ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
終天教団の会議室は、外の終末めいた気配が嘘みたいに静かだった。
分厚い扉に隔てられたその空間には、白すぎる照明と、磨かれた長机と、必要以上に音を吸う床だけがある。
人の集まる場所であるはずなのに、どこか祈祷室にも解剖室にも似た温度をしているのは、そこへ集まる者たちが、皆それぞれ別の仕方で狂っているからなのかもしれない。
下辺零は、その長机の奥へ腰かけたまま、指先で肘掛けを軽く叩いていた。
表情は穏やかで、姿勢も崩れていない。
ただ、瞳の奥にだけ、興味を得た子供みたいな光が静かに差していた。
「さて」
零は柔らかく口を開く。
「今回の議題は、万津君の新しい姿――オルデルムについて、でいいんだよね」
「ええ、その理解で問題ないわ」
最初に応じたのは伊音テコだった。
眼鏡の位置をわずかに直しながら、彼は机の上へ数枚の資料を広げる。
「これまで確認されていたカタストロムとは別系統の変化。ですが、私は別物だとは考えていない。むしろ、連続した精神構造の発露と見るべきでしょうね」
「連続、ねぇ」
黒四館仄が楽しげに首を傾げた。
椅子へだらしなく寄りかかっているくせに、その一挙手一投足だけは妙に絵になる。
「破滅と秩序って、ずいぶん離れた双子みたいに見えるけれど。それでも同じ根っこだって言うの?」
「言うわ」
テコは即答した。
「むしろ、だからこそ同じ根だと分かるの。表に出た性質が逆に見えるだけで、発生源はほぼ同一よ」
「説明してもらってもいいかな」
零はそこで頬杖をつき、いかにも面白い講義を待つ生徒みたいな口調で言う。
「僕としては、あの子の変化はとても好ましいんだけど、好ましいだけで済ませるには危険すぎるからね」
「万津莫の中核にあるのは、サバイバーズ・ギルトよ」
テコは資料へ指を置いたまま続けた。
「自分だけが残ったこと、自分だけが生き延びたこと、その事実を肯定し切れない人間に特有の、慢性的な罪悪感。そして、その罪悪感を埋めるために“誰かを救わなければならない”という強迫へ変換している」
「へぇ」
仄が唇の端を吊り上げる。
「つまり、優しさじゃなくて、罪悪感の延長ってこと?」
「優しさと罪悪感は、時として見分けがつかないのよ」
テコは冷静だった。
「少なくとも万津の場合、純粋な善性だけで説明するのは浅い。カタストロムは、彼自身の超高校級の不運がもたらした事故、その破壊の記憶の象徴。ならばオルデルムは何か。答えは単純よ。あれは、人を救わなきゃいけないという彼自身の強迫観念の象徴」
「いいねぇ、それ」
仄がくすくすと笑う。
「たまらなくいい。壊してしまった記憶が破滅へ変わって、今度は壊したくないって願いが秩序へ変わるなんて、あまりにも出来すぎてるじゃない」
「出来すぎている、ではなく、よく出来ているの」
テコはぴしゃりと返す。
「彼はああいう人間だから、ああいう力になる」
「でも、その解釈だとさ」
仄は机へ身を乗り出した。
「オルデルムって、要するに“救済者でありたい自分”の姿なんでしょう。だったら彼、もう自分を英雄の座から下ろせないんじゃない?」
「その通りよ」
テコは頷く。
「万津莫は、自分が誰かを救っている時だけ、自分が生き残った意味を確かめやすい。だから壊す力も、正す力も、どちらも結局は“自分が必要であり続けるため”の回路と接続している可能性が高い」
「なるほどねぇ……」
仄の声は、聞いているだけなら感心しているようにも聞こえる。
だが、その眼差しに浮かんだものは、感心よりずっと濃い熱だった。
「好きになっちゃうな、それ。自分の傷を抱えたまま、誰かを救うために破滅へも秩序へもなれるなんて、あまりにも綺麗すぎるよ」
「綺麗、か」
零はそこで、ようやく小さく笑った。
「僕には、綺麗というより、危うくて愛しいものに見えるかな」
「教祖様らしい言い方」
仄が楽しそうに言う。
「でも、分かるよ。だって彼、壊れる寸前の方が魅力的なんだもの」
「誤解しないでほしいけれど、私は魅力の話をしているんじゃないわ」
テコはわずかに眉を寄せた。
「重要なのは、あれが単なる新戦力じゃないこと。オルデルムは、彼の精神の深い層が、より明確な輪郭を持ち始めた証拠よ」
「つまり?」
零が促す。
「つまり、万津莫は自分の意思ひとつで、破滅にも秩序にも寄れるということ」
テコは言った。
「ならば逆に言えば、その意思の向きをほんの少しでもずらせれば、彼の力の行き先そのものを変えられる可能性がある」
その一言が落ちた瞬間、会議室の空気が少しだけ深く沈んだ。
誰もすぐには喋らない。
照明の白さだけが、妙に強く机の表面を照らしている。
零はその沈黙を嫌わなかった。
むしろ、何かが結論へ集束していく前の静けさとして、心地よく眺めていた。
「向きを変える、か」
零は穏やかに繰り返す。
「それはつまり、万津君をこちらへ引き込めるという話でもあるのかな」
「理論上は」
テコが答える。
「彼の“人を救わなければならない”という強迫は、善意の形をしている。けれど、その善意は定義次第でいくらでも歪められる。もし彼が、“人類を正しく終わらせること”を救済だと認識したなら――」
「その時点で、あの子は僕たちの同伴者になる」
零が静かに言葉を継いだ。
「なるほど。とてもいい。実に終天教団らしい結論だ」
「私は前から言ってるじゃない」
テコの声は相変わらず冷たい。
「排除するより、利用する方が合理的だって」
「利用、なんて言い方は味気ないよ」
仄が喉の奥で笑う。
「もっと綺麗に言おうよ。彼を理解してあげる、とか。彼の苦しみを、もっと大きな物語へ接続してあげる、とか」
「君の言葉は時々、実態よりも響きが先に走るね」
「響きのない終焉なんて退屈でしょう?」
仄は悪びれずに笑った。
その笑みに込められているのが単なる戯れではなく、本気の熱狂だと分かるから、余計に厄介だった。
万津の力へ惚れ込んでいる。
ただ強いからではない。
矛盾を抱えたまま立っているその在り方そのものへ、心底、魅せられている。
零はその熱を嫌わない。
狂信も執着も、使い方さえ誤らなければ優れた燃料になると知っているからだ。
「でも、確かにそうだ」
零はゆっくり背もたれへ身を預ける。
「カタストロムだけなら、まだ分かりやすかった。あれは破壊だ。事故の記憶、不運の爪痕、そういうものが外へ溢れた形だろう。けれどオルデルムは違う。あれは自分で壊れないために、自分へ秩序を与えようとする姿だ」
「ええ」
テコが頷く。
「しかも、その秩序は自分を癒すためじゃない。人を救うという名目で、さらに自分を追い詰める方向へ働いている」
「なんて献身的なんだろうね」
仄が目を細める。
「自分が壊れても、人を救えればいいって顔をしてるんだよ。そういうの、大好き」
「君の“好き”は、大体ろくでもないね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
会話は軽い。
軽いのに、零の中ではもう結論が定まっていた。
万津莫は危険だ。
だからこそ価値がある。
破壊も秩序も、自分の罪悪感も救済衝動も、全部まとめて人類規模の終焉思想へ接続できるなら、これ以上優れた導線はない。
力が強いから欲しいのではない。
あの矛盾を抱えた精神構造そのものが、終天教団の終わりへあまりにもよく似合うのだ。
「では、方針を確認しようか」
零は微笑んだ。
穏やかな声色のまま、その言葉だけが静かに室内を支配する。
「万津君は、もはや単純な障害ではない。観察対象でも、排除対象でもない。彼は引き込むべき存在だ」
「賛成」
仄が即座に言う。
「ぜひ会いたいな。もっと近くで見たいし、できれば私の方も見てもらいたい」
「最後の一文は余計よ」
「余計なものこそ大事なんだって」
「方法については、慎重に詰める必要があるわ」
テコが二人のやり取りを切る。
「彼は簡単に屈する相手じゃない。だから、“勧誘”の形を取るにしても、思想より先に共鳴点を作るべきね」
「共鳴点、か」
零はその言葉を転がすように繰り返す。
「いい言い方だ。彼はきっと、自分が救っていると思える方向へしか進めない。ならば、その先に人類の終焉があると、自然に思わせればいい」
「終焉を救済と再定義するわけだね」
「そう」
零は仄へ目を向ける。
「だって実際、その方が美しいじゃないか。壊れきる前に終わらせる。苦しみ続けるくらいなら、正しく終える。そういう理屈なら、あの子の秩序は簡単にこちらへ寄ってくる」
「……ふふ」
仄は堪えきれないみたいに笑った。
「本当に、教祖様ってひどいね。でも、だから好きだよ」
「君に好かれるのは、少しだけ不本意かな」
「少しだけなんだ」
軽く交わされる言葉の裏で、結論だけはもう揺らがない。
テコは資料を閉じ、仄は満足げに椅子へ深く座り直す。
そして零は、静かに目を伏せてから、もう一度だけ笑った。
万津莫。
破滅を背負い、秩序へ手を伸ばす少年。
自分が生き残った意味を探し続け、その答えを“救済”へ求めてしまう人間。
ならば、その救済の定義を塗り替えてやればいい。
人を救うことと、人類を終わらせることが、同じ線の上にあると理解させればいい。
そうすれば、あの力はきっと、自分からこちらへ歩いてくる。
「決まりだね」
零はそう告げた。
会議の終わりを告げる言葉だった。
けれど同時に、それは次の始まりの合図でもある。
「僕たちは、万津君を引き込む」
穏やかに、しかし確信だけは一切揺らがせずに、零は言う。
「彼の破滅も秩序も、きっと人類の終焉へ繋がっている。なら、その道を少しだけ整えてあげればいい」
「素敵」
仄がうっとりした声で呟く。
「合理的ではあるわね」
テコが冷静に締める。
白い照明の下、終天教団の会議室は再び静寂へ沈む。
けれど、その沈黙は何も終わっていない沈黙だった。
むしろ、決定が下ったあとの静けさだ。
零はその静けさの中で、まだ見ぬ未来の輪郭を確かに感じていた。
万津莫を引き込む。
それによって、人類を終焉へ導く。
それはもはや計画というより、静かな確信に近かった。