言い切る。

 その言葉を聞いた瞬間、日菜さんの顔が崩れた。

 泣いたわけじゃない。

 でも、ずっと固めていたものが緩んだのは分かった。

 

 ナイトメアのバイザーが赤く明滅する。

 優しい声色のまま、ほんの少しだけ鋭さが混じった。

 

『不正解です』

 

「知るか」

 

『感情的依存は攻略を阻害します』

 

「だったら阻害してやる」

 

『それでは誰も救えません』

 

「そうやって一人に全部背負わせる方がよっぽど救えねぇよ」

 

 言葉と同時に、中央のモニター群が一斉に赤へ反転した。

 タイマーが加速する。

 床のラインが点滅し、操作席の周囲に透明な壁みたいなものが立ち上がり始める。

 この部屋そのものが、日菜さんを固定する檻へ変わるつもりだ。

 

「っ、万津君!」

 

「下がれ!」

 

 俺はゼッツドライバーへ手をかける。

 今この瞬間、もうはっきり分かった。

 この悪夢を終わらせるには、ギミックを解くだけじゃ駄目だ。

 日菜さんを“支える席”へ固定しようとしてるこの世界そのものを壊さなきゃいけない。

 

 それに。

 今度は俺がやる番だ。

 いつも見守ってくれていた人を、今度は俺が引っ張り戻す。

 その考えが、自分でも驚くくらい自然に腹の底へ落ちていた。

 

「待ってろ、日菜さん」

 

「……」

 

「絶対、そこには座らせない」

 

 ナイトメアが、初めて明確な敵意を向けてくる。

 でも、もう遅い。

 こっちも、ようやく本当に覚悟が決まったところだった。

 

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