ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
扉が、もう一度大きく揺れた。
さっきまで開発室の熱で満ちていた教室が、その一撃だけで別の空気へ塗り替わる。
非常灯の赤い明かりが、机の上に散らばった工具や設計図へ不気味な影を落としていた。
壊れたゼッツドライバーの横には、新しく組み上げられかけたフレームと、まだ接続途中の回路が置かれている。
それら全部が、今この瞬間だけは、機材というより守らなければならない何かに見えた。
「来るっす」
日菜が短く言う。
その声は小さいのに、妙にはっきり耳へ刺さった。
俺も反射で一歩前へ出ようとして、腰元へ手をやる。
だが、指先に触れるのは壊れたドライバーの感触だけだ。
変身はできない。
その現実が、今は信じられないほど重かった。
「万津君、下がって」
赤松の声が飛ぶ。
ほとんど同時に、百田が俺の前へ大きく踏み出した。
茶柱も、東条も、ゴン太も、迷う気配すらなく前へ出る。
それが俺には、一瞬だけ理解できなかった。
いつもなら、俺が前に出る側だったからだ。
「待て、俺も――」
「今はお前の番じゃねぇ」
百田が振り向かずに言った。
その言葉には勢いがあるのに、冗談の軽さはなかった。
「お前はそっちを守れ。今ここで一番潰されたら困るのは、お前とそいつらなんだろ」
そいつら。
言われて、俺は机の上を見る。
壊れたドライバー。
新しいフレーム。
USBの設計データ。
皆が積み上げている途中の、新しい器。
「百田君の言う通りだよ」
最原が静かに続ける。
「敵の狙いは、たぶん君自身と、その未完成のドライバーだ。だったら、今ここで君が無理に前へ出る方が危ない」
「ですが、万津さんがただ見ているだけというのも釈然としません!」
茶柱が言いつつ、すでに扉の正面へ立っている。
「だからこそ、ここは私達が稼ぎます! その間に後ろは後ろで進めてください!」
「ゴン太も頑張るよ!」
ゴン太が拳を握る。
「みんなの大事なもの、絶対に壊させない!」
また扉が揺れた。
今度は、ただ叩いているというより、外側から力任せに歪ませているような音だった。
金属と金属がこすれる嫌な音が混ざる。
普通の人間の力じゃない。
その時点で、もう敵の正体は半分見えていた。
「キーボ、入間さん、作業は止めないでください」
日菜がノートPCへ視線を戻しながら言う。
「ここで止めたら、向こうの思う壺っす」
「言われなくても分かってるっての!」
入間が工具をひったくるように掴む。
「この俺様の傑作を壊されてたまるかよ!」
「現在、現実運用への変換工程を最優先で進めています」
キーボの声は落ち着いていた。
だが、その手の動きはさっきより明らかに速い。
「あと少し時間が必要です。どうか持ちこたえてください」
「時間稼ぎなら任せてよ」
赤松が深呼吸して、皆の横へ一歩出る。
「こっちはこっちで、絶対に止めないから」
「んあー……こういうのは嫌いではないが、静かな夜が台無しじゃな」
夢野が椅子から立ち上がる。
いつもの気だるい調子のままなのに、その目だけはちゃんと前を向いていた。
「じゃが、完成直前の夢を邪魔されるのはもっと嫌じゃ」
「アンジーもそう思うよー」
夜長がにこりと笑う。
赤い非常灯の下でも、その笑顔だけは妙に崩れない。
「せっかく神ってる感じになってきたんだからー、ここで壊されたらつまんないもんねー」
「言い方は軽いですけど、やる気はあるんですよね?」
茶柱が半ば確認するように言う。
「もちろんー。やる時はやるよー」
東条はそのやり取りの横で、机の上の部品を素早く奥へ移動させていた。
危険な位置にある配線を退け、ノートPCの角度を変え、キーボと入間が手を伸ばしやすい位置へ工具を並べ直す。
戦いの前だというのに、その動きはあくまで冷静だった。
「東条、前じゃなくていいのか」
俺が思わず訊くと、東条は手を止めずに答えた。
「必要なものを必要な場所へ置くのも、立派な戦いよ」
それから一度だけこっちを見て、静かに続ける。
「それに、後ろが崩れれば前ももたないわ。だから私は、ここを整える」
その言葉が終わるのと、扉が限界を迎えるのはほとんど同時だった。
轟音。
蝶番ごと歪んだ扉が内側へ吹き飛び、教室の床を滑って机の脚へ激しくぶつかる。
冷たい夜気が一気に流れ込んだ。
その向こうに立っていたのは、人間の輪郭をしていながら、人間とは思えないほど静かに立つ三つの影だった。
金属の身体。
人工的な光を宿した義眼。
機械と肉の境目が曖昧になった異形。
終天教団の幹部。
犬神軋。
丑寅幽玄。
黒四館仄。
「……わざわざ勢揃いかよ」
百田が低く吐き捨てる。
だが、声に怯みはなかった。
一番前にいた犬神が、赤い非常灯の中でこちらを見回した。
その視線の動き方が、もう人間のそれじゃない。
標的を選別する機械みたいに、無駄なく、冷たく、一直線に俺の位置を捉える。
「いたな」
犬神の声は低く、金属が軋むような響きを混ぜていた。
「万津莫。今回は逃がさない」
「犬神軋……!」
最原が小さく息を呑む。
その隣で、日菜は視線を上げないまま手を動かし続けている。
たぶん、あえて見ないようにしている。
見たら焦りが手に出るからだ。
「逃がさない、ねぇ」
黒四館仄が、楽しそうに笑った。
その笑い方だけは、人間の頃とほとんど変わらない。
だから余計に不気味だった。
「でも今回は、連れ帰るのが目的なんでしょう。壊すよりずっと繊細なお仕事だよねぇ」
「無駄口はいい」
丑寅幽玄が低く言う。
彼の声だけは、三人の中でも特に冷えていた。
「対象と設計データを確保する。それだけだ」
設計データ。
その一言で、最原の目が鋭くなる。
「やっぱり……」
彼は小さく呟いた。
「狙いは万津君だけじゃない。新しいドライバーもだ」
「当然でしょう」
仄が軽やかに言う。
「君たちが皆でせっせと夢を混ぜて作ってるそれ、すごく綺麗だもの。だからこそ、こちらの完成された器と比べたくなる」
「完成された器?」
俺が睨み返すと、犬神が一歩前へ出た。
「教祖の言葉を忘れたか」
彼の胸元で、禍々しいバックルが脈打つ。
「お前には、こちらで用意したドライバーを使ってもらう。その方が、お前の力に見合っている」
「ふざけるな」
言い返した瞬間、仄が肩を揺らして笑った。
「ほら、やっぱりそう言う」
「でもね、万津君。未完成の夢って魅力的だけど、未完成だからこそ壊れやすいんだよ」
彼女の視線が、机の上の新しいフレームへ流れる。
「それより、私たちのところへおいでよ。君のための器は、もう別の場所で準備が進んでる」
「誰が行くか」
「まだそう言えるんだ」
仄は嬉しそうに目を細めた。
「いいねぇ。その意地、大好き」
「会話はそこで終わりだ」
犬神が言い切ると同時に、三人の身体へ異様な光が走る。
次の瞬間には、金属の身体の上からさらに別の装甲が展開し始めていた。
ロード・スリー。
ロードファイブ。
ロードシックス。
現実世界に実体化したロードたちが、教室の入口を完全に塞ぐ。
ただ立っているだけで圧がある。
夢の中で対峙した時とは違う。
現実にいる。
足元の床が軋み、空気そのものが押しつぶされそうなほど重い。
「来るぞ!」
百田が叫ぶ。
ほとんど同時に、ロード・スリー――犬神が正面突破してきた。
速い。
人間の踏み込みじゃない。
真っ直ぐ、迷いなく、一直線に教室の中央へ。
そこへ百田が前からぶつかる。
「通すかよぉっ!」
拳と拳がぶつかる。
重い衝撃。
百田の足元が床を削る。
だが、踏みとどまる。
その横から茶柱が低く滑り込み、ロード・スリーの膝裏へ鋭い蹴りを入れた。
「ここは通しません!」
「邪魔だ」
ロード・スリーが腕を振るう。
茶柱は後ろへ跳んで避ける。
その間へ、今度はゴン太が全身でぶつかった。
「みんなの大事なものなんだ! 壊させない!」
ゴン太の体当たりで、ロード・スリーの進路がわずかに逸れる。
完全に止められたわけじゃない。
でも十分だった。
百田がその隙に体勢を立て直し、真正面からもう一度殴りかかる。
「おらぁっ!」
向こう側では、ロードファイブ――丑寅幽玄が、正面から戦うのではなく横へ流れるように動いていた。
最短で俺たちへ来ない。
壁際を使い、机の位置を見て、逃げ道と作業ラインを切り分けにかかっている。
最原がそれにいち早く気づく。
「そっちは駄目だ!」
最原が声を飛ばす。
「幽玄はこっちを分断しようとしてる! 前衛を抜けなくても、開発机へ届けばいいと思ってる!」
「やっぱり嫌なタイプっすね!」
日菜が舌打ち混じりに言う。
それでも手は止めない。
キーボと入間の作業へ必要なデータを、次々に画面へ呼び出している。
「キーボ、三番目の補助ライン切り替えっす!」
「了解しました!」
「入間さん、そのコイル外して。今のままだと現実出力に耐えない!」
「言われなくても見えてんだよ!」
その横で、東条が必要な工具を次々に差し出していく。
入間が適当に置いたレンチを拾い直し、キーボの手元へ半田ごてを渡し、机の角へ寄りかかった部品箱が落ちないように押さえる。
その動きは、まるで戦場の中にだけ存在する整然とした流れだった。
ロードファイブが机の横へ回り込もうとした、その瞬間。
赤松が前へ出る。
「そっちは行かせない!」
真正面からぶつかるわけじゃない。
でも、進路へ身体を入れて、一瞬でも遅らせる。
ロードファイブが手を伸ばす。
危ない。
そう思ったところへ、夢野が椅子を蹴って滑り込ませた。
「そこじゃ、阿呆」
ロードファイブの足が椅子に引っかかり、わずかに体勢を崩す。
その瞬間、夜長が教室の端に置かれていた画材箱を蹴り飛ばした。
中身が一斉に散る。
色とりどりのチョークや絵具のケースが床を転がり、赤い非常灯の下で妙に派手なノイズになる。
「視線って、案外散るんだよねー」
「……くだらない」
ロードファイブが低く吐き捨てる。
だが、そのわずかな苛立ちが進行速度を鈍らせていた。
くだらない。
でも、その“くだらなさ”で稼いだ一秒が、今は大きい。
俺は、その全部を見ていた。
見ているしかなかった。
前に出たい。
体が勝手にそういう衝動を起こす。
でも今の俺は変身できない。
壊れたドライバーを握りしめたまま前へ出れば、足手まといになる可能性の方が高い。
分かっている。
分かっているからこそ、余計に苦しい。
「万津君」
すぐ横で、日菜が低く呼ぶ。
俺がそちらを向くと、彼女は一瞬だけ視線を上げた。
「今は我慢して」
いつもの軽さを消した声だった。
「今、止まったら全部台無しっす」
「……分かってる」
言いながら、奥歯を噛む。
本当に分かっている。
だからこそ、今できることをやるしかない。
「何をすればいい」
俺がそう訊くと、日菜はほんの少しだけ目を見開いた。
たぶん、俺が“前に出る”以外の言葉を自分から言ったのが意外だったんだろう。
けれど次の瞬間には、もう迷わず答えた。
「この回路、押さえてください」
彼女は机の上の仮組みフレームを指した。
「まだ固定が甘いっす。キーボの接続が終わるまで、そこがズレると全部やり直しになる」
「了解!」
俺はすぐに机へ回り込み、示された箇所を押さえた。
熱い。
通電している。
未完成の器が、掌の下でまだ不安定に脈打っているのが分かる。
これが新しいドライバーになる。
皆が今、命懸けで守っているものだ。
その時、ふいに黒い影が視界の端へ滑り込んだ。
ロードシックス――黒四館仄。
彼女だけは、他の二人みたいに乱暴に突っ込んでこない。
教室の騒乱の中を、まるで舞台の上を歩くみたいな足取りで進んでくる。
そして、まっすぐ俺を見た。
「やっぱり、そっちにいるんだねぇ」
仄の声は楽しそうだった。
現実の戦場だというのに、まるで優雅なパーティの途中みたいな声音を崩さない。
「皆に守られながら、自分の新しい器ができていくのを見る気分はどう?」
「最低だよ」
「うん、そう答えると思った」
仄は笑う。
「でも綺麗だよね。未完成で、脆くて、皆の夢が混ざってる。すごく壊し甲斐がある」
「お前……!」
「でも、本当は壊しに来たわけじゃないんだよ」
仄は軽く首を傾げる。
「君を連れに来ただけ。教祖様の言う通り、君のためのドライバーは別にある。そっちの未完成な夢より、もっと完成された器がね」
「誰が行くか」
「まだそう言えるんだ」
仄は心底嬉しそうに目を細めた。
次の瞬間、その身体がふっと消える。
いや、速すぎて見失っただけだ。
ロードシックスの腕が、一直線に俺の首元を狙ってきた。
「万津君!」
赤松の声。
だが、その前に茶柱が横から飛び込んだ。
「させません!」
茶柱の蹴りがロードシックスの腕を逸らす。
完全には防げない。
それでも軌道はずれた。
そこへ東条が机を滑らせ、俺と仄の間に障壁みたいに差し込む。
「離れて!」
東条の声へ反応して、俺は仮組みフレームを抱え込むように一歩下がった。
その間に、百田とゴン太がロード・スリーを押し返し、最原がロードファイブの回り込みを読み続けている。
教室はもう完全な戦場だった。
だが、それでも開発机の周辺だけは、かろうじて守られている。
「くそっ、しつこいっすね……!」
日菜が舌打ちしながら画面を睨む。
「キーボ、あとどれくらいっすか!」
「現実出力用の変換は最終段階です!」
キーボの声は、さっきよりさらに鋭かった。
「ですが、このままでは装甲側の同期が――」
「だったらそこは俺様がやる!」
入間が工具をひったくる。
「おいキーボ、そのライン固定しろ! 同期のズレはこっちで誤魔化す!」
「誤魔化すって言わないでください!」
「似たようなもんだろ!」
「全然違います!」
言い合いながらも、二人の手は止まらない。
配線が繋がる。
フレームが閉じる。
何かが、もう一段先へ進み始めているのが分かる。
その時、ロードファイブが急に動きを変えた。
正面の時間稼ぎに付き合うのをやめ、壁を蹴って一気に上へ飛ぶ。
そこから最短で開発机へ飛び込む軌道だ。
「上から来る!」
最原が叫ぶ。
東条が机を引く。
茶柱が振り返る。
だが、一歩遅い。
そこへ、百田がほとんど反射で飛び込んだ。
「行かせるかぁっ!」
百田の身体が、空中のロードファイブへ正面からぶつかる。
衝撃で二人まとめて床へ叩きつけられた。
鈍い音。
百田がうめく。
それでも離さない。
腕を絡め、体重をかけ、無理やりその場へ押しとどめる。
「百田君!」
赤松が叫ぶ。
「気にすんな! まだいける!」
その声は痛みに歪んでいた。
でも、意地だけはまっすぐだった。
俺は歯を食いしばる。
皆が戦っている。
俺のためだけじゃない。
この新しい器を完成させるために。
そう分かっていても、やっぱり悔しかった。
今ここで自分だけ戦えないことが、どうしようもなく悔しい。
その感情が一瞬だけ顔へ出たのかもしれない。
仄が、それを見てひどく楽しそうに笑った。
「その顔、いいねぇ」
彼女はわざとらしくため息をつく。
「やっぱり君は、前に出たいんだ。守られる側にいるの、似合わないもんね」
「黙れ」
「でも、それならなおさらおいでよ」
仄の声が甘くなる。
「私たちの器なら、君はすぐにまた前へ出られる。こんなふうに皆へ庇われながら待ってなくていいんだよ」
「うるさい!」
怒鳴った瞬間、仄の視線がほんの少しだけ細くなった。
遊びの色が薄れる。
次で本当に奪いに来る。
そう直感した、その時だった。
「……終わりました」
低く、だがはっきりとした声が背後から響く。
全員の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
視線が自然にそちらを向いた。
キーボだ。
彼は作業机の前に立っていた。
開かれたフレーム。
接続の終わった新たな基部。
そこへ走る、見たことのない光。
いつものキーボの姿なのに、その輪郭だけが妙に引き締まって見える。
「現実戦闘用への改造、完了しました」
その言葉が教室へ落ちた瞬間、空気が明確に変わった。
何がどう変わったのか、まだ俺には全部は分からない。
けれど、一つだけはっきり分かる。
今、ここに次の力が間に合った。
皆が時間を稼いだ意味が、確かに形になった。
ロードたちもそれを感じ取ったらしく、動きがわずかに止まる。
仄の笑みが、今度は本当に愉しげなものへ変わった。
「……へぇ」
彼女は静かに言う。
「それ、見せてくれるんだ」
俺は息を呑みながら、赤い非常灯の中で新たに組み上がった器を見た。
まだ名前も、全貌も、俺は知らない。
けれど、これが次の段階だということだけは、今この瞬間、はっきりと分かった。