ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
タイマーの赤い数字が、やけに静かに減っていく。
数字が変わるたびに、部屋のどこかで小さな電子音が鳴った。
その音はうるさくない。
むしろ妙に整っていて、だからこそ嫌だった。
焦らせるための音のくせに、感情を逆撫でするような下品さがない。
ただ淡々と、こちらへ「もう時間がないですよ」と突きつけてくる。
そういう上品な圧迫の方が、時々よほど悪質だ。
『一つだけを救えます』
エスケープナイトメアが、また同じことを言う。
片目のタイマーが冷たく明滅して、そのたびに周囲のモニター群へ赤い光が走った。
『正しい救出対象を選択してください』
『誤答は全体最適を損ないます』
『迷いは被害を拡大させます』
「だから、それがクソだって言ってんだよ」
吐き捨てながら、俺は三つの発光区画を睨む。
どれも同じ顔をしている。
どれも“正解かもしれない”という顔をしていて、だから余計に腹が立つ。
日菜さんを模したシルエット。
俺自身のシルエット。
輪郭の曖昧な、誰か。
救えるのは一つだけ。
そういうルールを突きつける時点で、もうこいつは人を助けるためのゲームなんか作っていない。
正解という言葉で、人の心を削りたいだけだ。
「万津君」
日菜さんの声が、少し後ろから届く。
振り向かなくても分かった。
その声には、さっきまでよりはっきりした熱が戻っている。
けれど、まだ不安も残っている。
無理もない。
今見せられているのは、日菜さんが一番逃げたかった形の“正しさ”だからだ。
「分かってる」
俺は前を向いたまま答える。
「これ、解く問題じゃない」
「……うん」
短い返事。
それでも、それだけで十分だった。
日菜さんが今、席の方じゃなくこっち側へ立っている。
その事実だけで、もう一歩は踏み込める。
エスケープナイトメアが、ほんの少しだけ首を傾げる。
司会者みたいな笑みを貼りつけたまま、俺の手元へ視線を落とした。
ゼッツドライバー。
そこに込められた力を、あいつも警戒している。
『カタストロムによる強制突破は非推奨です』
「推奨される気もないけどな」
『この空間は夢主の深層構造と接続されています』
『無差別な破壊は、月夜野日菜のソムニウムそのものへ不可逆な損傷を与える可能性があります』
その言葉に、胸の奥で嫌な音がした。
予感はしていた。
していたからこそ、今、こうして一歩を踏み切れずにいる。
エスケープナイトメアは、最初からそういう作りをしていた。
理不尽な謎。
誤答前提のルール。
偽の出口。
それら全部が、ただの罠じゃない。
日菜さんの夢そのものへ食い込んでいる。
だから、カタストロムで真正面からぶち壊せば、悪夢ごと夢主の心も砕きかねない。
「……最悪だな」
『合理的です』
「合理的って言葉、便利に使いすぎだろ」
『感情より効率を優先するのは当然です』
「当然じゃない」
言葉を返しながら、俺はカタストロムの装甲越しに拳を握る。
壊せる。
今の俺なら、この部屋も、モニターも、椅子も、ルールも、まとめて吹き飛ばせる。
でも、それをやった瞬間に、助けるはずの日菜さんまで巻き込む。
その答えは選べない。
選びたくない。
それが腹立たしかった。
壊す力はあるのに、壊しちゃいけない。
進むための武器が、そのまま救えない理由になる。
こんなに性格の悪い構造があってたまるか。
「万津君……」
日菜さんの声が、今度は少し近い。
たぶん、俺の背中を見ている。
カタストロムへ変身して、でも動けずにいる俺の背中を。
「私、たぶん」
そこで言葉が切れる。
息を吸って、吐いて、それでも言う。
「こういうの、ずっと怖かったんすよ」
俺は黙ったまま聞く。
今は割り込まない方がいい。
それは直感で分かった。
「正解が分からないの、もちろん怖いっす」
日菜さんの声は、弱い。
でも、その弱さを今は隠していなかった。
「でもそれより、正解を出せなかった時に、“ほらやっぱりお前じゃ駄目だった”ってなるのが怖かった」
呼吸が止まりかける。
それは、たぶん冗談っぽく笑ってごまかす類の本音じゃない。
ずっと奥へ押し込めて、できれば見ないまま済ませたかったものだ。
「私が冷静でいれば、何か変わるかもしれない。私がちゃんと見てれば、誰かを引っ張れるかもしれない。そう思ってないと、支える側ってきついんすよ」
小さく笑う声がした。
全然笑えていない笑い方だった。
「でも、それって結局、支えてる自分じゃないとここにいていい理由が分かんなくなるってことでもあるんすよね」
その一言が、胸の真ん中へ真っ直ぐ刺さった。
支える自分じゃないと、ここにいていい理由が分からない。
それは、形こそ違うけど、俺が抱えてきたものとどこか似ていた。
必要とされる側でいたい。
誰かの役に立つ形で立っていたい。
そうじゃなくなった時、自分が何になるのか分からなくなる。
俺はそれを、守る側でずっとごまかしてきた。
日菜さんは、支える側でごまかしてきた。
たぶん、それだけの違いなんだ。
『それこそが適性です』
ナイトメアの声が、優しく落ちる。
『月夜野日菜。あなたは自分の感情を抑制し、最善手を選ぶことで、他者の生存率を最大化してきました』
『そこに疑問を抱く必要はありません』
『役割を果たし続ければ、あなたの存在意義は失われません』
「黙れ」
今度は、俺も日菜さんも同時に言っていた。
少しだけ、変な気分になる。
でも悪くなかった。
同じものへ腹を立てられている。
それだけで、まだここは完全な地獄にはなっていない。
『否定は非効率です』
「効率なんか知らねぇよ」
俺は低く吐き捨てて、一歩前へ出る。
三つの発光区画。
その奥のシルエット。
全部が偽物くさい。
全部が“正解っぽく作られている”感じしかしない。
そしてその構造が、今は見える。
はっきりとはまだ言えない。
でも、こいつが隠れている場所は、この問題文の中じゃない。
問題そのものの作り方の方にある。
「……お前、そこに隠れてるんだろ」
『何の話ですか』
「理不尽な謎に隠れて、正解を選ばせる側に立ってる」
俺はゆっくり言葉を置く。
「答えを選ばせてるようで、本当は選ばせてない。最初から、人に背負わせるためにルール組んでるだけだ」
エスケープナイトメアのバイザーに、赤い走査線が走る。
図星だ。
少なくとも、まったく外れたことを言ってはいない。
「万津君、まさか」
「たぶん、こいつは問題の中にいない」
俺は視線を巡らせる。
操作席。
床の発光ライン。
モニター群。
選択肢の表示。
三つのシルエット。
全部がつながっている。
「問題を出してる構造そのものが、こいつの本体側だ」
『誤認です』
「じゃあ試してみるか」
カタストロムの拳を握り直す。
狙うのは選択肢じゃない。
その足元で光っている発光ラインの結節点。
日菜さんを固定するための回路。
そこへ叩き込めば、こいつのルールは少しは崩れる。
そう踏んで踏み込もうとした、その瞬間だった。
視界の端で、日菜さんの表情が変わる。
焦った顔。
咄嗟に俺は動きを止めた。
「待って!」
その声は、さっきまでと違った。
理屈より先に出た声。
俺が止まるべき理由がある時の声だった。
「そこ、壊したら駄目っす!」
「何でだ」
「夢の核に近い!」
日菜さんが、息を乱しながら言う。
「その回路、ナイトメアだけじゃなくて、私のソムニウムの基盤とも繋がってる。そこをカタストロムでやったら、たぶん、夢ごと崩れる」
舌打ちしたい気分だった。
最悪の答え合わせだ。
分かってはいた。
でも、こうしてはっきり突きつけられると余計に腹が立つ。
壊せば終わる。
けど、それじゃ助けたことにならない。
『ご理解いただけたようですね』
ナイトメアが穏やかに告げる。
『破壊では解決しません』
『だからこそ、正しい席に座るべきなのです』
「まだそれ言うか」
『当然です』
微笑むような声色。
『あなたは破壊する力しか持たない』
『彼女は支えるための適性を持つ』
『役割分担としては極めて美しい』
その言い方が、妙に気に障った。
美しい。
また正しそうな言葉を使う。
人を道具みたいに配置しておいて、その結果を“美しい”と呼ぶ。
そんなものを認める気はなかった。
でも、今の俺には壊せない。
力任せでは駄目だ。
だったらどうする。
どうすれば、日菜さんを傷つけず、この構造だけを終わらせられる。
考えろ。
焦るな。
壊すな。
……違う。
そこで、自分の中で何かが引っかかった。
壊すな、じゃない。
壊し方が違うんだ。
俺は日菜さんを見る。
ずっと後ろで見ていてくれた人。
最初に俺へゼッツへの道をくれた人。
サポートって名前の下で、自分の心を後回しにしてきた人。
その人を今、俺は“巻き込まないように”守ろうとしている。
でも、それだけじゃ足りない。
そんな守り方じゃ、またこの人だけが置いていかれる。
「……違う」
口から漏れた。
ナイトメアが沈黙する。
日菜さんも、息を呑む気配がする。
「万津君?」
「違うだろ」
自分へ言い聞かせるみたいに、もう一度言う。
「ただ壊さないように守るだけじゃ、また日菜さんだけが残る」
支えてくれていた。
見守ってくれていた。
俺が前へ出るたび、たぶんこの人は自分の感情を少しずつ後ろへ下げていた。
それを“仕方ない”で済ませるのは違う。
今度は俺が、この人を引っ張り戻さなきゃいけない。
「日菜さん」
「……はい」
「俺、最初にゼッツになれたの、お前がいたからなんだよ」
言葉が、今度は驚くほど自然に出た。
偽りじゃないからだと思う。
「見ててくれたし、支えてくれたし、無茶するたびに後ろで拾ってくれてた」
喉の奥が熱い。
でも止めない。
「だから今度は、俺が助ける。守るだけじゃない。ちゃんと、お前ごと連れ戻す」
日菜さんの目が大きく開く。
それから、少しずつ、少しずつ、泣きそうな顔になる。
でも今は泣かない。
その代わりに、小さく笑った。
「……ずるいっすよ、そういうの」
「知ってる」
その瞬間だった。
ゼッツドライバーに差し込まれたデュアルメアカプセムが、かすかに熱を帯びる。
最初は気のせいかと思った。
けれど次の瞬間、その表面を走る光が変わる。
今までの荒々しい脈動じゃない。
もっと鋭く、もっと静かで、でもはっきりした意志を持つ光だ。
「……何だ?」
俺が思わず見下ろすと、カプセムの輪郭が微妙に変質していた。
壊すための圧じゃない。
歪んだものを見分けるための、冷たい焦点みたいな感覚が伝わってくる。
『不明な変化を確認』
初めて、エスケープナイトメアの声がわずかに乱れた。
『解析不能』
『プロトコル外です』
「そりゃそうだろ」
俺はカプセムを握る。
分かる。
これはカタストロムとは違う。
壊して押し切る力じゃない。
偽の正解を見抜いて、あるべき形へ戻すための力だ。
今、この瞬間に必要なのはこっちだった。
支える人を、支援装置にしたまま救った気になるな。
そのための答えが、ようやくここへ来たんだと、理屈より先に分かってしまった。
エスケープナイトメアが、一歩だけ後退する。
その動きが、何より答えだった。
こいつは今、本気で嫌がっている。
カタストロムの破壊は計算できても、この変化は計算できない。
だったら、もう迷う理由はない。
「日菜さん」
「……はい」
「ここから先は、ちゃんと終わらせる」
静かに言って、俺は変質したカプセムへ指をかけた。
理不尽な問題の中へ隠れた悪夢。
正しさの形をした拘束。
支える側を固定する檻。
その全部を、今度は“壊す”んじゃない。
見抜いて、外して、正しい形へ戻す。
そのための力が、今、手の中にある。