ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
ドォーンが、三体のロードの前へ立った瞬間だった。
それまで押し返せていたはずの流れが、一度そこで切れた。
犬神も、丑寅も、仄も、それぞれの温度でこちらを見ていたくせに、ドォーンが現れた途端に一歩引く。
守られる側へ回ったわけじゃない。
むしろ、「ここから先は別の段階だ」と理解して、位置を譲ったように見えた。
そして、そのさらに奥。
開いたままの教室の入口、その暗がりの向こうから、あいつはゆっくり姿を現した。
教祖。
下辺零。
見た瞬間、胸の奥にある妙な感覚がまた疼いた。
嫌悪だけじゃない。
恐怖だけでもない。
むしろ、もっと厄介な感情だ。
俺は、あいつを単純な悪だとは思っていない。
多分、そこが一番やりにくい。
犬神みたいに正面から奪いに来る奴の方が、まだ分かりやすい。
丑寅みたいに冷たく切り捨ててくる奴も、敵としては整理しやすい。
仄みたいに気味が悪い執着を向けてくる奴だって、分かりやすい意味ではまだ“敵”だ。
でも、零は違う。
あいつは確かにこちらを揺さぶり、誘い、間違いなく危険な側へ引き込もうとしてくる。
それでも、その根っこ全部が腐っているようには見えない。
そこが、何より気持ち悪かった。
「やあ、万津君」
穏やかな声だった。
この場に似合わないくらい静かで、落ち着いていて、まるで教室へ遅れて入ってきた教師みたいな調子だった。
ロードたちの後ろに立っているのに、その声だけは妙に柔らかい。
「思っていた以上だよ」
「壊れたゼッツドライバーの先で、そこまで辿り着くとはね」
百田がすぐに唸るような声を出す。
茶柱も、赤松も、明らかに零へ警戒を強めていた。
けれど俺は、あいつの顔を見た瞬間に別のことを考えていた。
この男は、多分、本気で俺へ語りかけている。
ただ壊したいわけじゃない。
ただ奪いたいだけでもない。
自分なりの理屈と、自分なりの正しさで、俺へ手を差し伸べているつもりなんだろう。
そこまで分かってしまうから、余計に質が悪い。
「……何しに来た」
俺がそう言うと、零は少しだけ目を細めた。
怒ったわけでも、面白がったわけでもない。
ただ、ようやく話せるとでも思ったような顔だった。
「確認だよ」
「君が、どちらを選ぶのか」
どちら。
その言い方に、俺は小さく息を吐いた。
やっぱりそこへ来る。
いつだってこいつは、答えにくいところを選んで訊いてくる。
「君の前には二つの器がある」
零は穏やかなまま続ける。
「一つは、ここにいる皆が君のために作った、未完成の夢の器」
「もう一つは、こちらが君のために用意した、完成された器だ」
完成された器。
その言葉の響きだけなら、きっと悪くない。
壊れない。
迷わない。
より強い。
より深い場所へ届く。
もし俺が、ただ力だけを欲しがる人間だったなら、少しくらいは心が揺れたのかもしれない。
でも、今の俺はもう、そこだけを見ていない。
この装甲の内側にいるのは、俺一人じゃない。
キーボの身体があって、皆が稼いだ時間があって、皆の夢が本当に組み込まれている。
そこまで来てしまったから、零の言葉は前とは違う意味で俺へ刺さる。
「君は分かっているはずだ」
零の声は、相変わらず静かだった。
「その器は、まだ未完成だ」
「未完成な夢は美しい。けれど、同時に脆い」
「また壊すかもしれない」
「自分も、周りも、器も」
胸の奥が、わずかに痛んだ。
図星を突かれたからだ。
それが腹立たしい。
俺が一番触れたくないところへ、こいつは本当に躊躇なく手を伸ばしてくる。
だからこそ、思う。
零は悪いだけの人間じゃない。
多分、根っこのどこかでは本気で俺のことを考えている。
ただ、その考え方が決定的に違う。
こいつは、“壊れない完成”を選ぶ。
俺たちは、“未完成でも一緒に進む”ことを選ぶ。
似ているようでいて、そこがどうしようもなく違う。
「……お前さ」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
ロードたちも、仲間たちも、少しだけ息を呑んだ気配がする。
けれど今は、視線を外せなかった。
「俺、お前のことをさ」
「完全に悪い奴だとは思ってない」
百田が横で小さく「おい」と声を漏らす。
茶柱も驚いたみたいにこっちを見た。
でも、言わずにはいられなかった。
零は少しだけ目を見開く。
その反応が、本当に一瞬だけ、ただの人間みたいだった。
「へえ」
「本当だよ」
俺はゼッツエクスドリームの装甲越しに、まっすぐ零を見る。
「お前は多分、本気でそう思ってるんだろ。俺に必要なのは、そっちの器だって。もっと完成されたものを選んだ方がいいって」
「それが嘘じゃないことくらい、分かる」
教室は妙に静かだった。
ドォーンも、ロードたちも、誰も割り込まない。
零だけが、わずかに表情を動かしたままこちらを見ている。
「だから、余計に厄介なんだよ」
俺は続ける。
「ただの悪なら、殴って終われた」
「でもお前は、そうじゃない」
その言葉を言いながら、自分でもはっきり理解していた。
俺が零に感じている違和感の正体。
嫌悪よりもずっと厄介な、あの引っかかり。
「……お前とは、違う出会い方をしたかった」
口にした瞬間、自分で少しだけ笑いそうになった。
何だそれ。
我ながら、夢みたいな話だ。
今この状況で言う台詞じゃない。
目の前にはドォーンがいて、ロードが三体いて、終天教団の教祖がいて、教室は戦場の真ん中だ。
そんな場所で口にするには、あまりにも場違いで、現実味がない。
「もしもっと別の場所で会ってたらさ」
「こんな形じゃなかったら、普通に話せたのかもしれないって、ちょっとだけ思う」
零は黙って聞いている。
その沈黙が、逆に怖かった。
でも、今は止まれない。
「けど、無理だ」
俺ははっきり言った。
「お前は悪くない部分がある。そこは認める」
「でも、それでも駄目なんだよ」
「決定的に違ってる」
言いながら、胸の中で答えが固まっていく。
こいつは人を壊したいわけじゃない。
でも、人を“完成させたい”と思っている。
壊れない器へ、迷わない形へ、整いきった何かへ。
そのためなら、今の不完全さも、揺れも、迷いも、全部削ぎ落としてしまえる。
そこが、俺たちと違う。
「俺は、未完成でもこっちを選ぶ」
「壊れるかもしれなくても、皆が作ったこの器を使う」
「皆の夢を背負って進む方を選ぶ」
零の目が、ほんの少しだけ細くなった。
残念そうにも見える。
でも、怒ってはいない。
多分、そう答える可能性も最初から計算に入れていたんだろう。
「……そう」
「だから断る」
俺は言い切った。
「お前の差し出す完成には行かない」
その言葉のあとに残った沈黙は、不思議と重くなかった。
むしろ、ようやく言うべきことを言えたような、妙な静けさだった。
零はしばらく何も言わなかった。
ただ、俺と新しいゼッツの姿を見ていた。
それから、ほんの少しだけ、困ったように笑う。
「夢みたいな話をするんだね、君は」
「そうだよ」
俺も小さく息を吐く。
「夢みたいな話だ」
「でも、今の俺にはそれで十分なんだよ」
ゼッツエクスドリームの装甲が、静かに脈打つ。
背中の機構が、次の動きへ応じるように微かに展開する。
後ろには仲間たちの気配がある。
前には、ドォーンと、ロードたちと、教祖がいる。
ここから先は、もう言葉だけじゃ終わらない。
それでも、断るべきことは断えた。
それで十分だった。
「……行くぞ」
俺はゆっくりと重心を落とし、ドォーンを真正面から見据えた。
零もまた、それ以上は何も言わない。
その代わり、まるで答えは受け取ったとでも言うみたいに、静かに一歩だけ下がった。
戦いが、始まる。