ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ 作:ボルメテウスさん
翌日の希望ヶ峰学園は、妙に静かだった。
昨日の戦いが嘘みたいに、朝の光は普通に窓から差し込んでいる。
廊下にはいつもの足音があって、風が吹けば木の葉が揺れて、遠くで誰かの話し声も聞こえる。
世界そのものは何も変わっていないように見える。
けれど、俺の中では昨日の夜からずっと、何かが引っかかったままだった。
零の最後の言葉。
旧希望ヶ峰学園の関係者が、人類をカムクライズルにしようとしている。
終焉より恐ろしい。
人が人でなくなる。
あの時の零は、もう俺を揺さぶるために喋っていたようには見えなかった。
むしろ逆だ。
最後の最後で、それだけは伝えなきゃいけないと決めていたみたいだった。
だから厄介なんだ。
簡単に嘘だと切り捨てられない。
結局、昨夜はほとんど眠れなかった。
目を閉じても、零の声が耳の奥に残っている。
ドォーンを倒した感触より、教祖の身体が俺の腕の中で静かに止まった感覚の方が、やけにはっきり残ってしまっていた。
気づけば俺は、校舎の端にある空き教室みたいな小部屋へ来ていた。
朝の光は入るけど、人の出入りは少ない。
考え事をするにはちょうどいい。
机に肘をついて、手の中のゼッツドライバーを見下ろす。
新しく生まれ変わった器。
皆の夢で作った、ゼッツエクスドリームへ繋がるドライバー。
それを見ていても、今は昨日の勝利より、零の残した真実の方が重かった。
「やはり、ここにいましたか」
静かな声がして、振り向く。
キーボだった。
昨日の戦いで装甲になっていた時の名残なんて、当然もう外見にはない。
けれど、こっちを見る目には、昨日の続きみたいな硬さが残っていた。
「……分かりやすかったか」
「少なくとも、教室や食堂にいないことは予想できました」
キーボは少し間を置いてから、俺の向かいへ立つ。
「万津君。あなたも、昨日の件を整理しきれていないのでしょう」
「まあな」
短く答える。
キーボはそれ以上、無駄に気を遣う様子はなかった。
そこがありがたい。
今は慰めより、ちゃんと話せる相手の方が欲しかった。
「座るか?」
「では、失礼します」
キーボが向かいの椅子を引く。
数秒、どちらも何も言わなかった。
沈黙が重いわけじゃない。
ただ、お互いにどこから話すべきかを探っている感じだった。
先に口を開いたのは、俺だった。
「……キーボ、お前も聞いてたんだよな」
「はい」
キーボははっきり頷く。
「装甲として接続していたため、教祖の音声もこちらで取得していました。完全に同じ位置からではありませんが、内容は把握しています」
「だよな」
分かってはいたけど、改めて確認すると少しだけ肩の力が抜ける。
あの言葉を聞いたのが、俺一人じゃない。
それだけで少し違った。
「どう思う」
俺はゼッツドライバーから視線を上げないまま訊く。
「零の言ってたこと、本当だと思うか」
キーボはすぐには答えなかった。
何かを思い出すみたいに、わずかに目を伏せる。
それから、きっぱりと言った。
「高い確率で真実だと判断します」
迷いのない返答だった。
だからこそ、逆に少し苛立つ。
「即答かよ」
「即答ではありません」
キーボは落ち着いて言い返す。
「昨日の戦闘記録、教祖の音声データ、機能停止直前の身体反応、すべてを簡易的に照合した上での結論です」
「……詳しく」
そう言うと、キーボは一度だけ頷いた。
「まず、あの時の教祖の音声ですが」
「普段あなたへ勧誘を行う際と比べて、明らかに発話のテンポが違っていました」
「誘導よりも、伝達を優先していた。言葉の組み方にも、相手を揺さぶるための余白が少なかったです」
「つまり、いつもみたいに俺を丸め込もうとしてたわけじゃない、と」
「はい」
「少なくとも、最後のあの数十秒に関しては」
キーボはそこで少しだけ視線を動かす。
窓から入る光が、その横顔を妙に冷静に見せた。
「さらに、機能停止直前の挙動も異常でした」
「身体機構の維持限界が近い中で、なお最後の発話だけを優先したような反応が出ています」
「簡単に言えば――」
そこで一度区切る。
「嘘をつく余力があったようには見えませんでした」
その言い方が、妙に刺さった。
嘘をつく余力。
昨日の零には、それがなかった。
だからこそ、最後の言葉だけが、ひどく生々しいまま残っている。
「……俺も、そう思う」
小さく言うと、キーボが少しだけ目を細めた。
「あなたは感覚的に、ですね」
「まあな」
俺は苦く笑う。
「分析とかじゃない。でも、あの時の零は、最後まで俺を揺さぶろうとしてる感じじゃなかった」
「だからこそ、信じたくない」
そこまで言って、ようやく自分の本音がちゃんと言葉になった気がした。
信じたいんじゃない。
むしろ逆だ。
信じたくない。
でも、切り捨てきれない。
「旧希望ヶ峰学園の関係者が、人類をカムクライズルにしようとしてる」
俺はゆっくり繰り返す。
「そんなの、馬鹿げてるだろ」
「馬鹿げています」
キーボはあっさり認めた。
「ですが、希望ヶ峰学園が“才能の極致”を追求していたこと自体は事実です」
「カムクライズルの存在も、その到達点の一つでした」
「だからって、人類全体をって……」
「ええ。正気の計画ではありません」
それはその通りだった。
でも、正気じゃないからあり得ない、では済まないのが一番嫌なところだ。
昨日までの戦いだけでも、俺たちは十分に“正気じゃないもの”を見てきた。
終天教団。
ナイトメア。
ドォーン。
ゼッツエクスドリーム。
現実と夢の境界が曖昧になるようなことばかり起きている今、“馬鹿げている”は否定の理由になってくれない。
「終焉より恐ろしい、か……」
ぽつりと呟く。
零の声が、そのまま耳の奥で重なった気がした。
「最初は大げさだと思った」
「でも、考えれば考えるほど嫌なんだよ」
「世界が終わるっていうなら、まだ分かる。壊れる。滅ぶ。そういう終わり方だろ」
「でも、カムクライズルにするっていうのは違う」
言葉にするたび、ぞわぞわとした寒気が背中を這う。
「人がそのまま残るんだ」
「ただ、人じゃなくなる」
キーボは黙って聞いていた。
俺が整理するのを待っているみたいだった。
「迷うことも、弱さも、未完成でいることも、全部いらないものとして削られる」
「それってもう、死ぬより気味が悪いだろ」
「ええ」
キーボは静かに頷く。
「終焉は消失です。ですが、それは改変です」
「人類が終わるのではなく、人類という定義そのものが書き換えられる」
「教祖が“終焉より恐ろしい”と表現したのは、そこでしょう」
その言葉で、昨日から胸の中で引っかかっていたものが、少しだけ輪郭を持った。
終わる方がまだまし。
残ったまま、人でいられなくなる方が怖い。
そういう意味だ。
俺は椅子へ深くもたれた。
窓の外は朝なのに、話している内容のせいで、どこか夜の続きを引きずっている気分になる。
「問題は、誰だよ」
「はい」
キーボもそこは即座に頷いた。
「旧希望ヶ峰学園の関係者、と教祖は言いました。ですが、それが具体的に誰を指すのかは不明です」
「生き残りか、残された記録か、思想だけ受け継いだ誰かか……」
「あるいは、その複合かもしれません」
最悪だった。
どれでも嫌だ。
誰か一人の暴走ならまだ止め方も見える。
でも、組織的に動いていたら。
すでに準備が進んでいたら。
零が最後にわざわざ言いに来たってことは、そういう段階に入っている可能性もある。
「……すぐ皆に話すべきだと思うか」
その質問は、かなり本音に近かった。
キーボはすぐには答えない。
少し考えてから、慎重に言葉を選んだ。
「共有は必要です」
「ですが、あなたがまだ整理しきれていない状態で一気に伝えると、余計な混乱を招く可能性があります」
「だよな」
「なので、まずは事実として切り分けられる部分を整理しましょう」
キーボは指を組んだ。
「教祖の発言に真実性が高いこと」
「カムクライズル化計画という方向性が示されたこと」
「その主体が旧希望ヶ峰学園の関係者である可能性」
「そして、すでに進行中である危険性」
「この四点が、現時点での最低限の共有事項になると思われます」
「……やっぱお前と話すと整理されるな」
「それは、どうも」
キーボは小さく言った。
少しだけ、照れたようにも見えた。
しばらく、また静かになる。
でも、今度の沈黙はさっきより苦しくなかった。
答えは出ていない。
やるべきこともまだ曖昧だ。
それでも、“ただ不安”だったものが、“向き合うべき問題”として形を持ち始めている。
それだけでも違った。
「キーボ」
「はい」
「昨日、お前が装甲になってくれて助かった」
俺は正面を見たまま言う。
「お前まで一緒に聞いててくれて、正直、少し助かった」
キーボは目を瞬かせた。
それから、静かに頷く。
「こちらこそ」
「あなたが、一人で抱え込まなくて良かったです」
その言葉に、少しだけ喉の奥が詰まった。
零の言葉は重い。
でも、それを持ったまま立っていられるのは、たぶん一人じゃないからだ。
窓の外で風が吹く。
朝の光は変わらない。
なのに、世界の見え方だけが少し変わってしまった気がした。
そしてその頃――。
学園から遠く離れた、とある地下施設。
照明を絞ったモニタールームの中で、いくつもの画面が静かに明滅していた。
そのひとつには、昨夜の戦闘記録が映っている。
ドォーン。
ゼッツエクスドリーム。
七色の翼。
デジャ・ドリーム発動時のエネルギー変化。
すべてが整理されたデータとして、すでに別の誰かの目に触れていた。
暗い画面の中央へ、古びた希望ヶ峰学園のエンブレムに似た紋章が一瞬だけ浮かぶ。
すぐに消える。
代わりに現れるのは、無機質な文字列。
適性値、上昇。
夢干渉型被験体、観測継続。
カムクライズル拡張計画、次段階へ移行。
誰かの指が、無言で端末に触れる。
顔は見えない。
声もない。
ただ、次の工程を起動する操作だけが、機械的な正確さで進められていく。
万津とキーボが、まだその真実の重さを測りかねている間にも。
新たな勢力は、もう影の中で動き始めていた。