ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
海の見える公園は、夕方と夜の境目になると、妙に人の心を正直にさせる。
昼間みたいな騒がしさはもうなくて、かといって完全な夜みたいに全部を隠してくれるほど暗くもない。
中途半端な明るさのせいで、誤魔化したいものだけが妙にはっきり見えてしまう。
壊れたゼッツドライバーを膝の上へ置いたままベンチに座っていると、今の自分もまさにそんな感じだった。
隠したい。
見たくない。
なのに、目を逸らすほど余計にはっきり見える。
海風が吹く。
冷たい。
潮の匂いが混ざっていて、少しだけ肺の奥がすうっとするはずなのに、今の俺にはそれすら上手く届かない。
ただ、膝の上のドライバーだけがやけに重かった。
「まだ見てるのか」
隣から、あの男の声がした。
最初に話しかけてきた時と同じ、妙に静かな声だった。
馴れ馴れしいわけじゃない。
でも他人行儀でもない。
この距離感が一番困る。
完全に無視するには近いし、素直に頼るには正体が分からなすぎる。
「見てるっていうか……」
俺は壊れたドライバーへ目を落としたまま答える。
「見ないようにしたところで、壊れてる事実は変わらないだろ」
「まあ、そうだな」
男はそれだけ言って、俺のすぐ隣じゃなく、一つ間を空けた位置のベンチへ腰を下ろした。
さっきからそうだ。
近づきすぎない。
けれど離れすぎもしない。
こっちが逃げる余地は残しつつ、完全には放っておかない。
そういう座り方だった。
しばらく、波の音だけが続く。
この沈黙が嫌じゃないのが、余計に調子を狂わせる。
零みたいに、言葉で心の隙間をこじ開けてくる感じじゃない。
でも、だからといって安心もできない。
むしろ、自分から口を開いてしまいそうになる分だけ厄介だった。
「……変身、できないんだよな」
気づけば、俺の方が先に喋っていた。
男はすぐには返さない。
海の向こうを見たまま、少しだけ首を傾ける。
「見た感じ、そうなんだろうな」
「他人事みたいに言うなよ」
「他人事だからな」
その返しが妙に淡々としていて、逆に少しだけ笑いそうになった。
笑うような話じゃないのに、今の言い方だけは変に引っかかった。
たぶん、変に同情されるよりずっとマシだったんだと思う。
「……ゼッツになれない」
俺はぽつりと続ける。
「それが、思ったよりきつい」
「きつい、か」
「戦えないとか、そういうのももちろんある」
言葉を探しながら、少しずつ吐き出す。
「でも、それだけじゃないんだよ。今までずっと、何かあったら前に出る時の俺って、ゼッツだったから。変身できないって分かった瞬間、何か……」
そこで喉が詰まる。
上手く言えない。
でも、言わないとずっと胸の奥で引っかかり続ける感じがした。
「何者でもなくなったみたいな気がしてさ」
言い切ったあと、少しだけ後悔した。
情けない。
こんなの、他人に聞かせるような言葉じゃない。
でも男は笑わなかったし、すぐに慰めもしなかった。
ただ一度だけ、ゆっくり頷いた。
「力がなくなった時に、自分まで空っぽになった気がする。そういうことか」
「……まあ、そんな感じだよ」
「分かる」
あっさり返ってきたその言葉に、俺は思わず顔を上げた。
「分かる?」
「俺も昔、似たようなことを考えたことがある」
男は相変わらず、穏やかでも熱っぽくもない口調で言う。
「今のままの自分じゃ駄目だって、ずっと思ってた」
「……お前も?」
「自信がなかったんだろうな」
男は海を見たまま、小さく息を吐く。
「もっとちゃんとした自分になりたかった。胸を張って、自分はこれでいいって言えるような、そういう自分に」
その言葉が、思っていたよりまっすぐ胸に入ってきた。
自信がなかった。
もっとちゃんとした自分になりたかった。
それは、俺が今まで自分の中でうまく言葉にしないようにしていたものと、どこか同じ匂いがした。
「……何だよ、それ」
俺は少しだけ眉をひそめる。
「何でも分かったような口ぶりだな」
「分かったように聞こえたなら悪い」
男は肩をすくめる。
「でも、似たようなことを思ったのは本当だ。今の自分じゃ足りないって思って、何か別のものがあれば、自信のある自分になれるんじゃないかって考えたことはある」
何か別のもの。
力。
肩書。
才能。
そういう単語が、勝手に頭の中へ浮かんでは消える。
零の言葉まで、そこへ一瞬だけ重なった。
より強い力を渡そう。
こちらへ来ればいい。
嫌な記憶だ。
でも、今の男の話し方はそれと違った。
力があれば解決する、なんて言い方をしていない。
「で、どうだったんだよ」
「何が」
「自信のある自分になれたのかって聞いてる」
俺がそう言うと、男は少しだけ黙った。
波の音が一つ、長く伸びる。
それから、ようやく口を開く。
「簡単にはなれない」
答えは短かった。
「何かを手に入れたからって、それだけで急に自分を好きになれるわけじゃない」
「……」
「力があれば自信が持てる。才能があれば自分を認められる。そう思いたくなる気持ちは分かる」
そこで男は初めて、まっすぐこっちを見た。
「でも、それがそのまま答えになるとは限らない」
痛いところを突かれた気がした。
たぶん俺は今、かなり露骨な顔をしていたんだと思う。
力がなくなって戸惑っている。
戦えない自分が何なのか分からない。
それはつまり、どこかで“力がある自分”の方に、自分の輪郭を預けすぎていたってことだ。
「そんなの……」
言い返しかけて、言葉が止まる。
否定したい。
でも完全には否定できない。
それが腹立たしい。
「分かってたら、こんなふうに悩んでない」
結局、出てきたのはそんな言葉だった。
「そうだろうな」
男はあっさり頷く。
そこもまた調子が狂う。
普通なら、もっと励ますとか、もっとそれらしいことを言ってくる場面だろうに、こいつはこっちの未整理な部分をそのまま置いてくる。
でも、その雑さが妙にありがたかった。
整理されてないものを、勝手に綺麗な答えへまとめられる方が、今はずっときつい。
「戦えないなら、また誰かを守れないかもしれない」
俺はドライバーを握り直す。
「それが怖い。前みたいに手を伸ばせないかもしれないって思うと、それだけで……」
言葉を飲み込む。
怖い、と認めるのはまだ少しだけ抵抗があった。
でも男はそこで頷いた。
「怖いんだろ」
「……ああ」
「だったら、そこから考えた方が早い」
「何をだよ」
男はほんの少しだけ目を細めた。
夕方の残りの光が、その横顔に薄くかかる。
まだ名前も知らないはずなのに、妙にその表情だけは印象に残った。
「お前が本当に欲しかったのが、力そのものだったのかどうかってことだ」
「は?」
「ゼッツになれることに自信が欲しかったのか」
男は静かに続ける。
「それとも、誰かを守れる自分に自信が欲しかったのか。たぶん、その二つは同じじゃない」
その言葉で、胸の奥がざわついた。
違う。
でも、違うからこそ答えにくい。
ゼッツになれること。
誰かを守れること。
どっちも必要だった気がする。
どっちも切り離せなかった。
けれど今、その前提が壊れたから、俺はこうして悩んでる。
「……お前、嫌な聞き方するな」
「よく言われる」
「絶対嘘だろ」
「そうでもない」
その返しに、少しだけ息が抜けた。
ほんの少しだけ。
でも、それだけでさっきまでより肩の力が落ちた気がした。
「自信がある自分になりたいって思ったことがあるなら」
俺は少しだけ前のめりになって訊く。
「お前は、どうやってその答え見つけたんだよ」
男はすぐには答えなかった。
海の方を見る。
沈みかけた光。
遠くの波。
そういうものを一度全部見てから、ようやく口を開く。
「簡単じゃなかった」
「それは分かる」
「答えも、最初から綺麗な形であったわけじゃない」
男は淡々と言う。
「でも少なくとも、何かを持ってる時の自分だけを本物だと思うのは違うって、どこかで気づいた」
「……」
「力がある時しか信じられない自分なら、その力がなくなった瞬間、全部終わるだろ」
その言葉は静かだった。
静かなのに、ひどく重かった。
「それじゃ、自信なんて最初から借り物だ」
借り物。
その単語が、まっすぐ喉の奥へ引っかかった。
ゼッツドライバー。
変身。
戦う力。
それは確かに俺の戦い方だった。
でも、それだけが俺そのものかと言われたら――答えられない。
沈黙が落ちる。
波の音だけがする。
男は急かさない。
俺が何か言うのを待っているというより、今の言葉がどう刺さるかを、ただ見ているような静けさだった。
「……自信がある為の答え、か」
自然にそんな言葉が漏れる。
問いを繰り返しているだけなのに、妙に重かった。
「そうだ」
男は頷く。
「お前は何に自信が欲しかったのか。それを、ちゃんと自分で決めろ」
少しだけ間を置いてから、さらに続ける。
「ゼッツとして戦える自分か。誰かを守れる自分か。それとも、もっと別の何かか。そこを間違えると、また同じところで足元を失う」
「そんなの、すぐ答え出るわけないだろ」
「今すぐ出せとは言ってない」
「じゃあ何だよ」
「考えろってことだ」
男は、今度はほんの少しだけ口元を緩めた。
「自信がある自分になりたいなら、まず“何に対して自信を持ちたいのか”を曖昧にしたままにするな」
それは命令でもなく、説教でもなかった。
ただ、行き先の見えなくなった人間へ、最低限の道標だけ置いていくような言い方だった。
それが不思議と、零の誘いよりずっと強く胸へ残る。
俺は壊れたドライバーを見下ろす。
ひび割れた装甲。
沈黙した機構。
もう変身はできない。
たぶん、その現実はすぐには変わらない。
でも、だからって何もかもがそこで終わるわけでもない。
今の男の言葉は、そういう意味で俺を否定しなかった。
「……お前、本当に何者なんだよ」
改めてそう訊く。
男は少しだけ空を見て、それからこっちへ視線を戻した。
名乗るでもなく、誤魔化すでもなく、ただ少しだけ考えるような顔をする。
「今は、ただの通りすがりってことにしとけ」
「それで納得すると思うか?」
「しないだろうな」
「分かってて言うなよ」
「じゃあ、お互い様だ」
何がお互い様なのかは分からなかった。
でも、その言い方が妙に引っかかる。
まるでこっちの事情を知っているみたいで、でも全部は言わない距離感。
正体不明のままなのに、言葉だけは妙に芯へ届く。
そんな相手だった。
海風がもう一度吹いた。
さっきより少し冷たい。
でも、その冷たさはもう息苦しさには変わらなかった。
答えなんて、まだ出ていない。
ゼッツドライバーも壊れたままだ。
戦う方法だって見えない。
それでも、少なくとも一つだけはっきりしたことがある。
俺は今、自分が何に自信を持ちたかったのか、その問いから逃げられなくなった。
そしてたぶん、それが今の俺に必要なことなんだろう。
男は立ち上がる。
去るのかと思ったが、すぐには歩き出さない。
ただ、最後に一度だけこっちを見る。
「答えは、誰かが渡してくれるものじゃない」
静かな声だった。
「お前が自分で決めろ。自分に自信があるって、胸を張るための答えを」
それだけ言って、男はようやく背を向けた。
俺はその後ろ姿を見送りながら、壊れたドライバーを膝の上で握り直す。
まだ冷たい。
でも、その冷たさの意味が、さっきまでとは少しだけ違って感じられた。