ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
ドォーンを蹴り飛ばした直後、世界が一瞬だけ静かになった。
いや、本当は静かになったわけじゃない。
砕けた床の音も、崩れた机の軋みも、誰かの荒い呼吸も、全部ちゃんとそこにあった。
ただ、俺の身体がそれを拾い切れなくなっていただけだ。
「……っ、は……」
喉が焼けるみたいに熱い。
ゼッツエクスドリームの装甲越しに感じていた力の流れが、急激に細くなっていく。
背中の七色の翼が消えていく感覚と一緒に、全身のどこを動かしても鈍い痛みが返ってきた。
まずい。
そう思った時にはもう遅かった。
装甲の光が、一斉に明滅する。
「万津君!」
赤松の声が飛ぶ。
「出力低下! 解除が――」
キーボの声が、遠くなる。
次の瞬間、ゼッツエクスドリームの装甲がほどけるように消えた。
膝が落ちる。
床へ片手をついた瞬間、割れたタイルの冷たさが掌に刺さった。
肩で息をする。
視界が滲む。
ドォーンを越えた。
勝った。
その実感はあるのに、身体の方はまるで納得していないみたいに悲鳴を上げていた。
「万津!」
百田が駆け寄ろうとする気配。
「待って!」
日菜の鋭い声が、それを止めた。
「まだ動かないで! 相手が完全に止まった保証はないっす!」
その言葉で、俺も無理やり顔を上げる。
倒れたドォーン。
その向こうで、犬神、丑寅、仄がこちらを見ている。
すぐに飛び込んでこない。
けれど、だから安心できるわけでもなかった。
むしろ、何かを待っているような、不気味な静けさがある。
そして、その中心にいるのが――零だった。
終天教団の教祖。
下辺零。
こいつを前にすると、いつも胸の奥が嫌な形でざわつく。
分かりやすい悪意だけなら、もっと簡単だった。
けれど零は違う。
こっちを壊そうとしているくせに、その一方で、本気で何かを伝えようとしているようにも見える。
その食い違いが、たまらなく気持ち悪い。
零が、ゆっくりと歩き出した。
「止まれ!」
茶柱が前へ出る。
「来るな」
百田も低く唸る。
けれど、零はそれを気にした様子もなく、まっすぐ俺へ近づいてくる。
その足取りには、今までみたいな余裕だけじゃない、妙な切迫があった。
焦っている、とまでは言わない。
でも、今この瞬間を逃したら駄目だと分かっている人間の歩き方だった。
「……何しに来た」
俺が吐き出すように言うと、零は少しだけ目を細めた。
「話しに来たんだよ」
静かな声だった。
「今しか、言えないことをね」
「信用できると思うか」
「できないだろうね」
零は、驚くほど素直にそう答えた。
「それでも、聞いた方がいい」
その言い方が、妙に引っかかった。
いつもの勧誘とは少し違う。
こっちを揺さぶるための綺麗な言葉じゃない。
もっと切実で、もっと個人的な何かが混ざっている。
零は俺のすぐ前まで来ると、膝をついた俺へ視線の高さを合わせるように、ゆっくり身を屈めた。
皆が息を呑む気配がする。
百田が今にも飛び込もうとしているのが分かる。
でも、零は誰も見ていなかった。
ただ俺だけを見ている。
「……お前、悪い奴じゃないんだろうな」
気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。
自分でも馬鹿みたいだと思う。
こんな状況で言う台詞じゃない。
それでも、そうとしか言えなかった。
零の目が、ほんの少しだけ揺れる。
「それは、どうかな」
「少なくとも、全部が全部腐ってるようには見えない」
俺は息を整えながら続けた。
「だから厄介なんだよ。お前とは……違う出会い方をしたかった」
零が、わずかに目を見開く。
その反応が一瞬だけ、教祖でも終天教団でもない、ただの人間みたいだった。
「……夢みたいな話をするね、君は」
「夢みたいな話だよ」
俺は苦く笑う。
「でも、そう思うくらいには、お前のことを単純な悪だと思えない」
「けれど、断るんだろう?」
「当たり前だ」
俺ははっきり言った。
「お前と俺は、どこか決定的に違う。だから、お前の差し出す完成には行かない」
零は少しだけ口元を緩めた。
悲しいような、諦めたような、奇妙に穏やかな笑いだった。
「そうか」
そして次の瞬間、零はさらに身を寄せた。
俺の耳元へ、直接言葉を落とすために。
反射的に身構える。
けれど、その声は驚くほど小さかった。
「旧希望ヶ峰学園の亡霊は、まだ生きている」
「……!」
「関係者たちは、カムクライズルを一人で終わらせる気がない」
零の声は、ほとんど囁きだった。
「人類全体を、カムクライズルへ作り替えようとしている」
一瞬、言葉の意味が飲み込めなかった。
カムクライズル。
その名前の重さは知っている。
希望ヶ峰学園が生んだ、才能の極致。
人間の枠を越えた“完成形”みたいに扱われた存在。
でも、それを――人類全体に?
「何を……」
「終焉より恐ろしい」
零は俺の問いを切るように言った。
「世界が終わる方が、まだましだ」
「終わりなら、終わりで済む」
「けれどそれは違う」
「人が人でなくなる」
「未完成である自由も、迷う権利も、弱さも、選ぶことも、全部奪われる」
「全員が、才能だけの器へ作り替えられる」
背筋が冷えた。
今の言葉には、脅しの温度がなかった。
事実を、どうにかして間に合わせるように伝えている声だった。
「なんで……それを、俺に」
「君が止めるしかないからだよ」
零の声は、さらに微かになる。
その瞬間、俺は初めて気づいた。
こいつの身体の奥で、何かが明らかにおかしくなっている。
肌の色が薄く引いているとか、そういう話じゃない。
もっと根本的に、支えている機構そのものが終わりかけている感じだ。
「おい、お前……」
「僕は、たぶんここまでだ」
零は静かに言う。
「でも、これだけは伝えなきゃいけなかった」
「待て、まだ――」
言い終わる前に、零の身体が小さく揺れた。
瞳の光が、ふっと弱くなる。
呼吸もない。
脈動も感じない。
それでも今までは“動いていたもの”が、急に糸を切られたみたいに静かになっていく。
「教祖……?」
仄が、初めてはっきりと戸惑いを滲ませた。
「おい」
犬神の声も低く変わる。
零は、もう俺を見ていなかった。
視線の焦点が合っていない。
口元がわずかに動きかけて、それきり止まる。
次の瞬間、その身体から力が抜けた。
倒れ込むその前に、俺は反射的に支えていた。
「万津君!」
赤松が駆け寄る。
「離れてください!」
茶柱の声。
けれど、もう遅かった。
零の身体は軽かった。
軽すぎた。
人間を支えた感触じゃない。
中身の熱が、急に全部失われた器だけを抱えたみたいな、嫌な軽さだった。
「……機能停止、です」
キーボの声が、静かに告げた。
「生体反応ではありません。仮の体の駆動が完全に停止しています」
その言葉が、妙に現実的で、妙に残酷だった。
零は死んだ、というより、止まった。
最後に俺へ真実だけを押しつけて。
それだけを果たしたみたいに。
「何を言われたの?」
赤松が息を呑みながら訊く。
「万津さん……?」
茶柱の声も緊張している。
俺は、すぐには答えられなかった。
喉が詰まる。
勝った直後の疲労なんて、もうどうでもよかった。
零が耳元へ残した言葉だけが、頭の中で嫌になるほどはっきり響いている。
人類全体を、カムクライズルにする。
終焉より恐ろしい。
その意味が、今なら分かる気がした。
世界が壊れるんじゃない。
世界がそのままの形で残ったまま、人だけが人でなくなる。
未完成でいられる自由ごと、奪われる。
それは、確かに終わりよりずっと怖い。
「……旧希望ヶ峰学園の関係者が」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くくらい掠れていた。
「人類を……カムクライズルにしようとしてる」
教室が凍る。
誰もすぐには言葉を返せない。
それだけで、その意味の重さが分かった。
「それは……」
最原が息を呑む。
「終焉より、恐ろしいって」
俺は零の止まった身体を見下ろしながら、最後まで言い切った。
「そう言ってた」
沈黙が落ちる。
倒れたドォーン。
止まった教祖。
息を潜めるロードたち。
勝利のはずの戦場が、もう別の意味で終わっていた。
俺は零を支えたまま、小さく息を吐く。
違う出会い方をしたかった。
さっき口にしたその言葉が、今さら胸の奥へ刺さる。
けれど、もう遅い。
あいつは最後に、敵のままで真実だけを置いて止まった。