ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
空間が、もう一度歪んだ。
せっかくオルデルムの力で正しい形へ戻り始めていたはずの通路が、今度はもっと乱暴なやり方で捻じ曲げられていく。
非常口表示は左右へ増殖し、床を走っていた発光ラインは蛇みたいにのたうち、さっきまで消えかけていた偽の扉が、今度は前よりも多い数で壁から生えてきた。
白い管理中枢だった部屋が、また別の形へ変わる。
今度はもう、整ってすらいない。
追い詰められたせいで取り繕う余裕を失った迷宮が、むき出しの悪意だけで膨れ上がっていくみたいだった。
『修正を確認。再構築を開始します』
ナイトメアの声はまだ丁寧だった。
けれど、その丁寧さの奥で、確かに焦りが軋んでいる。
さっきまでみたいな余裕はない。
オルデルムの力で、この悪夢の“正しそうな顔”はもうかなり剥がれている。
だから今のこいつは、優しい司会者を演じる代わりに、迷路そのものを肥大化させて俺たちを押し潰そうとしていた。
『誤答を量産し、選択肢を増やし、出口を再配置します』
『あなたたちは、まだ正解へ届いていません』
「届いてないのは、お前の方だろ」
そう返しながら、俺はオルデルムの視界を前へ向ける。
見える。
さっきまでとは比べものにならないくらい、はっきり見えていた。
増殖した非常口表示。
複製された扉。
階段があるように見せかけて、途中で別の部屋へ折り返している通路。
それら全部の上に、緑の線と赤いノイズが重なっている。
正しい接続。
間違った接続。
今の俺には、その区別がほとんど直感みたいに分かった。
でも、それでもまだ足りない。
見えるのは構造だ。
迷宮の綻びだ。
けれど、“どこから解けば全部が崩れるのか”までは、一瞬で掴み切れない。
迷路としての癖。
ルールの積み方。
誤答前提の誘導。
そういう部分は、俺よりも別の誰かの方が詳しい。
「万津君!」
その声が、ちょうど俺の思考へ重なるように飛んできた。
振り向く。
日菜さんが、迷宮の変化を睨みながら一歩前へ出ていた。
さっきまでの張り詰めた顔とは違う。
まだ疲れている。
まだ怖がっている。
けれど、その目はもう“固定される側”のものじゃなかった。
ちゃんと自分で、この悪夢の癖を読み始めている顔だった。
「これ、解けます」
言い切る。
その一言に、妙な熱があった。
無理に平静を装った声じゃない。
自分の得意な領域へ足を踏み戻した人間の声だ。
「本当か」
「本当っす」
日菜さんは、周囲に増殖した扉を指差しながら続ける。
「こいつ、慌てて迷宮を広げてる。だから配置の癖が出てるっす。出口の偽物を作る時、必ず一回だけ誘導ラインを反転させる。あと、解答欄の増やし方もワンパターンっす」
『誤認です』
「うるさい」
日菜さんがぴしゃりと言い返す。
「こっちはあんたみたいなの、趣味で何百回も見てるんすよ」
その言葉に、思わず少しだけ口元が緩みかける。
趣味で、って言い方が妙に日菜さんらしかった。
ああ、この人は戻ってきてる。
そう思えた。
「万津君」
日菜さんは迷宮の奥へ視線を走らせる。
「今、出口に見えるものの大半は囮っす。けど、全部が偽物じゃない。こいつ、再構築の中心を動かしながら迷路を増やしてる。だから、本物のルートだけは“増やす側”じゃなく“維持する側”に残る」
「維持する側……」
「はい。増殖のノイズに混ざってない線。そこだけが本物っす」
オルデルムの視界が、その言葉へ反応するみたいに鋭くなる。
緑のラインが走る。
無数のノイズの中に、一本だけ消えない線が浮き上がった。
細い。
でも、確かにある。
日菜さんの“解く”力が見抜いた答えを、オルデルムが“崩壊点”として確定していく。
そういう感覚だった。
「そこか」
「たぶん、じゃないっす」
日菜さんが少しだけ笑う。
「そこです」
その断言が、妙に頼もしい。
支えてもらっていた時の感覚が、そのまま胸の奥へ戻ってくる。
でも今は、それを“後ろから支えられている”とは感じなかった。
同じ場所で、一緒に立ってる。
そういう感じの方が強い。
『不正な解析です』
ナイトメアの声が、今度は明らかに冷たくなる。
『感情による推測は正解率を低下させます』
『月夜野日菜、あなたは再び誤答へ近づいています』
「違うっすね」
日菜さんはもう、その声に怯まなかった。
むしろ少しだけ呆れたように肩をすくめる。
「今の私は、あんたに言われた正解を選ぶ気なんてないっす」
「だったら、何を」
「解きたいから解くんすよ」
その一言は、驚くほど真っ直ぐだった。
支えるためとか。
役に立つためとか。
失敗しないためとか。
そういう義務の顔をしていない。
ただ、自分で解きたいから解く。
その言葉が、ここへ来て初めて日菜さんの力を“本来のもの”へ戻した気がした。
「万津君!」
日菜さんが、再び迷宮の一点を指差す。
「次に歪むの、そこです! その奥に、こいつの再構築核がある!」
「分かった!」
俺は即座に踏み出す。
その瞬間、オルデルムの視界の中で、日菜さんが示した位置だけが鮮やかな緑色に塗られた。
カプセムのボタンを押し込む。
アナトマイズストラクチャーが低い駆動音を立て、周囲の歪んだ空間へ再干渉を始める。
すると、さっきまで好き勝手に増殖していた扉の一部が、一斉に停止した。
偽の非常口表示がノイズ混じりに弾ける。
反転していた誘導ラインが、今度は正しい進行方向へ揃い始める。
日菜さんが“解いた”迷宮の答えを、オルデルムの力が空間そのものへ上書きしていく。
その感覚が、手の中にまで伝わった。
「……すご」
日菜さんが、驚いたように呟く。
「私の答えが、そのまま通ってる……」
「補助してるだけだ」
「それがすごいんすよ!」
そう言われて、少しだけ可笑しくなる。
でも今は笑ってる場合じゃない。
迷宮の本体が、露出し始めている。
ナイトメアが後退する。
今度は露骨だった。
さっきまでの余裕ある歩みじゃない。
焦って逃げ道を探す動き。
けれど、もう遅い。
迷宮の増殖経路は日菜さんが解いた。
その解法をオルデルムが本物へ変えた。
つまり今、逃げ道を失ってるのはこっちじゃない。
「閉じ込めるぞ」
「はいっす!」
短い返事。
それだけで十分だった。
日菜さんが次々に叫ぶ。
「左の扉は偽物! その奥の階段も反転するっす!」
「中央通路の三枚目、そこだけは本物!」
「次に逃げるなら上っ、けどその先はループっす!」
その声に合わせて、俺は動く。
オルデルムの視界では、日菜さんの指摘した構造だけが一瞬早く光る。
俺はそこへ手をかざし、ボタン操作と共に是正を重ねる。
偽の出口が消える。
折り返し通路が閉じる。
階段が途切れる。
床の矢印が反転し、逆にナイトメアの逃走経路を塞いでいく。
気づけば、迷宮そのものの向きが変わっていた。
今まで俺たちを閉じ込めていたはずの構造が、今度はナイトメアの周囲へ収束していく。
扉が閉じる。
通路が折れる。
非常口表示がすべて同じ一点を指す。
白い迷宮は、最終的にナイトメアだけを中心へ追い込むための檻へ変わっていった。
『ありえない……!』
初めて、ナイトメアが大きく声を乱す。
『この迷宮は、解答者を追い込むためのものです!』
『作問者が閉じ込められる構造では――』
「なるんすよ」
日菜さんが、少しだけ意地悪く笑った。
その笑い方に、やっと本来の彼女らしさが戻っている。
「あんた、自分で迷路作るのは上手いっすけど、出口の作り方が雑なんすよ」
「何を」
「だから、解けるって言ったじゃないっすか」
その一言と同時に、最後の通路が閉じる。
ナイトメアの周囲を、白い迷宮が完全に囲い込んだ。
逃げ道はない。
偽の出口もない。
今この瞬間だけ、この悪夢の中で正しい構造を握っているのは、俺たちの方だった。
「万津君!」
「ああ!」
俺は深く息を吸う。
ここから先は、終わらせるだけだ。
オルデルムの全身へ、緑の光が走る。
秩序の力を最大化するように、アナトマイズストラクチャーが展開を始める。
脚部の側面から、六本足のパーツみたいな構造体がせり出した。
その一本一本が、周囲の空間へ緑の線を刻みながら、俺の足へ組み上がっていく。
ただの装甲じゃない。
迷宮の構造ごと踏破し、正しい軌道だけを通すための補助骨格。
そう理解した瞬間、身体の重さが変わる。
『オルデルム・エンダー……!』
重い音声が、空間そのものへ宣告みたいに響く。
続けて鳴る、低く引き伸ばされた声。
『ゼェッツ……ゼェッツ………ゼェーーッツ……!!』
床が足場になる。
いや、迷宮を解いた答えそのものが足場へ変わる。
俺はそれを蹴った。
一歩。
二歩。
三歩。
浮かび上がる緑のラインを乗り継ぎながら、一気に上へ跳ぶ。
閉じ込められたナイトメアが見上げる。
その顔には、もう司会者の余裕はない。
ただ、自分の作った迷宮の中で追い詰められた怪物の表情だけがあった。
「終わりだ!」
叫ぶと同時に、脚へ纏ったアナトマイズストラクチャーが大きく展開する。
六本足の構造体が、蹴りの衝撃を一点へ集束させる。
俺はそのまま、ナイトメアの胸部へライダーキックを叩き込んだ。
衝撃。
悲鳴。
だが、それで終わらない。
蹴りが入った瞬間、周囲の迷宮構造が一斉に反応した。
さっきまで逃走経路だった通路、偽の出口だった扉、誤答を強要していた障害物、その全部が今度は逆に展開し、ナイトメアの身体へ何度も何度も叩きつけられる。
一度では逃がさない。
誤魔化しも、すり抜けも、再構築も許さない。
正しい構造へ是正された迷宮そのものが、ナイトメアを確実に仕留めるための檻兼打撃装置へ変わっていた。
『が、ぁぁぁぁっ……!』
ナイトメアの身体にひびが入る。
胸部のコアが明滅する。
背中の扉外殻が砕け、片目のタイマーが破裂し、もう片方の鍵穴から白い光が漏れ出す。
それでもなお迷宮を再展開しようとするが、遅い。
日菜さんが解き、オルデルムが確定させた正解は、もうこいつの逃げ道を全部潰していた。
「万津君っ!」
下から日菜さんの声が響く。
その声には、焦りじゃなく、ちゃんと前を向いた力があった。
「そのまま、核を!」
「分かってる!」
最後の一撃を、叩き込む。
蹴りの軌道へさらに緑の光が重なり、アナトマイズストラクチャーの先端がナイトメアの中核だけを正確に貫いた。
次の瞬間、ナイトメアは迷宮の中心で内側から砕け散った。
白い破片が舞う。
非常口表示が消える。
赤いタイマーが止まる。
床のラインが静かにほどけ、偽の扉も、偽の出口も、解答欄も、全部が消えていった。
悪夢の迷宮は、最後にはもう、ただの壊れた夢の残骸みたいに静かだった。
着地する。
息が荒い。
でも、視界はまだ澄んでいる。
オルデルムの緑の光が、少しずつ周囲の歪みを洗い流していく。
振り向く。
日菜さんが、ちゃんとそこに立っていた。
もう席に吸い寄せられるみたいな顔はしていない。
少し疲れた顔で、それでもちゃんと、自分の足で立っていた。
「……終わった、っすかね」
「ああ」
俺は息を整えながら答える。
「今度こそ終わった」
日菜さんは少しだけ目を伏せて、それからふっと笑った。
今までの“綺麗な正解”みたいな笑いじゃない。
力が抜けた、いつもの、少しだけ雑な笑い方だ。
「よかったっす」
そう言ってから、日菜さんは肩をすくめた。
「けど、最後のあれ、ちょっとカッコよすぎじゃないっすか」
「そうか?」
「そうっすよ」
少しだけ呆れたように言って、それでも嬉しそうに続ける。
「まぁ、でも……頼もしかったっす」
その一言だけで、今回の答えは十分だった気がした。
支える側とか、支えられる側とか、そういう役割だけじゃなくて。
ちゃんと同じ場所で、二人でこの悪夢を越えた。
そう思えたからだ。