ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
ゼッツドライバーが、完全に壊れていた。
ひびが入っている、なんて生易しい状態じゃなかった。
中心部の装甲は細かく割れ、カプセムを装填する機構も歪み、指で触れただけで、もう二度と元の形へ戻らないことが分かる壊れ方をしていた。
何度か試してみた。
起動スイッチを押して、カプセムを差し込み、いつも通りの手順をなぞってみた。
けれど、返ってくるのは沈黙だけだった。
音声も鳴らない。
光も走らない。
ベルトとしての反応そのものが、もう完全に死んでいる。
「……終わった、のか」
口にした途端、その言葉がやけに重く胸へ沈んだ。
頭ではもう分かっていたはずなのに、言葉にすると現実の輪郭が急にはっきりしすぎて、少しだけ息が詰まった。
戦えない。
変身できない。
ゼッツになれない。
それは単なる装備の故障なんかじゃなかった。
今まで当たり前みたいに前へ出ていた時の、自分の理由そのものを失う感覚に近かった。
誰にも何も言わないまま、気づけば俺は海の見える公園まで来ていた。
学校からそう遠くない場所だ。
少し高台になっていて、柵の向こうには夕方の海が広がっている。
空はもう半分くらい群青へ沈み始めていて、遠くの水平線だけがまだ薄く橙色を残していた。
潮の匂いがする。
風は少し冷たい。
ベンチの塗装はところどころ剥げていて、遊歩道の端には小さな雑草が伸びていた。
綺麗な場所だとは思う。
でも今の俺には、その綺麗さを受け取る余裕がなかった。
ベンチへ腰を下ろし、壊れたゼッツドライバーを膝の上へ置く。
それだけで、胸の奥がまた少し重くなる。
さっきまで確かに使えていたはずのものが、今はただの壊れた装置にしか見えない。
オルデルム。
カタストロム。
あの戦い。
全部が、もう遠くへ行ってしまったみたいだった。
「……どうすんだよ、これから」
誰に向けたわけでもなく呟く。
答えが返ってくるはずもない。
波の音だけが、少し遅れて耳へ届いた。
これまでだって、楽な戦いばかりじゃなかった。
むしろ、最初からずっと無茶の連続だった気がする。
それでも、戦う力だけはあった。
ゼッツになれた。
変身できた。
手を伸ばせた。
届くかどうかは別として、とにかく“前へ出るための形”だけは持っていた。
でも今は、それすらない。
戦えないなら、俺は何をすればいい。
その問いが、思っていたよりずっと深く刺さる。
守りたい誰かがいる時、俺はいつもゼッツだった。
悪夢へ潜る時も、怪物と向き合う時も、誰かを庇う時も、前へ出る時の俺には必ずあのベルトがあった。
だから、変身できないという事実は、ただ戦力が減ったという話で終わらない。
もっと直接的に、もっと情けなく、自分の輪郭を削ってくる。
「また、間に合わなくなるのか」
小さく漏れた声は、海風にすぐ散った。
でも、自分の耳にはちゃんと残った。
間に合わない。
守れない。
助けられない。
そういう言葉は、今までずっと遠ざけるために戦ってきた。
戦っている間だけは、少なくとも諦めなくて済んだからだ。
けれど、その戦う手段がなくなった瞬間、そういう言葉が一気に現実味を持って押し寄せてくる。
サバイバーズ・ギルト。
そんな大げさな言葉で整理しなくても、俺の中にずっとあるものの正体は分かっている。
生き残ったこと。
自分だけが立っていること。
その意味を見失いたくなくて、必要とされる側へ立っていたい気持ちがどこかにある。
だから、戦えない自分を考え始めると、急に足元がなくなる。
必要ないんじゃないか。
変身できないなら、もう前へ出る理由すらないんじゃないか。
そんな考えが浮かぶだけで、吐き気みたいな嫌悪感が込み上げた。
そんなふうに思いたくないのに、思考の方が勝手にそっちへ落ちていく。
ベンチへ深く座り直し、両手で顔を覆う。
ドライバーの角が手首へ当たって、妙に冷たかった。
壊れた機械の冷たさだ。
それが今は、やけに生々しい。
零の言葉まで、耳の奥に残っていた。
もっと強い力を渡せる。
こちらへ来ればいい。
断った。
確かに断った。
でも、断ったから消える類の言葉じゃない。
弱っている時に差し出された“別の可能性”は、嫌でも心の隅に残る。
それが腹立たしかった。
揺れたくなんかない。
そんなものへ縋りたくなんかない。
なのに、今の俺には、それを完全に笑い飛ばせるだけの余裕すらない。
「最悪だな……」
自分でも驚くくらい、声は乾いていた。
「そんな顔してると、海まで暗く見えるぞ」
不意に、すぐ近くから声がした。
顔を上げる。
ベンチの少し先。
遊歩道と柵の間の狭い通路に、一人の男が立っていた。
年は俺とそう変わらないように見える。
派手さはない。
むしろ、どこにでもいそうな、少し無愛想な学生に見えた。
けれど、その“どこにでもいそう”が逆に妙だった。
こんなタイミングで、こんなふうに自然な顔で現れるには、存在感が妙に整いすぎている。
「……誰だよ」
俺がそう言うと、その男は肩をすくめた。
気負いのない仕草だった。
敵意はない。
少なくとも、いきなり襲ってくるような雰囲気ではない。
でも、ただの通りすがりとも思えなかった。
「通りすがり、で納得しない顔だな」
「するわけないだろ」
俺は少しだけ身構える。
壊れたドライバーを無意識に手繰り寄せていた。
「このタイミングで話しかけてくる時点で、もう怪しいんだよ」
「そりゃ悪かったな」
そう言って、男は少しだけ海の方を見た。
夕方の光が横顔へかかる。
落ち着いている。
というより、変に騒がない。
こっちの警戒を見ているくせに、それを必要以上に刺激しない態度だった。
「壊れたのか」
視線が、俺の手元へ落ちる。
ゼッツドライバー。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が小さく痛んだ。
「見りゃ分かるだろ」
「そうだな。見れば分かる」
男はあっさり頷く。
同情するでもなく、妙に踏み込んで慰めるでもない。
その距離感が少しだけ意外だった。
「大事なものだったんだな」
その言い方は、軽くはない。
でも重すぎもしない。
まるで、そういうものを失った顔がどう見えるかを知っている人間みたいな口ぶりだった。
「……まあな」
短く返して、俺は視線を海へ逃がす。
それ以上は言いたくなかった。
まだ自分の中でも整理し切れていない。
失ったのが力なのか、戦う理由なのか、それとも別の何かなのか。
今の俺は、その区別すらうまくついていない。
波音が少し強くなる。
風が吹く。
その男は勝手に隣へ座ることもなく、少し離れた位置のまま海を見ていた。
沈黙が続く。
でも、不思議と居心地が悪いだけの沈黙じゃなかった。
ただ放っておかれているわけでもなく、だからといって無理に引き上げられているわけでもない。
ちょうどその中間にいる感じがした。
「戦えなくなると、急に自分が空っぽに思える時がある」
男が、海を見たままそう言った。
独り言みたいな口調だった。
だからこそ、俺は反応するのが少し遅れた。
「……何だよ、それ」
「別に」
男は視線を寄越さない。
「そういう顔してたから、当たってるのかと思っただけだ」
胸の内側を、いきなり指で軽く弾かれたみたいだった。
図星を突かれた。
でも、零みたいに弱ったところへ入り込んでくる感じじゃない。
もっと、ただそこにあるものを見つけて言っただけ、みたいな口ぶりだった。
「知ったようなこと言うな」
「知ってるのかもしれないし、知らないのかもしれない」
「何だそれ」
「そのままの意味だ」
会話としては変だ。
でも、妙に不快ではなかった。
答えを押しつけてこないからかもしれない。
それでいて、こっちが沈み切るのを黙って見ているわけでもない。
絶妙に、鬱陶しくない。
俺は壊れたゼッツドライバーをもう一度見下ろす。
ひび。
歪み。
沈黙した機構。
変身不能。
どれだけ見ても、そこに希望の形はない。
でも、それでも視線を逸らせなかった。
逸らしたら、本当に全部終わる気がしたからだ。
「……戦えないなら、どうすればいいんだろうな」
気づけば、そんな言葉が漏れていた。
誰かへ相談するつもりなんてなかったのに、海風と沈黙のせいで、喉の奥に溜まっていたものが少しだけ外へ出た。
男は少しだけ考えるみたいに間を置いた。
それから、ようやくこっちへ視線を向ける。
「その答えを、力がある時しか出せないなら」
静かな声だった。
「たぶん、お前は今まで力の使い方ばかり見て、自分のことはあまり見てなかったんだろうな」
「……説教か」
「違う」
男は首を横へ振る。
「ただの確認だ」
確認。
その言葉に、俺は少しだけ眉を寄せる。
ますます何者か分からない。
でも、完全な他人とも思えない。
こんな言い方をする人間に、心当たりはないはずなのに、妙に引っかかる。
男はそこで、ほんの少しだけ笑った。
優しい笑い方じゃない。
かといって意地の悪い笑い方でもない。
どこか、自分でもうまく言葉にしていないものを抱えた人間の顔だった。
「まあ、今はそれでいいか」
「は?」
「無理に答え出そうとしてる顔してるからな。そういう時は大体、まともな答えにならない」
「……ずいぶん勝手なこと言うな」
「そうかもな」
それだけ言って、男はまた海へ視線を戻した。
俺もそれ以上は言い返せなかった。
妙な奴だと思う。
正体も分からないし、どこから来たのかも分からない。
なのに、ただ不気味というだけでは終わらない何かがあった。
壊れたドライバーを握る手へ、少しだけ力を込める。
海の向こうは暗くなり始めていた。
公園の灯りが一つ、また一つと点いていく。
風はまだ冷たい。
でも、ほんの少しだけ、さっきまでの息苦しさが薄れた気がした。
もちろん、何も解決していない。
ゼッツドライバーは壊れたままだ。
変身もできない。
これからどう戦うのかも分からない。
零の言葉だって消えていない。
それでも、完全な闇の中へ一人で沈み切る、その直前で何かが引っかかった。
それだけは確かだった。
俺は隣の男を横目で見る。
夕暮れの光の中で、そいつはただ静かに海を見ていた。
名乗りもしない。
目的も言わない。
それでも、ただの通りすがりじゃないことだけは、もうはっきり分かる。
「……何者なんだよ」
改めて訊くと、男は少しだけ肩を揺らした。
それから、はっきり答えないまま、どこか意味ありげにこちらを見る。
その瞬間、俺はまだ知らなかった。
今、目の前に現れたこの謎の男が、これから先の俺の戦いに、大きく関わることになるということを。