ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
オルデルムとゼッツダークネスの激突がホールの中央で火花を散らす、その少し外側。
同じ悪夢の中で、もう一つの戦いもまた、確かに形を変え始めていた。
トラッシュナイトメアは、自分へ向けられる圧が変わったことを理解していた。
さっきまでは違った。
東条斬美は、この悪夢の中で片付けることのできない自分を見せつけられ、その誇りごと押し潰されかけていた。
ゴミは増える。
汚れは広がる。
整えようとすればするほど、世界はもっと醜くなる。
それがこの怪物の作った絶望だった。
だが今は、もう違う。
東条は立っている。
しかも、ただ立っているだけじゃない。
超高校級のメイドとして、自分の手でこの空間を取り戻す側へ、ちゃんと戻ってきていた。
「……随分と、好き勝手してくれたのね」
東条の声は静かだった。
静かなまま、その奥に鋼みたいな硬さを通している。
怯えや迷いが、完全に消えたわけじゃないだろう。
けれど、その迷いに支配されてはいなかった。
今の東条斬美は、自分の役目を思い出した人間の顔をしている。
トラッシュナイトメアが頭部のモップ繊維を逆立てる。
ぶわり、と黒い汚水が飛び、腐った食材と紙くずとぬめったゴミ袋が、東条の足元へ雪崩のように撒き散らされた。
床板がじゅ、と音を立てて腐る。
毒ガスが薄く立ち上る。
また東条を“片付けられない側”へ引きずり戻すための一撃だ。
だが、東条はもうその光景を見て足を止めたりはしなかった。
「遅いわ」
短く言い切る。
同時に、彼女の足が動いた。
裾を乱さぬまま、しかし迷いなく前へ出る。
その手にあった銀のトレイが、盾のように黒い飛沫を受け止めた。
腐敗が広がるより早く、東条はその汚れの起点を見切っていた。
ただ受けたんじゃない。
どこへ当てれば広がりを最小限にできるか、最初から計算した受け方だった。
「その程度の散らかし方で、私が怯むとでも思ったの?」
トレイを捨てる。
着地した先の足元は、さっきまでオルデルムが修復したばかりの床だ。
整えられた空間を、東条は当然のように使いこなす。
それだけで、トラッシュナイトメアの悪夢の前提が、また一つ崩れる。
怪物が腕を振るう。
今度は広範囲だ。
天井近くまでゴミを打ち上げ、そこから降らせることで逃げ場そのものを塞ぐつもりらしい。
けれど、東条はそれを見上げた瞬間に動いた。
近くのワゴンを蹴って位置をずらし、落下点の偏りを読んで、その隙間へ滑り込む。
同時に、散乱していた布を拾い、床を這うように広がりかけた黒い汚水へ投げつけた。
汚れを吸わせるためじゃない。
進行方向をずらし、ガスの立ち上がる角度を変えるためだ。
「……!」
トラッシュナイトメアが一瞬だけ動きを止める。
それだけで十分だった。
東条はその隙へ一気に踏み込む。
ゴミの山を避けるでも、ただ片付けるでもない。
この怪物が“どこへ撒き散らせば最も効率よく絶望を広げられるか”を読んだ上で、その逆を突いている。
「万津君だけに頼るつもりはないわ」
言いながら、東条は壊れた椅子の脚を拾い上げた。
即席の棒。
メイドらしくない武器だ。
だが、今の彼女に必要なのは見た目の上品さじゃない。
整えるために、邪魔なものをどかす力だ。
振るう。
棒の先がトラッシュナイトメアの手首を打つ。
メイド服の袖口から、腐ったゴミ袋が落ちる。
続けて逆の手を払う。
モップ頭が揺れ、汚水の軌道がずれる。
その一連の動きに無駄がなかった。
東条は殴り合いの専門家じゃない。
けれど、相手の動線を乱し、場を整えるための所作は、驚くほど洗練されていた。
「片付けても、片付けても終わらない……」
東条は低く、しかしよく通る声で言う。
「そうやって私へ見せ続ければ、私が折れると思ったのね」
トラッシュナイトメアが後退する。
今度は露骨だった。
東条の前に立つのではなく、再び大量のゴミを展開し、自分と東条の間へ“終わらない汚れ”の壁を作ろうとする。
つまり、こいつはもう正面からの押し合いで勝てないと理解している。
だが、東条はその壁を見ても顔色を変えなかった。
むしろ、ほんの少しだけ目を細める。
見慣れた作業台を前にした時みたいな、冷静な観察の目だ。
「……なるほど」
彼女はぽつりと呟く。
「あなた、本当に汚しているわけじゃないのね」
怪物の動きが一瞬止まる。
それを見て、東条は確信を深めたようだった。
「汚れを増やしているのではなく、“汚れが増え続けるように見せる配置”を重ねているだけ」
東条は一歩、また一歩と前へ出る。
「だから、片付けても終わらない。違うわね。本当は“終わらせないように並べている”だけだわ」
悪夢の核心へ届く言葉だった。
トラッシュナイトメアの身体がびくりと震える。
図星を刺された反応だ。
こいつは本当に無限のゴミを生んでいるわけじゃない。
東条の心を折るために、終わらないように見せる構造を重ねていただけ。
だから、それを見抜かれた瞬間に優位が崩れる。
「片付かないのではないわ」
東条の声が、少しだけ強くなる。
「あなたが、片付けさせないようにしていただけよ」
その一言で、空気が変わった。
トラッシュナイトメアは明らかに焦った。
頭部のモップ繊維を狂ったように振り回し、今まで以上の量のゴミを撒き散らす。
腐った食材の山。
割れた皿の雨。
黒い汚泥の飛沫。
ホールの半分を埋めるほどの汚染。
最後の悪あがきだった。
だが、東条はもうその攻撃を“汚れ”として見ていなかった。
配置。
順序。
重なり。
何をどこへ落とし、どう絶望へ繋げるか。
そういう構造として捉え直している。
だから、動ける。
飛んできた皿の破片をトレイで弾き、落ちたゴミ袋を足で蹴り返し、汚泥が広がる前に机を倒して進行方向を遮る。
片付ける。
整える。
それを東条は、今度こそ自分の意思でやっていた。
悪夢に追い立てられる形ではなく、自分がこの場の主導権を握るために。
「終わりよ」
東条が距離を詰める。
トラッシュナイトメアは後退する。
だが、その退路すらもう東条の読みの内だ。
椅子の残骸を踏ませ、体勢をずらし、最後はワゴンの車輪を蹴って足元へ滑り込ませる。
怪物の身体が大きく揺らいだ。
そこへ東条の棒が、真っ直ぐ振り抜かれる。
モップ頭の根元。
汚れを撒き散らすための中心。
そこだけを、ためらいなく打ち抜いた。
「――っ!」
トラッシュナイトメアの悲鳴。
頭部の繊維が裂け、黒い汚水が噴き出す。
それでも怪物は倒れない。
だが、あと一歩だ。
東条自身にもそれが分かっていた。
今なら押し切れる。
この悪夢を、自分の手で終わらせられるところまで来ている。
その時だった。
ホールの中央から、金属同士が噛み合うような激音が響く。
振り向く。
オルデルムとゼッツダークネス。
二つのゼッツが、互いに必殺の構えへ入っていた。
空気が震える。
緑と黒の光がぶつかり合う直前の、極限まで張り詰めた圧が、この場全体へ広がってくる。
「……!」
東条の表情が引き締まる。
今ここでトラッシュナイトメアへ止めを刺すことはできる。
けれど、その一瞬の遅れが万津の戦いへ何を及ぼすか分からない。
そして、トラッシュナイトメアもまた、本能的にそちらへ意識を向けていた。
悪夢の主導権が、別の場所で決まろうとしているのを感じ取っている。
東条は迷わなかった。
それがもう、回復した証拠だった。
「万津君の方が先ね」
短くそう言って、彼女は棒を握り直す。
トラッシュナイトメアを睨む。
怪物は傷つき、追い詰められている。
あと一歩。
本当にあと一歩まで来ていた。
けれど今は、その“一歩”を中央の戦場へ持っていく方が正しい。
「逃がさないわ」
東条は低く告げる。
「あなたの片は、向こうでまとめて付ける」
トラッシュナイトメアが後退しようとする。
だが東条はそれを許さず、一定の距離を保ったまま中央へ向かう進路へ追い込んだ。