ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
ひび割れたゼッツドライバーを見下ろした瞬間、頭の中が一瞬だけ真っ白になった。
「……嘘、だろ」
思わず漏れた声は、自分でも驚くくらい弱かった。
戦いの終わった直後だとか、オルデルムの反動だとか、そういう理屈じゃない。
もっと直接的な場所を殴られた感覚だった。
ゼッツドライバー。
ここまで何度も悪夢へ飛び込み、何度も変身し、何度も誰かを救うために使ってきた、その核だ。
それが今、目の前で確かに壊れ始めている。
一本のひびじゃない。
もう戻らない傷として、そこへ刻まれてしまっている。
「万津君……!」
東条の声が、すぐ隣で張り詰める。
彼女も気づいたんだろう。
普段の俺なら、まだ平静を装えたかもしれない。
でも今は駄目だった。
目の前の現実が重すぎる。
オルデルム。
カタストロム。
二度の必殺。
戦い抜いた結果として、このドライバーは限界を露わにした。
それはつまり、次に同じように戦える保証が、もうどこにもないということだ。
「……っ」
息が浅くなる。
壊れた。
俺の力が。
ゼッツとして戦うための土台が。
この先も戦わなきゃいけないのに、そのための鍵そのものへ傷が入った。
動揺しない方が無理だった。
「そんな顔をするんだね」
零の声は、相変わらず穏やかだった。
その穏やかさが、今はやけに腹立たしい。
悪夢が終わったばかりのホールの中で、下辺零だけが別の時間を生きているみたいな顔をしていた。
「黙れよ……」
低く吐き捨てる。
だが零は気分を害した様子もなく、むしろ少しだけ目を細めた。
「いや、責めているわけじゃないんだ」
彼は静かに言う。
「むしろ当然だと思っているよ。君はいつも、限界を超えてでも手を伸ばそうとするからね」
「分かったようなこと言うな」
「分かるさ」
零は一歩だけ前へ出る。
その仕草は静かなのに、空気だけがじわりと緊張する。
「だからこそ、誘っているんだよ」
誘い。
その単語が嫌な形で耳に残る。
東条も明らかに警戒を強めた。
けれど零は、そんなこちらの反応すら見越していたみたいに、柔らかい笑みを崩さない。
「ゼッツとしての力を取り戻したいなら」
零の視線が、ひび割れたゼッツドライバーへ落ちる。
「こちらへ来ればいい。君が今よりもっと強い力を求めるなら、僕たちはそれを渡せる」
その言葉は、甘いのに冷たかった。
慰めでも希望でもない。
もっと別の何かだ。
弱った場所を正確に見つけて、そこへまっすぐ指を差し込んでくるような声音だった。
「……ふざけるな」
俺はすぐにそう返した。
返したはずなのに、喉の奥が妙に乾いているのが自分でも分かる。
強い力。
その言葉がまったく刺さらないわけじゃないのが、最悪だった。
ゼッツドライバーは壊れた。
次に同じように戦えるかは分からない。
カタストロムもオルデルムも、もう一度使えばどうなるか分からない。
その現実を目の前へ置かれた直後に、
“もっと強い力を渡そう”
なんて言われれば、心のどこかが一瞬でも揺れるのは当然だ。
だからこそ、零の笑みは気持ち悪かった。
こいつは分かって言っている。
俺が今、どこを抉られると一番揺れるのかを。
「君はこれからも戦うつもりなんだろう?」
零は静かに続ける。
「だったら、その壊れかけたドライバーにすがるより、もっと確かなものを選ぶべきじゃないかな」
少しだけ首を傾げる。
「救いたいんだろう? なら、より強く、より深く、より確実な力が必要になる」
「やめて」
鋭く遮ったのは東条だった。
彼女は俺の少し前へ出て、零を真っ直ぐ睨みつける。
「それ以上、万津君に近づかないで」
「おや」
零は困ったように笑う。
「僕はただ、彼に選択肢を提示しているだけだよ」
「違うわ」
東条の声は冷たかった。
「あなたは、弱っているところへ入り込もうとしているだけ」
零はそれに答えない。
ただ、視線だけは俺へ向けたままだった。
東条の言葉も、俺の拒絶も、全部聞いた上で、なお俺がどう揺れるのかを見ている。
そういう目だ。
「万津君」
零がもう一度、穏やかに呼ぶ。
「君の力は、まだそんなものじゃないはずだ。壊れるほど無理をして、それで失うくらいなら、もっと正しい道を選べばいい」
「正しい道?」
俺は思わず笑った。
乾いた、ろくでもない笑いだった。
「お前の言う“正しい”が、一番信用できないんだよ」
「そうかな」
「そうだよ」
今度は、はっきり言えた。
喉の乾きも、胸のざわつきも消えちゃいない。
ゼッツドライバーのひびだって消えない。
それでも、ここで頷く理由にはならない。
「断る」
短く言い切る。
「力が欲しくないわけじゃない。けど、お前らから貰う気はない」
その言葉が落ちた瞬間、零はほんの少しだけ目を細めた。
残念そうにも、面白がっているようにも見える曖昧な表情だった。
けれど、その奥でまだ諦めていないことだけは分かる。
今ここで折れなくても、また別の形で誘いに来る。
そういう確信を持った目だった。
「……そう」
零は小さく頷く。
「今は、ね」
その一言が、妙に尾を引く。
同時に、ホールの空気が変わり始めた。
修復されていたはずの床の輪郭が薄くなる。
壁の色が白く抜け、シャンデリアの光が水面の反射みたいに揺れ始める。
「っ……!」
東条がわずかによろめく。
俺もすぐに気づいた。
ソムニウム世界そのものが、限界を迎えている。
トラッシュナイトメアは倒した。
悪夢の核は壊れた。
だからこの世界も、もう形を保てない。
「戻るのね……」
東条が小さく呟く。
けれど、その声にもまだ緊張が残っていた。
無理もない。
悪夢が終わった安心より、ゼッツドライバーのひびと、零の残した言葉の方が今は重い。
零は揺らぐ景色の中でも平然としていた。
足元が透け、壁が崩れ、夢の輪郭が失われていく中で、彼だけが変わらずそこに立っている。
まるで、最初からこの場へ深く根を張っているみたいに。
「また会おう、万津君」
その声は最後まで穏やかだった。
「君が本当に力を必要とした時、きっと今日の言葉を思い出す」
「思い出すかよ」
「さて、どうかな」
そのやり取りを最後に、世界が大きく軋んだ。
床が消える。
壁が光の膜になる。
東条の姿も、零の輪郭も、全部が細い線へほどけていく。
現実へ引き戻される感覚。
何度経験しても慣れない、胃の奥が裏返るみたいな浮遊感。
けれど今回は、それ以上に胸の内側がざわついていた。
ゼッツドライバーのひび。
零の誘い。
強い力。
断ったはずなのに、あの言葉が耳のどこかへ引っかかって離れない。
それがひどく不快だった。
「万津君!」
東条の声が、遠くから近づいてくる。
俺はそちらへ手を伸ばそうとした。
けれど、その手は途中で光に溶ける。
視界が白くなる。
呼吸が浮く。
そして次の瞬間、俺たちの意識は、動揺を抱えたまま現実の世界へ引き戻されていった。