ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
トラッシュナイトメアが姿を現した瞬間、ホールの空気そのものが腐ったみたいに重くなった。
ただ臭いだけじゃない。
床へ広がった黒い汚泥と、破れたゴミ袋と、腐敗した食材の山が、そこにあるだけで周囲の景色まで駄目にしていく。
白かったはずの壁は黒ずみ、脚の細い丸テーブルはじわじわと朽ち、天井から垂れたシャンデリアの金属飾りにまで錆みたいな染みが浮かび始めていた。
ゴミに触れたものから腐る。
その時点で、こいつがただ汚いだけの怪物じゃないと分かる。
「東条、下がれ!」
俺は反射で叫びながら、ゼッツドライバーへ手をかける。
考えるより先に身体が動いていた。
東条はまだ、この悪夢の中心へ立ちすぎている。
片付けなきゃいけない。
整えなきゃいけない。
そういう義務感みたいなものへ引っ張られたままだ。
だから、今ここで最前線へ立つのは俺の役目だった。
「変身!」
ドライバーへカプセムを装填し、回す。
次の瞬間、身体の奥から打撃のための力がせり上がり、装甲が一気に四肢へ走る。
『グッドモーニング! ライダー!ゼッツ! ゼッツ! ゼッツ!』
鳴り響く音声と同時に、俺はフィジカムインパクトへ変身した。
基本中の基本。
だけど、基本だからこそ最初の相手の性能を見るには一番いい。
まずは殴って確かめる。
どこまで通るか。
どこが危ないか。
それを知らないまま次へ行くわけにはいかない。
「そこで待ってろ!」
東条へ短く言い残し、俺は真っ直ぐ踏み込んだ。
トラッシュナイトメアの頭部――モップの繊維がぶわりと広がる。
同時に、その足元から腐ったゴミ袋がいくつも弾け、空き缶、濡れた紙屑、腐りきった野菜くずが散弾みたいに飛び散ってきた。
「ちっ!」
腕で顔を庇いながら、そのまま距離を詰める。
細かいゴミが装甲へ当たる。
ぴしゃ、ぐしゃ、という嫌な音。
だが、止まらない。
フィジカムインパクトの強みは接近戦だ。
近づいてしまえば、こっちの間合いだ。
「らぁっ!」
右の拳を叩き込む。
手応えはあった。
トラッシュナイトメアの胴がくの字に折れ、そのまま後方へ吹き飛ぶ。
軽い。
見た目よりずっと軽い。
耐久よりも、能力と環境汚染へ寄ったタイプか。
「行ける……!」
そう思った次の瞬間、吹き飛んだ先のゴミ山が一斉に崩れた。
ただ崩れたんじゃない。
トラッシュナイトメアの身体が床を滑った衝撃で、周囲のゴミがまた広範囲へ飛び散り、その飛沫みたいな腐敗物が家具や床へ触れていく。
すると、そこからまた腐食が広がる。
ひび割れた床板の間から、どす黒い煙みたいなものがにじみ出た。
「……毒ガスか!」
鼻を刺す刺激臭が一気に濃くなる。
咄嗟に息を止めるが、完全には間に合わない。
ほんの少し吸い込んだだけで、喉の奥が焼けるみたいに熱くなった。
その熱がすぐに重さへ変わる。
腕が鈍い。
脚の反応が一瞬遅れる。
麻痺。
こいつ、撒き散らすだけじゃない。
ゴミに触れた場所を腐らせたうえで、そこから毒を発生させてる。
「万津君!」
東条の声が飛ぶ。
振り向くと、彼女は反射的に落ちたゴミ袋のひとつを片付けようとしていた。
駄目だ。
こいつの能力は、片付けようと近づく行為そのものが罠になってる。
「触るな!」
叫ぶ。
同時に地面を蹴り、東条の前へ滑り込む。
次の瞬間、彼女が掴みかけたゴミ袋の口から黒いガスが噴き上がった。
俺は腕の装甲でそれを払う。
だが払った先で、装甲の表面へ薄い黒ずみが広がった。
「冗談だろ……!」
装甲そのものが腐るわけじゃない。
けれど、触れた場所の出力が微妙に鈍る。
嫌な感覚だった。
拳で解決するフォームにとって、殴るための身体が汚染されるのは相性が悪すぎる。
トラッシュナイトメアが起き上がる。
汚れたメイド服の裾を引きずりながら、頭部のモップ繊維を大きく振るった。
そのたびに、まるでモップから汚水を絞るみたいに黒い飛沫が飛び、周囲へ新しいゴミが落ちる。
缶。
瓶。
腐った紙。
正体不明の汚泥。
どこから出してるのか分からない量だった。
「片付けても……!」
東条が息を呑む気配がする。
「増えている……!」
その声に、俺は歯を食いしばった。
そうだ。
これがこいつの本質だ。
ただ汚すだけじゃない。
片付けても終わらない。
整えてもまた増える。
つまりこの世界は、東条斬美へ向けて「お前には綺麗にできない」と延々言い続けるための悪夢だ。
「ふざけるなよ……!」
もう一度、俺は前へ出る。
毒ガスで多少身体が鈍っていても、やることは同じだ。
こいつを押さえ込んで、その間に東条を安全圏へ――
そう考えたところで、足元がぬめる。
黒い汚泥を踏んでいた。
踏んだ瞬間、床板ごと腐って崩れ、俺の体勢がわずかに傾く。
「しまっ――」
その隙を、トラッシュナイトメアは見逃さなかった。
モップ頭が大きく振り下ろされる。
掃除道具のくせに、質量だけは冗談みたいに重い。
俺は両腕を交差して受けたが、衝撃でそのまま後ろへ吹き飛ばされた。
「がっ……!」
背中から床へ叩きつけられる。
そこでもう一度、ガスを吸う。
まずい。
今度は左腕の感覚が少し遅れた。
完全な麻痺じゃない。
けど、フィジカムインパクトでこれは致命的だ。
反応が半拍遅れるだけで、近接戦の組み立てが一気に崩れる。
「万津君、無理に近づいては駄目よ!」
東条が叫ぶ。
その声に焦りが混じっている。
それが余計にまずかった。
こいつは、俺を倒すより先に東条の心を折る方へ重心を置いている。
俺が苦戦すればするほど、東条の中では「自分のせいで」「片付けられないから」という方向へ悪夢が深くなる。
「分かってる……!」
そう答えながら立ち上がるが、言葉ほど簡単じゃなかった。
拳は通る。
だが、そのたびに環境が悪化する。
接近すればするほどゴミとガスを浴びる。
距離を取れば、東条の周囲へ汚染が広がる。
相性が悪いなんてもんじゃない。
こいつはフィジカムインパクトの“殴って突破する”って戦い方を、最初から殺しに来ている。
トラッシュナイトメアが、また腕を振るう。
今度はゴミの塊そのものを投げつけてきた。
俺はそれを拳で弾く。
砕けた中身が散る。
散った先の床と壁がまた腐る。
最悪だ。
攻撃を防いでも、被害が広がる。
「くそっ……!」
「万津君!」
東条が一歩踏み出しかける。
その足元へ、また新しいゴミ袋が落ちた。
黒い液体がじわりと床へ広がる。
東条は反射で後退し、けれどその目はまだゴミの方を見ていた。
片付けたい。
整えたい。
でも近づけば危ない。
その板挟みが、見てるだけで苦しい。
俺は奥歯を噛みしめる。
このままじゃ押し切れない。
まず能力を把握して、対策を立てないと――
そう考えた、その時だった。
ホールの上階。
吹き抜けの回廊の影で、何かが動いた。
最初はただの錯覚かと思った。
毒ガスの影響で視界が揺れたのかもしれないと。
けれど違う。
確かにそこに“いた”。
黒い影。
細く、鋭く、けれど見間違えようのない輪郭を持った何かが。
「……誰だ」
声が自然に漏れる。
東条も異変に気づいたらしく、息を呑む。
トラッシュナイトメアすら、その動きを一瞬だけ止めた。
影が、音もなく回廊の手すりを越える。
そのまま、ホールの中央へ軽やかに着地した。
黒い装甲。
黒い輪郭。
なのに、そのシルエットだけは見覚えがある。
ありすぎる。
「……ゼッツ、だと」
自分の喉から出た声が、思ったより低かった。
目の前に立っていたのは、ゼッツに酷似した存在だった。
ただし、色も気配も、何もかもが違う。
俺の知っているゼッツが朝なら、こいつは夜だ。
俺の知っているゼッツが人を救うための輪郭なら、こいつはその輪郭を悪夢の側からなぞったみたいな不気味さを持っていた。
黒いゼッツ。
それがそこに立っていた。
トラッシュナイトメアとも、俺とも違う位置に、まるで最初からこの悪夢の奥で機会をうかがっていたみたいに。